前世の記憶を思い出しました
来週に王妃様主催のお茶会を控えていた私は、招待客を覚えるという任務に勤しんでいた。
次々に名前と肖像画を見せられ、1人1人を着実に暗記していく。
私がこうも必死になって覚えているのは、私の言動がお父様に影響を与えてしまうからだ。
マナーが成っていなかったら娘の教育もできないのかと罵られ、できていたとしても、例え私がまだ5歳であったとしても、公爵令嬢だから当たり前と言われるこの世界で、名前を間違えてしまうなんて失態があって良いはずもなく、こうやって1週間も前から叩き込まれているというのが今の現状である。
「次はこのお方——」
「アイデリック王国の第三王子であられるアレクシス・アイデリック殿下……?」
「……せ、正解ですお嬢様。流石才女とと呼ばれる公爵家の姫ですね。この年で隣国の王族まで覚えていらっしゃるなんて……」
教師が出した肖像画を目にした瞬間、そこに映った人物の情報が流れてきた私は、独り言のように口に出してしまった。……が、どうやらその呟きは当たっていたようで、驚きと共に賞賛され、その言葉に私は曖昧な笑顔を浮かべた。
というのも、どうして名前を言えたのかが私自身わからなかったからだ。
隣国の勉強なんてまだ始めてすらいないのに、そこの王太子でもなく第三王子の名前を言えるなんて、普通ならあり得ない。多分答えた私が1番ビックリしていると思う。
その謎を解く為に、原因となった肖像画をじぃっと食い入るように眺めてみる。
……あぁっー!!
そして私は、全てを思い出したのだった。
「スミス先生、この絵を頂くことは可能でしょうか?」
「……え?ええ、原本ではないので大丈夫だと思いますけど、どうしてまた?」
「……あ、えーっと、この絵を描かれたのはチャーリス・カーター先生ですよね?画家として有名な。人物像は中々お目に掛かれないので、何か学べるものがあるのではないかと……」
「なるほどそうでしたか!お嬢様は勉強熱心で有らせるのですね。是非お役に立てて下さい。」
その人物の正体がわかるや否や、私は絵を譲ってもらえないかの交渉にかかっていた。
……推しの絵を何としてでも手に入れなくては!
そんな衝動に掻き立てられての行動だったが、先生の戸惑った表情を見て、はたと我に帰る。
あ、そっか。いきなりだったから、不信感を持たれちゃったかも。
そして、訝しげに尋ねられてしまったその理由に検討がついた私は、それなら……とそれっぽい理由を並べ立てて何とか事なきを得ることに成功したのだった。
公爵令嬢の評判を落とすわけにはいかないからね。
隣国の王子の肖像画を欲しがって、さらに自室に飾るなんて奇行、普通の令嬢ならしないもの。
それであくまでも芸術品として興味があると言っておくことで、飾っていても技法を学ぶ為なのねと思われるだけに留まる、と言う算段あっての言葉だった。
推しの為ならこれくらいの嘘を思いつくなんて容易いものなのだ。
……ただ、褒め言葉が良心に突き刺さってきたので、「ごめんなさい」と心の中で謝罪を入れておいたものの、しばらく引きずってしまうことになるのだった。
姿こそ違えど私はお手本のような真面目人間なのだ。人を騙すなんて慣れてないし、罪悪感だってもちろんある。
……もう嘘はつかないことにしよう。それこそ、よっぽどのことがない限り。
そう心に決めた私は推しの肖像画を満足げに抱きしめて、自分の部屋へと浮き足で向かったのだった。
それにしても、推しを見て前世の記憶を思い出すなんて、流石私と言うべきか何というか……。
部屋に着いて、やっぱり飾るのは貴族令嬢としての品位が疑われると思い直した私は、机の引き出しに肖像画をしまった後に、ぼんやりとそんなことを考えていた。
どうやら私は、前世でシナリオを覚えるまでやり込んだ乙女ゲームの世界に転生してしまったようだった。
「しかも、悪役令嬢って……」
これがヒロインだったら、推しを救えたのに……。
漆黒の、肩より少し長い髪の毛をくるくると指で巻きながら、窓に映った姿を見てはため息を吐く。
そう、私が転生した先はヒロインの恋路を邪魔して最終的には断罪されてしまう悪役令嬢、その人だったのだ。
正直に言うと、その事実は割とどうでも良かった。いや、良くはないのだけれど。
「これじゃ、推しの死亡エンドを回避するのはハードル高そう……」
問題はそこにあった。
断罪されて路頭に迷うよりも、婚約者に斬りかかられて殺されるよりも……そんなことより推しを救えない可能性が高い人物に転生したことの方が私にとっては嫌だった。
最悪私はどうなっても良い。推しさえ救えるのならば、私が破滅することなんて些細な事でしかないのだから。
私の推しであるアレクシス・アイデリック殿下は隣国の第三王子で、私と同じくヒロインの恋路をあの手この手で妨害する悪役王子だ。
何でそんな人を推してるのかって?
それは、一言に悪役王子と言っても、彼にはそうせざるを得ない事情があり、私は彼が悪役だなんて微塵も思っていないからだ。
むしろ王子としては正しい行いだった、とさえ思っている。
私が前世でハマっていた乙女ゲームは『聖女の祈りをあなたに捧ぐ』というタイトルで、文字通り聖女となったヒロインのシンデレラストーリーが描かれている。
貴族の婚外子であるヒロインはある日、聖女候補であることが発覚し、庶民の暮らしから一変して実父の元つまりは男爵家で育てられることになる、というのがヒロインの生い立ちだ。
学園の高等部に入学したところからゲームは始まり、大災害が発生する2年生になる年までに攻略対象を攻略し、更に光魔法を極めることで女神様の加護を得て正式に聖女となったヒロインが攻略対象と国を救う、というのが大まかな流れ。
ハッピーエンドでは国を救ったヒロインが1番好感度の高い攻略対象と結婚し、幸せな家庭を築くが、バッドエンドともなれば最悪だ。
だって、バッドエンド=この世界の滅亡なのだから。
バッドエンドには、ヒロインが光魔法を一定のレベルまで習得しきれずに大災害を退けられなかった場合か、もしくは攻略対象の好感度が足りず、協力してくれる仲間が居なかった為に、不意を突かれて魔物に殺されてしまう場合の2パターンがある。
どちらにせよ聖女が浄化をすることによって大災害——魔物の大量発生——を抑えることができるので、その聖女の力が足りない、ましてや死んでしまうなんてことがあったら、それはもう世界が滅んでしまうことを意味するというわけだ。
とはいえ、ここまでバッドエンドが最悪な結末なのだから、滅多にそうなることはない。
ヒロインは真面目で努力家なので必然的に能力は上がっていくし、そんな直向きなヒロインに惹かれない男性はいないだろう。
なので私が心配するべきなのはバッドエンドを回避することではなく、ハッピーエンドを迎えることによって私の推しが破滅してしまうことにこそあるのだ。
私の推しアレクシス様は、聖女を手に入れる為にこの国に留学に来る。
聖女は100年に1度大災害が起きる年に合わせて現れ、歴代の聖女となった者はその力を使って、世界を滅亡の危機から救ってきた。
しかし、どの国に現れるのかはランダムで、国は総出で聖女候補を捜索するほどだ。
聖女になる条件は四つある。
一つ目は女性であること。これは、女神様が女性で、同性の方が加護を授けやすいからだと言われている。
二つ目は光属性の魔法が使えること。光属性と聖魔法は似ていて、女神様に力を与えられることによって光属性者が聖魔法を使えるようになると言われている。因みに、光属性だと回復魔法のみが使えるが、聖魔法になるとそれに加えて浄化と結界魔法が使えるようになるので、その差は歴然である。
三つ目は金色の瞳を持つこと。これは女神様が太陽を表す金色の瞳に月の光を表す銀色の髪を持っていることに起因していて、金色の瞳を持つことが、光魔法を使える証でもある。
そして最後の条件は……他者に対して思いやりを持って接することができる人……つまりは慈愛に満ち溢れていること、だ。
この四つ目の条件のせいで、悪役令嬢ルーナは聖女になれなかった。
何を隠そう彼女も聖女候補の一人だったのだ。
光魔法の使い手で、金色の瞳を持つ女の子。
三つ目までの条件に全て当てはまっていた。
それなのに聖女に選ばれなかった……それは性格が悪いと女神様に言われているようなものなのだ。
だから、ゲームの中でルーナはヒロインに冷たく当たっていた。
その鬱憤を晴らす為に。……まったく、そういうところだぞってツッコみたくなるような話だ。
そしてここからが本題なのだが、大災害はこの国だけでなく、世界で一斉に起こる……と言えば、国が躍起となって聖女を探すのも納得できるのではないだろうか。
自分の国に聖女が現れてほしい……そんな希望を抱きながら。
そして、もちろん王子であるアレクシス様もその1人だ。
聖女が自分の国に現れてくれれば、優先的に自国を救ってくれるのだから。
もしくは他国に現れたとしても、妻として迎え入れたら……?
そう考えたのだろう。
ゲームの中でアレクシス様は、ヒロインにものすごくアタックしまくるのだ。
見た目も攻略対象に負けないくらいイケメンで、しかもヒロインに言い寄ってくる……最初は好感度が始めから高い攻略対象なのかと思ったくらいだ。
しかし、終盤を迎えるにつれて彼の正体は明らかになっていく。
実は裏で手を回してヒロインを孤立させ、自分しか頼れる人がいないように見せてヒロインを手に入れようとする……所謂、悪役王子だと判明するのだ。
その目的は自国の民を優先的に救ってもらうこと。
何とも悪役らしからぬ理由である。
しかも、最終的には罪を認めて、兄達に迷惑をかない為に自害するか、自国を守る為に騎士として最前線で戦った結果敗れ、戦死してしまうかのどちからが彼の死亡理由だ。
……本っ当に、報われてほしいキャラNo. 1なだけあって、悲惨な運命すぎる。
そんな彼を推し始めたのは、ビジュに一目惚れしたからではあるが、物語を進める度にその沼にハマっていったのだ。
「……そっか、私はアレクシス様を救う為にこの世界に転生したのかも。」
ゲームの内容を頭の中で整理した後で、ポツリと呟いた。
欲を言えばヒロインに転生した方が確実ではあったが、ゲームに介入できないプレイヤーだった前世とは違って同じ世界に住んでいる悪役令嬢なら彼を救えるかもしれない、そう思っての言葉だった。
そうと決まれば……。
考えがまとまった私は、彼を救う為に奮闘すると気合いを入れる為に「えいえいおー」と拳を高く突き上げたのだった。
ここまで読んでくださってありがとうございます。