第1話 運命との出会い
正統派ファンタジー書きます!
闇がすべてを包み込み、音さえも深い淵へと沈んでいく。空気は研ぎ澄まされ、時間の流れはゆるやかに溶ける。ただ静寂だけが濃密に満ちている。不意に路地裏に流れる冷たい風が、湿った石畳を撫でるように吹き抜けたように感じた。
その冷たい風が流れていく先に、暗がりの中、密かに取引が行われている。
「確かに受け取った。……代金だ」
粗野な男が小袋を投げ渡した。
それを受け取ったのは、黒いローブを纏った男。
「これで、この聖遺物は俺のものだな?」
ローブの男は手元の小さな箱を撫でながら、不気味に笑う。
その場に漂う、異様な雰囲気。
だが、その空気を切り裂くように響く声があった。
「そこまでよ!」
突如、響く高らかな声。驚いた二人の男は振り向いた先の視界に暗闇でも分かる銀の髪が揺れた。
鮮やかな藍色の染色を施した警邏隊の制服に身を包んだ少女だ——ユレィシア・ナッソーだ。
少女はレイピアを腰から抜き、男たちに向けた。
「大人しく聖遺物を渡して投降しなさい!」
「クソッ、厄介なことになったな……! お前ら!」
男たちは驚きつつも、すぐに構えを取る。
ユレィシアは自信満々に微笑んでいた。だが、内心では焦りを感じていた。
(この路地、思ったより狭い……)
「大人しく従うなら、怪我はさせないわよ?」
だが、次の瞬間——
「チッ……やれ!」
ローブの男の号令で、背後から現れた複数の伏兵がユレィシアを囲んだ。
「しまっ——!」
彼女はとっさに後ろへ跳び下がったが、背中に冷たい壁が当たる。
(くっ……逃げ道がない! なんでこんなに狭いのよ!)
ナイフを持った男が迫る。彼女レイピアを構えて鋭い一閃で攻撃を受け流した。しかし──。
「はっ、ちょこまかと……! 遅いぜ!」
矢継ぎ早に男の拳が飛び、男の拳はついにユレィシアの肩を捉えた。
「くっ……!」
肩に衝撃が走り、ユレィシアは思わず呻いた。体勢を崩した彼女に、別の男がすかさず蹴りを放つ。咄嗟に腕で防御するが、痛みが走る。
(まずい……! このままじゃ囲まれて──)
その時──。
「伏せろ」
闇夜に冷静な声が響いた。
刹那、何かが投げ込まれ、爆ぜた。
(煙幕⁉ いやそれよりも! 敵が怯んだ!)
「今!」
ユレィシアは隙を突き、一気に動いた。
「クソ! 公僕はどこだ!」
「ここよ!」
叫ぶ。体の奥深くにある、何かに力を込め、それをレイピアを持つ右手に集中させる。
レイピアが眩く煌めいた。
それは魔道学術──平たく言えば『魔術』──。人が持て得る全知を以てして体系化した、人が人を超えるための技術。
それが今──、敵を薙いだ。
「さぁ観念しなさい!」
残る敵は一人だ。
「お前ら! クソ! これさえあれば!」
「それは──」
男はそれ──、手に入れたばかりの聖遺物を掲げて叫んだ。
「力を寄越せ!」
暫くの静寂が訪れた。
何も起きなかったのだ。
「なぜだ! なぜ何も起こらないんだ!」
「あほね。正しい使い方をしなきゃ使えないに決まってるじゃない!」
さぁ観念しなさい、と。
選択の隙を与えず、ユレィシアはレイピアの振り下ろしを男に叩き込んだ。
「──うっ」
「峰打ちよ。あなたには流通元を吐かせなきゃなんだから」
(それよりも──)
ユレィシアには気がかりなことが一つあった。
もう一人、残っている。煙幕を投げ込みユレィシアを助けた人物だ。
視線を移した先、ユレィシアは未だその人物がレンガ造りの建物の屋根の上に立っていることを確認した。
「……誰よ、アンタ!」
淡々とした佇まい。夜風がその人物が被っていたフードを取り払い、中に隠されていた黒髪を揺らす。僅かな夜の光が顔を照らした。顔からして男だ。
彼は佇み、ユレィシアを見下ろす格好で状況を伺っている。
「敵なの!? それとも味方なの!?」
「ロイ・アランソン」
彼は感情のない声で答えた。名だ。
「何者なの!?」
「偶然通った」
「は? 偶然? そんなわけないでしょ! っていうかその服! 学徒じゃない!?」
ロイは無言で頷いた。
ユレィシアは彼の様子をじっと見つめる。
(なんなの、この落ち着き……まるで何も感じていない、興味がないみたいじゃない)
「なんで助けたの?」
「目的があった」
そう言ったロイは倒れた男が握ったままの聖遺物を指さした。
「待って! あなたもこれを狙ってるの!? これが違法製造された聖遺物だって知って!?」
「あぁ」
「じゃあ敵なの!?」
「……君を助けた。」
言外に、ロイは助けてやったのだから敵ではない、と言っているのだ。
彼の淡々とした言葉に、ユレィシアは苛立ちながらも頬を膨らませた。
「っ……! そ、そんなの、別に助けてもらわなくても……!」
「だがもう興味も失せた」
夜の闇にロイの姿が溶けていく。
「ちょっと!」
彼の態度が、どこか癪に障る。
だが、それと同時に——。
なぜ聖遺物を狙うのか、魔術を少しでも齧った者であれば存在ぐらいは知っている。だが存在そのものは、荒唐無稽でとてもじゃないが人の手に余るものではない。
(この人、何者……?)
ユレィシアの中の疑念が深まる。
夜の静寂がほどけ、東の空に淡い蒼が滲み始める。闇はゆっくりと透け、星々の光もひとつ、またひとつと消えていく。やがて、空の端に金の筆で描いたような光が差し込み、世界は夢から目覚めるように色を取り戻していく。
少女は独り、立っていた。
〇
ともあれ。
この出会いは、彼と彼女のこれからを大きく左右する出来事で──。
いわば運命であると。
だけれども、二人がこの運命の真実を知ることになるのは。
まだもう少し先の話である。