ふたりは恋愛未満
「え? 俺がいるじゃん」
前の席に座る相澤の言葉に、午後の微睡んだ教室の中のざわめきが一瞬消えた。
可愛らしいひまわりの髪ゴムで結んである色素の薄い前髪がみょんと揺れる。その綺麗な顔立ちは、ふざけた前髪のせいで「ただの無邪気」に見えるが、実はそうではないかもしれない、と最近思いはじめた気がしないでもない。
そんなよくわからない同級生を前に、二見は整った目をわずかに細めた。
「は?」
「だから、彼女欲しいんだろー?」
棒付きキャンディーで指された二見がこくりと頷く。
「そう。そう言った」
彼女が欲しい。
二見の心の底からの一言への返事が「俺がいるじゃん」だったのだ。
「うん。だからいるじゃん。俺が」
「なんでだよ」
二見の反論は、すぐさま相澤のキャンディーで抑えられる。
物理的に。
ベタついた飴の感触が唇にひっついて離れない。
無言にならざるを得ない二見の周囲では、女子生徒がきゃあきゃあと黄色い声を上げていた。
見た? だの、
独占欲? だの、
可愛い! だの、
異様に騒ぐ彼女たちの声は、二見にも相澤にももちろん届いている。それでも、教室の中心の席で二見は真顔で聞こえぬふりをする。
相澤はニコっと笑って囁いた。
「──ほら。みんなにサービスして」
「相澤」
ぐいっとさらに飴を唇に押し付けられる。
喋りにくい、と睨めば、やはり輝かんばかりの笑みで追撃を放ってきた。
「何だよー。付き合ってることにしようって言ったのは二見じゃん?」
二見は無のまま口を開けた。
甘すぎる味が舌の上で広がる。
クラスメイトの黄色い声が更に盛り上がり、二見の気持ちは盛り下がり、相澤はやはりご機嫌だ。
もうため息しか出ない。
二見は思う。
なんでこんなことになったんだろ。
清蘭学院高等部。
ほとんどが中等部から持ち上がりのこの花園は、上品な息女が通うと評判だった。
濃紺のセーラー服に、膝の隠れるスカート。
胸元で揺れる黒い髪。
あいさつは微笑みながらの、ごきげんよう。
高嶺の花とやらが群生する、男子憧れの地。
そんな清蘭が、今年から共学になった。
本命や滑り止めの受験の日に狙ったようにコント風のトラブルに見舞われた二見には、清蘭は最後の砦であり、担任に何度も「本当にここで大丈夫なのか」と聞かれ、何度も「進学できるのなら文句を言っていられないですから」と答え続けた。
が、二見はもとから楽観的なだけだった。
粗暴なことをせず、大人しくして、変に女子生徒に声をかけなければ浮くことはないだろうし、むしろ男子の先輩がいないだけ面倒が少ないかもしれない。
清蘭は派手な文化祭も強制参加の体育祭もないし、共学になったとはいえ、まだ数人しか男子を取らないとも聞いている。
もしかしてラッキーなのかもしれない。
そうとすら思えた。
しかし、深く物事を考えるのが面倒な二見は知らない。
女子校というものが、どんなものなのかを。
入学式から、一週間。
屋上への階段の踊り場に座って無心で天井を見つめていた二見は、聞こえてきた足音にのろのろと視線を落とした。
階段を登ってきた相澤が、驚いたように二見を見て、眉を下げる。それはどう見ても、同士を見つけた安堵に包まれていた。
二見は思わず頷く。
「逃げてきた感じ?」
「おー……」
「座れば?」
「ども」
階段で座る二人は、同時に疲れたように大きなため息を吐いた。
三秒の沈黙の後、相澤がわっと顔を両手で覆う。
「いや、まじで、怖いんだけど!! 俺だけじゃないよねえ?!」
「うん、お前だけじゃないよ」
「女子校怖い……目の前で普通に脱がないでほしい……」
相澤が身体を縮こませるように前後に揺れる。
相当追い詰められているらしかった。
「立膝で座らないでほしい……見たって言われたらどうしよって思っちゃう……」
わかる。
言わずに頷く。
「意外とエグい下ネタも聞きたくない……」
わかる。
「受けとか攻めとか、わかんない……男子アイドルって、グループ内で付き合ってないよね……? Dのスオウとタローも、ムツとチナツも、付き合ってないよね? なんで付き合ってることになってんの……? 俺わかんないよ……」
「わかる」
ようやく言葉にした二見に、相澤がバッと顔を上げた。
「だよね!! なんか俺がおかしいのかなって思い始めてた!!」
「楽屋裏見てる気分で怖い」
「それな!!」
二見は相澤を見て「元気だな」と思わず感心した。
教室ではスカした男かと思っていたが、あれはただ耐えてただけだったらしい。
「うわー、よかったー。二見って、教室ではスカしてたからさー。俺と同じだって知っとけば最初から絡みに行ったのに〜」
「お前、裏表ないね」
「よく言われる! あーあ、それにしても一週間損してたなあ、俺」
相澤は膝に頬杖をつくと、その麗しい顔に似合わない快活な笑みで二見にニカッと笑いかける。
「なあ、仲良くしようぜー!」
「ストレートに言うやつ初めて見たわ……」
「いいじゃん、いいじゃあん」
肩に突撃された二見は、ゆるく頷いた。
素直でストレートで裏表がない。それだけで、今まで話したことななかったことを相澤と同じようにほんの少し後悔する気持ちがあるのも確かだったのた。
何も言っていないのに何が伝わったのか、相澤の目は嬉しそうに輝く。
「やったー。俺、クラスで孤独死するかと思ってたんだよね。ここ三年間持ち上がりって聞いたし」
「そうだっけ」
「お前、いいね。脱力系じゃん」
「そ?」
「いやあ、それくらいが居心地いいわ。俺ねー、ウケ狙いで受験したらここしか受からなくてさー」
今度は腕を組んで一人でうんうんと頷いている。
その落ち着きの無さは、近所のワッフル(ポメラニアン♀)を思い出させた。そういえば、色も似ている。
「しかもさあ。俺ね、てっきりみんなから〝ごきげんよう〟って話しかけてもらえるぞー! って入ったらさ」
「……〝ういーっす〟」
「そうそれ!」
「でも校庭に出ると〝ごきげんよう〟」
「それー!!」
相澤が肩を寄せてケラケラと笑う。
散歩中のワッフルも、二見を見つけると足に突撃し、わんわんと鳴きながらぐるぐると周囲を回る。
そして、顔を見上げて期待に満ちた目を煌めかせるのだ。
「いやあ、俺、本当二見がいてくれてよかったわ。これからよろしくな」
ワッフル──ではなく、相澤の頭を撫でぬように、二見はゆるく頷いた。
確かに、教室の中は孤独だった。
女子校の実態を見てしまって居心地は悪いし、彼女らは平気で脱ぐし、そのくせ自分を疑うような視線を向けてきたりもするのだ。正確に言えば「男」という異物を査定し、何らかの評価を下そうとするその大勢の視線は、居心地の良いものではなかった。
だからこうして逃げてボケっとしていたのだ。
こうして、相澤と話す機会ができて良かったのかもしれない。
「ん。こちらこそ、よろしく」
「よろしくー! おっと、そろそろ時間か」
ご機嫌な笑みを隠すように立ち上がった相澤の後ろ姿を見て、二見も足早に階段を降りる。
隣に並ぶと、同性の同級生がいるというだけで、なんとも心強かった。
相澤がニカッと笑う。
「なーなー、休み時間また話そうぜ」
「……それって約束するもんなの?」
「当たり前じゃん! もー、俺、お前と離らんないわー」
「何言ってんの」
「何って、もちろん愛の告白に決まってるだろー!」
廊下に着地した相澤が、ぴたっと身を寄せる。軽く肩を抱き寄せられ、身体をゆらゆらと揺らされた二見は「はいはい」と適当にあしらいながら肩を掴まれた手を取ろうと相澤の手を取った。
が、何やら濃厚な視線を感じ、思わず顔を上げる。
クラスメイトの女子生徒二人が、教室に入る寸前で足を止めてこちらをまじまじと見ていた。
気づいた相澤が首を傾げると、二人はハッとしたように覚醒して顔を見合わせる。
「相澤×二見」
「二見×相澤」
「解釈違い!!」
「やば。緊急アンケート!!」
そんなことを叫びながらバタバタと教室へと入っていくクラスメイトのスカートが揺れる様を、見送ら。。肩にまわされた相澤の手を握っているままだということも忘れ、嫌な予感に、ついその手をギュッと握ってしまった。
相澤はその手を柔らかく握り返し、無邪気に言う。
「何だったんだろー?」
その答えのように、クラスから「きゃああ」と黄色い歓声が上がったのだった。
◯
ぼんやりと入学一週間後の記憶を思い返していた二見を、クラスメイトの悲鳴が連れ戻す。
犯人は相澤で、二見から取り返した棒付きキャンディを抵抗なく口へ入れたらしい。
二見は呆れた目で見るが、相澤は楽しそうに周囲の反応を受け入れ、阿呆のように結った前髪をみょん、と揺らす。
〝二見と相澤は付き合っている〟
という誤解は、あっという間に広がった。
あちこちで異様に盛り上がる、黄色い声。
その居心地の悪さは今も覚えているが、それ以上に彼女らの視線がとてつもなく優しくなったことに、二見は驚いた。
〝付き合ってることにしといたら便利なんじゃないの〟と思わず口にしてしまうくらいの変化だったのだ。
居心地の悪さが激減し、冷たい地獄が生ぬるい天国になった。三年間クラス替えなしを思えば、古き良き言葉〝嘘も方便〟を使うべき時が来た瞬間だと確かに思ったし、今戻ってもそう言うだろう、と思う。ただ──
相澤を見ると、にこっと微笑みが返される。
相澤がこの設定を気に入っているのは、予想外でしかない。
それほどに、教室の居心地の悪さを感じていたのかもしれないが。
「なあに? じっと見て」
相澤がこてんと首を傾げる。
揺れる前髪を結うひまわりのファンシーなそれは、二見がわざと渡したものだ。本人のコンプレックスである顔を隠すための長い前髪だったが、目を掻くので渡せば、甲斐甲斐しくそれから毎日つけてくるようになったのだ。
その揺れる前髪を掴みたい衝動にかられながら、二見は「サービス、ね」と呟いた。
「いや。別に。可愛いな、と思って見てただけ」
きゃあああああ、と声が上がる。
騒ぎ出す教室の中心で、二見は彼女らの声を聞いていないふりで無表情を続ける。
「──でたあ。二見のツン溺愛」
「──相澤、耐えられるか?!」
「──いや……はにかんで赤面した!!」
「──可愛いー!!」
よし、ひと仕事終えた。
二見は生ぬるい目で相澤を見る。赤面がずいぶん上手になった。いつか「新進気鋭の若手俳優」とか言ってテレビに出ても不思議ではない自然な演技だ。
芸名はワッフル相澤でどうだろう、と考えていた二見に、相澤はこそっと耳打ちをする。
「サービスBL? 面白いよなー」
クラスメイトにサービスBLを提供するのが日常になった今、ふと二見は思う。
これで成績も良くて、嫌味がなくて、顔も綺麗なのに、自分と付き合ってることにしてて大丈夫なんだろうか。
「なーなー、放課後クレープ食べ行こー」
校内だけじゃなくて外でも遊びに行くし、休日も会う。
「行こうよー」
なんだこれ。
「こら、二見。俺の話聞いてる?」
相澤が、つん、と顎を人差し指で触れて上げる。クラスメイトは固唾をのんで見守るようにしんと静まる。
「あ……ごめん。何?」
「クレープ。食べに行こうぜー」
「はいはい」
適当な返事の二見にも、相澤は嬉しそうに笑う。
「やった。水曜はカップルデーでアイストッピング無料!」
「本気かよ」
「本気〜。アイス何にする?」
相澤が見せてきたスマホの画面のハートがいっぱいの「カップルデー」の文字に、二見は呆れたように答える。
「チョコミント」
「だよなー」
「相澤はキャラメルだろ」
「うん! うへへ〜」
「何その笑い方」
「可愛いっしょ」
目を伏せた二見は、無言でふっと笑う。
その無防備な笑みに、教室の中に爽やかな空気が流れ、クラスメイトたちには口元を抑えながら悶えたが、本人は全く気づいていなかった。
サービスではないやり取りもすべて美味しくいただかれているのを知らぬのは、二見だけだ。
◯
「お姉様方、失礼いたします」
「気をつけるのよ」
「はい」
見慣れた光景だが、同じくらい見慣れない光景に、隣の相澤が、怖い、と呟く。
「外に出ると、みんなめっちゃ清楚だよな……」
「校内じゃあ──」
「〝先輩、うぃっす〟」
「〝おつカレーライス〟」
「〝ガハハハ〟までセット」
「ふ」
二見が笑うと、相澤はご機嫌に体を横に揺らした。連動して前髪が揺れる。
「行こう〜、行こう〜、クレープ〜。チョコミント〜に、キャラメルアイス〜」
「歌うなよ……」
上級生たちが鉄の外面で上品にくすくすと微笑ましげに見ている中、相澤が校庭のド真ん中で足を止めた。
何かと振り返った二見の手を取って、ぎゅっと繋ぐ。
瞬間、周囲の足がビタッと止まり「繋いだ……!!!」と言わんばかりの視線が二人に突き刺さった。
二見は深いため息を吐く。
「相澤」
二見がちらりと相澤を睨むと、彼女たちの息を呑むような気配が震えた。「怒っちゃうの?」とハラハラとした声まで聞こえてくる。
「手ぇ繋ぐなら、足揃えろよ。歩きにくい」
ツンデレー!! という控えめな叫びがあちこちから上がり、相澤は満足したように繋いだ手をぶんぶんと見せつけるように振った。そのまま、耳元で囁く。
「……サービスしとかないとね?」
「校庭でぇ?」
訝しげに返すと、パッと離れた相澤は、無邪気に拗ねてみせた。
「だってお姉様方が二見のこと狙ってたんだもん」
「誰? 挨拶してくる」
「だめだめ、だーめー。サービスしなきゃ。サービスBLが俺達のライフラインなんだから」
「……確かに?」
「そうそう。これはサービスだって」
「高校生活を生き抜くための」
「サービスです。じゃ、クレープ食べに行こー!」
「おー」
二見は気づいていない。
校門から出ても、その手が繋いだままであることも──このサービスと名付けられた関係が、思った以上に長く──それは長く続くことも。
完
短編BLにお付き合いいただき、ありがとうございます!




