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サボっていた時の話

自堕落な人間がより自堕落にならないよう、近くに目を向けたというような話です、真面目な人は私のことが嫌いでしょうが、その真面目な人は私よりもより良いものを遺せると思います。

大学生の春から夏にかけて、私は全てのやる気が無くなっていた。

何があったかと言うと、その時期には何も無かった。上京して以来何のために行っているかどんどん分からなくなっていき、大学をサボり、サボることで罪悪感に駆られ何もせず、何もしない事で罪悪感に駆られ、罪悪感に駆られる事で大学をサボってしまい、終いには単位を取るに十分な日数を出ていないから巻き返しができず、半期を捨ててしまっていた。現代での大学の立ち位置は、難しい物だと思う。読み物でしか見たことが無いが、かつての大学は学生のやりたい事をやる場だった。しかし今の大学はどうだろう。「ガクチカ」やら「就活」やらで、ほぼ就職のための通過点では無いだろうか。また、就職の為に頑張ったとして、その先に何かあるかが分からず、頑張ったとしてもその先にあるのが無だとしたら、自身の人生や他者の人生、その物が無に見えてしまっていた。そして悪いことに、その無を否定する材料が、私には何も無かった。そんなように懊悩する日々を送り、自堕落な生活を送る中ふと、自身の住む街を歩いてみたくなった。上京して以来私は生活に慣れず、余裕が無かった。学友も居らず、支えという支えが無かった。しかし、大学をサボっている期間のいまならば、余裕があった。家を出て、1駅、2駅先へ行く。商店街があり、神社が有り、川があり、森がある。川の流れを見て行くうちに、現状の自身の人生に意味は無いとしても、他者の人生が築いた物に私の心は触れていた。そうしていると段々、無では無い事の判断材料が私の心には蓄積され、他者の人生に対しての肯定的な意思が芽生えてきた。私は自己に対して批判的であり、自身の価値は低く見積っている。これは過去からの経験則でもある。しかし、こういった人の心に触れることのできる何かしらのものを私が人生をかけて遺せるとしたら、自身の人生は意義あるものとなることが出来るだろうか。今の私には分からないが、そうなれるなら、私は自身を肯定できるだろうと思う。

広い視野を持っている、と勝手に自分で思っているだけでその実広い視野だと思っていたのは単に近くに目を向けていなかっただけ、というのは往々にしてあるなと思う。今後もこういったことは忘れないようにしていきたい。

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