カウンターの片隅にて 5
「こんなことしてても決着はつかねぇよ」
「まぁ、わかってたけどねぇ」
その言葉と共に空気が和らぐ。決着はつかない。つく筈がない。これがこの世界のルールなのだ。
ボス同士が闘い合えば力は拮抗する。
故に決着が着くことは無い。
この制約がある限り誰も勝つことがなく負けることもない。どちらかが諦めるまで不毛な攻防を続けることになるのだ。それを皆が理解している為、ボスのみの世界といえどこういった揉め事は少ない。
この世界にとって都合の良いだけのふざけたルールである。
一般人タイプのボス、仮に児童向け絵本に出るようないじめっ子が放つ本気のパンチとファンタジー作品において強大な魔力を持つ魔王の最強の魔法。それが互角になってしまうのだ。本気の攻撃ならば本気で向かい打てば何とかなってしまう。
こういった適当さもこのルールのふざけた部分だが、実際このお陰で世界は荒れずに済んでいる。
つまり俺もギルもその気になればアンビエッタと渡り合えるのだ。全く意味の無い時間となることはわかりきっているが。
「姐さん、これ。もういいんじゃないすか」
ギルがカウンターの氷を指す。アンビエッタは不機嫌そうな顔をして凍結の元になった氷のグラスを取り上げる。僅かに残ったワインを飲み干すとギルの頭の上にグラスを置いた。
「自分で何とかしなさいな。それくらい出来るでしょ?」
「はぁっ?姐さん、マジで凍らせたでしょ!」
その言葉に面食らったギルは声を荒げる。当然グラスは落ちて砕けた。
「だったらギルちゃんもマジになればぁ?」
どうやら本当に解く気はないらしい。
彼等の言い方を借りるならばマジで凍らせたならマジで氷を外そうとすれば外れる。
ただ、ギルのすぐ隣にいる俺はその余波をマジで耐えなければ相当痛い想いをするだろう。それを察してかギルが申し訳無さそうに横目で見てくる。
「俺がやってもいいんだが、どうする」
「いや、こいつならカンザキの氷もいっぺんに吹き飛ばせるぜ、少し我慢してくれな…」
バチ…。
黒い雷がギルの周りを走る。
「おい、ギル…店を壊すなよ」
マスターも不機嫌そうだ。二人とも不完全燃焼なのだろう。こんな煮え切らない結果になるのがわかっているなら始めから揉めなければ良いと思う。
バチ…。
「行くぜぇ…」
来るのがわかっていても当然痛いものは痛い。それに電気系の攻撃は痛み以上に神経に電気が流れる不快感の方が俺は嫌いだ。なので本気で耐える準備をする。
バチ…。
「せー、のっ!」
ギルが黒雷を放つ瞬間、小さく舌を出すアンビエッタが見えた。
黒い光で目が眩むという不思議な感覚の直後、体の全面に焼けるような熱さを感じた。雷鳴はよくわからない。ただ、体の外も中も焼けるようだった。
目を開けるとカウンターは勿論、正面の棚も炭となり、奥の壁も焼け焦げていた。
「あ、あれ…?」
「………っ」
「あはっ、あははは!」
ギルが困惑し、マスターは絶句。アンビエッタは大笑い。
元々本気で凍らせてはいなかったのだ。数字にするなら六割、七割くらいだろう。それを本気と言ってギルに十割を出させる。氷はどうにか出来るが余ったエネルギーは外部へと溢れる。その結果がこの惨状だ。
「ギルちゃんお店壊しちゃったねぇ、いけないんだ」
「え、だって…はぁ?」
事態がわからず狼狽えるギルだがマスターはアンビエッタを睨む。これも彼女の仕掛けたことだと分かっているようだ。
「てめぇこの野郎、俺に何の恨みがあるんだ…」
「恨み?そうねぇ…」
唇に指を当て、考える素振りをする。しばらく考えると不思議そうに首を傾げた。
「…あれ?特に無くない?て言うか、なんで私達やりあったの?」
場が静まる。
アンビエッタの惚けた言葉もそうだが、思い返せば始めに仕掛けたのはマスターではなかったか。
三人でマスターを見る。
「…まず店をどうにかさせてくれ」
災害を受けたかのような店内を見るとその言葉も重い。まずはマスターの言う通り店を元に戻さなければ。
俺はそう思い、目を瞑る。
「いいぞ」
マスターの言葉を聞き、目を開けるといつもの店内に戻っていた。ボトルも全てが元の位置に並び、棚もカウンターも傷一つ無い。時間を巻き戻したかのように全てが元通りになっている。
これもこの世界のルールの一つだ。
この世界で壊された物は誰もその物体を視界に入れていない状態となった瞬間に元の状態へと戻る。
これもまた拮抗ルールに負けず劣らず都合の良いルールだ。街全てを破壊しようがその廃墟を誰も見なければ瞬時に元に戻るらしい。一時的に壊すことは出来ても完全に破壊することは出来ないのだ。
先程のルールと合わせて見ても反戦的な制約である。ボスの世界という特異な空間で共存するにはこういった制約が必要なのだろう。
「はい、元通りね。これで満足?」
そう言って退屈そうに髪を掻きあげる。
「古臭い店内に戻ったわよぉ」
「何も戻っちゃいねぇよ」
マスターは棚からボトルを取り上げると悲しそうにラベルを指でなぞる。
「確かに見てくれは同じだろうが、愛着っていうのか、そういったもんが薄れていくんだよ」
「何言ってるか全然わかんない」
アンビエッタは聞いているのかいないのか指で髪を弄んでいる。
「…お前みたいな奴にはわかんねぇだろうな」
「何ぃ?もっかいやりあいたいって?」
カウンター越しに睨み合う二人を見て溜め息が出た。ギルに合図を送り立ち上がる。
「マスター、また来るよ」