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女神と魔神と……オッサンと!?  作者: もり
閑話3 ニースの海水浴
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episode 2 向脛

 ―― 追散されしカイム オノゴロ島にありけり。淋しき唄 歌うや。悲しき詩 詠うや。


 神話ローレス『カイムの嘆き』の一節が浮かび、それが頭の中を走り回っていた。オレは当然ながら三千年前に起こった神々の戦いと、その決着、カイムがニースにどのように封印されたかなんて知らない。知るはずもない。だが、その歴史的情景が目の前で起こってしまったのではないかと朧気ながら感じた。


「せっかく海に来たんですし、泳ぎましょうか?」


 未だ耳から離れないカイムの断末魔に、ニースの朗らかな声が重なる。ただただ不気味だった。恐ろしさに膝が笑っている。オレは顔が笑っているニースを前に、首を縦に振るしかなかった。


【そんな呑気に構えている暇はないのです。カイ……】


 この場の空気を読み切れていなかったクテシフォンの言葉までもが、乱暴に引き千切られたかのように途切れる。気づくと聖剣も消えていた。だが、今度は警戒を怠らなかったため、はっきりと分かった。間違いなくニースが『式』を組んでいたのだ。ただあまりに疾く、余韻も残滓も残していない。かなり巧妙と言えた。

 何故にあんな清々しい笑顔で、何故にあんな凶悪な『式』が組めるのか……。オレはニースに目線を固定した。いや、させられたと言うべきであろう。後ろに立たれることをとにかく嫌う、とある高名な射手(いて)の心境に近いものだった。


【わいー。皆んなして、どこさ行ったんだば】


 この意味不明な言語を使うコイツだけが、オレが今縋る唯一のものとなってしまった……。ただ、言うことが理解できないことは僥倖と言えた。ニースの燗に触れることを極力抑えられるであろうからだ。今はとにかく、何故彼女がこのような行動にでたのか突き止める必要がある。極力避けたいが、場合によっては力ずくで……。



 どれほど時間が経過したかは、分からない。オレは多分、長いこと考えに耽っていたのだろう。ずっと視界に収めていたはずのニースは、いつの間にか膝のあたりまで海に浸かり髪の毛を濡らしていた。白のワンピースも体にぴたりと張り付いている。彼女の体形が顕になるほどに。


「そうやってずっと黙って見詰められれば、さすがに照れてしまいます」


 そう言い、首から上を赤く染めながら、肋の浮き出た胸元を両手で隠す。そんなつもりはなかったが、そんな結果に陥っていた。

 改めて視界の中のニースを意識する。そして「やはり……」と口の中で呟いた。平面と言うことは何となくだが臭っていた。臭いまくっていた。だがまさか。劣勢だがそう疑う自分もいた。いや、彼女の名誉のために言うと、平面というには語弊があった。凹凸は確かにあるのだ。洗濯に使う道具であるならば優秀な部類に入りそうな、そんな凹凸が。

 オレはなぜか溢れそうになる涙をこらえ、招いてしまった誤解を解く行動を起こした。


「なんと言えばいいんだろうな。高い山があるから登りたくなる。そんなものハナからなければ、登ろうなんて誰も思いやしない。人間ってのはな、そういう生き物なんだ。だからニース、照れることなんてこれっぽっちも無いんだ。そんなつもり、さらさら無いんだからな」


 やや熱く身振り手振りを交え、逆に言葉はゆっくりと冷静に、そして最後に俯き加減で瞑目した。いい例えだった。オレの気持ちを、上手く煙に巻き最大限の優しさで包み込んだ。気遣いに涙するニースの姿を瞼に浮かべながら、満足気に閉じていた目を再び開いた。


「そうですか、お気持ちは大体わかりました。クーロンさん。あなた、面白いことをおっしゃいますね〜」


 だが、そこには干からびて亀裂の入った大地のように一雫の涙もなかった。映るは、意味深げな笑みだった。戦慄が奔りまくる。深いであろう笑顔の意味はオレの想像とは違うものだと、そう本能が訴えているような気がした。オレの言葉が、そして優しさが通じなかったのだろうか。鈍感な女神である。

 僅かな殺気を感じた。オレはヘビに睨まれたカエルのように身構える。だが、相手は同族である神々をもあしらう程の力を持った女神。構えてどうにかなるとは思えなかった。力いっぱい握った拳は、汗でじっとりしていた。


 だが幸い何事もなかった。ニースはしばらくは不機嫌だったが、持ち直すと夕食の支度をすると言い、何だか張り切った様子ですたすた遠ざかって行った。オレは魔剣を傍らに砂浜に座りながら、強ばっていた体と張っていた気勢を解く。すると、かなり疲労していたことを実感した。


「何だったんだろうな……アレ」


 ニースの気配がないことを確認し、魔剣に問いかけた。別に明確な答えは期待していなかった。どうせクトゥネペタムにニースの心情を汲み取ることは出来ないと踏んでいたし、そもそも答えが返ってきたところで、その言葉の意味は分からないだろうからである。


【ダーリンは何も分がってね。(おなご)があったになってまったら、そら惚れた腫れたに決まっちゅうばな】


 驚いた。クトゥネペタムの言うことが、あらかた理解できたのだ。だが疑問も残った。果たして、彼女の言う惚れた腫れたで『層』の狭間に封印されてしまうだろうか、と。切った張ったの間違いではなかろうか、と。とにかくオレはどうしたらいいものか、どうしたら生き延びることができるか、思索する。目を閉じ黙りこくるオレにクトゥネペタムは、何を思ったのかおかしな事を言い始めた。


【とうとうダーリンもわの手から離れていくんだばな。わは側室で充分だはんで】


 間違いが二つ。正室、側室などの細かいことは置いておいて、オレは武器と(つがい)になる気はさらさらないということ。そして、手から離れるのはオレではなく剣であるアンタの方だということだ。


 戻ってきたニースは相変わらずの「恐怖の大王」風の佇まいを醸していた。そのため、その日の晩は何かを口に入れたことは憶えてはいるが、何を食べたかまでは憶えていなかった。


 死を予期すると、生き物はその種類に依らず子孫を残そうと行動する傾向にあるらしい。それが理由かどうかは定かではないが、例に漏れずオレもその夜はどこか調子がよかった。すこぶる良かったと言ってもいい。結婚すると行った手前……と邪念が頭を駆け巡る。だがニースは言うなればアレだ。魚を捌くに丁度いい感じのアレである。野菜を切るに便利な感じのアレである。それはそれで、ダメだってことはない。ないが、人はなんと欲深きことかな。愚かにも夢を見てしまった。


「なあニース」

「はい?」


 夜の帳に火花が爆ぜる。焚き火に照らされたニースは神秘的に美しく、そしてそれと同等に恐ろしかった。恐怖の大王が振り向く。身が竦む。だが退けは出来ないパラドクス。オレの心臓は、呼吸が苦しくなるほどにバックンバックン打たれる。いい加減いしろ! やめろ! と、もう一人のオレが警鐘を鳴らしているかのようだった。


「え〜と、その何だ……」

「ん?」


 ニースがちょんと首を傾げた。たまらんっ! 溜まるっ! 言葉とかを溜めながら、じわりじわりと本題に入る。


「『式』ってのは、何でもできるもんなのか?」

「さすがに何でもってのは、無理ですね〜」

「そうか……。例えばだ、小さなネズミを犬のように大きくするってのは可能なのか?」

「ふふふ、何を聞くんですか? おかしな人ですね。まあ、できますよ」

「じゃあ、そのネズミの体の一部分、そうだな、む、む……向こう脛だけをでかくするってのはどうだ」

「できますけど、なんですか〜それ」


 ニースはくすくす笑う。だがその時のオレは、不敵な笑みを浮かべていたことだろう。外堀は埋まった。城壁もよじ登った。いよいよだ。いよいよ居館パラス攻略の時来たれり。彼女の隣で、オレはごくり唾を飲み込んだ。


「じゃあ、アンタの体でも似たようなことができるのか?」

「向う脛ですか?」


 オレをケリ一発で沈める気かっ! い、いや言い出したのはオレの方だった。気を取り直して訂正する。


「も、もう少し上だ」

「膝?」


 違うっ! 少し過ぎだ。もっと上だろうが! バカチンがっ!


「さっきから、なんなんですか〜? はっ!」


 やや苛ついたオレの視線を辿ったニースが、笑顔のまま目をひん剥いた。大きな瞳が更に大きくなる。表情が蝋人形のように冷えて固まってゆく。

 その夜ニースは、オレに背中を向け毛布を被ったまま、朝まで微動だにしなかった。

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