第2話「始まり」
「お、おぉ.......」
羽田からの15時間のフライトは、快適そのものだった。広々とした個室に電動リクライニングのソファ、食事の時間になればイクラやステーキといった高級料理が出てきたし、機内を探索するだけでもテンションが上がる。ただ、ラウンジにバーまで併設されていたときには流石にちょっと引いた。まあ、調べたら90万くらいするらしいしこれで妥当なんだろうな.....たぶん二度と乗ることはないんだろうけど、このチケットをくれた人には感謝しよう。
そうしてヒースローに到着したのは翌日の朝だった。ヤバい、時差ボケで頭がぼんやりする。しかも今いる場所がわからない。私、英語は「What are you doing」くらいしか覚えてないのに.......しかも何?!羽田よりピクトグラムが少ないから、全然わかんないんだけど?!!まあでも、案内図を凝視したおかげで今の位置がT5——第5ターミナルっていうのだけは理解した。さて、どうするか......
ドサッ!!
「きゃっ?!!」
「ああ失礼、人が混んでるみたいで.....」
どうやら不注意でぶつかってしまったらしい。その日本人と思われる男性は、苦笑しながら私に手を合わせてくる。
「いえいえ!!私の方こそぶつかっちゃってごめんなさい......」
咄嗟に私も頭を下げた。こんなに混んでるのに、ずっと立ち止まっていた私にも非がある。ここは穏便に済ませたほうがいい。
「ええ、では僕はこれで......」
そう言って、男性が立ち去ろうとしたとき——後ろから低い声が響いた。
「”財布”、この子に返したほうがいいんじゃねえか?」
振り返ると、浅黒い肌に眼帯を付けた少年が男性を睨みつけていた。次の瞬間、ドゴッ!と派手に床へ叩き伏せられる男性。周囲の外国人観光客が一斉に息を呑む。
彼の手から滑り落ちたのは、確かに私の財布だった。ぶつかったときにすり取られたのだろう........全然気付かなかったけど。
「ほらよ」
金髪の少年が無造作に放り投げてくる。投げられた財布を慌ててキャッチすると、心臓がバクバクしているのが分かった。
「よう、隊長さん。初っ端から災難だったなぁ。こいつ、だいぶ手慣れてやがったぞ。もうちょい気ぃつけろよ?」
「おい、いきなりそんな事言われても分からないだろうが」
……隊長?私のこと……?
彼らの視線が真っ直ぐに私を射抜く。
「あー……そうだな。お初にお目にかかります、『桜木みこ』さん」
眼帯の少年が笑みを浮かべる。
「とりあえず自己紹介を.......俺はヘンリー・ハミルトン。こっちのバカはハリソン・ベイカー。今日からあんたの指揮下で動かせてもらいます。」
「Hey,open the way!!」
そうしているうちに、空港の警備員がこっちに向かってきているのが分かった。
【手を挙げろ!!お前たち何してるんだ!!】
黒い防弾チョッキに銃を持った警備員たちによって、すぐに金髪と眼帯の少年は取り押さえられる。
ガチャッ、カチャカチャ......黒く光る手錠が、2人を後ろ手で拘束する。だが、彼らは全く動揺の色を見せない。
【......ってぇな、何しやがる。】
【無駄口を叩くな、大人しくしろ!!!】
【へいへい、わかりましたよ。】ゴスッ【ヴっ!】
ど、どうしよう。英語が分からないから、何言ってるのかちんぷんかんぷんだけど.........この人たち、多分私の......部下?になるのかな。だとするとこのままじゃまずいよね?
「あ、ちょっ、ちょっと...」
【ちょっとちょっと、そいつらは何もしてないわよ?】
そこに立っていたのは、呆れ顔をしながら腕を組んでいる少女だった。
「ああ、大丈夫よ。みこちゃんが英語できないのは、もう知ってるし。ちょっと待っててね」
見るからに西欧人のその子は、私を見るなり顔をほころばせ、かなり流ちょうな日本語で喋りかけてくる。ああ、この人も迎えに来てくれたんだな.......初対面なのに名前をすでに知られているのには、もうツッコみたくなかった。
その後釈放された2人と共に、私たちは空港に駐機されていた軍用ヘリに乗り込んだ。
「おい、なんでよりにもよってクソ狭いガゼルなんだよ。」
「文句言うな。1000km歩くよかマシだろ。しかしまあ、リーミング基地での給油を考えても5時間はきついな.......」
今、不穏な単語が聞こえたが、聞き間違いだろう。そう思いたい。ここからさらに5時間なんて想像もしたくない。ただでさえ時差ボケで気分が悪いのに。
「そういえば、自己紹介がまだだったわね。私の名前はマルゴット・ヴェーゲナー、一応少佐よ。得意分野は外科、こいつらのおつむ以外はだいたい私の担当よ。まあ、先に資料は渡されてるだろうけど...何かわからないことがあったら、いつでも聞いてよね?」
「じゃあ早速なんだけど、行き先はどこなの?私今ロンドンについたばっかりなんだけど。.......あと、今さっき5時間のフライトとか話してるのが聞こえてきたんだけど..........嘘よね?」
その問いに、金髪の少年、ハリソンは笑って答える。
「その通り、きっちり5時間だ。まあトイレ休憩はあるがな。行き先はスコットランドのド田舎、NATO即応部隊国際保護部隊アークル山本部―――”バードネスト”」
ローターが唸りを上げ、ロンドンの街並みが小さくなっていく。
——私の「新しい日常」が、いま始まろうとしていた。でもその前に、誰か助けてください。体力がそろそろ限界です。
さて、今回の話はどうだったでしょうか?少しづつ世界観が書けてきたかなと思っていますが、まだまだ慣れませんね。あ、今回出てきた用語で分かりづらいものは必要な分だけ解説していますので、良ければぜひ。それでは、また次の話でお会いしましょう。
SA-341F ガゼル:仏国、アエロスパシアルが製造し、イギリス陸軍などで使用されている小型ヘリコプター。SASなども登場するほどの高性能機。
NATO即応部隊:北大西洋条約機構軍の部隊。略称はNRF。集団防衛や安定化戦力として独立的に即応任務を行う。人員は約2万5千人。陸海空の戦力と、その他部隊によって構成される。本部はオランダ・ブルンスムとイタリア・ナポリ(1年ごとに交代)