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黄金の帝国  作者: 亜蒼行
漂着篇
8/65

第六話「バール人の少女」

 竜也達を乗せた帆船はスキラへと向けて海を走っている。

 ルサディルからスキラまでは直線距離でも一〇〇〇キロメートル以上ある。日本の本州の端から端までと同程度だ。帆船で急げば二〇日程度。あちこちに立ち寄る普通の商船なら一ヶ月程度の船旅である。

 ヤスミン達一座の面々が寝泊まりするのは船倉の大部屋だ。男女の区別もなく雑魚寝である。ラズワルドをそこで雑魚寝させるのはいくつかの理由で不可能だったため、狭いながらも個室が用意されていた。この船で個室を使っているのはカフラとラズワルドの二人だけだ。なお、竜也がお休みからおはようまでラズワルドの部屋にいて一緒に過ごしていることは言うまでもない。

 日中竜也やヤスミン達は船員見習いみたいな扱いで様々な雑用に従事している。旅費を多少なりとも浮かそうという、涙ぐましい努力である。もっとも、本職の船乗りでない竜也達が航海中にできる雑用など大した量ではなく、暇な時間は多かった。

 そんな航海の日々にもようやく慣れてきた頃。竜也とヤスミンはカフラから呼び出しを受け、カフラの船室へと向かっていた。


「あの子の実家のナーフィア商会ってスキラ随一、ネゲヴでも有数の大豪商なのよ」


「アニードさんと比べると?」


 竜也の問いをヤスミンは鼻で笑った。


「アニードさんのところも結構大きいけど、それでもナーフィア商会に比べれば木っ端みたいなものよ」


 竜也は「へー」と感心するが充分に理解できているわけではない。


「何の用かは知らないけどとにかく機嫌を損ねないようにね。あの子がその気になればわたし達なんて虫けらみたいに潰されちゃうわ」


 判りました、と頷く竜也。


「――でも、そんな家の子がどうしてたかだか芸人のためにわざわざ直接ルサディルまで?」


「わたしもあの子自身が来るとは思っていなかったわ。使いを寄越してくれれば上出来くらいに考えていたの」


 カフラはナーフィア商会の中で演劇や出版といった娯楽部門の経営を任されていると言う。


「え、ちょっと待って。カフラさんて今何歳?」


「たしか一七歳だったかな。ナーフィア商会全体から見ればほんの小さな部門だろうから……」


 ヤスミンはそこから先の言葉を濁したが言いたいことは伝わった。


(金持ち娘の道楽としてはちょうど手頃なくらい、ってことなのかな)


 ヤスミンはスキラへの再起を目標に、その足かがりを掴むためスキラへと旅したことがあり、カフラとはそのときに面識を持ったと言う。


「二年も前のことだし一度話をしただけだし、正直覚えているかどうかも判らないくらいだったんだけど」


 それでも他に心当たりもなかったヤスミンはカフラへと手紙を送ったのだ、「カリシロ城の花嫁」の脚本前半部分を同封して。


「前半だけでも劇の面白さは理解できる。前半だけなら勝手に上演される心配もない。後半が見たければルサディルに来るしかない。そういうことですか」


 竜也の言葉にヤスミンは「そういうこと」と頷いた。


「それにタツヤのことも最大限利用したわ。この脚本を書いたのはマゴルだ、彼はわたし達の知らない物語をたくさん知っているって」


「――そんな風に書かれたら興味を持つに決まっているじゃないですか」


 とカフラが突然戸を開けて顔を出してきた。「さあ、入ってください」と招かれるままに竜也達はカフラの自室へと入っていく。席に着いた二人の前にカフラが紅茶を差し出した。


「うおー、お茶だ」


 と小さくつぶやいて感動する竜也。この世界にやってきて以来お茶を飲むのは初めてである。


「たまたま所用でイコシウムまで来ていて、手紙はそこで受け取ったんです。ここまで出てきているんだからいっそルサディルまで足を伸ばそうと、その足で向かっちゃいました」


 なおイコシウムは元の世界ならアルジェリアのアルジェに相当する町である。ヤスミンは「運が良かったんだね」と安堵するようにため息をついていた。


「――さて。『カリシロ城の花嫁』のスキラ上演については約束通り支援します。ですが、その先の支援についてはタツヤさん次第です」


 と話を切り出すカフラ。竜也は「え、俺?」と自分を指差した。


「タツヤさんのマゴルとしての知識がナーフィア商会の、わたしの利益となるのかどうか確認させてもらおうと思います。タツヤさんの知っている他の物語が面白いものならこの先もヤスミン一座への支援をお約束しましょう」


 カフラはにこやかな笑顔だが言っている内容は合理的に過ぎると言うか、冷徹そのものだ。ヤスミンは顔を青くする一方、竜也は腕を組んで「うーん」と唸った。


「あ、物語は恋愛物でお願いしますね」


 とカフラは条件を絞ってくる。竜也は「うーん」ともう一唸りし、


「――劇にするかどうかはひとまず置いておいていいんですよね」


「ええ。劇にできないなら小説にすればいいですから」


 それじゃ、と竜也はある物語を語り出した。


「題名は『スキラの休日』。ヒロインはとある小さな国のお姫さま。その国は財政難に陥っていて、お姫さまは財政援助と引き替えにある大富豪の元に嫁ぐことになったんだ。こうしてお姫さまはスキラにやってくる」


 その物語は名画「ローマの休日」この世界に合うように翻案したものである。連日続くパーティに気疲れしたお姫さまは迎賓館を抜け出してスキラの町へと飛び出し、そこで危険な目に遭いそうになる。そのお姫さまを助けたのが一人のチンピラである。

 元の映画では新聞記者だった主人公はただのチンピラとすることにした。チンピラは小遣い稼ぎのためにお姫さまの身柄を確保、お姫さまはチンピラの元で世話になることになる。生活の違いや価値観の違いに衝突しながらも、二人は次第に惹かれ合うようになる。だが、


「……こうしてお姫さまの休日は終わりを告げ、お姫さまは迎賓館に戻っていった。そして結婚式の当日。花嫁衣装に着飾ったお姫さまが馬車で大富豪の元に向かおうとする。それを大勢の野次馬が見物していて、その中にはチンピラが混じっていた。二人はお互いに気付いて一瞬見つめ合う。でも、お姫さまは馬車に乗ってその場を去っていく。チンピラはただそれを見送るだけだった……」


 竜也がその物語を語り終えた。見ると、ヤスミンは「はー」とため息を漏らしながら余韻に浸っている。一方のカフラは、


「……何で大団円ハッピーエンドじゃないんですか? 確かに良いお話でしたけど」


 と不満そうな顔をしていた。


「いや、何でと言われてもこの話はこういう話だからだ、としか」


 と竜也は戸惑う。だがそんな解答ではカフラは納得しなかった。


「恋物語は大団円以外認めません。終わり方を変えてください」


 その要求に竜也は途方に暮れるしかない。


「……結婚式の真っ直中に突然チンピラが現れてお姫さまをかっさらっていくとか?」


「カリシロ城でもそれは使ったじゃない」


 タツヤそれ好きだね、とヤスミンが突っ込む。竜也としては発想の元は映画の「卒業」なのだが、「カリオストロの城」のそのシーンの方が「卒業」を元ネタにしているのだろう。


「いいですね、それ。それでいきましょうよ」


 とカフラ。だが竜也としては到底首肯できることではない。


「いや、どう考えても『そして二人はいつまでも幸せに暮らしました』とはならないでしょ。すぐに連れ戻されて終わりじゃないですか」


「実はチンピラさんはすごい武術の達人だったことにすれば」


「例え追っ手から逃げ切って二人で生活を始めたところで、生活水準の違いからすぐに破綻するのが目に見えてるんですけど」


「そんなの二人の愛の力で乗り越えられます!」


「それで結局、お姫さまの母国はどうなるんですか? 財政問題も愛の力で乗り越えるんですか?」


 竜也に言い負かされ、カフラは不満げに頬を膨らませた。ヤスミンが竜也の脇腹を強く肘で突き、小声で、


「ちょっと、カフラさんは支援してくれるんだからその要望にはできる限り応えないと」


「だからって話を滅茶苦茶にしていいわけないだろ」


 話を理解してもらうための翻案や、あるいは面白くするための改変なら受け入れよう。だがストーリー全体の整合性を破綻させるような結末の改悪など受け入れられるわけがない。それが名作として映画史に名を残す物語であるならばなおさらだ。


「ともかく。この話はこういう話でこういう終わり方なんです。大団円がご希望なら他の物語をお話ししますから」


 竜也は断固とした口調でそう告げて改変を拒否した。カフラはまだ不満そうだ。が、それだけではない思いがその顔に浮かんでいた。


「……それじゃ、その大団円の恋愛物を聞かせてもらえますか?」


 とカフラに命じられ、竜也は頭の中を検索する。だが、


「あ、ヒロインは政略結婚させられそうになっているお姫さまか大商人の娘でお願いしますね」


 と条件を絞られてしまう。


「えーと、えーと」


 と竜也は散々悩むが、さすがにこの場ですぐには条件に該当する話を思いつかない。結局この課題は竜也の宿題という形になった。


 ひたすら考えて結局該当する話を思いつかなかった竜也はカフラの要望に添った物語を自作することにした。その日以降、ラズワルドの部屋で頭を抱えて物語をひたすら考え込んでいる竜也の姿が見られるようになる。


「タツヤさん、お話はどうなりましたかー?」


 そこにカフラが突撃してくるのもまた恒例となった。カフラはにこやかな笑顔を絶やさないが、


「……『笑うという行為は本来攻撃的なものであり 獣が牙をむく行為が原点である』」


 竜也の呟きにカフラが「何か言いましたか?」と首を傾げ、竜也は「いえ、何も」とごまかした。


「それでタツヤさん、昨日の続きですが」


 と笑みを浮かべるカフラ。竜也は猫を目の前にしたネズミの気分を味わっている。この猫は腹を減らしていないため獲物で遊ぶことを優先しており、かえってたちが悪かった。


「えー、はい。商人の娘に拾われたマゴルの少年がその子に一目惚れをして、その子の気を惹くために金を稼ぐ手段を考えるんでしたね」


「はい、その通りです」


 「政略結婚されそうになっているお嬢様を助ける話」――その要望に応えて竜也が設定やキャラクターを発案し、カフラがそれを却下したり採用したりし、


「――ヒロインはとある小さな商会の一人娘。彼女の父親は人柄は良いけど経営手腕がなく、商会は倒産しかかっている。そのヒロインの前にふらりと現れたのが主人公」


「その主人公が知恵と力を絞ってその商会を立て直すんですね? それで、どうやってですか?」


「……主人公は恩寵の部族の出身で、腕っ節なら誰にも負けない、とか」


「武術の腕でどうやって商会の経営を立て直すんですか」


「それじゃ、主人公は白兎族の出身で、読心の恩寵を使って」


「現実味がありすぎて、それはどうかと。そんな小説を発表したら、小説の真似をしようとする馬鹿者達が白兎族にどんな迷惑をかけることになるか判りませんよ?」


 こんなやりとりが何日かくり返され、結局主人公の設定として採用されたのはマゴルだったのだ。


「……」


 ラズワルドはベッドの中からこの経緯を面白くなさそうに見守っていた。ラズワルドの恩寵については乗船前に竜也が「勝手に心を読ませたりしない」と固く約束したこともあり、カフラは気にしてはいないようだった。


「主人公は元いた場所では医者の卵で、その進んだ医術を使って」


「悪くはないですけど、タツヤさん自身はその『進んだ医術』を使うことができるんですか? その小説を読む人を納得させられますか?」


 カフラの問いに竜也はしばし沈黙する。


「……ペニシリンの精製とか」


 竜也は幕末にタイムスリップした医者の漫画を思い出していた。作中で描かれていたペニシリンの精製方法はある程度覚えている。だがその利用方法となると途端に心許なくなる。


「……医者でもない俺のうろ覚えの知識を中世レベルのこの世界の職人に伝えて、注射器を作らせて、それを俺が患者に使う……?」


 どう考えても不可能だ、そんな真似できるわけがない。竜也はその案を却下するしかなかった。


「俺が持っていて自信を持って使える知識……」


 竜也はしばし考え、


「……複式簿記はまだないかも」


「タツヤさんの言う簿記ってどんなのですか?」


 竜也は父親のスーパーの経営を継ぐために簿記の資格を取得しており、実務にもわずかだが触れている。カフラにしても商会の経営に携わっているのだから簿記や会計の知識は当然有しているし、実務経験は竜也よりずっと上である。竜也達はお互いの簿記や会計の方法について伝え合い、その結果カフラ達がすでに複式簿記とほぼ同じ会計方法を採っている事実を竜也は知った。


「このやり方は千年前に当時のバール人が発明して三大陸に広めたんです」


 とカフラは誇らしげに胸を張った。この世界のバール人達は竜也の世界の先人よりも数百年分先を進んでいたことになる。さらに言えば、バール人は千年前から為替取引や先物取引を広く行っていて、千年前から銀行や株式会社に似た仕組みを地中海中に広めているという。


「バール人すっげぇ」


 竜也は素直に感心した。


 そうやってあちこちに寄り道をしながらも、竜也がアイディアを出してそれをカフラが却下することが何日もくり返される。そして結局、竜也はカフラが納得できるようなストーリーを組み立てることができなかった。


「やっぱり条件が厳しすぎるって。もう少し条件を緩めてもらわないと」


 両手を挙げて言い訳する竜也にカフラは「むー」と頬を膨らませる。


「大体、ここまで現実に即した条件で金儲けの手段を思いつけるなら実際にそれをやってるって」


 狭い部屋にこもって連日おしゃべりを続けた結果、竜也はカフラに対して敬語を使わなくていいくらいには打ち解けていた。


「ええ。実際にそれをすることを考えていたんですけど」


 やっぱり皮算用でしたか、とカフラは肩をすくめた。


「……え、カフラに政略結婚の話が?」


「いえ、まだ具体的には。ですけどあの家に生まれた以上、家の道具としてどこかに嫁ぐことがわたしの運命であることには変わりありません」


 そう言ってカフラは儚げな微笑みを見せた。


「――だからわたしは恋愛物の、大団円のお芝居や小説が大好きなんです。現実の自分には縁のないものですから」


 竜也はそんなカフラに何を言っていいのか判らない。カフラは表情を切り替えて普段通りの笑顔を見せた。


「さて、困らせてすみませんでした。今度はもっと条件を緩めて、普通の恋愛物のお話を聞かせてもらえますか? 大団円の」


「ああ、うん、そうだな」


 竜也もまた気持ちを切り替え、スポンサーの意向に応えようとする。


「それじゃこんな話はどうだ? 舞台は雪深い、北の町」


「雪?」


「……ええっと、どこかのひなびた、港町。父親の交易船に同乗している少年が七年ぶりに訪れたその町で一人の少女と再会する」


 偶然再会したその少女はその町で何かを探していた。少年はその探し物に付き合うことになる。だが探し物を見つけることで、忘れていた、心の奥底に封じ込めていた悲しい記憶が呼び覚まされる。全てを思い出した少年と少女の、最後の対面。


「『ボクのこと、忘れてください! うぐぅー!』」


「それのどこが大団円なんですかー!」


 悲しい物語のクライマックスにカフラは目に涙をためて思わず怒鳴る。一方ベッドの中でその物語を聞いていたラズワルドも「すんすん」と鼻を鳴らしている。


「いや待て。最後まで聞け」


 竜也はカフラを落ち着かせた上でエピローグを語り、


「そんな終わり方でいいんですかー!」


 カフラは再び怒鳴らずにはいられなかった。一方のラズワルドは「良かった」と満足げである。


「いやまあ、確かにとってつけたような終わり方だし、この前で終わってる方が物語としては綺麗だとは俺も思うんだけど、元の話がこうなってるんだから仕方ない」


 カフラはまだ何か言いたげだったがそれを口にはしなかった。代わりに別のことを口にする。


「……確かに一応恋愛物で、一応大団円です。笑いどころも泣きどころもありましたし、お話の面白さにも文句はありません。これを小説として出版することにしましょう」


 生活の糧を掴んだ竜也は内心でガッツポーズを取った。


「他にはどんなお話がありますか?」


「恋愛がメインの話じゃないけど、恋愛要素もある話でも構わないか?」


 カフラが「ええ」と頷いたので竜也はとっておきの物語を持ち出すことにした。


「古今東西の七人の英雄が魔法でよみがえって殺し合いをする話はどうだ?」


 ……カフラは時間さえあれば――なければ時間を作って――ラズワルドの部屋を訪れて竜也とおしゃべりに興じている。劇や小説の話ばかりではなく、話題は多岐に渡っていた。


「ナーフィア商会の令嬢があのような下卑の者と親しげにするなど」


 とカフラのお目付役は渋い顔をしているが、カフラはそれに構わない。今日も今日とてラズワルドの部屋を訪れるカフラだが、竜也はちょうど船内での雑用に向かうところだった。


「タツヤさんの分は免除するよう、わたしから船長に言っておきますから」


「いや、そういうわけにもいかないだろ」


 竜也はカフラの好意を謝絶して雑用の仕事に向かってしまう。その部屋にはカフラとラズワルドの二人が残された。


「……」


 ベッドで横になっているラズワルドはカフラに対し「邪魔」と言いたげな視線を送ってくる。カフラは内心で肩をすくめ、「また来ますね」とその部屋を出て行った。

 暇を持て余したカフラは甲板で一人海を眺めている。そこに、


「お嬢様、お暇でしょうか? あ、俺はヤスミン一座のギボールと言います」


 と声をかけてきたのはヤスミン一座の看板男優だった。ギボールは懸命にカフラに話を振ってくるが、カフラは気のない生返事を発するだけである。


(タツヤさんがわたしに気に入られているから、それなら自分だって、と勘違いしているんでしょうか)


 確かに男はそこそこ二枚目でそこそこ話術もある。だがカフラにはスキラという大都会で活躍するトップ男優とも親交があるのだ。そのカフラから見ればギボールは所詮田舎の旅芸人に過ぎなかった。その話題にもカフラの興味を引くようなものはない。


「――今日も暑いですね」


 話の流れを無視し、カフラは太陽を見上げる。


「え、ええ」


「お日様では何が燃えていてあんなに暑いんでしょうか。お日様は燃え尽きてしまわないんでしょうか」


 カフラの脈絡のない台詞にギボールは立ち往生してしまう。カフラは内心の侮蔑を無表情で隠した。


(歯の浮くような気障な台詞も、機知に富んだ面白い返しも言えないんですか? それじゃ太鼓持ちすら務まりませんよ?)


「なにやってんのあんたは!」


 突然現れたヤスミンがギボールを張り倒した。ヤスミンは這いつくばらんばかりにくり返し頭を下げ、ギボールを引きずって立ち去っていく。カフラはため息を一つついた。


「カフラ、何かあったのか?」


 そこに入れ違いで竜也が姿を現した。カフラは「さあ、何もなかったと思いますけど?」と返し、次いで笑顔を見せる。


「お仕事は終わりですか?」


「ああ」


「――今日も暑いですね」


 不意にカフラは太陽を見上げる。「ああ、そうだな」と竜也もまた空を見上げた。


「お日様では何が燃えていてあんなに暑いんでしょうか。お日様は燃え尽きてしまわないんでしょうか」


「あと五〇億年もすれば燃え尽きるらしいぞ」


 カフラはおなかを抱え、しばらく笑い続けた。そう、これだ。この返しだ。こんな返答、この男以外の一体誰ができる?


「確かにタツヤさんは出自も定かじゃないですし礼儀もなっていませんし思いがけないところで常識も抜けています。ですけど、元いた場所では商人の跡継ぎだったそうですし、タツヤさんなりに礼節を心がけているのは判りますし、とんでもない知識を当たり前のように語って時々びっくりさせてくれます」


 要するに、暇潰しのおしゃべりの相手としては最適の相手なのだ。カフラは竜也の持つ自然科学・人文科学・社会科学のあらゆる知識をしゃべらせた。もっとも竜也の言うことの半分も理解できたわけではないが。


「……宇宙の開闢は一三七億年前のことと計算されている。宇宙は最初砂粒よりもずっとずっとずっと小さな一つの点から始まったんだ。それが爆発のように一瞬で大きく膨れあがって今の宇宙ができあがった。これを『大爆発』理論と呼んでいる」


「……人間の心には無意識という領域がある。おおざっぱに言って、意識は『自分が自分と認められる範囲』、無意識は『自分が自分と認められない範囲』だ」


「……そうやって、市場に任せておけば商品は適切な価格に落ち着くようになる。この市場の持つ価格調整機能を『神の見えざる手』と呼んでいる」


 竜也の航海の日々はそうやって元の世界の知識を伝えたり、あるいは物語を語り聞かせたりしているうちに過ぎ去っていく。そして時間は流れて、アブの月(第五月)に入る頃。竜也達を乗せた船はようやくスキラへと到着した。








 スキラ湖と呼ばれる湖は、元の世界で言えばチュニジアのジェリド湖やガルサ湖、メルリール湖を一つにつなげたものである。元の世界のこれ等の湖は水がほとんど存在しない塩湖だが、この世界のスキラ湖は大量の水を湛えた淡水湖だ。ネゲヴで二番目の大河と言われているナハル川がその水源となっている。ナハル川の水は一旦スキラ湖に流れ込み、また川となって海へと流れていく。

 スキラの町は、そのスキラ湖と海をつなぐ川の北岸にあった。川幅は一番狭いところでも二キロメートル近くあり、船を使わなければ向こう岸に行くことはできない。南岸にあるのは倉庫街、それに漁村や農村で、町の機能は北岸に集中していた。

 町の人口は二〇万とも三〇万とも言われている。ルサディルとは比較にならない賑わい方である。そびえ立つ三階建・四階建の石造りの建物、道を埋め尽くす人々の群れに、ラズワルドは目を丸くしている。

 気候はルサディルと比べるとかなり暑い。今が夏真っ盛りということもあり、日差しは強く気温は摂氏四〇度を越えているものと思われた。ラズワルドはうんざりしている様子だがカフラや他の面々は普段と変わらない。多分このくらいの暑さはいつものことで、ラズワルドは体質的に暑さに弱いのだろう。

 ナーフィア商会が一座のために長屋を用意しており、ヤスミン達はそこに向かって移動しようとしていた。竜也やラズワルドも一座の一員として住むため、それに同行するところである。


「タツヤさんにはヤスミン一座の一員としての戸籍を用意しています。ラズワルドさんはタツヤさんの被保護者です」


 この世界では一五歳になれば成人と扱われる。元の世界では半人前の高校生だった竜也だがこの世界では立派な成人男子である。一方未だ一〇歳のラズワルドは成人による保護が必要とされる年齢だった。


「今からでも保護者をタツヤさんからわたしに変更することもできますが……」


 何気ないカフラの提案に、ラズワルドは敵意をむき出しにしてカフラをにらむ。カフラがひるみ、竜也が「まーまー」と取りなした。


「俺が保護者だと何かまずいことがあるのか?」


 竜也の質問にカフラは「いえ、その」と口を濁した。


「……タツヤさんは前歴が前歴ですし、気にされてないようですけど」


 カフラは周囲を見回してヤスミン達が近くにいないことを確認すると、


「ラズワルドさんまでわざわざ旅芸人に身を落とす必要はないんじゃないかと、そう思いまして」


 とささやくように説明する。


「……ああ、なるほど」


 と竜也は得心するしかなかった。


(芸人の身分は高くないのか。考えてみれば江戸時代もそうだったわけだし)


 この世界には、ネゲヴには、江戸時代の日本のような厳格な身分制度があるわけではない。だが社会的身分というものは確固として存在するのである。


「わたしは気にしない。タツヤじゃない人の世話になるつもりはない」


 ラズワルドがそう断言し、カフラもそれ以上はその話を持ち出さなかった。


「さあ、行くよ!」


 ヤスミンの号令で一座の面々が荷物を持って移動を開始。竜也とラズワルドとカフラの三人はその最後尾に付いていった。竜也とラズワルドが並んでスキラの町を歩いていく。ラズワルドは日除けのフードを被っているがそこからウサ耳を出し、人目にさらしたままである。だが、この町の人々の反応はルサディルの町とは大きく違っていた。


(……? みんな珍しがってるけど、忌避するような目があまりないような)


(うん、確かにみんな珍しがってるだけ)


 竜也はカフラに意見を求めた。カフラは思うところを正直に述べる。


「実際白兎族が珍しいのは確かですよ?」


 ほとんどの白兎族は隠れ里に固まって暮らしているため、町中に白兎族が出てくるとは極めて希であると言う。名前は有名だが誰も見たことがない、「幻の部族」と呼ばれる所以である。


「ルサディルで忌避されていたのは、アニードさんに利用されていたことも関係しているでしょうし、ずっとあの町にいたことも理由としてあるんじゃないかと思います。今はまだすれ違うだけなので単に『珍しい』というだけで済みますが、町中に住んで隣人になるとなったら、また違う反応が出てくると思いますよ?」


「なるほど」


(なるほど)


 カフラの解説に竜也達は納得した。

 やがて一行は新居に到着する。新居と言いつつ古くて小さい、平屋の長屋である。引き戸の戸がずらずらと並んだコの字型の建物で、建物に囲まれた内庭に協同炊事場が設置されている。トイレも共同で風呂はなし。近所に共同浴場があるのでそれを利用することになるだろう。ヤスミン達はその長屋の一角にまとめて入居する。竜也とラズワルドは二人で一室を割り当てられた。

 六畳ほどの部屋が二間あり、家具はない。窓は雨戸が閉じられており、室内は暗かった。雨戸の内側に木製の格子戸があり、格子には薄布が張ってある。網戸の代わりに使うものと思われた。


「古くて狭いけど家賃はそこそこだし、町中にあって劇場もごく近所。言うことはないね」


 とヤスミン達には文句はないようである。以前住んでいたアニード邸のコテージと比較すればあばら屋に等しい住処だが、ラズワルドにも特に不平はないようだった。


「さあ、すぐに劇場に入って用意するよ! 上演まで一月ないんだから!」


 ヤスミンの指示に従い、一座は休む間もなく劇場へと移動した。大道具のほとんどは劇場の倉庫にあった物を流用するが、一部新作を必要とする物もある。竜也は例によって書き割りの作成を手伝った。

 そんな調子で半月ほど過ぎていき、「カリシロ城の花嫁」上演が目前となった頃。竜也が劇場に小道具を運んでやってくると、


「……反応が鈍い」


 楽屋でヤスミンが不機嫌な顔で腕を組み、カフラもまた眉をひそめていた。


「どうかしたんですか?」


 と竜也が問う。


「あちこちで『カリシロ城の花嫁』の宣伝をやってるんだけど、反応が全然なのよ」


「わたしも話題作りをかねて関係者にこの劇を見に行くよう言っているんですけど……」


 竜也は「ああ、なるほど」と納得する。


「ここはルサディルとは桁違いに人が多いけど、娯楽の種類もそれだけ多いんだよな。全く無名のヤスミン一座の芝居をわざわざ見に来る必要もないわけか」


「そういうことね」


 とヤスミンは雑な仕草で肩をすくめた。


「一回でも見てもらえればこの劇の面白さは理解してもらえるし、そこから人づてで話題になると思うんですが」


「一回でも見る気になってくれなきゃ話にならないわね」


 ヤスミンとカフラは腕を組んで「うーん」と唸った。


「とにかく、知り合いでも何でもいいから人に来てもらうのが先決ですね」


「こっちの知り合いなんて先々代の頃の伝手しか」


 と悩むヤスミン。


「タツヤも知り合いには絶対に声をかけておいて。招待券使っていいから」


 竜也は一応「判りました」と返事をして劇場を後にした。だが、


「俺に知り合いなんているわけないじゃん。ラズワルドに拾われる前は漁村の小間使いで、その前は奴隷船で櫂を漕いでいただけなのに――」


 竜也の足が止まる。


「……そう言えばいないこともなかったか、知り合い」


 無駄足になるかもしれないが、どうせ時間はあるんだし行って損はないだろう。そう判断した竜也は一旦長屋へと戻り、ラズワルドを連れて再び外出した。


「それで、どこへ行くの?」


「まずは港に」


 竜也はラズワルドとともに港へと向かった。


「港はどっちだっけ。あの人に聞いてみようか」


「……あれはやめた方がいい。あっちのおばさんの方が安全」


「そうか」


 道が判らなくなったらラズワルドが危険の有無を確認の上、人に道を聞いて回る。


「そこならその通りをまっすぐに行って――」


「それだったらあそこにいる男に頼めば――」


 そうやって竜也はいくつかの手間を省き、目的の場所に到着し、目的の人物に対面することができた。


「お前か、俺に礼を言いに来たとかいう奴は?」


 竜也がいる場所はスキラ港の一角の、停泊するとある軍船の前。竜也の前にいるのはその軍船の船長。モヒカン頭も輝かしい、青鯱族のガイル=ラベクである。


「その節はお世話になりました」


 と頭を下げる竜也。一方のガイル=ラベクは首をひねっている。


「……確かに会ったことがあるな。どこだったか」


「一〇ヶ月くらい前、ルサディルの近くで白兎族の女の子を助けたことがあったでしょう?」


 竜也の影に隠れていたラズワルドが一瞬顔を出す。ガイル=ラベクはそれで「ああ、あのときの」と思い出した。


「それで、こんなところで何をやっている?」


「色々あって、今は劇の脚本を書いたりしてます」


 と竜也は「カリシロ城の花嫁」の招待券を取り出した。


「是非見に来てください」


 と差し出された招待券を、ガイル=ラベクは「ほう」と感心しつつ受け取る。


「この劇の脚本を書いたって言うのか。面白いのか?」


「ええ、もちろん」


 と胸を張って断言する竜也。ガイル=ラベクは再び「ほう」と感心した。


「ま、時間があれば見に行ってやる」


 ガイル=ラベクは竜也達に背を向けて立ち去っていく。竜也にもそれ以上できることは何もなく、その場を後にした。

 そしてアブの月の下旬。「カリシロ城の花嫁」の上演が開始される日である。


「知られざる、若きグルゴレットの冒険譚! 完全新作! さあ見てらっしゃい!」


 ヤスミン達一座の面々が必死に呼び込みをやっているが、客の入りは芳しくなかった。すでに入場しているのはカフラの伝手でやってきた招待客くらいだ。


「まいったな。思ったよりもずっと悪い」


 ヤスミンの顔色も優れないし、様子を見に来たカフラも顔を曇らせていた。

 なかなか客が集まらない中、竜也もまた路上で懸命に呼び込みをやっている。そんなときかなり柄の悪い、傭兵と思しき十人以上の一団が通りかかった。先頭を歩いているリーダーと見られる巨漢の男が劇の看板に目を留め、足を止める。一座の者が怯えながらも劇の宣伝をしようとして、その前に男が動いた。


「よお、来てやったぞ」


「あ、ありがとうございます」


 と頭を下げる竜也。傭兵を引き連れて歩いていたのはガイル=ラベクだったのだ。


「招待客の席はこちら――」


 だがガイル=ラベクはその案内を無視し、


「ところで知っているか? 俺達髑髏船団は三〇〇年以上の歴史を持つ海上傭兵団で、この」


 と看板に描かれた、稚拙なグルゴレットの似顔絵を指差した。


「海賊王が作った傭兵団の一つが起源になっている。その俺達にこの海賊王の劇を見せようっていうんだな?」


 ガイル=ラベクの醸し出す迫力が路上に時ならぬ緊張感を生み出す。が、竜也はそれを全く意に介さず、


「決して損はさせません」


 満腔の自信を持ってそう答えた。ガイル=ラベクは「ほう」と面白そうに笑う。


「そこまで言うなら見てやるが、面白くなかったらただじゃ済まんぞ?」


 ガイル=ラベクは本気か冗談か判らない調子で竜也にそう告げた。一座の面々は顔色を悪くしているが、竜也は全く気にせずに、


「ありがとうございます! 団体様ご案内!」


 と傭兵達を客席に案内する。ガイル=ラベクは肩すかしを食わされたような表情で劇場内へと入っていった。ガイル=ラベクの後ろ姿が劇場内に消えていくのを見送ったカフラが、急いで竜也の元にやってくる。


「ちょっとタツヤさん! 何であの人を知っているんですか?」


「以前助けてもらったことがあったからお礼に招待したんだ」


 と当たり前のように答える竜也。カフラは頭痛を堪えているような顔をした。


「……怖いもの知らずというか何というか。あの人自身が言っていたように髑髏船団は三大陸でも随一の歴史と伝統を誇る海上傭兵団ですがそれだけじゃなくて、その戦力もネゲヴ最強として名高いんですよ。ガイル=ラベクは三〇代半ばでまだ若いのに、実力でその傭兵団の首領になった方なんです」


「へえ、凄い人なんだな」


 と素直に感心する竜也。一方のカフラは何かを悟ったような顔をした。


「……タツヤさんて、馬鹿じゃなかったらよほどの大物なんですね」


「それ、俺が馬鹿だって言ってないか?」


 竜也の追及をカフラは、


「急に客足が延びてきましたね」


 と誤魔化した。

 だが実際、客が入っている。ガイル=ラベク達髑髏船団の面々が観劇するのを見て、路上の野次馬のかなりの数が入場料を払って劇場内に入っていったのだ。彼等は劇ではなく、髑髏船団が劇に怒って何か騒ぎを起こすことに期待しているらしい。

 一座の面々は不安そうな様子を隠せないでいるが、彼等を竜也とカフラが宥めた。


「大丈夫です、ルサディルのときと同じようにやればいいんですよ」


「ガイル=ラベクはその辺のチンピラとはわけが違いますから、いきなり暴れ出したりはしませんよ。劇の面白さは皆さんが誰よりも知っているはずです。自信を持って、いつも通りに演じてください」


 一座の面々は竜也達の言葉に調子とやる気を取り戻した。ガイル=ラベクのおかげで一応満足できる客の入りとなったところで、劇の上演が開始される。






『ちょっかい出して帰ってきた奴はいない、ってな』


『傷による一時的な記憶の混乱だ』


『もう十年以上前になる。あの頃の俺はまだ駆け出しの、青二才だった』


『さあ、おっぱじめようぜ!』


『奴はとんでもないものを奪っていきました。あなたの心です!』






 野次馬気分で入った客もすぐに劇の世界に引き込まれ、ガイル=ラベクのことなど忘れてしまった。グルゴレットと相棒のカシャットのやり取りに笑い、息もつかせぬ展開に手に汗を握り、お姫様の可憐さに涙する。

 そして終劇。ヤスミン達の熱演に、観客は万雷の拍手をもって応えた。満足げに劇場を後にする客を、出演者と竜也が劇場の外で見送る。ガイル=ラベクが客席から出てきたのは一番最後である。

 竜也がガイル=ラベクの前に進み出、問う。


「どうでしたか?」


 その問いにガイル=ラベクはにやりと笑い、


「髑髏船団団長の、青鯱族のガイル=ラベクが認めてやる! この劇の面白さは本物だ!」


 その台詞は芝居がかった大仰な調子で、一〇〇メートル四方に届きそうな胴間声だった。ガイル=ラベクに認められ、ヤスミン達は「やったー!」と歓声を上げて喜んでいる。竜也も少し安心したように息をついていた。もっともその内容は、


「この人が劇の面白さが判る人で良かった」


 というもので、この劇が面白くないかもなどとは微塵も考えていない。


「時間があったらまた見に来てやる」


 ガイル=ラベク達はそう言って去っていった。

 翌日以降「カリシロ城の花嫁」の客足は少しずつ伸びていく。「あのガイル=ラベクに『本物だ』と認められた」という噂が徐々に広まっており、物見高い人達がわざわざ見に来ていると言う。その客が客を呼び、評判が評判を呼ぶ。「カリシロ城の花嫁」はスキラの演劇業界を席巻しようとしていた。






 長らくお待たせしました。今回で「序盤」は終了し、次回更新分から一から書き直した箇所に入ります。引き続きお付き合いください。


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