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ロイズ・レコード  作者: 翌桧 寿叶
第1章 最強の魔術
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第4話 触手乱舞

 夜闇に溶け込むように、黒々とした触手が蠢いていた。まるで生きた影が獲物を求めるように、地を這い、壁を這い、空間を切り裂く。滑るような動きで四方から迫りくるそれは、まるで意思を持つかのようにユレィシアを囲い込んでいた。


 彼女はレイピアを振るい、一閃。打ち払われた触手が甲高い音を立てて地面に叩きつけられる。が、すぐさま別の触手が隙間を埋めるように襲いかかった。

 暗闇の中、ユレィシアの動きは鋭く、迷いがない。彼女の制服はすでに裂け、ところどころ粘性がある液体が付着していた。不快感を覚えながらもそれでも足を止めることはなかった。


「この程度で……!」


 鋭い蹴りが触手を弾き飛ばす。しかし、すぐさま別の触手が絡みつこうとする。数が多すぎる——それでも、彼女の目にはまだ闘志が宿っていた。夜闇に溶けるような黒い触手が、鋭く空を裂いた。まるで生き物のように蠢き、狙いすましたかのようにユレィシアへと迫る。


「遅いわね」


 淡々と呟くや否や、彼女の剣が閃いた。一瞬の煌めき。次の瞬間、触手は何事もなかったかのように切り裂かれ、地面に落ちる。


「ほう……やるな」


 不気味な男が笑う。その背後から、さらに無数の触手が生え、獲物を狩る猛獣のように四方から襲いかかる。

 しかし、ユレィシアの動きは迷いがなかった。

 一歩踏み込む。風が裂けた。魔力マナの残滓が空に舞った。

 彼女の刃が滑るように弧を描くたび、触手は紙切れのように散っていった。まるで舞うように、しなやかで鋭い剣技。


「そんなもので、このユレィシアを止められると思って?」


 挑発するように唇を歪める。男は不敵に笑ったが、その目には警戒の色が浮かんでいた。


「ならば、これはどうだ?」


 次の瞬間、地面から巨大な触手が飛び出した。まるで大蛇のように鎌首をもたげ、ユレィシアを包み込もうとする。


「ふん」


 ユレィシアの瞳が鋭く光る。

 彼女は大きく跳躍し、逆光の中で剣を構えた。

 刹那、閃光のごとく剣が疾る。

 音もなく、巨大な触手が真っ二つに裂けた。

 着地と同時に、ユレィシアは静かに剣を納める。背後で遅れて、切断された触手が崩れ落ちた。


「次は本体を斬るわよ?」


 涼しげな声に、不気味な男の表情が僅かに歪んだのをユレィシアは見た。


「この程度じゃ、私を止めることはできないわ」


 彼女の口元には自信の笑みが浮かぶ。次々と襲いかかる漆黒の触手を捌きながら、一歩ずつ敵へと迫る。


 しかし──。

 ふと、剣の感触に違和感を覚えた。


(……重い?)


 それはほんの僅かな変化だった。だが、確実に彼女の剣の動きを鈍らせていた。


「ふふ……気づいたか?」


 男の不気味な声が響く。

 その瞬間、ユレィシアの足元から触手が這い出た。


「……っ!?」


 気づいた時には、既に遅かった。脚に絡みついた触手が締め上げ、自由を奪っていく。


「ちょっと……この……っ!」


 振り払おうと剣を振るう。しかし、今までのように簡単には切れない。

 触手の表面が、まるで金属のように硬質化していたのだ。


「今までの触手と違う……?」


 ユレィシアは眉をひそめる。

 だが、考える暇もなく、さらに太い触手が背後から襲いかかった。


「しまっ——」


 瞬間、強烈な衝撃が背中を打ち抜いた。

 吹き飛ばされる。

 背中から地面に叩きつけられ、ユレィシアは息を呑んだ。


「ぐ……っ!」


 身体に絡みついた触手が、蛇のように締め上げる。全身に広がる冷たい感触。触手はじわじわと腕や足に絡みつき、容赦なく締め付けながら体力を奪っていく。指先にすら力が入らず、剣を振るうどころか立っていることすらできない。肩から力が抜け、膝が崩れそうになった瞬間、さらに太い触手が絡みつき、彼女の腕を頭上へと吊り上げるように拘束した。


「くっ……こんな……っ」


 剣を握る手に力を込める。しかし、指先が震えている。

 魔力マナが、奪われていく。

 まるで命そのものを吸い取られているような感覚。

 焦燥が胸を締め付けた。


(このままだと……!)


 優勢だったはずの戦況が、一瞬で覆された。

 ユレィシアの瞳に、初めて焦りの色が宿っていた。


 振りほどこうとするが、指一本動かすことすらできない。身体が震え、じわりと汗が滲む。しかし、それすらも奪われるような感覚に襲われる。まるで生気を吸われていくかのように、身体が冷たくなり、力が奪われていく。

 喉がひりつくような乾きを感じる。叫ぼうとしても、声がかすれ、喉が上手く震えない。視界の端が歪み、息苦しさが増していく。


 黒い触手はただ絡みつくだけではなかった。

 するりと忍び込むように、制服の隙間から入り込んでくる。

 襟元から、袖口から、裾から──冷たい異質な感触が、じわじわと侵入していく。

 ぞくり、と悪寒が背筋を走った。思わず漏れた吐息にユレィシアは未だかつて感じたことのない不思議な感覚を覚えていた。


「やめろ……! あっ」


 もがこうとするが、すでに腕も足も縛られている。

 触手は執拗に、肌へと這い寄り、締め付けながらじわりじわりと力を奪っていった。

 抵抗の声もか細く、次第に意識が薄れていく──。


 その時、視界の隅で煙幕が弾けた。


「……ロイ……?」


 霞む意識の中、ユレィシアは確かに、冷たい瞳を持つ少年の姿を見た──。


     〇


 ロイはユレィシアを抱え、素早く安全な場所へと移動させた。


「ここなら大丈夫だ。」


 彼女をそっと地面に横たえ、彼は再び戦場へと戻る。

 敵の姿は異形だった。

 黒いローブをまとい、その顔は仮面に覆われている。だが、その隙間から覗く肌は人間のものではなかった。

 漆黒の表皮は粘液に濡れ、脈打つように脈動している。まるで生きた闇が人の形を取ったかのような不気味さがあった。

 ローブの裾からは無数の触手が伸び、蠢いている。その動きはまるで獲物を探す蛇のようで、わずかな気配にも敏感に反応していた。

 空気が重くなる。冷たい悪意が肌を刺す。

 ロイは息を飲み、静かに敵を見据えた。


「鬼ごっこは終わりかぁ?」

「……あぁ」


 黒い影のような存在が、蠢く触手を操りながらこちらを見ている。これは明らかに不利な戦いだった。だが、逃げるつもりはない。

 ロイは腰に手をやり、素早く二振りのジャンビーヤを抜いた。湾曲した刃が月光を反射し、一瞬だけ銀の輝きを放つ。


「これなら……斬れるか」


 触手使いが不気味に笑った。黒い影のような体から無数の触手が溢れ出し、波のように押し寄せる。ロイは迷いなく踏み込んだ。

 最初の触手が襲いかかる──ロイは身体を沈め、低く回転しながら一本目のジャンビーヤで切り裂く。軟体の感触が刃を通じて伝わる。断ち切られた触手が地面に落ち、痙攣しながら消え去った。

 だが、次の瞬間、別の触手が四方から襲いくる。ロイは足を強く蹴り、後方へ跳ぶ。しかし、背後から迫る影に気づくと、すぐさま二本目のジャンビーヤを振り抜いた。刃が弧を描き、迫る触手を断ち切る。


「なかなかやるじゃないか」


 触手使いが囁いた途端、影がより濃くなり、闇の中から無数の触手が噴き出した。まるで狭い空間そのものが敵意を持ったかのように、四方八方から蠢き、ロイを包囲する。


「っ……!」


 ロイは足場を確保するように後退しながら、跳ねるように動く。触手が伸びれば、それを迎え撃つようにジャンビーヤを振るい、刃の軌跡が夜闇に銀の線を描いた。

 しかし、触手の勢いは衰えない。一本、また一本と切り伏せても、次々に増殖するかのように生まれ出る。ロイは息を整え、一瞬だけ目を細めた。


「……なら、一気にいくしかないか」


 彼はジャンビーヤを逆手に持ち替え、地を蹴った。一瞬にして触手の隙間を縫うように突進し、敵の本体へと迫る。迫りくる触手を紙一重でかわしながら、右の刃を振り抜き、左の刃で更なる追撃を加える。

 だが——触手使いの口元が歪む。


「遅い」


 直後、背後から黒い影が飛び出し、ロイの足を絡め取った。バランスを崩した刹那、無数の触手が一斉に襲いかかる。


「──っ!」


 ロイの身体が宙に引き上げられた。締めつけられる感覚が全身を貫き、ジャンビーヤを握る手にまで力が入らなくなる。


「さあ、どうする?」


 触手使いの囁きが耳に響く。ロイは歯を食いしばりながら、僅かに残る力で刃を握り直した。

 まだ、終わっていない──。


「やるしかないか」


 しかし、次の瞬間、漆黒の触手がロイに衝撃を与えた。


「……っ!」


 思わずうめき声とともに、吐瀉した。

 鋭い締め付けが全身を拘束し、身動きが取れなくなる。

 冷たい感触が肌を這い、力が徐々に吸い取られていく。

 ロイの全身を締め付ける触手の圧がさらに強まった。まるで生気そのものを吸い取るかのように、じわじわと力が奪われていく。


「……くそ……っ」


 指先にまで広がる痺れ。腕に込めたはずの力が、するりと指の間から零れ落ちるように抜けていく。

 そして——。

 カラン、と乾いた音が響いた。

 ロイの右手から、一本目のジャンビーヤが落ちた。地面に転がる刃が微かに光を反射し、夜闇に儚い輝きを残す。


「まだ……だ……っ」


 懸命に左手の刃を握りしめるも、今度は肩が痙攣し、指が思うように動かない。

 ——カラン。

 もう一本の刃も、ロイの手から滑り落ちた。


「まずいな……」


 ロイの冷静な目がわずかに揺れる。

 絶体絶命──彼の意識もまた、暗闇に呑まれようとしていた。

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