元ヒロインのプロローグ
よろしくおねがいします。
まるで夢みたいな、突拍子のない話だと思った。だって、まさか自分が貴族の血を引いているだなんて。
私は片親で苗字の無い、どこにでもいる貧乏な平民の、レイチェルだった。
桃色の瞳とブロンズ色の髪は、ちょっと珍しいみたいだけど、それで何かを言われたことは今まで一度も無かった。
その日も生活費を稼ぐために自分で刺繍したハンカチを売りに町へ来ていた。いつもと同じように。
いつもと違ったのは、身なりの良い中年女性に声をかけられたこと。
その人が言うには、私の黄味が強い桃色の瞳は、コライユ伯爵家特有のものらしい。
どうやら母は伯爵令嬢で、平民の人と駆け落ちしたらしい。長年探していてようやく見つけたのだ、と母の乳兄弟だと名乗った人は泣いて喜んでいた。
母が病気で床に伏していたこともあり、その日のうちに引っ越すことになった。
母とは治療のため離れ、私は縁のあるカイユー男爵の夫婦の養女になるそうだ。
養い親は親切な人で、右も左もわからない私を立派な淑女にしてくれた。
貴族が必ず通う学校があり、そこで恥ずかしい思いをしないように、とのことだった。
彼らの一人息子が家庭教師の代わりに勉強の面倒を見てくれた。
勉強を頑張ったおかげで奨学生になったけれど、それが間違いだったのかもしれない。王子様に興味を持たれてしまったのだ。
初めのうちは褒めてくれるし親切にしてくれるし、何より格好良かったから嬉しかったけれど、その所為か高位の貴族令嬢たちに目をつけられてしまった。
だから、王子様に近づかないように気を付けるようにした。そうすると、王子様は「避けるなんて悲しいじゃないか」と、待ち伏せしてくるようになった。
身分を理由に誘いを断れば、「ここでは身分なんて関係ないさ」と。あなたには婚約者がいるからと言えば、「あいつが何か言ったんだな」と話を聞いてくれない。
そうしているうちに高位の貴族令嬢からの嫌がらせは酷くなるし、王子が構うし、また酷くなるという悪循環に入ってしまった。
先生に相談すれば、「生徒の問題だから」と言われ、同級生からは「自慢ですか?」と相手にされない。
どうしたらよかったのだろうか。ある日校舎の裏でこっそり独りで泣いていたら、少女らしき柔らかい声が聞こえた。
「どうして泣いているの?」
戸惑ったような、純粋に心配している声色が嬉しかった。この学園生活でわたしを心配してくれる人は、元凶か寵愛のおこぼれが欲しい人か嫌味で言う人しか居なかったから。
けれども酷い顔をしているし、"王子を誑かした悪女"と影で言われている私の顔を見たら、きっと居なくなってしまうだろうと思って顔は上げなかった。
「誰も私の話を聞いてくれないの。違うって言っているのに。
そんなことする人じゃないのに悪いことは全部、婚約者である彼女の所為にされるの」
誰かは不思議そうに聞く。
「どうしてそう言えるの? その子の所為じゃないって」
「助けてもらったから」
彼女はわたしを害そうとした令嬢たちを叱って、二度としないようにと誓わせていたし、それ以降も、理由はよくわからなかったけれど、教科書や制服のお下がりをくれた。
「それなのに誰も、彼女を助けてくれないの」
みんなそういう場面を何度か見たはずなのに、なぜか彼女の評判は悪くなる一方だった。
「そう。あなたは、彼女の為に泣いていたのね」
悲しそうなその声に思わず顔をあげてしまったが、そこには誰も居なかった。
*
卒業式の日、王子が婚約者である彼女を大勢の前で責め立てた。私をいじめたとか、婚約を破棄するだとか言っていた。
ひどく狼狽えた彼女は、私を王子から引き離すため(だと後日王子は主張していた)、封印されていた邪神を呼び出し、依代にされてしまった。
邪神は完全には復活しておらず、力を取り戻すには人の命が必要だと、生徒たちを襲い始めた。
邪神に憑依されたばかりの彼女を殺して事なきを得たが何人かの生徒が犠牲になった。
ショックだった。だって、彼女はそんなことをする人じゃない。
邪神を呼び出して私を排除しようとするほど、王子を愛していなかったし、地位にも固執していなかった。
誰が見ても、婚約者だったから苦言を呈していただけだったってわかったはずだった。
きっと誰かが彼女を陥れたんだ。この時ばかりは夢であってくれたらと思わずにはいられなかった。
邪神がいなくなった後、王子が結婚を申し込みに来た。でも、人の話も聞かず、平気で人に罪をでっち上げる人となんか結婚したくなかったから盛大に振った。
不敬罪なんて気にしなかった。なんで今までそうしなかったのか不思議に感じたくらいだった。
よくよく考えてみたら王子は私を盾に彼女を排除したかったのかもしれない。彼女は性格には難があったけれど優秀な人だったから。
私はその後、王であろうと干渉できない厳格な修道院にすぐに向かって修道女になった。次は私の番になるかもしれないと思うと恐ろしかったから。
そして毎日祈った。
どうか彼女の魂が救われますように。
もし生まれ変わったら、幸せな人生を送れますようにと。
風の噂で王子は除籍されたと聞いたが、素行を振り返れば当たり前だろう。
それから五年後、邪神が現れた。あの時倒された訳ではなかったらしい。次に依代になったのは、国王が溺愛する姫だった。
姫は甘やかされて育った、どうしようもないほどに我儘でクズな性格の少女だった。正直に言って、民のためなら躊躇いなく殺していいんじゃないかと思うような人物だった。
だが国王は姫を殺すなと命を下した。こんな時に親バカを発揮するなんて。
そして依代を殺さないで邪神を封じる方法なんて誰も知らなかったから、まずそれを調べることから始めたらしい。
その間に邪神が完全に復活した。復活するまでに何百何千人もの民が犠牲になった。
復活した邪神はもっと力をつけるため、眷属である魔人を次々生み出して、虐殺を始めた。事態は悪化する一方だった。
民を犠牲にしてまで依代の姫を殺さなかったことに憤りを隠せなかった。当時息子の婚約者だった、優秀な彼女の犠牲は躊躇わなかったのに。
私は邪神を倒しに行きたかった。けれど邪神が生み出した魔人たちから人々を守るのが精一杯だった。
ある時魔人の攻撃で、私がお世話になっていた修道院がある街が火の海になった。
私はこの街を救いたい一心で、死に物狂いで魔法を使った。火を消して、人々に結界と治癒を施して。今の私にはこの街を守る以外に何もなかったから。
魔力が枯渇しても、命を魔力に変えてでも魔法を使った。それすらできなくなった時、私の目の前に魔人が現れた。
「どうりで、暴れても燃やしても人間の魂が手に入らなかったわけだ」
魔人は虫の息だった私を殺そうと力を奮ったその時、私の体の中から魔力とは違う力が溢れ出して、魔人を消してしまった。
私は聖女に目覚めたらしい。聖女の力は、邪神の力だけを消すことができるそうで、すぐに邪神の元に遣わされることになった。
そして、邪神と最前線で戦っていた人たちと合流して、力を合わせることで、依代の姫を傷付けることなく邪神を倒すことができた。
聖女になるのは生まれ持っての素質らしい。なんで今頃目覚めたんだと、なんで五年前じゃなかったのかと、何度も自分を責めた。
国王は一連の行動から王に相応しくないと、姫と共にどこかに幽閉された。代わりに立った王は、最前線で戦っていた仲間で、王太子だったらしい。落ち着いたら王位から退いて政治は議員制にするのだと言っていた。
凱旋パレードを王都で行うことになった。嫌な予感がして乗り気ではなかったが、国民全員が望んでいたから、断ることはしなかった。
そしてパレードが盛り上がりを見せた頃、乱入してきた元王子に胸を刺された。
元王子は観客に紛れていたらしい。すぐに取り押さえられ、どこかへ連れて行かれた。
傷口から吹き出した血の量と急激に下がっていく体温で、自分はもう助からないのだとすぐに悟った。
溢れる血で真っ赤に染まっていくドレスを見ながら、
『ああ、この色はわたしよりも彼女に似合うなぁ』なんて呑気に思った。
意識が消える間際、視界とわたしを呼ぶ声がぼやけていく中で、
『あなたを構成する全てと引き換えに、なんでも願いを叶えてあげる』
と囁く声を聞いた。どこかで聞いたことのある声だったけれど、もう何も分からなかった。
邪神の依代として死んだ時の、彼女の諦観した笑顔が脳裏を過った。
卒業式の日に見た、絶望で翳った瞳が忘れられない。
助けてくれた時に一瞬覗かせた、優しい眼差しを憶えている。
入学式の日に見た、彼女の堂々として美しいあの姿をもう一度見たい。
あの日々に戻れたら。もし時が巻き戻ったのなら、彼女と友達になりたかった。
『そのお願い、叶えてあげる』
優しい声は言った。
『だから、彼女を助けてあげて』
分かったよ。
今度はきっと、上手くやるから。
そう願って、意識を手放した。
読んでくださりありがとうございました。