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黄金の帝国  作者: 亜蒼行
征服篇
59/65

第五二話「ギーラの帝国・前」





 海暦三〇一七年のニサヌの月(第一月)、ジブの月(第二月)と丸二ヶ月を洋上で、船の上で過ごし、シマヌの月(第三月)の月初。竜也とヌビア帝国海軍ケムト遠征艦隊はようやくロカシスに到着した。ロカシスは元の世界ならエジプトのエル=アラメインに相当する。ソロモン盟約に加盟する都市の中では最も東に位置する町である。

 サフィナ=クロイからロカシスまでは、普通の商船が少し急いで一ヶ月程度の旅程だ。ゴリアテ級がその巨体のために速度が遅いことと、竜也が東ヌビアのあちこちの町で視察したり、長老会議に参加するなどしていたため、二ヶ月もかかってしまったのだ。だがそれは竜也にとっては計算通りである。


「マグドさん達はもう到着しているんだな」


「はい、五日前に。町の外に陣地を作っています」


 港まで竜也達を出迎えた騎兵隊の騎士がそう返答、竜也は呟くように「そうか」と答えた。陸路を進んだマグド達の部隊は竜也達よりも二ヶ月早くサフィナ=クロイを出立している。


「たった五日差か。マグドさんもムゼーさんも大したものだ」


 竜也はそう感嘆した。陸路を征く部隊と海路を征く艦隊が同時にロカシスに到着するよう計算したのは竜也だが、それを実行し達成したのはマグドとムゼーである。二人の指揮ぶりを竜也が称揚するのは当然だった。


「それじゃマグドさん達と合流しよう」


 竜也とタフジールは騎兵隊の騎馬を借り、ロカシス郊外のマグドの陣地へと向かった。竜也には近衛が、タフジールには第十軍団の幹部が同行する。港から町の真ん中の大通りを騎馬で進みながら、竜也は町の様子を注意深く観察した。

 通りは人でごった返し、市場には食料品を始めとする商品が溢れている。町は活気に満ちているが、どこか張りつめた空気が漂っていた。武装した男達が小走りで通り抜け、穀物を満載した荷車が大急ぎで前を横切っている。


「……何か、覚えがあるな。この空気」


「戦争前のサフィナ=クロイのようですな」


 竜也の独り言にタフジールがそう応え、竜也はそれに納得した。ロカシスからケムトまでは目と鼻の先だ。聖槌軍戦争中は戦線から最も遠かったこの町が、今度は戦線に最も近い町になるのである。


「黒きシャホル・ドラコス!」


「皇帝クロイ(インペラトル・クロイ)!」


 竜也の姿を認めた市民があちこちでそんな呼び声を上げている。竜也は戸惑いながらも手を振ってその呼びかけに応え、それを受けて市民達が一際大きな歓声を上げた。


「何でこんな遠くの町の人間が?」


 と竜也は首をひねり、そんな竜也の様子にタフジールが苦笑した。


「皇帝が成し遂げたことを考えればアシューの果てまでその名が轟いても別に不思議はないでしょう。いくら遠くてもここは帝国領内なのですからこのくらいは当然かと」


 そんなものか、と呟く竜也だがその説明に完全に納得しているわけではないようだった。

 数刻後、ロカシス郊外。竜也達はマグド達の陣地に到着する。その途端待ちかねたように竜也を出迎える、


「お待ちしておりましたわ、タツヤ様」


「タツヤ、遅い」


 ファイルーズやラズワルド、ミカ・カフラ・サフィール・ディアの六人の姿に竜也は騎馬から転がり落ちそうになっていた。


「な、な、なんで……」


 何とか体勢を立て直して問い詰めようとするが、それ以上言葉が続かない。ファイルーズは笑ってごまかそうとし、ラズワルドは他人事のようにそっぽを向く。ミカ達の後ろにはガイル=ラベクやベラ=ラフマが立っており、気まずそうな顔を竜也へと向けていた。

 ……それから少しの後。本陣の天幕へと移動した竜也はファイルーズ達から言い訳を聞くことにした。


「……それで『呼ぶまで待っていてくれ』と言っておいたのに、どうして皆がこんなところに」


 不機嫌さをにじませて竜也がそう詰問するが、ファイルーズは臆することなく、


「我が良人たるタツヤ様と、わたしの父祖の国が戦争をしようというのですよ? ただ待っているだけなど、できるはずもありません」


 と堂々と胸を張る。


「流れる血が一滴でも少なくなるよう、一日でも早くこの戦争が終わるよう、わたしにできることを成しに来たのです」


 言うだけ言って、ファイルーズはにこやかに微笑みつつ沈黙する。不機嫌そうな竜也と微笑むファイルーズが無言で対峙し続けたが、それほど長い時間ではない。先に引き下がったのは竜也である。


「……それじゃ、他の皆は」


 竜也はラズワルド達へと矛先を変えた。詰問されたラズワルドは、


「この女だけに抜け駆けはさせない」


 と偉そうに胸を張り、ミカやカフラ達四人が同意するように頷く。ファイルーズは笑ってごまかそうとするが少しだけ冷や汗を流していた。


「……提督」


 竜也は八つ当たりじみた恨めしげな目をガイル=ラベクへと向けるが、


「お前がちゃんと手綱を取らないからだろうが!」


 と逆に噛み付かれた。以前なら拳骨の一つも落ちているところである。


「この六人が全員一致で本気で要求してくるものを、どこの誰が拒絶できる? それに『この戦争で流れる血を減らしたい』という思いも『ケムトの王女なら必ず皇帝の力になる』という主張ももっともだ。断るだけの理由がない」


 竜也は内心で「確かに」と同意しつつも、


「でも、あなたまでこっちに来るなんて……提督にはサフィナ=クロイと東ヌビアのことを任せていたのに」


「サフィナ=クロイがどこかの誰かの手に落ちたとしてもまた取り返せばいいが、皇妃達六人に万一のことがあったならどうあっても取り返しがつかん。部下任せにできることではない」


 ガイル=ラベクの言葉に竜也を除いた全員が頷く。「国家の要職にある者としてその優先順位の付け方はどうなのか」と思わずにはいられなかったが、そう感じているのは竜也だけのようだった。


「一年や二年はどこからも侵略されることはないだろうが、それでも向こうに二個艦隊を残している。指揮を執るのはハーディだ」


「戦い以外のことはバリアさんにお任せしています。あの方達でしたら何も心配することはないでしょう?」


 竜也は渋々といった様子で「まあ、確かに」と同意した。竜也はしばらく唸っていたが、やがて諦めたようにため息をついた。


「……来てしまったものは仕方ないけど、皆にも色々と手伝ってもらうからそのつもりで」


 竜也の言葉にファイルーズ達は顔をほころばせながら、


「判っておりますわ」


「ん」


「微力を尽くします」


「任せてください!」


「が、頑張ります」


「まあ、いいだろう」


 等とそれぞれ頷いていた。

 竜也はマグド達から簡単な報告を受けた後、陣地内を見て回ることとした。陣地内は整然と区画され、無数の天幕が林立していた。ある場所ではエレブ兵とヌビア兵が協力して第十軍団を受け入れるための区画整備に従事し、別の場所では兵の一団が槍を振り回して訓練に勤しんでいる。騎兵が数騎ずつひっきりなしに陣地に出入りしているのは、近くを偵察しているのだろうと考えられた。

 その活気と程良い緊張感に満ちた様子に竜也は満足を見せるが、


「……兵の数がかなり多いような気がするんだが」


 と首を傾げた。それにマグドが答える。


「気のせいではありませんぜ。この近隣で雇った傭兵が五千、ここと近くの町で集めた新兵が一万加わることになっています」


 なお、徴募された新兵の半分はまだこの町に向かっている途上にあるとのこと。


「よくそれだけ集められたな」


 と竜也は感心するが、マグドは肩をすくめた。


「新兵の半分以上はケムト側の町から集まってきた者達です。あのお姫様にはそれだけの威光があったってことでしょう」


「そ、そうか」


 と竜也は若干引きつった愛想笑いを見せた。

 その夜、竜也は自分用の天幕にベラ=ラフマを呼んだ。それに呼びもしないのにラズワルドが着いてくるが、二人ともそれを黙認する。


「……ケムト側の町からかなりの新兵が入っているそうだな。雇った傭兵もケムトやアシューから来ている者が多いんだろう?」


 竜也の確認にベラ=ラフマが無言で頷く。


「あのギーラのやり口からして、この中にはギーラの息がかかっている者が大勢入り込んでいると思うんだが?」


「確かにその通りです」


 とベラ=ラフマはその懸念を肯定した。そう言いながらもベラ=ラフマの様子は平静そのものであり、竜也はそれに安堵する。


「対策はもう立てているわけか」


「はい。全員にギーラを裏切らせています」


 ベラ=ラフマがそう言い、ラズワルドが誇らしげに、


「数が多くてちょっと大変だった」


 と補足する。


「そうか、ありがとう」


 と竜也は感謝と愛情を込めてラズワルドの頭を撫で、少女は「ん」と目を細めた。

 ちなみに、ギーラの命を受けた傭兵や新兵の中でも特に性質が悪い者や、口先では「ギーラを裏切る」ことに同意しながらも竜也の生命を狙うことを諦めなかった者は、密かに処分されて地中海の底に沈んでいる。


「そんな些末事を皇帝が知る必要はない」


 というベラ=ラフマの判断により、その事実は最後まで竜也に告げられることはなかった。








 ロカシス到着の数日後、竜也は町中の視察にやってきていた。案内するのはカフラで、護衛としてバルゼル達の他、サフィールやディアが加わっている。そしてガイル=ラベクも同行していた。竜也達は人目を引かないよう庶民と変わらない服に着替えており、それはバルゼル達も同様だ。……もっとも、その努力にどれほどの意味があったのかは心許ないが。


「ほら、タツヤさん。あそこでやっています」


 カフラが指差した先は町の中央広場であり、そこに設置された舞台では何かの劇が始まろうとしていた。


「あれはヤスミン一座か」


 とガイル=ラベク。舞台上で演技をしているのはヤスミン率いるヤスミン一座で、ガイル=ラベクは「七人の海賊」を上演するのだろうと思っていたのだが、すぐにそうではないことを理解した。

 最初の場面はソロモン館である。聖槌軍襲来の急報に接し、集まった人々は右往左往するだけ。その中で、一人の男が気勢を上げている。


『ナハル川を要塞化して聖槌軍をここで防ぐんだ! 敵のこれ以上の進軍を許すな!』


『馬鹿な、それでは西ヌビアの民はどうなるんだ!』


『兵として戦うなら東への移住を認めてやってもいい』


 その男の名前こそギーラだった。ギーラがこのまま会議の主導権を握るかに見えた、その時。


『一年だ! 一年で百万の聖槌軍を皆殺しにする!』


 一人の少年が人差し指を高々と掲げ、人々の前に登場した。


『一年だと? 馬鹿な、そんなことができるわけがない!』


 とギーラは少年を嘲笑する。だが少年は怯まない。


『できる! 一年で奴等を皆殺しにできる! この俺が約束する!』


『貴様は一体何者だというんだ?』


『俺は皇帝クロイ! 聖槌軍と戦うために太陽神より使わされた、黒き竜の化身!』


 観劇中の市民が「おー」と感嘆する一方、竜也は一人舞台から背を向けている。自分で脚本を書いておきながら「あれは俺じゃない、あれは俺じゃない」とくり返している竜也の内心の葛藤を他所に劇は続いており、舞台にはファイルーズを演じるヤスミンが登場したところだった。


『皇帝クロイこそわたしが神託で見た、黒き竜の化身! 皇帝クロイと共に侵略者と戦うのです!』


 こうして皇帝クロイの元にガイル=ラベク、アミール・ダール、ノガ、マグド、サドマ、ダーラク、バルゼルといった英雄が結集、聖槌軍との死闘が開始される。

 劇はトズル砦の攻防戦を最大の山場に持ってきていた。ヴェルマンドワ伯旗下の聖槌軍がトズル砦を攻撃し、マグド率いる奴隷軍団がそれを防戦する。トズル砦の上には一人の男が仁王立ちになっている。断ち切られた右肘から先には義手の代わりにドリルを取り付けており、ドリルが太陽の光を反射し黄金のような輝きを放っていた。


『ヌビアに悪名轟く奴隷軍団! 男の魂背中に背負う不撓不屈の鬼将軍、螺旋のマグドたぁ俺のことだ!』


 マグド役のジュルフが大見得を切り、観客からは拍手と歓声が沸いている。竜也は観客の反応にどこか得意げな様子だが、ガイル=ラベクは唖然としたまま開いた口がふさがらない状態だ。その間にも舞台では劇が進行、奴隷軍団と聖槌軍の戦いが始まっていた。

 三倍の敵にも一歩も引かずに勇猛果敢に戦う奴隷軍団だが、戦況は不利になる一方である。ついには砦は突破され、マグドはヴェルマンドワ伯の親衛隊に包囲されてしまった。マグド絶体絶命の危機!


『将軍を殺らせはしないぜ!』


『貴様の相手は俺達だ!』


 だがそこに颯爽と現れるサドマとダーラクの騎兵隊。サドマ達が敵兵を蹴散らし、マグドはヴェルマンドワ伯との一騎打ちに持ち込んだ。ヴェルマンドワ伯の剣とマグドのドリルが鍔迫り合いを演じ、火花を散らしている。


『貴様が戦っているのは百万の大軍だぞ! ここで我々に勝ったところで後続はいくらでもやってくる!』


『けっ、それがどうした! 貴様に百万二百万の兵がいようと、俺にはもっともっと心強い仲間がいる! 髑髏船団のガイル=ラベク、将軍アミール・ダール、猛将ノガ、衝撃のサドマ、雷光のダーラク、血の嵐バルゼル! そして何より皇帝クロイが! 何度でも言ってやる!』


 マグドの口上に合わせ舞台上の奴隷軍団が、そして観客までもが、


『俺達を誰だと思ってやがる!!!』


 その決め台詞を叫んでいた。それに怯むように押されるヴェルマンドワ伯。ついにはヴェルマンドワ伯は、


『くそっ、撤退だ!』


 と身を翻した。聖槌軍がトズル砦から撤退し、奴隷軍団は勝利の喜びを分かち合っている。


『この螺旋のマグドが率いる奴隷軍団に敗北はない! 何度攻めてこようと何度でも撃ち破ってやる!』


 マグド達が勝ち鬨の声を上げて、その劇は終わりを告げた。観客が劇の感想をおしゃべりしながら離れていく。


「反応はなかなか悪くないようだな」


「はい、観衆も増える一方です」


 竜也やカフラ達が観客の様子に満足する一方、どこか呆然としたようなガイル=ラベクが一同から取り残されていた。


「……タツヤ、これは一体」


「ケムトに対する宣伝工作の一環ですよ。戦争中のマグドさん達の勇姿をケムトに対して最大限喧伝する。劇を見たケムトの市民や兵が遠征軍に対して少しでも親近感を持ってくれるなら、少しでも敵意をなくしてくれるなら、やる意味はある」


 なお竜也発案のこの宣伝工作はベラ=ラフマが準備をし、今はカフラが引き継いでいる。


「……なるほど」


 と一応は納得するガイル=ラベク。そう言えば聖槌軍戦争前にもヤスミン一座が「七人の海賊」を上演していたな、とガイル=ラベクは思い当たっていた。


「だが、帝国領のこの町で上演してもケムトに対する宣伝としては意味がないんじゃないのか?」


 全くないわけじゃないですよ、と答えるのはカフラだ。


「ケムトの人達もこの町にはよく訪れていますから。それと、この劇の小説版を出版してケムトで売っています。売れ行きは好調みたいです」


 カフラの説明をガイル=ラベクは了解し、次に別のことを確認する。


「将軍マグドがこの劇を見に来たことは?」


「最初に一回だけ見に来てくれたんですけど、それっきりです。他の皆さんは『面白い』って何度も見に来てくれているんですけど」


 とカフラは残念そうだった。

 その夜、ガイル=ラベクは視察中に買い求めた酒をマグドに差し入れる。同情に満ちたガイル=ラベクの視線にマグドはその配慮を察し、その夜マグドはその酒を痛飲したという。

 さらにその数日後、ケムトへと送り出していた偵察がロカシスに帰還する。その情報をベラ=ラフマがまとめ、竜也へと報告した。


「皇帝暗殺未遂への帝国からの糾弾に対し宰相プタハヘテプは『事実無根の言いがかりであり、ただの侵略の口実である』と主張。ケムト王国の全都市に対し帝国への徹底抗戦を命じています」


 そうか、と竜也がため息を一つつく。気を取り直した竜也が確認した。


「それで、ケムト軍を指揮するのは? プタハヘテプ自身が全軍を指揮するのか?」


 ベラ=ラフマは「いえ」と首を振り、


「対ヌビア軍総司令官にギーラが任命されています」


「は?」


 竜也はしばらく唖然としていた。


「……何でギーラを。ケムト軍はそこまで人材が払底しているのか?」


「いえ、そうではないようです」


 ベラ=ラフマはかすかに困惑の感情を垣間見せる。


「プタハヘテプももう七〇歳近くです、最近特に耄碌がひどくなっていると聞き及んでいます。判断力が落ちているのでしょう。それとギーラの取り入り方が余程上手かったのだと思われます。ギーラはプタハヘテプからケムト全軍に対する全権を委ねられました。ソロモン盟約のような、一年期間の全権委任の傭兵契約を結んだのです」


 竜也は思わず「なんだそりゃ」と呟いた。それに構わずベラ=ラフマが続ける。


「ギーラはケムトやアシューから傭兵をかき集め、ケムト王国軍と併せて迎撃部隊を用意しています。ギーラは自らを『大ギーラ帝国皇帝・大ギーラ』と称し、迎撃部隊のことは『大ギーラ帝国軍』と呼んでいるそうです」


 竜也はたっぷり一分くらい開いた口がふさがらなかったが、やがてベラ=ラフマに確認する。


「……それは、プタハヘテプ流の何かの皮肉だろうか?」


「いえ、単にギーラが暴走しているだけと思われます」


 竜也は「そうか」と条件反射的に応え、しばらく何かを考え込んでいた。

「……正直、真面目に戦うのが馬鹿らしくなるが、もしこんなのに負けたら大恥どころじゃない。最高司令官がそんな有様じゃ離間工作はやりたい放題みたいなものだ。打てる限りの手を打ってくれ」


「お任せください」


 竜也の指示にベラ=ラフマは頼もしげにそう頷いた。

 そしてシマヌの月の中旬、ロカシス郊外のヌビア帝国軍陣地。

 陣地内では幾万の兵が整然と並び、その先頭では各隊の旗が勇壮に翻っている。兵達の前にはマグドやタフジール達が並んで立ち、その両脇にはヌビア帝国旗の巨大な七輪旗が、クロイ朝の紋章たる巨大な黒竜旗が掲げられていた。今、竜也の前にはケムト遠征軍の全軍が集結している。

 マグド率いる奴隷軍団七千、タフジール率いる第十軍団八千。

 サドマの第一騎兵隊五千、ダーラクの第二騎兵隊五千、ビガスースの第三騎兵隊五千。

 ベルナルド率いるエレブ人第一隊八千、ガルシア率いるエレブ人第二隊七千。

 傭兵部隊五千、ロカシス近隣で集められた新兵集団二万。なお、このうちケムト側から集められた新兵集団一万強を率いるのはイムホテプだ。

 そしてロカシス近隣で集められた工作部隊一万。合計八万に達する大軍団である。


「……予定より少ないけど、仕方ないか」


 竜也の呟きをマグドが聞きとがめた。


「これ以上戦えもせん連中を集めても仕方ないだろう。傭兵連中は信用がならんし、新兵は訓練が全く足りないから戦いには到底使えん。工作部隊に至っては……」


 竜也の要求する頭数を揃えるためにベラ=ラフマが考え、設立したのが「工作部隊」という名目のその部隊だった。


「ケムト遠征軍に属し、土木工事他の工作作業に従事。戦闘行為には一切加わる必要なし」


 ベラ=ラフマはそんな条件でロカシス近隣でひたすら人間を集め、とにかく工作部隊に配属したのである。この結果、工作部隊には五十六十の年寄りや女、十五に満たない子供までもが属している。


「歩いてケムトまで行ける」


 ただそれだけの人間の集まりでしかないのだ。


「自分で歩いてくれるだけ案山子よりは大分マシだと思うけど」


「案山子だったら攻撃されても守る必要はないが、こいつ等はそうもいかんだろう。案山子の方がマシかもしれん」


「でも、八万もの兵数がこちらに揃っているように見えるなら大抵の都市は降伏してくれるだろう。その分流れる血を減らせるはずだ」


 竜也の言葉にマグドは肩をすくめた。


「まあ、そうなることを太陽神に祈りましょうか」


 ファイルーズやラズワルド達、それにベラ=ラフマが見送る中、帝国軍八万がロカシスを出発。ケムトへの進軍を開始する。第一の攻撃目標はケムト王国の都市・ジェフウト。ロカシスからジェフウトまでは一〇日ほどの行程を予定していた。








 シマヌの月が下旬に入る頃。ケムト王国領内に侵入したヌビア帝国軍は海岸沿いの街道を東へと進軍し続けている。その後方から大ギーラ帝国軍――ケムト軍の騎兵隊が接近していた。兵数は騎兵二千、指揮を執るのはシェションクという三〇を過ぎたばかりの男である。

 シェションクは付かず離れずの距離を置いてヌビア帝国軍を追跡している。ヌビア軍が油断した時を狙って後背から奇襲を仕掛けるつもりなのだが、


「くそっ、警戒は厳重だな」


 望遠鏡を手にするシェションクが舌打ちする。シェションクは自ら偵察兵を率いてヌビア軍の殿軍の様子を窺っていたのだが、殿軍に配置されているのが騎兵隊なのだ。殿軍の騎兵隊は偵察をくり返し四方に発しており、シェションクはその目を避けるので精一杯だった。奇襲を仕掛けるどころではない。

 殿軍の騎兵隊が掲げる旗がシェションク達の目にも届いてる。獅子をモチーフとしたその図案が金獅子族の旗であることは彼等も聞き及んでいた。


「金獅子族のサドマ……西ヌビアの避難民の殿軍となって聖槌軍と戦ったって奴じゃないか」


「百万の聖槌軍の追撃にも耐えて避難民を守り続けた男だろう? 俺達二千なんて木っ端みたいなものだよな」


 部下達が怖じ気づいた様子でそんな言葉を交わしているのを耳にし、シェションクは苛立ちを深めた。


「怯えるな、皇帝の軍だろうとただの人間に過ぎん! 我々が奴等の後背を襲い攪乱すれば、ジェフウトやその先の町はそれだけ安全になるのだ!」


 シェションクはそう叱責し、部下の士気を盛り上げようとするが、成功したとは言い難い。


「……ただの人間が、たった十万で百万を皆殺しにできるのか?」


「……ギーラとかいうバール人や耄碌した宰相のために、何で俺達が危険を冒さなきゃならない?」


 あちこちでそんな言葉が囁かれている。シェションクはため息をつきたくなった。


「敵襲! 敵の騎兵隊が!」


 見張りの兵が悲鳴に近い声でそう叫ぶ。二千の騎兵が一瞬で浮き足立った。


「くそっ! 奇襲を仕掛けるつもりが逆に仕掛けられるとは!」


 シェションクは悪態をつくと、


「攻撃準備、矢を番えろ! 敵に向かって突進する!」


 決然と命を下す。逃げ出そうとしていた部下も元の配置に戻って戦う決意を固めている。部下の準備が整ったことを確認し、


「突撃!」


 シェションクは自ら先頭に立って猛然と騎馬を突進させた。それを二千の部下が追ってくる。

 シェションクの眼前には五千の敵騎兵が迫っていた。掲げられている旗は人馬族のそれ、ビガスースの第三騎兵隊だ。五千に当たるに二千では一撃で粉砕させられるだけであり、シェションクもそれは判っている。


「右側だ!」


 シェションク達は矢を放って怯ませた隙に、敵の右側をすり抜けていく。第三騎兵隊が回頭して追いかけてくるが、後は必死に逃げるだけだ。何騎か脱落してしまったが、シェションクはほとんど損害を受けることなく追撃を振り切ることができた。

 ……敵の騎兵隊と戦って負けなかったことにシェションクの部下は士気を取り戻した様子だ。実際には奇襲を受けそうになったので一矢報いて逃げてきただけだが、それは言わない約束である。だがシェションクは意気消沈するばかりだった。


「……敵の守りはあまりに堅い。これでは奇襲や攪乱など望むべくもない」


 任務達成の見通しに悲観的になりながらも部下の前ではそんな様子を見せず、シェションクは自分の部隊をある漁村へと向かわせた。日が暮れる頃、シェションク達はその漁村に到着する。この夜、シェションク達はこの村の外で野営をすることにしていた。

 シェションク達が村に接近すると村民は慌てて家に閉じこもった。村長と長老の何人かが村の外に出てきてシェションクを出迎える。


「これはこれはシェションク様……」


「久しいな、すまないが今夜も世話になる。食糧を用意しろ」


 シェションクの命令に長老達は顔を見合わせた。恐る恐る村長が申し出る。


「しかし、先日村の食糧を持って行かれたばかりで、この村にはもう食糧が……」


「ないことはあるまい。支払いはちゃんとやると言っているのだ、早く出せ!」


 シェションクは借用書を差し出し、部下には剣を突き出させて居丈高に村長に命じた。村長は「へ、へー!」と平伏し、慌てて村へと戻っていく。それを見送りながら、


「……まるで盗賊のやり口ではないか。こんな借用書など紙切れと変わらないというのに」


 シェションクは自分の振る舞いに内心で大いに恥じ入っていた。


「ヌビア軍の後背に回り、隙あらば奇襲して敵を攪乱し、進軍を妨害する」


 ギーラからそう命令されたシェションクだが、その行動に必要な補給については何一つ約束がされなかった。「自分でどうにかしろ」と言われただけである。シェションクは最初は自腹を切って食糧を買い求めていたのだがすぐに手持ちの資金が底を付き、それ以降はギーラ名義の借用書を乱発してその場を凌いでいる。


「……一体これは誰のための戦いなのか」


 シェションクはそう疑念を抱かずにはいられなかった。そうこうしているうちに村長がかき集めてきた食糧を部下が受け取り、今夜の分の食糧を配給している。やがてあちこちで薪が燃やされ、夕食が始まった。

 石を並べて作ったかまどの火を囲み粗末な食事を摂る中、シェションクは村長から情報を仕入れている。


「ヌビア帝国軍はこの村の近くを通ったのではないのか?」


「は、はい。一昨日通り過ぎていきました。軍船がこの村に入港し、大量の食糧を受け渡しておりました」


 村長の説明にシェションクは「ふん」と唇を歪めた。他にも質問するが大した情報は得られず、シェションクは村長を村へと戻す。シェションクは大欠伸をした。疲れが溜まっているのか、今にも目蓋が落ちそうだ。


「いかんな、私はもう寝る。後は頼む」


 シェションクは副官にそう命じ、さっさと自分の天幕に潜り込んでいく。寝袋に入るのを待ちきれなかったようにシェションクは深い眠りへと囚われていった。

 ……一体どのくらいの時間眠っていたのか。


「敵がー! 敵の騎兵隊が!」


 シェションクは兵の悲鳴で目を覚ました。酒を飲んだ後のように頭が回らないが、それでも右手は剣を探している。だが、


「くそっ、剣は、剣はどこだ?」


 剣がどうしても見つからず、やむを得ずシェションクは無手のまま天幕を飛び出した。


「剣は?! 弓は?!」


「馬はどこに行った?!」


 迎撃の準備など全くなされていない。二千の兵が喚きながら右往左往しているだけである。


「武器はどうした! 見張りは何をしていた!」


 シェションクは八つ当たり気味に怒鳴るが、


「それが武器がどこにも、馬も一匹も姿が見えず」


「見張りも眠っていたようで」


 戻ってくるのはそんな答えばかりである。シェションクはそれを理解せざるを得なかった。


「……そうか、眠り薬か。あの食糧の中に入っていたのだな」


 あの村長が、漁村全体がヌビア軍に協力してシェションク達に一服盛ったのだ。シェションク達が間抜けにも眠りこけている間に村人が武器と馬をこっそり盗み取っていったに違いない。

 その間にも敵の騎兵がゆっくりと接近し、シェションク達を完全包囲する。武器もなく馬もいない二千の兵が、完全武装の五千の騎兵にぐるりと取り囲まれているのだ。部下の中にはひざまずいて命乞いをする者も現れていた。

 やがて、敵の隊長と思しき騎兵がシェションク達の前に進み出る。その隊長が大音声で宣告した。


「ギーラやプタハヘテプのために戦ってここで死ぬか! それともファイルーズ様の慈悲にすがって生き延びるか! 好きな方を選べ!」


 部下の視線がシェションクへと集中する。シェションクはわずかにためらったが、それほど長い時間ではない。


「……判った、降伏する」


 シェションクはそれだけを言い、力尽きたようにその場に座り込む。部下が全員それを真似するようにその場に座り込んだ。その姿に、敵の隊長は満足そうに頷いていた。





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