第16話 転調
戦場に張り詰めた沈黙が広がる。
ユレィシアとヴィクターは対峙し、次の一撃が戦いの決着をつけることを、互いに理解していた。
ヴィクターが剣を振り上げる。
「これで終わりだ!」
ユレィシアもまた氷剣を握り締め、迎え撃つ。
その瞬間——
突如として、マリアンの魔術が炸裂した。
ヴィクターの足元に仕掛けられていた封印陣が輝き、魔力の鎖が絡みつく。
「……なに?」
ヴィクターの動きが鈍る。
マリアンが地面に倒れたまま、苦しげに笑った。
「まだ……私は詰んでないさ」
ヴィクターはすぐに鎖を断ち切ろうとするが、そのわずかな隙をユレィシアは見逃さなかった。
「——もらった!」
全身の魔力を氷剣に込め、彼女は瞬間的に加速する。
霜が舞い、空間が凍りつく。
ヴィクターの剣が解放されるよりも早く、ユレィシアの刃がその胴を貫いた。
「……ぐっ!」
ヴィクターの目が見開かれる。
氷剣がその身体を貫通し、深い霜が瞬く間に彼の体を蝕んでいく。
ユレィシアは息を切らしながら、剣を押し込んだ。
「……これで、終わりよ……」
ヴィクターはわずかに口元を歪め、静かに息を吐いた。
「……なるほど……見事だ……」
その体がゆっくりと崩れ落ち、凍結した地面へと膝をついた。
倒れゆく視界の中で、ヴィクターはユレィシアの姿を見つめた。
──やはり、お前は「銀翼」に似ている。
あの激情、あの鋭さ、そして、抗う意思。
ユレィシアの姿が、かつての戦場で見た「銀翼」と重なって見えた。
彼は、血の滲む唇をわずかに動かした。
「……なあ、ユレィシア……」
ユレィシアは、未だ警戒を解かぬまま、ヴィクターを見下ろす。
「銀翼は……本当に正しかったのか……?」
その問いに、ユレィシアはわずかに眉を寄せた。
だが、ヴィクターは続けた。
「たとえ……正しいと信じた道が……血に塗れようとも……」
彼の声は次第にかすれながらも、その瞳にはまだ強い意志が宿っていた。
「お前は……お前の正義を……貫け……」
静かな夜風が戦場を吹き抜ける。
ヴィクターの身体が完全に力を失い、ゆっくりと地に伏した。
しかし、その唇が最後に微かに動く。
「……私の勝ちだ」
その呟きが戦場に響く。
ユレィシアの顔に疑問が浮かんだ、その瞬間だった。
ヴィクターの体が淡く輝き、次第に霧散し始める。
「……っ!?」
ユレィシアが驚愕する中、フィオナ・シュヴァルツが静かに歩み寄る。
彼女はゆっくりと手を伸ばし、消えゆくヴィクターに触れる。
「ありがとう、ヴィクター」
その瞬間、ヴィクターの消えゆく魔力がフィオナの体に吸収されるように流れ込んだ。
黒い霧がフィオナを包み込み、彼女の魔力が急激に膨れ上がる。
「な……!?」
ユレィシアはすぐに構え直す。
フィオナの背後から溢れる魔力は、これまでとは桁違いだった。
「これで、もっと生きられるわ」
フィオナの唇が妖艶に歪む。
戦場の空気が、一変した。
黒い霧が渦を巻き、フィオナの身体がわずかに浮かび上がる。その周囲の大気が圧縮され、凄まじい魔力の奔流が放たれた。
「こんな……!?」
ユレィシアは息を飲む。フィオナの全身が光と闇の揺らめきに包まれ、彼女の髪は風に乱されながら舞い上がる。その瞳は赤く燃え上がり、今までとは明らかに異なる圧倒的な気迫を放っていた。
「ヴィクターの力……これが、私のもの」
彼女の足元から黒い触手のような魔力が立ち上り、大地を蝕む。空間が揺らぎ、そこに存在するすべての魔力が支配されるような感覚が戦場を覆った。
「さあ、ユレィシア……続きをしましょうか?」
フィオナが指先を軽く振るう。その瞬間、地面が割れ、無数の黒い魔術の鎖がユレィシアに向かって襲いかかった。
ユレィシアは瞬時に氷剣を振るい、迫りくる魔術の鎖を打ち払う。しかし、切断された鎖はすぐに再生し、さらに激しく絡みつこうとする。
「っ……!」
フィオナの力はまるで底なしだった。ヴィクターの力を取り込んだことで、彼女の魔術はより洗練され、制御の域を超えて純粋な破壊の力と化していた。
「これは……まずいわね」
マリアンが低く呟く。
フィオナはかつてない脅威へと変貌を遂げた。
戦場の均衡は、完全に崩れ去った。