ひとりぼっち
実家から職場までは少し距離があるので、その分いつもより早く家を出なくてはいけない。次の日の朝、シロを起こさないようにそっと起き上がった。会えない分を前借りするようにシロの姿を目に焼き付けると、父に声をかけて出発した。
昨日急に休んだことをおかみさんたちに詫びて、張り切って働いた。仕事は面白い。いつもより早起きして疲れたのもあって、仕事中は集中できた。
その日の夕方帰宅し、ただいまーと言ったあと、返事が返ってこないことでシロがいないということに改めて気づいた。忘れるくらい集中していたようだ。思わずいつもシロが座っていた窓際に目がいく。一瞬シロがいたような気すらした。早起きして疲れいるんだろうと自分に言い訳をする。
仕事のように忙しくすればいいのかもしれないと思い、少し散らかっていた部屋を張り切って掃除してみた。ピカピカに掃除して部屋を見渡すとなんだか急に部屋が広くなった気がした。手を動かしているときは確かに余計なことを考えずに済んだが、部屋が綺麗になると一気に寂しさが押し寄せてきた。部屋の風通しがよくなったが、自分にも穴が開いてびゅーびゅー風が通り抜けていくような感じがした。
一人暮らしをはじめた当初もこんな感じだったなと懐かしく思う。シロと出会ってそれほど経っていないはずなのに、喪失感が大きすぎて困惑する。
早く寝てしまおうと猫になるとベッドにもぐりこんだ。
するとすっかりかぎ慣れたにおいがすることに気づく。人型のときより猫になっているときの方が、嗅覚は鋭くなるのだ。シロがいつも使っていたブランケットがあることで、目をつぶってさえいれば本人がそこにいると自分を騙すことは容易にできそうだった。ブランケットを丸めて、寝ているシロにみたて、いつものように寄り添って眠りについた。
猫になっていると、人型でいるときより本能にあらがえなくなる。次の朝目を開けたとき、またしてもシロがいないことに気づかされた俺は、シロに会えるまでは人型で過ごそうと決めた。猫の姿ではこの寂しさに耐えきれないと思ったのだ。獣人は獣の姿で生まれてくるため、獣の姿をしている方が楽だ。実家のチビたちは人型になるとすごく疲れるだろうが、繰り返すうちに慣れる。ひとりだちするころにはしばらく人型で過ごしても平気になる。人型と獣姿を何度も繰り返すのより、ずっと人型でいる方が楽なのだ。
俺は新作パンの制作に没頭し、なんとか一週間を乗り越えたのだった。