episode 9 帰路
〈あらすじ〉
アレンカールの町でしがない傭兵業を営む中年男性コートは美人で名高いニースをあわよくば口説こうと町の庁舎を訪れていた時、町に滞在している貴族が森へ侵入したと報告を受けた。助けに向かったコートと自警団の面々は魔獣の群れをかわし辛くも魔族の男を撃退した。その時森に侵入した貴族ヘルマエも魔獣に襲われていた。そこを謎の男ジムに助けられる。ジムは魔族の男が消えゆくさまに驚きの声を上げていた。
オレはさらに激しさを増す頭痛と、それと同時に頭の中をめちゃくちゃにかき乱す認識の混濁により、その意識を手放そうとしていた。お蔭でいいように掻き乱されていた頭の中が、今やスカスカである。
尿意をギリギリまで我慢したあと放出した時のような『負』から『無』に戻る若干後ろ向きな快感回路の発動に、ああもうちょっと早く楽な方に身を任せればよかったと軽く後悔もしたが、直後、あとはどうにでもなってしまえという思いと共に完全に意識が消失してしまった。
その時、ヤーンはヘルマエに相対していた。
「ヘルマエ様、とにかく無事で何よりです。報告もあるのですが状況が状況です。帰途につきながらでもよろしいでしょうか」
ヘルマエは、蔑むような目でヤーンを睥睨し怒鳴りつける。
「貴様のせいで我は大切な従者を失った。三人もだ。我も一歩間違えれば死ぬところであったのだ。責任はとってもらう。貴様だけではない、貴様をガイドに据えた町全体にだ。覚悟しておけ」
強く叱責されたヤーンは無言で深々と一礼をした。そして自警団の元へと戻る。
「目的は半ば達成した。これから帰途につく。アスケン先頭を頼む。そしてカイジョー、殿をお願いする。自分は向こうの従者と一緒にヘルマエ様を護衛する。よろしく頼むよ。それとオーワ、ダンナを負ぶっていってくれ」
「ダメだ!」
突然、ヤーンの背中越しに怒声があがった。ヘルマエのものだ。
「騎士ですらその命をもって我を守ったのだ。その男はここに置いてゆけ。我が安全に帰る事、それこそがその男の望みであろう。しかも意識もないと見える。食われたところで痛くも痒くもあるまいて」
「しかし、彼がいなければ誰も生きては帰れなかったと……」
ヘルマエはヤーンの進言をひときわ大きな声で遮った。
「ダメなものはダメだ!」
自警団ひとりひとりの顔に怒りが滲む。ヤーンは無言で俯き、だらりと下げた両拳を固く握っていた。見るとアミルカンも表情を険しくしている。意を決してヤーンが口を開く。
「御身を守ったのはひとえに……」
「ダメだ! この男が我の命を救ったとでも言いたいのであろう。ならば皆でその思いを引き継ぎ我の命を救え。それが仲間というものであろう。残念なことにこの男はもう役にはたたん。皆の足手まといになるなら、こ奴も死を選ぶであろう。未練があるなら、そなたたちの手で引導を渡してやれ」
「あなたはっ!」
ヤーンはハッと我に返って無理やり次にくるであろう言葉を飲み込んだ。話にならない。このまま置いていったら間違いなくコートは魔獣の餌となる。自分一人残ろうか。いや、それはヘルマエ様が許してはくれないだろう。どうする。
ヤーンが思考の波に揉くちゃにされていたそのときである。ジムがおもむろに歩き出し、未だ倒れて動けずにいたコートを抱きかかえ背中に背負った。そして何事もなかったかのような屈託のない表情で一言発した。
「さあ、出発しようか」
皆一瞬唖然とした。直後、ヘルマエが鬼の形相を浮かべジムへと詰め寄る。
「貴様には状況が解っておらぬのか! 貴様は魔獣を退治する重要な役割があるのだぞ。騎士の重い命ですら失われたのだ。今更平民ごときの軽薄な命を救ってどうする。貴様が守るべきは我の命だ。こんな下賤の命と一緒にするな!」
「たしかにねぇ、キミ達の命とこの人の命を一緒にしたらダメだよねぇ」
ジムは何が楽しいのか笑顔を浮かべ答える。そしてコートを背負ったまま、その背中を一同に向け町の方向へと歩き出してしまった。
皮肉とも挑発ともとれるジムの言動に、屈辱顕にカンカンに怒ったヘルマエはアミルカンに命じる。
「あの木偶の坊を今すぐ斬れ。何ならジムとやらを巻き込んでも構わん」
アミルカンは焦った。こうなってしまうとこの方はもうあとには引けない。いやヘルマエだけではない。貴族なればこそあとには引けない。貴族というものは面子を重んじる生き物である。だから貴族同士が面と向かうとき、当たらず触らず互いの深いところには踏み込まないよう心がける。その面子を潰されてしまえば、それこそ武力による紛争にまで発展する危険をはらんでいるからである。そのことを理解しているアミルカンは、それでもヘルマエを諌めようと口を開く。
「私がここに着いた時見たものは、あの者が倒れているその前でひときわ禍々しい何かが消え去っていくところでした。今ここにこうしていられるのは、あの者の功績があってのことかもしれません。ここはヘルマエ様の器量の大きさに免じて救ってあげてはと」
「ダメだ! 過去は過去。今この時、我の役に立たないのならそれは罪だ。我は罪人に対する器量など持ちあわせてはおらぬ」
有無など言わせるものかとばかりにヘルマエは容赦なく怒鳴りつける。それでもアミルカンは食い下がった。
「ならばその罪、先ほどの功を以って不問にしてはと」
「ダメだ! これ以上口答えをするなら、ボレリアス卿にも責任をとってもらわねばならぬ。誰でもよい、あの男を斬れ。斬ったものには褒美をくれてやる。早くしろ!」
突然出された依頼主の命に、アミルカンは沈黙を余儀なくされた。周囲を見渡すと、ヤーンはわりかし平静を装ってはいるものの、他の自警団の面々は噯もなく怒りの表情顕にし、今にもヘルマエ様に斬りかかっていきそうな殺気を放っている。
もうあの男を斬るしかないのかもしれない。あの男を斬り捨て、ヘルマエ様の怒りをお鎮めし、周囲の怒りを自分に向ける。丸く収めるにはそれしかない。貴族に目をつけられたのだ、どうせこのまま無事に帰還したところで、この男に待っているのは悲劇以外ありえない。かわいそうだが割りきるしかない。
そういう考えに至ったアミルカンは、左腰に吊ってある剣を固く握る。そして背中に背負われた男の無防備で全身傷だらけの姿をみやった。
この男も皆を助けるために必死で戦っただろうに、そう思うと悲しいような申し訳ないような、そんな気持ちがあとからあとから湧いて出てくる。しかし残念なことだが、もう後には引けない。これから自分のやろうとしていることが恐ろしくなり、首筋から汗が滴るのを感じる。
アミルカンは覚悟を決め、一度強く目を瞑り大きく息を吐いたあと、ごくりと口内に溜まっていた唾液を飲み込んだ。そして握った剣の柄に更なる力を込めた。
その時である。黒く淀んだ感情の塊ようなものが、自分の心の中に無理矢理入り込んでくるような感覚に襲われた。
『怒り』『悲しみ』『寂しさ』『苦しみ』『恨み』『不安』『焦燥』『困惑』『恐怖』『不満』『後悔』『嫉妬』『憎悪』『恥』『劣等感』…………
それらの感情がむき出しに、猥雑に溢れてくる。そしてそれを『空虚』な感情が覆う。今アミルカンを支配しているのは、何の脈絡もなく唐突に現れた『絶望』である。何もしたくない、死んでしまいたい、そういう思いに至ることが出来ないほどの純度の高い『絶望』。
ふと我に返った時、アミルカンは体中が震え、涙を流し、跪いていた。ヘルマエ様はどうしただろう。心配になり辺りを見渡すと、全員抜け殻のようになり、あるものは立ち尽くし、あるものは倒れこんでいた。アミルカンは自身の依頼主の元へと走った。
「助けて、助けて……」
うつろな表情でつぶやくヘルマエをなんとか立たせ、何が起こったのかを窺う。しかしながら、まともな返事は返ってこなかった。今までの高圧的な態度はどこかに吹っ飛んでしまったらしい己が依頼主の様子に、事態はなんとか収まったかもとちょっとした安心を覚えてしまう。
「いくよ。おいて行っちゃうよ」
「少しお待ちを」
ジムの声が耳朶を打つ。アミルカンは慌てて返事を返し、ヘルマエを歩くようにと促した。
「いやねぇ。すご精神力だねぇ、キミは」
ジムはにこやかな表情でアミルカンの方を向いた。今何をした、そしてお前は何者だ。そう問いただしたかったのだが、なんとも掴みどころのない性格だけに、急にへそを曲げてしまっては困る。ジムがいなければこの森を抜けることはかなわないであろう。そう考えたアミルカンはヘルマエの護衛に専念した。
全員、あの時の後遺症からか最初は動きが緩慢だったが、森の入り口に差し掛かる頃には回復していた。その間、魔獣は発生しなかった。
そして月明かりが辺りを照らしてからしばらくした頃、一行はアレンカールに到着することになる。
様々なことがこの短い間で起こった。まるで神話の世界に飛び込んでしまったかのようだった。そのためだろう。その時口を開く者は誰一人としていなかった。
いつも読んでいただいてありがとうございます。
ヘルマエ無双シーンは書いていて楽しかったです。




