妖車のシートにて
照らした先の道路以外は、闇。
聞こえるのは風とエンジン音のみ。
道はただただ真っ直ぐ。
俺はこの状況が何よりも好きだ。こんな訳の分からない世界から自分だけ何処か別の場所に来ているような感覚。この瞬間唐突に自分が消滅したとしても一切の後悔は無く、むしろそうありたいと思える程にこの時間は俺を酔わせる。
望めば何処にだって繋がるこの道路は望まなければ何処にも辿り着かない。当然俺はそう望む。
窓越しには漆黒のみが広がる。夜と呼ぶ事が違和感を孕むほどに全てが黒い。空を見上げても星など見えず、視線を落としても地平の境を見ることは出来ない。
自分もその黒々とした世界に染まっていく想像をする。するとそのうちに見えないはずの荒れた大地を見た。そして風の流れすら視認出来るような感覚に陥る。
黒色の世界に風景を見たのだ。窓越しの全てが一つの絵になりうる程に目を奪う。
ギャラリア。
画廊という意味を冠するこの車の、彼の名前だ。
俺は一言も発しないし、ディスプレイにも何も映らない。だが不思議とこのままで良いのだと感じた。ギャラリアも俺と同じくこの瞬間を楽しんでいるのだ。ならば言葉を交わす必要はない。
どれくらい経ったのだろうか。時間の概念は無いのだが、数時間は走っていた気がする。あるいはさほど時間は経っていないのだが体感的にそれだけの時間を過ごしていたようにも思える。
ギャラリアが助手席側の窓を開けたことで意識がはっきりした。気付けば助手席側のルームライトも点いている。
「どうした?」
突然のアクションだったので何かの意図があるのだろう。ディスプレイに返事が流れるのを待っていると雷鳴と共に黒い光が輝き、目を開けるとギルが座っていた。
「よお、探したぜ」
「HELLO,GUILTIS」
「ギャラリア、ありがとな。厄介なのに追われてたんだ」
さほど疲れた様子もなくコツコツと指で窓をつつく。
「YOU'R WELCOME」
「ずいぶん時間が掛かったな、ギル」
ギルの移動方法であれば合流はすぐだと思っていたので素直に聞いてみた。
「町から町へ飛び回ったさ。でもまさか走り続けてるとは思わな…」
突然の轟音。地鳴りのような重低音が大気全てを震わせている。ギルの声もエンジンの音も聞こえなくなってしまった。
パクパクと何か言っているギルは空を指差す。開いた窓から見上げると真っ黒な夜空が動いていた。
勿論空が動く事などそうそうあることではない。だとするならば空を覆うほど大きい何かだ。
轟音が収まってからギャラリアを停め、外へ出た。
「あれは…『天蓋』か」
「久々に見たなぁ、やっぱでっけーっ!」
天蓋と呼ばれているのは巨大な竜である。地上にいる限りその姿の全てを捉えることは不可能な程の圧倒的体躯。俺達が認識出来たのはその翼膜のみであった。
千夜一夜物語のバハムートではないが結構な時間
通り過ぎるのを眺めていた。飛ぶ速度は相当なものだろうがその巨躯故に遅く感じてしまう。煙草を吸っていたならば4本目に火を着けていただろう。それでもまだ頭上には大河の様な尾が流れていた。
「ギャラリア、あいつ抜かせるか?」
ニヤニヤと悪巧みを思い付いた様な顔をするギル。しょうがない奴だ。
「煽るなよ…こいつの」
俺の言葉を遮ってエンジンが唸る。いや、唸るではなく、吼えた。ビリビリと地が揺れる。
ギャラリアは今のところ気の良い意思のある車、そんな存在であったが…。
ーーーこいつの性格、知ってるだろ。
そう言おうとした通り、彼は本来血に濡れた妖車である。スピードに取り憑かれ、ボンネットも、タイヤも、フロントガラスも、ハンドルも、全てに返り血を浴び、スクラップを踏み砕きながら夜を駆ける。時代次第ならまさしく妖怪として伝聞されていた程にイカれた存在である。
自分の先を行く者を決して許すことはない、そんな気性の持ち主なのだ。
「ヤる気じゃねぇか。ほら、カンザキ、乗れよ」
急かすギルの言葉に呼応してドアが開く。車体からは妖気と呼ぶのか、揺らめきが立ち上っていた。
「…何もない夜空が見てぇな」
この呟きを聞き、一際大きくエンジンが吼え、俺がシートに座るやいなやドアが閉まる。そして同時にギアが入った。
タイヤの回転を捉えられない大地から砂埃が上がり、それから爆発的な急加速。
「行けよ、ぶっちぎれ。竜の腹なんざ見たくねぇ」
既に下がりきったアクセルに足を乗せて煙草をくわえる。
「ククッ…カンザキ、煽り方が上手いな」
バチリと音を立て煙草から煙が上がる。
「JUST BE PATIENT」
少し待ってろ。
「ああ、楽しみに待ってるよ」
煙を吐き出してハンドルに手を添えた。
夜はまだ明けない。