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ロイズ・レコード  作者: 翌桧 寿叶
第1章 最強の魔術
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第10話 崩壊

 瓦礫の舞う戦場で、ユレィシアは息を荒げながら剣を構え直した。


 警邏隊の隊員たちは次々と倒れ、血に染まった大地が冷たい夜気に濡れていく。戦いの火ぶたが切って落とされてからどれほどの時間が経ったのか──彼女には分からなかった。ただ一つ確かなのは、彼女の隊が劣勢に立たされているという事実だった。


「この程度か……自由を放棄した犬どもよ」


 元軍人ヴィクター・シュトラールが嘲るように呟く。彼の腕はすでに血に塗れていたが、その視線にはまだ余裕があった。

  ヴィクターは、戦士然とした風貌を持つ。長身で筋肉質な体つきは、鍛え抜かれた剣士特有のものであり、無駄な贅肉は一切ない。

 彼の顔は厳つく、深い皺が刻まれた額と鋭い鷹のような目が、長年の戦場経験を物語っている。その瞳は暗い琥珀色をしており、戦況を見極める冷静さと、揺るぎない覚悟が宿っていた。

 彼の髪は短く刈り込まれ、白髪が混じる灰色。軍人らしく常に整えられているが、長年の荒事の中で無骨な印象を強めている。

 彼が纏うのは王国軍の将校が着ていた軍服を改造した黒衣。その上から、かつての仲間たちとの誓いの証である銀の鎖帷子を羽織り、両肩には国の紋章が刻まれた肩当てが残されている。しかし、その装いにはどこか風化した気配があり、現在の彼が「過去の亡霊」として生きていることを象徴していた。

 腰には愛用の片手剣を佩き、その柄には擦り減った痕跡が残っている。彼の全身は戦いの歴史そのものであり、まさに戦場に生きた男の証そのものだった。


 そして、彼の傍らに立つ少女──フィオナ・シュヴァルツ。

 フィオナは、見る者を惹きつける不思議な美しさを持つ少女だった。細身で華奢な体つきをしているが、その佇まいにはどこか異質な雰囲気が漂っている。

 彼女の髪は純白で、細い糸のように滑らかに流れている。まるで月光をそのまま糸にしたような光沢を帯び、動くたびにしなやかに揺れる。その長い髪を背に流し、飾り気のない白いリボンで軽く束ねている。

 瞳は血のように深い紅。吸い込まれそうなほど鮮やかでありながら、感情の波を感じさせない無機質な冷たさを宿している。彼女の顔には、穏やかな微笑みが浮かぶことが多いが、その表情がどこか仮面めいているのは、彼女の本質が「生存のために他者を喰らう存在」であることを示していた。

 彼女が身に纏うのは白を基調としたローブ。装飾は最小限で、魔術師の典雅さと機能性を兼ね備えた意匠となっている。その裾には、彼女自身の魔術が刻んだ奇妙な文様が浮かび上がっており、それは彼女の意志に呼応するように淡い光を放つ。

 手首には漆黒の腕輪を嵌めている。魔力マナが蠢き、彼女がただの少女ではないことを静かに告げていた。

 無垢とも冷徹とも取れる瞳でユレィシアを見つめていた。その手には、いつの間にか黒い輝きを帯びた短剣が握られている。


「……まだ戦える?」


 フィオナの声は、静かな湖面のように澄んでいた。

 ユレィシアは血を吐きそうな喉の奥を押さえ込みながら、震える手で剣を握り直した。今の彼女の体には、まともな魔力が残っていない。

 フィオナが生み出した聖遺物アーティファクトによって、彼女の魔術は根こそぎ奪われていたのだ。

 それでも──


「……戦える」


 ユレィシアは歯を食いしばり、最後の力を振り絞った。

 彼女の足元に広がる血溜まりが、ゆっくりと波紋を描く。次の瞬間、フィオナが一歩踏み出した。


「なら、続きを」


 ヴィクターの目が細められる。その視線の奥に、一瞬だけかつての記憶がよぎった。

 ──この戦い方。

 剣の握り方、踏み込み、攻撃の鋭さ、相手の隙を見極める鋭い視線。

 昔の戦場で見たあの女。「銀翼」と呼ばれた英雄。


「……まさか」


 銀翼とは違う。それは分かっている。だが、ユレィシアの戦い方には、どこか彼女を思わせるものがあった。血を振り絞り、死の淵にあってなお燃え上がる闘志──それは、かつての戦友と重なる。

 だが、ヴィクターはすぐに表情を消し去り、目の前の現実に集中する。


 ユレィシアは、もう立つのもやっとの状態だった。

 瞬間、闇がユレィシアを呑み込んだ。

 気づけば彼女の視界は黒く染まり、意識が遠のいていく。


 ──死ぬのか?

 そんな考えが脳裏をよぎった。

 だが、次の瞬間、彼女の中で微かに揺らめくものがあった。

 まだ終われない。まだ、この剣を握る意味を見出していない。


 ──なら、どうする?

 ぼやけた視界の向こう、誰かの姿が見えた。


「……ロイ……?」


 ユレィシアの意識が、ゆっくりと闇に沈んでいく。

 その瞬間──

 何かが、彼女の心の奥底で目覚めようとしていた。

 だが、それが何なのかは、まだ誰にも分からなかった。


     〇


 暗闇の底に沈む感覚。身体は重く、意識は霧のように霞んでいる。

 それでも、ユレィシアの心の奥には微かに揺らめくものがあった。


(……こんなところで……終われない)


 彼女の中で、焦燥と怒り、そして誇りがない交ぜになって燃え上がる。

 朦朧とした意識の中、耳鳴りのような音の中に微かに声が響く。


『まだ終わりじゃないだろう』


 それは遠い記憶。幼い頃に聞いた誰かの声。

 ──誇りを捨てるな。戦え。自らの力を証明しろ。

 その言葉が、心の奥に再び火を灯す。

 ユレィシアの瞳が、青白い光を帯びた。

 魔力の枷が砕け、全身に熱が走る。


「……っ!」


 衝撃と共に、ユレィシアの意識が覚醒した。

 ゆっくりと身体を起こし、剣を強く握る。その瞬間、彼女の魔力が激しく迸った。


「なっ……!」


 ヴィクターが驚愕に目を見開く。

 フィオナもまた、一瞬だけ表情を動かした。

 ユレィシアの周囲に渦巻く魔力は、先ほどまでの彼女のものとは違っていた。

 それは研ぎ澄まされ、迷いのない、純粋な戦意。


「……続き、やりましょうか」


 ユレィシアは静かに剣を構えた。

 かつてないほどの力を覚醒させた彼女は、ここから反撃に転じる。

 ヴィクターはその姿を見て、再び息を呑む。


 ──この戦い方。

 かつての記憶が鮮明によみがえる。戦場で共に戦った女、「銀翼」。

 ユレィシアの剣捌き、立ち回り、戦意を研ぎ澄ます様が、まるであの女を彷彿とさせる。


「……やはり、お前……」


 ヴィクターは低く呟く。かつての戦友と同じ炎を、その瞳に宿した少女を見て、心の奥に抑えていた何かが揺らぎ始めていた。

 そして、剣を構え直しながら、口を開く。


「貴様、銀翼を知っているのか?」


 ユレィシアの表情が一瞬だけ動く。


「……なんでその名前を」

「やはり、何か関係があるんだな。戦い方が似ている。あの女の剣筋を思い出す……だが、それだけじゃない、姿も。それに貴様の目には、あの頃の銀翼と同じ炎が宿っている」


 ヴィクターの声はどこか愉悦に満ちていた。


「面白い。ならば、教えてもらおうか。銀翼は、今どこにいる?」


 ユレィシアはギリと歯を食いしばる。


「知らない……それに、答える義理もない!」


 そう言うが、内心はかき乱されていた。

 銀翼──謎に包まれた存在。だが、今ここでその名を聞くことになるとは思わなかった。

 それでも、彼女は迷いを振り払うように、剣を握り直した。


「……おしゃべりは終わり。戦いましょう」


 その言葉に、ヴィクターは口角を上げる。


「いいだろう。貴様がどこまでやれるか、確かめてやる!」


 再び、激しい戦闘が幕を開けた。

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