今までの人生を通して
これは暗い内容です、希死念慮だったり、家族の死だったり、無気力な内容を綴ってます。そういったことが苦手だったり嫌いだったりする方は読まない方が良いと思います。これを読んで私に腹が立つ人も居るでしょう。そういう人は私より活力に満ちた素晴らしい人です。貴方は是非、努力して、後世になにかを遺して下さい。
私は漠然と死にたい。自身の周りが悪いのではない。圧倒的に自身が悪かった。また、急に死にたくなったのではない、高校ぐらいから人生が下向き始め、そこから死を望むようになった。それもこれも私が人間、及び社会で上手くやるのが困難なタチだったからだ。課題やら何やらはギリギリなるまで終わらせることが出来ず、本当に切羽詰まってからしかやらなかった。これは小学校にいる頃からそうだった。それから十年程経っても変わらないのだから、生まれ持ったものなのだろう。私の悪どい部分は、これを反省して一時は治そうとしてもしばらくすると元に戻ってしまうところだった。また、私は人と関わるのを恐れていた。小学校の頃はなんともなかった(いじめっ子に絡まれたりはしていたが)中学校の頃から人間関係が複雑化していき、高校ではその経験から人と積極的に関わること無く2年の中頃まで孤立した、自身の醜悪たる容姿も要因の一つたりえるかもしれないが、幸い中頃を過ぎると数人と話をするようになり、3年間を孤独に過ごすことはなかった。大学に上がったらサークルに入り、友人と過ごそうと思ったがお上りさんの出だしは順調ではなかった。後期のギリギリに入学し、家などは即決だったため色々なものが揃っていなかった。春先の東京で暖房もつけず、水で体を洗ったのは地獄だった。ただ、親との関係がその頃は良くなかった為、親と離れることが出来たのは精神的には良かったと思っている。その頃私は肉親が母親だけとなっていた。私が高校にあがる頃、父親は脳死になった。恐妻家でもあったのと、酒好きだったため仕事から帰ってきては酒を飲み、休みの日では酒を飲み、と言うような生活をしていたのが祟ったのかもしれない。パチンコ屋の機体に体をもたれ掛けて心臓が止まっていたらしい。好きなものが出来てよかったのではないか、と思うが、この後父親は脳死患者用の病院に入り、これは母親に大きな負担をかけた。母と私は精神的に不安定だった。高校三年生の頃には険悪になっていた。それから逃げるように上京した。大学一年生の頃は全てが慣れずに忙しく、大変だった。二年の頃は多少慣れてきたものの、一年生の頃に築くことが出来なかった人間関係が尾を引き、インターネットでの気楽な人間関係にハマってしまった。三年の今は前期に大きく怠けてしまい、単位をほとんど取れなかった。その頃から自身の人間としての不適格さを身に染みて感じてきた。人間というのはやることが無いと兎に角陰鬱に沈んでいくもので、どんどんとその思考が止まらなくなった。希死念慮が自身の内で増大していくのを感じた。ただ、死にたいとは思ったが、自殺というのは憚られるように思えた。自身が生の圧力に敗北したと周りに思われるのが嫌だった、というのと、ここまで金をかけて生かしてくれた母親に申し訳が立たないと思ったのが大きな理由だった。ただ、生きていくだけで金がかかるのはさすがに後ろめたい気持ちはあった。そのため、私は時として自殺ではない死を妄想していた。鮮烈で、悲劇的な死。今まで蓄えた生き恥を帳消しにする程の物を考えたりもした。ただ、そう考えるほどに日頃の耐え難い悲劇的な死を迎えてしまった人達が生きたかった今日を自身の様な死を逃げ道と考えている愚かな人間が生きているのにも申し訳がなかった。私は愚かだった。何もかもが分からなかった。努力をしようにも結末は何も変わらないことに私は諦観していた。小学生の頃から葬式が多かった。高齢化社会だから仕方が無いと思うが、小学4年頃には母方の祖母の家で犬が死んだ。中学校に上がる前には母方の祖母が死んだ。よく関わっていたので悲しんだ。中学二年の頃に父方の祖父が死んだ。その祖父は倹約家(悪く言えばケチ)でボロのシャツを着ていた。あまり関わったことはなく、笑顔もそこまで見た事はない。昔気質の人だったのだろうなとは思う。元々大工だったので金はあったが亡くなった後祖母にそれなりに使われたみたいだった。中学三年の頃には母が心筋梗塞で倒れた。もう少し遅れていたら死んでいたらしい。先程述べた通り高校一年生頃に父が脳死になった。脳死になったのならそれはもう死んでいるのと同じだった。体温はあるが返事は無い。大学三年の夏過ぎ頃、祖母が倒れた。理由はなんだか分からないが祖母は冷房が嫌いだったため、付けずに過ごして血液がドロドロになりどうだかしたのだろう。人は全員死に向かって歩んで行ってるのだと思う。私は人の終わりを迎えた姿の方がよく見ている。そうして行くうちに人がなぜ普段から努力したりしているのかが分からなくなってしまった。どうなろうと死ぬ時は死んでもう終わりだというのがどうしようもなく私に全ての無力さを感じさせたからだ。介護職に就いている親族がいたので介護の話をよく聞いた。生きてるんだか死んでるんだか分からない人、暴力を振るう人、自身で排泄も出来ず、身の回りの全てを他の人に任せるしかない人。私にとっては先が暗黒に見えた。努力して先生になった人、努力して社長になった人、努力して努力して…年老いても素晴らしい人は素晴らしいと思う。長年の経験をへた見識は私などには絶対持つことは出来ない。私が老いた時、何かを遺すことは出来るか、出来ない。出来る想像ができない。私は凡才、いや、凡才以下だった。それが努力してどうにかなるか。どうにもならない。ただ死に向かって生き辛さに苦悩しながら年老いて死んでいく。自身よりも凄い親でさえも生きづらさに苦悩し、精神的に不安定になっているのを見て、私はそれ以上の生きづらさを抱えて生きていく。それは生き地獄だと思えた。それ故に私は悲劇的で鮮烈な死を求めている。誰かが生きたかった今日を、死も選べない愚か者を生かさないために。
ここまで読んでくださってありがとうございます。いかがでしたでしょうか。つまらない人間はこうして出来ていくのかもしれません。私はこんなことを書いていますが、なんだかんだこれからも恐らく何事もなく生きていくのではないでしょうか。突然死ぬかもしれませんし、老衰で死んでいくかもしれません。ただ、私は今日を生きたい人が今日を生きれることを切に願っています。貴方の人生に幸多からんことを。




