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シロの涙


 シロはだんだん表情が豊かになっていった。以前よりよく笑い、小さなことでむくれる。

 キラに自分の出生の話を聞いたときに反応が薄かったのは、情報量が多すぎて受け止め切れていなかったり、現実味なく信じられていなかったりということもあっただろう。でもそれだけじゃなかったようだ。ずっと老婦人と二人だけの生活では、感情を揺さぶられるような出来事もあまり多くなかったのだと思う。多くの人に出会うことで、シロの中で大きな変化が起きているのが隣にいてよく分かった。


 ある雨の日、シロがはじめて仕事でミスをした。おかみさんに、次から気を付けてねと軽く注意されるくらいの小さなミスだ。本人も次から気をつけなくちゃと明るく言っていて、帰ってからも普段と変わらないように見えた。仕事のミスなんか誰もがするものだから、俺はシロがお店に馴染んできたってことだよなとむしろちょっとお祝いしたいくらいに思っていた。俺が思っていたよりずっとシロが落ち込んでいたことがわかったのは、いつものように猫の姿で身を寄せ合って眠りについた後だった。


 夜中なんだか苦しくて目が覚めた。仰向けで寝ている俺の上でシロがごめん寝をしている。ちょうどお腹にシロの頭があった。可愛いが苦しい。お腹から下を完全に抑えられているので、身動きがとれない。上半身を横にひねって、どうにか抜け出そうとしたとき、お腹が濡れていることに気づいた。よくよく見ると、シロはぷるぷる震えていて、どうやら起きているようだった。もしかして泣いているのかもしれない。獣人は獣姿であったとしても涙を流すことがある。はじめてのシロの涙だった。なめて慰めてやりたいが、この状態ではそれはかなわない。前足でぽんぽんと頭をなでるくらいしかできなかった。天気の悪い日にはじめてのミスが重なったら、落ち込んでも仕方ないだろう。能天気なことを考えていた自分が少し嫌になる。シロの様子がいつも通りでも、次からはもっと気をつけようと決心した。

 頭をなでてやると、シロの涙は収まるどころか激しさを増したようで、さすがに猫の身体でそんなに泣いても大丈夫だろうかと心配になる。ようやく落ち着いてきたと思ったら、ごめん寝の姿勢のまま、前足が伸びてきて、ふみふみと俺の身体をこねはじめた。これも初めて見た。苦しさが増した。シロのストレスがそれほど強いということだろう。母親に会ってみたくなったのかもしれない。気が済むまでやらせてやろうと体の力を抜き、下を向くと、前足を前につきだしたことによって、シロの顔が少し見えた。目を固くつぶっている。目の周りはびしょびしょだ。ついでに俺のお腹もびしょびしょだった。

 ふみふみはなかなか終わらなかった。そのうちシロがうっすらと目を開けて、俺の腹がびしょびしょだということに気づき舐めはじめた。ふみふみも続いている。俺はシロの頭をなでることにも疲れ、うつらうつらしていた。猫の手でなでるのは難しいのだ。明日の朝、起きてから抱きしめてやろう、今は好きなようにさせてやるくらいしかできることはない。眠気が苦しさを上回っていた。

 そのときシロの舌が何かをかすめた。ザラっとした猫の舌が毛の生えていないところに当たり、思わずビクっとする。驚いて目が覚めた。シロも何かあることに気づいてしまったようだ。何度も同じところを舐められる。俺はそこはやめてくれと、もう一度もがいてみるがびくともせず、そうこうしているうちに、シロはぱくりとそれをくわえてしまった。吸われている。恥ずかしすぎる。前足で両目をふさいでもだえた。今日のことはなかったことにしよう。忘れるように自分に言い聞かせる。これは完全に母親の代わりだ。こんな感じなんだなと他人事にしてごまかした。

 ついにシロが力つきて、俺の腹の上から落っこちた。俺も限界だったが、泣いていたシロをそのままにはしておけなくて、最後にシロの涙を舐めとって、顔を綺麗にしてから眠りについた。


 次の日の朝、シロはいつもより少し寝坊した。先に起きて人型になった俺は、服を着ることで夜中の名残りに気づき一人赤面した。片方だけ、服を着ることが難しいくらい腫れている。シロがまだ寝ていることを確認して、絆創膏を貼った。穴があったら入りたい。赤くなった顔を冷ますためにバシャバシャと顔を洗う。

 ちょっとむかついてきたので、寝ているシロのお腹にダイブして思い切り吸ってやった。びっくりして目を覚ましたシロをそのままぐちゃぐちゃになでまわす。シロは人型になってもちょっと不安そうな顔をしていた。恥ずかしがっている様子はないので、昨日のことは覚えていないと確信してほっとする。

「お母さんの夢を見たんだ。……僕、お母さんに大切にされていたと思う?」

「ああ、シロがこうして自由にやれているのも、お母さんのおかげだろ」

 シロを安心させてあげたくて思い切り抱きしめる。夢の中の母さんが実は俺だったということは、墓場まで持って行こう。上半身が密着したことで、絆創膏も押しつぶされて、うっ、とうめき声が出た。シロが心配して離れようとしたが、赤くなった顔を見られたくなくて、肩に顔をうずめるようにしてさらに抱きしめる。あきれてシロが笑い出すまでそうしていた。

 

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