FILE11:意味
シュンタくんが来たのは待ち合わせの5分前だった。
遅れる、というメールをくれたわりに、時間前には到着する律儀さがシュンタくんらしい。
いつも会うときは先に着いて、あたしが来るのを待っているシュンタくんからしたら、もしかしたら5分前に来るのは遅刻になるのかもな、とも思った。
どっちにしても、あたしがシュンタくんを出迎えることが初めてあるのに変わりはない。
「あ」
南美術館の前に立つあたしを見て、シュンタくんはまず最初にそう声をもらした。
驚いたようにあたしの顔を見つめ、それから視線がゆっくり下がりミュールを履いたあたしの足元まで来る。
あたしは、初めてシュンタくんに見せる自分の私服姿が急に恥ずかしくなった。
いつもはしてない化粧まだしてて。
楽しみにしていたのが丸分かりなのは、実際そうであってもやっぱり恥ずかしいものがある。
いつもどおりでくれば良かったかなとも思ったけど、それじゃあんまり花火大会っぽくない気がする。
あたしはついシュンタくんから目をそらした。
するとふと、シュンタくんからちょっと離れたところに男の子が一人。
あたしの方をじっと見ていることに気付いた。
短髪で、活発そうなかんじの男の子。
その子があまりにまっすぐあたしを見てくるから、疑問に思ってつい見返すと、当然のように目が合う。
すると男の子ははっとした表情になって、すぐに視線をそらした。
「………?」
首を傾げたあたしを見て、シュンタくんがまた、あっと声をあげた。
「そうだ、三岡くん」
男の子を振り返る。
「ちょっと、何さっきからそんなところでつっ立ってるんだよ」
「え?」
心なしか刺々しく言われた言葉に、三岡くん、と呼ばれた男の子は思い出したように顔を上げて、シュンタくんを見た。
「あ、ああシュンタ。えっと……え?」
「いやだから、ぼーっとしてないでよって」
「あ……ぁあ、うんそれか。分かってる。分かってるって。うん」
「……三岡くん、大丈夫?」
「え?」
何だかぼんやりしている男の子に、シュンタくんは眉を潜めた。
それでも男の子はまだぼんやりしたまま。
「えっと」
あたしは口を開いた。
「シュンタくん、その子がその……お友達?」
「あ、うん、そうだよユカコさん。これがクラスの子だよ」
シュンタくんは隣の男の子を指差す。
『クラス』をやたら強調して言ったあたり、いまだに友達とは認めたくないらしい。
でも、シュンタくんがここまであからさまに気持ちを表に出すことなんて。
あたしにはそのことがめずらしかった。
「ほら、挨拶ぐらいすれば」
また刺々しい口調でシュンタくんは言う。
言われた男の子は、シュンタくんに向けていた視線をゆっくりあたしに移した。
男の子を見ていたあたしは必然的に目が合う。
とりあえず笑って、はじめまして、と言おうとしたら。
なぜか男の子は少しだけ顔を赤くして、そのままそろそろとシュンタの後ろに隠れてしまった。
「ちょっ、三岡くん何やってるんだよっ」
シュンタくんが焦った声で言う。
腕を伸ばして後ろから引っ張り出そうとするけど、男の子はなかなか出て来ようとしない。
シュンタくんよりは確実に背が高いはずの男の子が、比較的小さいシュンタくんの背中にすっかり隠れしまうのは何だかちょっと不思議。
「えーっと、……三岡、くん?」
あたしは男の子の前に回りこんで、その顔を覗きこんだ。
男の子が驚いて顔をあげたのを見て。
「こんにちは」
ようやく笑いかける。
すると男の子はさっきと違って今度は俯かずに、じっとあたしを見てきた。
少し、目を見開いてるかんじにも見える。
「あっ、そうだ。あたし、一ノ瀬ユカコです」
そうだ。
考えてみたら、まだ自己紹介してなかったんだ、とあたしは気付いた。
あたしの名前が分からなくて困ってるのかもしれない、と。
「はじめまして」
あたしはさっき言おうとした言葉を、今度こそ三岡くんに言った。
「………ぁ……」
すると聞こえた、小さな声。
消え入りそうなくらい、ホントに小さな。
だからそのときあたしは、それをただの聞き間違いかと思った。
または大して意味のない呟きだと。
でも本当は、あの声はそんな簡単に聞き流してしまっていいものではなかった。
「……はじめ…まして」
一体、この言葉を三岡くんがどんな気持ちで言ったんだろう。
後になって、あたしはこのときの自分のあさはかさををひどく恨むコトになる。
ふいに、ずっと背を向けてたシュンタくんがこっちを振り返った。
何でかその顔は怪訝そうに眉を潜めて、じっと三岡くんを見ている。
「どうしたのシュンタくん?」
首を傾げると、少し間を置いて、シュンタくんはううん、と首を振った。
「ほら、もう6時15分だからさ。そろそろ移動したほうがいいんじゃないかなって」
「あ、もう20分も経ったんだ」
「うん。だからもう行こうよユカコさん。……三岡くんも」
シュンタくんは体ごとこっちに向き直って、あたしと三岡くんの間に立つ。
「僕、まずはかき氷が食べたいな」
そう言ってにこっと笑うと、あたしたちの腕をとって歩き出した。
あたしはひっぱられるままに足を踏み出してつまづきそうになる。
このとき、違和感は感じてた。
シュンタくんが少しだけ不自然だなと。
でも気にしなかった。
これから見る花火が楽しみで。
シュンタくんたちとまわるお祭りが楽しみで。
子供みたいなあたし。
こうして、この小さな奇跡には気付かないまま。