第9話 廃村にて
警邏隊は帝都を出発し、半日をかけて目的地である廃村へと到達した。
村の入り口は、荒れ果てた木製の門が風に軋みながら揺れている。家屋は崩れ、地面には黒ずんだ焦げ跡が点在し、まるで何かに抉られたかのような深い傷がそこかしこに刻まれていた。風が吹くたびに、壊れた窓や壁がわずかに鳴り、かすかな音が辺りに響く。
「……何かがおかしい」
ユレィシアは剣の柄に手を添えながら呟いた。
この静けさは、ただの廃墟とは違う。明らかに異質な、目に見えぬ何かの気配が村を覆っていた。
「気を引き締めろ。隊を二手に分け、異変の調査を行う」
隊長ガルハルトの指示により、ユレィシア率いる第一班は村の中心部へ、第二班は周囲の探索を開始した。
ユレィシアはエルミナと共に村の奥へと進んでいった。
村の広場に辿り着くと、中心にぽっかりと空いた巨大な穴が目に飛び込んできた。まるで何かが爆発したように地面が抉れ、周囲の瓦礫は内側へと引き込まれているかのようだった。
「これ……本当に魔術の跡なの?」
エルミナが低い声で呟く。
エルミナは長身で、引き締まった体躯を持つ女性だった。肩まで伸びた黒髪は常にきっちりと結われ、整然とした印象を与える。鋭い眼差しを持ち、その瞳は深い青色を湛えている。鎧の下に着込んだ警邏隊の制服は彼女の動きやすさを考慮して調整されており、長年の戦いで細かい傷跡が刻まれていた。その姿は、戦場においても冷静さを失わぬ者の証であり、隊士たちの信頼を集めるのに十分だった。
ユレィシアは、ふと足元に転がる金属片に目を留めた。それは、警邏隊の徽章だった。
「……これは、追跡班のものだ」
瞬間、背筋に冷たいものが走る。彼らはここで消息を絶った。その理由は明らかではないが——
「隊長!」
広場の反対側で探索していた隊員の声が響いた。ユレィシアたちが駆け寄ると、そこには奇妙なものが残されていた。
地面に焼き付けられた不可解な紋様。それは魔法陣のようにも見えたが、見たことのない形状をしていた。
「魔術の……痕跡?」
エルミナが険しい表情を浮かべる。だが、次の瞬間——
「っ……!!」
突如として空気が震えた。
広場の地面が波打つように揺れ、黒い霧が立ち込める。その奥から、何かが現れた。
無数の腕のような触手を持つ異形の魔術師。その存在が姿を現すと同時に、警邏隊の隊員たちは剣を構えた。
「来たか……!」
ユレィシアは剣を抜き、魔術を展開する。
「全員、戦闘態勢!」
彼女の号令と共に、廃村は戦場へと変貌した——。
異形の魔術師が詠唱を始めたその時、さらに奥の闇の中から二つの影が姿を現した。
「……ようこそ。ここが貴様らの墓場だ」
鋭い眼光を持つ男が冷笑を浮かべる。彼の身なりは元軍人のそれであり、かつて王国軍で名を馳せたのだろう、ところどころ傷はあるものの装飾の凝った装備を纏っていた。
その隣には、一人の小柄な少女がいた。白い衣を纏い、長い髪を揺らしながら、淡々とした目でユレィシアたちを見つめていた。
「この子が……?」
ユレィシアは本能的に理解した。この少女こそが、この場を支配する存在であり、決して侮れない敵なのだと。
「隊を二手に分ける。私はあの少女を抑える……! ガルハルト隊長、奴らの部隊を頼む」
「了解した!」
〇
鋭い金属音が廃村に響き渡る。
ユレィシアは眼前の少女に剣を構えた。少女は微動だにせず、ただ静かにユレィシアを見つめていた。その瞳には一切の感情がない。
「……どうして、こんなことをしている?」
ユレィシアは問う。しかし、少女は答えなかった。
代わりに、元軍人の男が前に出る。
「無駄な詮索だ。貴様らに真実を知る価値はない」
男は腰の剣を抜くと、地面を蹴り、一瞬で間合いを詰めた。鋭い斬撃がユレィシアの肩を狙う。
「っ……!」
ユレィシアは咄嗟に防御魔術を展開し、剣で受け止める。火花が散り、彼女の足がわずかに地面を滑った。
「力押しだけじゃない。戦場を知り尽くしている……か」
敵の技量を瞬時に判断しながら、ユレィシアは間合いを取り直す。
一方、エルミナ率いる警邏隊は異形の魔術師と対峙していた。
「触手の動きが速い! 距離を取れ!」
エルミナの号令と共に、隊員たちは散開する。しかし、触手は意思を持つかのようにしなやかに追尾し、次々と隊員の防御を突破していく。
「……このままでは持たない」
エルミナは素早く判断し、魔術を発動した。
「《烈火の矢》!」
空中に無数の火矢が形成され、触手へと降り注ぐ。炎をまとった矢が触手を焼き切り、苦痛のような唸り声が響いた。
「よし……!」
しかし、喜ぶのは早かった。
少女が静かに手を掲げる。
すると、焼かれたはずの触手が瞬時に再生し、さらにその数を増やした。
「再生……? 違う、強化されている……?」
エルミナは歯を食いしばる。明らかに尋常な相手ではない。
その時、ユレィシアの目の前で異変が起きた。
少女の足元に黒い魔法陣が浮かび上がる。
「来る……!」
ユレィシアは直感的に危険を察知し、後方へ飛び退いた。直後、地面から黒い槍のような魔力の塊が突き出る。
ギリギリの回避。
しかし、少女の攻撃は止まらなかった。新たな魔法陣が次々と展開され、無数の黒い槍が雨のように降り注ぐ。
「っ……このっ!」
ユレィシアは剣を振るい、飛来する槍を次々と叩き落とす。
少女はそんなユレィシアを、ただ冷たい目で見ていた。
「その目……私を試しているのか……?」
理解した瞬間、ユレィシアの中に怒りが芽生えた。
「甘く見ないで……!」
ユレィシアは自ら攻めに転じる。魔力を込めた剣が青白い光を放ち、一気に少女との距離を詰める。
その刃が少女へと迫る──。
次の瞬間、戦場全体に衝撃が走った。
爆発的な魔力が解き放たれ、全てを飲み込もうとするかのように吹き荒れる。
ユレィシアは咄嗟に防御魔術を展開したが、その衝撃の中で、少女の姿が消えていくのを目にした。
「これは……!」
異変を察したユレィシアが剣を構え直す。
その時、彼女の背後から冷たい声が響いた。
「──まだ、始まったばかりよ」
ユレィシアが振り向いた時、そこにいたのは──。
闇の中に佇む少女の、微かに微笑む姿だった。