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ロイズ・レコード  作者: 翌桧 寿叶
第1章 最強の魔術
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第3話 拒絶

「なんなのこの人……」

「ふむ……さて、どうしたものかの?」


 ユレィシアは噂を聞いたことがあった。写本工房〈スミス〉のマリアン。お金には目がなく、お金の臭いを嗅ぎつけると、まるで猫が猫じゃらしを見つけたかのように目を輝かせるという。現に彼女は金貨を手に持ち、布で磨いている。

 しかし実際に彼女に会ってみるとその前評判が若干違うというのが分かる。

 まるで何もかもを見透かしているかのような、けれどどこか遊び心を含んだ声音で、マリアンはゆったりとした仕草で椅子にもたれた。その瞳には、冗談とも本気ともつかぬ揺らめきがあった。


(それよりも……!)


「ちょっと!」

「なんだ」


 ユレィシアは彼女自身の視界から消えようとするロイを引き留めた。


     〇


「違法製造の聖遺物アーティファクトの回収任務、あなたもそれに協力しなさい」

「……」


 ロイは、静かに椅子へ身を預け、片手で本を開いていた。

 ユレィシアは改めてそんな彼をまじまじと見た。


 薄手のシャツの袖は肘まで無造作にまくり上げられ、足を組む姿には余裕が漂う。

 煤けたランプの灯りに照らされた彼の横顔はどこか儚げで、それでいて微動だにしない視線は、ただ黙々とページを追い続けていた。

 外の喧騒とは無縁の静寂の中、紙をめくる音だけが、ひっそりと時を刻んでいる。


「……断る」


 あまりにも即答だった。目線すら動かしていない。視線は本に固定されたままだ。

 ユレィシアの眉がピクリと動く。


「ちょっと、考えるくらいしなさいよ! あなた、違法な聖遺物の流通を知ってたんでしょ? なら、それを止めるために協力するのが筋ってものでしょう!」


 ロイは椅子にもたれ、静かに彼女を見つめる。その冷たい視線に、ユレィシアは妙な苛立ちを覚えた。


「俺には関係ない」

「関係ない……ですって?」


 ユレィシアの拳が震える。


「今もこうして違法な聖遺物アーティファクトが出回っている! それで不幸になっている人がいるの! あなたはなんとも思わないわけ!?」


 ロイは何も言わない。代わりに、彼の肩越しからマリアンの笑い声が聞こえた。


「ほほぅ、喧嘩かの? 若いのう。わしの前でイチャつくとは、のう?」

「い、イチャついてない!!」


 ユレィシアは顔を赤くして叫んだ。


「ロイ、アンタがこんなところでこそこそやってるのは分かったわ。で? 何が目的なのよ。」


 ロイは一瞬だけ黙り込んだ。


「……魔導学を記録する」

「は?」

「俺の目的はそれだけだ。魔術を極めるとか、正義を執行するとか、そんなことには興味がない。そもそも俺は国に仕える奴らが嫌いだ。官僚も貴族も王族も、もちろん公僕である君ら警邏もだ」


 ユレィシアは絶句した。


「……はぁ、何それ? そんなことでこんなところに隠れてるわけ?」

「そうだ」

「……馬鹿みたい」

「……そうか」


 その飄々とした態度に、ユレィシアはついに堪えきれなくなった。


「もういいわ! どうせアンタなんかに期待した私が間違いだった! ……報酬を出すわ。これでどう!」

「……報酬?」


 ロイが静かに眉を上げた。


「この依頼を受けたら、報酬を用意するわ。警邏隊の予算を使ってもいい」

「いや待て今まで無報酬前提で話していたのか?」

「そうよ? 国家に奉仕するんだから当たり前でしょ?」

「バカなのか」


 沈黙が流れた後、マリアンが前のめりになった。


「おおっ! そ、それはなかなか魅力的な話じゃの! いくらか分からぬがロイ、お主も考えてみるのじゃ!」


 ロイはマリアンの興奮をよそに、ユレィシアをじっと見つめた。


「……興味はない。そもそもお宅らの、その人はお金でなんでもしてくれるだろうとか言う腐った考えも、国が決めたことが一番だとかいう腐った正義も嫌いなんだ」

「なっ……!」


 ユレィシアの踵が床を打ち鳴らし、荒々しく踏み込む。

 彼女の碧眼には怒りの炎が燃え、握り締めた拳が微かに震えていた。


「もういいわ! でも諦めないから!」


 声が鋭く空間を裂くや否や、ユレィシアは躊躇なく扉を蹴りつけた。

 重厚な木の扉が鈍い音を立てて開き、勢いに押された蝶番がきしむ。

 外から吹き込む夜風が、彼女の銀の髪を乱暴に揺らした。

 振り返ることなく、ユレィシアはそのまま大通りの喧騒の中へと消えていった。


「ロイ、お前は本当にそれでいいのかの?」


 マリアンがぽつりと呟く。


「いいんだよ」

「ふむ……まあ、好きにするがいいのじゃ。でもの、いつか後悔する日が来るかもしれんぞ?」


 ロイは答えず、ただ本を開き直した。

 だが、静寂の中で、彼の指が微かに震えていることに気づいた者は誰もいなかった——。


     〇


 ユレィシアは諦めなかった。


 翌日から彼女はロイの行動を徹底的に観察し始めた。最初はそれとなく遠くから見張る程度だったが、ロイがどこへ行こうと、彼女の姿は必ずあった。


「……ついてくるな。」

「は? 何のこと?」


 路地裏の古書店の前でロイが立ち止まり、ユレィシアに鋭い視線を向ける。


「何日も俺の後をつけているだろう」

「勘違いしないで。ただ偶然、私もこの辺りに用事があっただけよ」

「……そうか」


 静かにため息をつき、ロイはまた歩き出す。しかし、その後ろにはまたもやユレィシアの気配が漂っていた。


「……しつこい」

「アンタが協力しないからでしょうが!」

「諦めろ」

「こっちのセリフよ!」


 こうして、ロイの静かな日常はユレィシアによってかき乱されていくのだった。


     〇


 そして、ついには王立魔道学府にも現れるようになった。


 学府の図書館は、荘厳な石造りの建物で、天井は高く、無数の書棚が整然と並んでいる。

 古めかしいシャンデリアが柔らかな光を落とし、静寂の中にかすかな羽ペンの走る音とページをめくる音だけが響く。


 書棚には数世紀にわたる魔導学の知識が収められ、書物の背表紙には複雑な紋様が刻まれている。

中央には長机と革張りの椅子が並び、学徒たちが熱心に筆を走らせていた。


 奥に進めば、魔力を帯びた禁書が封印された鉄格子の書庫があり、そこは厳重な結界によって守られている。

 この図書館は、学びを求める者にとっては知識の殿堂であり、同時に未知への扉でもあった。


 ロイが書棚の間を縫うように歩き、書物を手に取っては捲っていく。

 静寂に包まれた図書館、その一角にただページをめくる音だけが響く。


 しかし、不意に──。


「こんなところにいたのね!」


唐突に飛び込んできた声が、静寂を破った。


ロイは本を閉じて振り向く。


「……なぜここにいる?」

「そっちこそ、なんで学府にいるのよ!」


 一瞬の沈黙。


「……ここの生徒だからだ」

「……は?」


 ユレィシアは目を丸くした。


「嘘……アンタ、この学府の生徒だったの?」


 ロイは静かに頷いた。


「今さら気づいたのか? というか気づいていなかったのか?」

「……っ!」


 ユレィシアは悔しそうに唇を噛んだ。尾行していたつもりが、まさか自分たちが同じ学府の生徒だったとは。


「まあ、いいわ。なら、もっと見張りやすくなったってことね!」

「……」


 ロイは再び本を開き、そっぽを向いた。

 影のようにつきまといながら、決して認めようとしないしつこさに、もはや呆れを通り越して感心すら覚えそうだった。

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