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狂歌

作者: タクモ蕣
掲載日:2026/02/17

 キョウカは歌が好きだった。歌を歌うのが好きだった。それはキョウカにとって唯一の生きる意味である気がした。歌っている時だけは全ての苦しみを忘れられる気がした。


 キョウカは学校に馴染めなかった。キョウカは人と居るのが苦手だった。そして虐められた。大人たちは制止したが同時にキョウカの欠点も否定できなかった。キョウカもそれは自覚していた。自覚している事がキョウカを余計に孤独にした。


 キョウカは息苦しくなると海に行った。海は家からすぐそばにあった。目一杯の思いを歌に込めて自由に楽しく歌った。それは誰にも邪魔されないキョウカだけの時間だった。キョウカはずっとこの時間が続けばいいと思っていた。


 キョウカは大学に行くには頭が悪かった。けれど働くのに不向きである事はキョウカが一番自覚していた。キョウカは生きる為のお金を何とかして稼がなければならなかった。


 キョウカにその想いはずっと芽吹いていた。キョウカは歌手になる事にした。歌ならばいつまでも歌っていられる。キョウカは一年ちょっと足踏みしてから歌手になる為に船に乗って東京に向かった。


 キョウカは歌に自信があった。だがそれは裏打ちのないものだった。勇気を振り絞ったオーディションでキョウカは大河を知った。何者にも触れられた事のない自信はいとも容易く崩れ去った。


 キョウカは打ちひしがれた。自分は未熟である事を痛感した。他のオーディションの人は皆自分よりずっと歌が上手かった。それでも選ばれるのは一人きりである事実がキョウカを怯えさせた。キョウカは三日間落ち込んで何とか立ち上がった。


 キョウカは歌を練習した。オーディションに合格して舞台の上で歌いたい。その想いを胸に駅前で歌を歌う日々を過ごした。そのうちに数人の人が足を止めてくれるようになった。キョウカはそれが嬉しくて舞台への憧れをより強くした。


 キョウカはオーディションに落ち続ける日々を繰り返した。それでも苦痛ではなかった。バイトも毎日の路上ライブもあの舞台の為だと思えばいくらでも力が湧いた。


 キョウカは薄々気付いていた。オーディションに受かる人は可愛らしい人が多いことに。キョウカは自分が可愛らしい顔をしていない事を知っていた。更に愛嬌もまるで備わっていなかった。そんな考えが頭を過ったが言い訳だと言い聞かせて日々を続けた。


 キョウカはオーディションに落ち続けた。キョウカは審査員が求める歌い方がある事を知った。だがその歌い方は全然気持ち良くなかった。キョウカの歌いたい歌じゃなかった。キョウカは自分の歌を歌う事にした。


 キョウカはお盆で地元に帰省していた。地元の虐めっ子はキョウカに謝罪した。虐めっ子は漁師になり上手く話せないキョウカに合わせて会話をしてくれた。更に虐めっ子には子供がいた。キョウカは逃げるように船に乗った。


 キョウカはオーディションに合格した。キョウカはそれがとても嬉しかった。その事だけに注目した。それ以外の捨てたものは見て見ぬふりをした。これであの舞台に上がれる。これであの日々が報われる。キョウカはそれで胸が一杯だった。


 キョウカは舞台に上がった。スポットライトに当たった。けれどキョウカの歌は誰の心にも届いてはいなかった。それはキョウカが一番自覚していた。路上ライブの時のように心が通じている感じがまるでしなかった。それでもキョウカは給料を貰った。


 キョウカは舞台で歌を歌い続けた。両親は喜んでいたし安心していた。これで地元の虐めっ子にも対等になれた気がした。辛いバイトの数もずっと減った。物事は良い方向に転がっている。だけどキョウカは歌が歌いたくなくなっていた。


 キョウカは歌以外を知らなかった。歌以外の楽しい事も、歌以外の憧れも、歌以外の逃げ道も知らなかった。歌はキョウカの唯一の支えで理由だった。その歌に今は首を締め付けられている感覚がした。キョウカは耐えられなくなり舞台を降りた。


 キョウカは実家に戻った。歌以外を知らないキョウカは実家で死んだように日々を過ごした。キョウカの体は歌を求めた。キョウカの心は歌を嫌った。キョウカはどうすれば良いのか分からなくなった。こんな時はいつも歌を歌っていたのに、それすらも今は苦痛で、こんな日々が続いたらと思うと、キョウカはもう生きていける自信がなくなっていた。


 キョウカは海に行った。海であの頃の事を思い出していた。あの頃は、今を思えば下手くそで、とても聴くに耐えない歌だった。歌は今の方がずっと上手い。今の方が器用になったし、今の私はお金を稼げている。だけど、何かが無い。その事はキョウカが一番自覚していた。キョウカは鼻歌を歌った。あの日のメロディを奏でた。誰にも求められていない、誰の為でもない、私の為だけの歌。あの頃はそれだけで満足だったんだ。それ以外を知る事もなく、それでもただ楽しかった。それがいつ、何を間違えたのか。歌ではなく、一体何を求めていたのか。これは、私が歌いたい歌。誰の為でも何かの為でもない、身勝手で独り善がりの、だけどこれが私が歌いたい歌。私は歌に謝った。そして歌った。声を張り上げて命懸けで歌った。誰かに石を投げられても構わない、誰にも見向きもされなくたって、無意味だって分かってたって、これは私にとって確かに意味のある歌だから。キョウカの心はやっと深呼吸をした。




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