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女神と魔神と……オッサンと!?  作者: もり
第6章 神の宴編
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episode 19 式斬

 カイムへの謝意を言葉にし、未だ感触の残る右手を胸に添え、左手で大事に包む込む。その顔は満ち足りたものだった。人が見れば、神話(ローレス)に記された祈り子を思わせたであろう。

 上空では、全ての使徒が『式』を組んでいた。女神と魔神、二体の使徒に(くさび)を打ち行動を阻害していたのである。力を使い果たしたニースと半身を失ったカイムは為すがまま、大地に張り付けられたように動けずにいた。


「小癪な……。滅びよ。滅びよ。全て木っ端微塵に滅びてしまえ」


 神々しく輝く『神鎚』の傍ら、一声上げたエクバタナは、顔を引き攣らせていた。怯えきっていたのだ。因果に干渉し事象を改竄、歪められたつじつまを一つ一つ整合させ事実を変えてゆかねばならない。根源に近いものほど歪みは深く大きく、とりわけ因果はその最たるものであった。気の遠くなるような作業を瞬時にこなさねばならず、神と言えどとても手に負えるものではない、筈だった。

 だがニースはそれを成してしまった。結果として混沌は揺らがず自分が生存できている。安心すべきところではあるが、心穏やかではいられなかった。今しか無い。そう思った。力を使い果たした今しかニースを葬り去ることは敵わない。そう直感した。そしてそれは正しい判断と言えた。


「無駄ですよ」


 ニースの憐れむような掠れ声が割り込む。


「あの人が来ます。あなた達ではもう、あの人には太刀打ちできません」


 静かな声だった。だが使徒達の耳に強烈に侵入してきた。恐れざわめいていた心が沈黙へと帰る。火照った怒りが冷たく沈む。その内なる静寂を無理矢理に引き裂くように、エクバタナはいきなり叫声をあげた。


「何をしたっ!」


 だがニースからもカイムからも、力の発動は感じられない。なのに『式』は次々と解かれ、その効力を失っていった。『神鎚』も蒸発するように消えてゆく。エクバタナは何が起こっているのか理解できずに、ただ混乱した。それでもぎりぎりのところで正気を保っていられるのは、サスガは神と言えた。


「何故だ、何故『式』が解かれる。違う、この感触。『解式』を用い解いたのではない。斬った……、のか。無理矢理『式』を斬ったと言うのか。誰だ! 誰がこんなことしでかしたというのだ」


 その問に答えるは、聞き慣れない声だった。


「『式斬(しきぎり)』とでも言えばいいのか。驚いていくれているようだが、タネを明かせば何のことはない、魔術砕きの応用だ」


 だがそれはニースにとっては愛おしくふてぶてしい声だった。空き部屋のようにがらんとなった胸の内が満たされてゆくような心地よい感覚に浸る。

 ニースの『式』は届いていた。いや最後に因果の壁をこじ開けたのは『式』ではなく『想い』だったのだろう。だがそれだけではない。その『想い』の手助けをカイムはなしていた。最後にニースの背中を優しく押した力はカイムの組んだ特殊な『式』だった。ニースの『式』に自身の『式』を重ねたのである。『式』に『式』を重ねる。それは誰もが、ニースでさえも思いつかないことだった。思いつけども、不可能とされていたことだった。カイムは自身の体の大半を犠牲にし、それを成し遂げたのである。己の命を触媒に、それを賭す覚悟だった。ニースの言う「無茶」とは、そのことだった。


「き、貴様が……。『式』を斬るだと、非常識な。出来るはずがない。届くはずがない。第三層に留まるが人の限界。なのに……」


 言葉だけでは信じられなかったエクバタナも、目の前で次々と『式』が斬り刻まれるさまを見せつけられて、驚き信じざるを得なかった。そしてもうひとつ驚愕すべきことがあった。それは二人の使徒の執念が、不可能と思われていたことを可能にしたこと。因果に干渉し一人の人間を蘇らせたことだった。



「ただ、『式』をこの身に食らって因果って所をさまよったお陰でな、オレの足りないオツムでも、ちいっとばかし理解したことがあるんだ。『式』とは何か。『根源』とは何か。そしてオレの体に何が起こっていたか」


 オレはそいつ等の気持ちに応えるべく、精一杯のハッタリをかましてみせた。間違った応え方と自分でも理解していた。が、それがオレのやり方で、オレにはそれしか出来なかった。

 今、全てが繋がったように感じていた。裏返(うらがえり)の腹から産まれた。『塔』により体の隅々まで弄くり回され、心に闇を植え付けられた。剣術を叩きこまれ、幾多の戦場を渡り歩いた。騙され左目を抉られ、害虫のように逃げ隠れた。魔族とも戦った。女神と出逢い、そして旅立った。いや、彷徨ったというべきか。


「悪いがオレの目はアンタらより深く見渡せる。そしてこの二振の(つるぎ)は、そこに届いちまうんだ。どうだ神サマ、(すげ)えだろ?」

「戯けがっ。世迷い言をっ!」


 たぶんその全てに意味があった。全て無駄ではなかった。今まで起きた全ての出来事が、今のために用意された布石と感じていた。

 因果ってところでオレは溶けて何でもない存在だった。だがオレの境界ができて輪郭を帯び始めた。

 その時、景色が広がった。聳えるカロリスの峰々。吹き下ろしの冷たい風が抜けた。

 庁舎の扉が開かれ、オレは招き入れられる。

 カップに薄紅色の唇をつけ、湯気の立つ紅茶をすする。いつもの穏やかな光景。

 華奢で白い手が差し出される。オレは彼女に促されるままにその手を握った。だが、するりとすり抜ける。

 彼女は見えないところで泣いていた。親とはぐれた幼子のようだった。

 オレは焦り、四方に闇雲に手を伸ばし空を弄った。

 温かい感触が掌から伝わる。オレは今度こそ離すまいと、力を込めた。

 気がつくとここに居た。オレを遠いところにまで迎えに来てくれた女神様は、疲れきったように地面に横たわっていた。


「よう。折角遠い所から帰ってきたってのに、そっぽ向きやがって。恥ずかしがってんのか? 暫く見ねえ内にしおらしくなっちまったなぁ。なあ、女神サマよ」


 そう言いながらその女神様の傍まで歩く。ボロの革靴がかぽかぽと安っぽい音をならす。体に馴染んだ感触。それが懐かしい。これは帝国に旅立つ時、支給されたものではなかった。辺境の町アレンカールでしがない傭兵稼業に勤しんでいた頃、長いこと履いていたもの。左右揃っていない手甲も、ほつれた外套も、薄汚れた衣服もその当時のものだった。ご丁寧に、見るからに使い倒された雌雄一対の雑種剣までもが両腰に吊るされていた。この慣れ親しんだ重みが、生き返ったことを実感させてくれる。

 オレは倒れているニースを見下ろし、そしてわざと嫌味っぽく片方の口角を上げてやった。


「勝手な人ですね、あなたは……。自分が何をしたか、分かっているんですか? 自分一人で悟ったような顔で勝手にやり遂げたと勘違いした挙句、先に死のうとして。私を護るのでしょう? なら、あの程度で満足しないでください」

「知るかよ、そんなこと。それに、生き返ったお陰でホレ見てみろ。とんだ修羅場じゃねぇか? ありゃあ神話の英雄様でも裸足で逃げ出したくなっちまうシロモンだ。アンタを護るってのは命が幾つあっても足りないんだよ。アンタもこれくらい分かるだろ?」


 と、オレは魔剣の切先で、壊れた『式』を再度組み直す上空の使徒を指した。


「この期に及んで、まだ働かせるつもりか? 人使いの荒い女神サマだ」

「惚けないでください。最後手を差し伸べてくれたのは、あなたじゃないですか。それに私もここまで頼んだつもりはありません。私のことなど放っておいて逃げればよかったのに……」


 彼女は翳り憂う顔でオレを見上げる。全てを見透かしたかのようで、それでいて慈愛のこもった視線に身を委ねてしまいたくなる心を堪える。

 放っておける訳がない。だが、その言葉が出てこない。気の利いた言葉など一切浮かばず、さんざん皮肉をたれた。今更、慎ましやかに礼を言ったり、らしくなく感謝を述べたりしたところで彼女が喜ぶとは思えなかったし、オレも上っ面でこの場を収めたくはなかった。


「とにかく、起こしてくれませんか?」


 ニースは右手をオレに伸ばした。それは紛れもない、全てが混ざり薄れゆく因果でオレが掴んだ右手に他ならなかった。


「世話のかかる女神サマだ。アンタにとってはちっぽけな一人の人間だろうに。ここまでする必要はあったのかよ?」


 力強く握り、ぐいっと引き上げる。『式斬』により拘束の外れた華奢な体は思いのほか軽く、ニースは勢い余ってつんのめる。そして、とんっと前に傾げた額をオレの胸に預ける形となった。ニースはそのまま呟くように掠れた声をだす。


「持てる力を全て使ってあなたを護るって、なんでもするって、そう、決めてましたから……」

「何だ? そりゃ」


 居心地の悪くなったオレは、顔を逸し傍らのカイムに視線を下ろした。無残な姿に顔を顰めかける。何を思ってここまでしたのだろうか。だがひねくれ固まった四十路手前の男、今さら畏まるなんてことは、首筋に刃をあてがわれない限り出来ようがなかった。


「情けない格好しやがって。そんなんでよくニースを護るって言ったなぁ?」

「酷い言いようだねぇ。それに約束は、キミが死んだらってことだったよねぇ。キミが死んでる間は、ちゃんと護ったんだけどねぇ」

「なるほど、ものは言いようだ。ともかく助かったよ、エセ魔神」


 たしかにそうだ。カイムとの約束はオレが死んだあと、ニースを護るってことだった。悔しいがヤツはきっちり務め果たしたのだ。全てを見通したような目線がオレを貫く。癇に障る。そして鷹揚な声が耳朶を打った。


「もっと感謝してもいいんじゃないかなぁ」

「これでも充分感謝してるよ」

「そうかい。次はオッサンの番だからねぇ。頑張ってよ」


 オレは厭味ったらしい笑顔を作ってみせたのだが、カイムの笑顔は相変わらずおおらかに包み込んできた。

 ニースの額がオレから離れる。とっさにオレは上を向きかけた小さな金色の頭を、左腕でぐいっと引き寄せてしまった。彼女は「んっ」と小さく呻き、抵抗せずオレの胸に納まった。細い。こんな細い体一つで、あの暗い底なし沼のような因果の淵から引き上げたというのか。濁流のような時間の流れに逆らったというのか。オレは思わずとつとつと臆病な本音を吐露してしまった。

 

「すまない、守れんかった。約束も、アンタもだ……」


 一回、二回、三回と、胸元で首を振る感触が伝う。そしてそのまま頬を預け口を動かした。掠れた声が耳に届く。


「じゃあ、もう一度約束です。私を護ってください」

「アンタにその必要があるとは思えねえし、オレにそれができるとは思えないんだがな」

「私はあなたに護って欲しいのです」


 彼女は声を張った。小細工も、搦手も、皮肉も、裏表もない。真っ直ぐで不器用で、とても単純な言葉だった。その声が振動し、何度も揺らぎ、オレの心を波立たせる。悔みが晴れてゆくのが分かる。

 護って下さい……。オレ達はたぶんその一言から始まったのだろう。がらんどうだったオレは、その言葉に縋った。ある意味逃避だった。あの時は、何の覚悟もしていなかった。ここまで大事に至るとは思ってもみなかった。おそらくニースも同じだろう。だがそんな些細な言葉が、オレたちを繋げた。離れ離れになっても楔となった。呪のような言葉とも思った。だけどどうも違っていた。

 オレはたぶん、今、笑っている。


「上等だ、ニース。オレがアンタを護ってやるよ。ただ死にたくないから生きるだけ。生きることに意味なんかありやしない。ずっとそう思っていたんだがな。アンタにケツ叩かれたお陰だ。卑屈だったオレは、ちったぁマシな人間になったかもしれんよ」

「やれやれです。やっと分かったようですね。あんな卑屈な笑顔。もう私は認めませんから」


 神鎚ってやらを、この身で受け止めた時のことを言っているのは明らかだった。だが辛辣な言葉とは裏腹に、ニースは夏の花が咲いたような笑みをオレに向けた。見上げる瞳に陽光が反射する。心の底から喜びが迸っている。オレは彼女を直視できずに顔を逸らした。アンタにとってオレは、いや人間そのものが、矮小で取るに足らない存在ではないのか。何をそう喜ぶ。何がそう嬉しい。そう思いながらもオレの心は上気していた。

 上空から津波のように殺気が押し寄せた。瞬間、ニースから強い『力』の波が放たれる。『式』を組んだことだけは何となく分かった。不意のこともあり、それしか分からない。いや気構えていても認識は困難に思われた。圧倒的に速かったのだ。途端に使徒は声を上げた。水面に浮かぶ羽虫のように手足をじたばたさせながら、次々と重力に引かれ堕ちてきた。主神も例外ではなく、地面に叩きつけられ地響きと砂煙を上げていた。

 凄え。今なら分かる。アンタの力はこれ程だったのか。オレにはニースだけは、格が違うように見えた。同じ神、同じ使徒とは思えないほどだった。強い力は感じていた。カイムと同等とも思える程の力。だが今、その力を振るう姿を目の当たりにして、彼女だけはまるで別な存在ということに、この時ようやく気付いた。

 なぜ、カイムを封じ自らの力を封じたのか。疑問が湧く。だが、その選択はニースらしいとも感じた。封じることで神々から護る。深読みが過ぎるかもしれないのは分かっている。が、その考えを否定することはできなかった。


「続きは終わってからにしたらどうだい。お二人さん」


 オレは反射的に左腕で彼女の体を遠ざけた。見るとカイムの失われた体は修復され元に戻っていた。わざとらしくニースに向け片目を瞑り、さも軽薄な合図を送る。ニースはそれを受けこくんと一つ頷いた。

 地上に落ちたとは言え、未だ数多の神々が幾つもの『式』を織りなしていた。だがその全てがニースにより、尽く瞬時に解体されていく。いや、そうではない。どうも『式』を発動を許してはいない。オレにはそう感じていた。

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