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episode 0 終幕

「今日もいい天気ですよ!」

 

 鼓膜を刺激した声は、朝露のように凛々しく澄んでいた。オレは眠りの世界の住人だったことに気づく。

 しばらくは目を閉じたまま緩やかな流れに身を任せるかのようにまどろむ。弦楽器の調べよろしくたおやかな雨音が耳朶を打つ。空気も若干の湿り気を帯び肌に纏わり付く。はて、どこがいい天気なのやら……。


「あっ! クーロンさん。目、覚めましたんですか? おはようございます。ってもうすっかり夜ですけどね。あはは……」


 オレはゆっくりとまぶたを開けた。視界を覆う蝋燭の淡い光に照らされ、ゆらゆらと明滅を繰り返すいつも通りの天井に、僅かながらも安堵を覚える。

 どうやらまた新たな一日を送ることができたようだ。


「三日ぶりですよ。ご気分いかがです?」

 

 うえっ! 知らぬ間に一気に三日も積み重ねてたのかよ……。これは得したのか、それとも損なのか? 少し耽るも、無意味なことと判断しその思考を中断させた。

 声の方へと顔を向けようとするも、立て付けの悪いドアのように関節が軋み動かない。

 あきらめ、視線だけを向けるに留まる。その先には薄明るい灯に照らされた、おおらかで慈愛に満ちた笑顔を湛えた美女が、オレを見つめていた。死地に向かうオレを何度も踏みとどませた、いつもの笑顔だ。

 右はサファイアの蒼瞳(そうどう)、左は翡翠の翠瞳(すいどう)。左右非対称ながらも深い光を帯びたかのような美しい二つの宝玉に、隠そうともしない喜びを浮かべていた。

 気恥ずかしさに慌てて視線を元の天井に戻す。その行動のおかげかどうかは分からないが、意識が明瞭になる。

 挨拶を返そうと試みる。しかし肺にも喉にも力が入ってこない。

 と、そんなオレを察してか彼女は

 

「あはは。無理しないでください。しょうが無いですよ、もうヨボヨボなんですから」

 

 と、軽く笑う。何がおかしいとばかりに抗議のため息を吐こうとするが、オレの体にはそれすら行使する力が残されてはいなかった。ため息一つで幸せも一つ逃げるという。おかげ様で図らずも鉄壁の幸せ包囲網を敷いていることだろうな。

 仕方がない、抗議の視線だけでも送っておこう。

 

「あはは……。でも私も幸せですよ。こうして安らかにあなたを看取ることができそうですから」

 

 そうか、それは良かっ……んっ! なんか今さらっと聞き捨てならないことを言ったような気がするのですけど……気のせいだよね。

 

「き、気のせいですよ……。あっそうそう、あの人たちは今頃何してるんですかね」

 

 一緒に旅をした三人……と言っていいのかどうかは微妙だが、その時の仲間のことを指しているのだろう。どこぞのお人好しの傭兵にちょっかいをかけて、遊んでいることだろうて。

 

「そうかもしれませんね〜。あの人たちはどこに行っても、なんだかんだ楽しくやっていけそうですからね」


 ふと違和感を感じ、もう一度視線を彼女の方へと向ける。そう言った彼女はもう自分を向いていない。辛くも楽しかった旅のことを思い出しているのか、ぼうっと窓の外を眺めている。絶対雨降ってるだろ。何が「いい天気ですね」だ、コンニャロ。

 ただ、口を半開きにしながら呆けている姿すら一枚の絵のように美しいと、年甲斐もなく見とれてしまっている自分がいた。

 ありふれた言葉だが、使い古されまくって面白みのない言葉だが、だがどうしても想ってしまう。白磁のように滑らかな肌。ふわり腰に届く絹糸のような細く光沢のある金色の髪。顎から首筋にかかる曲線も計算しつくされたように完璧な造形だ。神々しいとはこういうことなのかもしれない。と……。


「あはは。ありがとうございます。でも私にとってはですねクーロンさん、あなたこそ美しいですよ」


 感慨に耽るオレにニースは嬉しそうに礼を述べた。感謝すべきはオレの方だというのに。そしてこんな姿のオレを、美しいなどという。お世辞の類だろうが、嬉……ちょ、ちょっと待て……オレ声出す力ないはずなんだけど。この時遅まきながら違和感の正体に気付く。会話が成立してるっておかしくね。

 

「うぇっ……えっと……その、傷跡の一つ一つが美しいと言いますか、う〜、その皺の一つ一つが愛おしいとでもいいますか。ねっ! あははは……」


 急にあたふたしだした。「ねっ!」じゃねえよ! 間違いなくいいこと言ってごまかしにかかっている。人生の終末に驚愕の新事実発覚。ひょっとして今までずっと……。うがー、ハズカシー! 死にたい! ってか今すぐ死んでしまいそうだ……マジでマジで。

 

「い……いえ、最近ですよ。寂しかったのでついつい……。ごめんなさい。あはは……」

 

 少し申し訳なさげに彼女は笑う。 

 こうして会話の体をなしていない会話は朝まで続いた。彼女の笑顔とともに。初めて会ったあの時と変わらない、おおらかで慈愛に満ちた屈託のない笑顔。

 そして、彼女の乾燥しきった白々しい笑い声と、額に滲む冷や汗とともに……。

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