05話 悪鬼の覚醒
「ーーーミクスタ!!」
「ダメだ、少し離れるぞ!!」
(何でよりによって今日がその赫月とかの日なんだよ!ミクって分かりやすい暴走タイプじゃねぇか!!死にたくなければ走れ俺!!)
ブラッドムーンと呼ばれる魔界特有の現象を目の当たりにしたライン達。
そしてその月を見た半魔の娘ミクスタは、見た目の変化もさることながら、普段の大人しく慈愛に満ち溢れた姿とは真逆の存在へと成れ果てた。
なおも呼びかけようとしたラインを静止し、もっと離れようとするレンは、心の中で色々と文句を言いながらもミクスタから離れるも、周りには岩などの遮蔽物はなく相手などからすればこちらは丸見えだ。
「ライン、お前の『能力増強』ってスキルなら地面に穴とか空けられるか?」
「多分、いけるはず…でも今は傷を治してるから僕は今ちょっと無理かも……」
「いや、大丈夫だ。お前の能力はもう模倣済みだから」
そう言うとレンは自身に能力増強を付与し、身体能力を強化した。
その足で地面に小さなクレーターを作り、そこにラインと自身の身を隠して戦いの成り行きを見守る。
(オーガの力……一体どうなっちまうんだ?)
レンは息を呑む。
実際に人の血と臓物が弾け飛んだ。グロゲーで耐性が付いていると思っていたが、実際の血と臓物は、思ったよりも遥かに赤黒く、そして鉄の匂いがする。
ーー異世界生活は、甘く無さそうだ。
レンはそう心でまとめ、動向を見守る。
そこから始まったのは、『虐殺』だった。
▽▲▽▲▽▲▽▲
夜の澄んだ空気を吸い、吐く。
ミクスタは普通の呼吸をし、普通に肺の中の酸素を循環させる。生物としては、至って普通の行動だ。
その行動をしている当人の外見が異常な点を除けば。
彼女は黒紅の目で辺りを見渡し、獲物を確認する。
大柄な男、ラチカ。名前不明の女騎士。こちらも名前不明の美形。そして地にへたり込んで恐怖のあまり失禁している女僧侶、チナ。
ミクスタはチナへの興味を失くし、残りを順に見比べていく。
誰が殺り合って楽しいのか。
誰が肉塊と化すまでの過程が面白いのか。
そして、誰が一番殺しがいがあるか。
完全なる悪鬼になった彼女にとって、必要なのはそれだけ。
殺して楽しい相手。彼女はそれを第一に考え、それを実行する為に今こうして3人を「選別」している。
「おい!魔族めが!!遂に本性を現したな!!貴様らにお似合いの、野蛮で低俗な本性だ!!」
「フッ、所詮は魔族よ。それが限界なのだろう」
「聖騎士として、そしてラチカの名において、この一太刀で貴様を葬り去ってくれる!!」
唐突に女騎士がミクスタに怒鳴る。それに便乗して美形とラチカが暴言を捲し立て、ミクスタを言葉責めする。
ーー虚勢だろうか、それとも気づいてないのか、彼らの饒舌っぷりは止まらない。
しかしこの中でもチナだけは、ミクスタの実力を正しく見抜いていた。
彼女のスキル:『真眼』は、相手の種族やある程度の強さ、相手の考えを読み取ることができる。レンの『能力表示』のほぼ上位互換みたいな能力である。
彼女もこの能力に誇りを持ち、仲間をサポートして来た。
しかし彼女は今回だけは自分の能力を恨んだ。できることならこのまま目玉を抉り出したいぐらいに。
この能力がなければ、彼女は怯えていなかった。
それはそうだ。勝てない相手に殺されるのだから。
「みんな…逃げましょう…勝てません…ヤツには…」
チナがそう弱々しく言うと、ミクスタから彼女を庇うように美形が飛び出し、チナにその全身鋼鉄の鎧で包んだ細身の背中を向ける。
彼は首だけチナの方を向き、こう語る。
「チナちゃん、君はヤツに精神汚染魔法などを受けた可能性が高い。君は休んでいて」
「た、タクスさん……」
「チナちゃん、やろう。みんなでヤツを倒そう」
そう言い、タクスはチナに背中を向けたまま、手を差し出す。そうだ。みんなでなら。みんーー。
ーーーその瞬間、チナが見ていたタクスの鎧で包まれた背中から、突然緑の腕が突き出して来た。
腕が突き出した衝撃でタクスの肉片や内臓、血は等速直線運動の如くの勢いのまま、チナの顔面にへばりつく。
「ーー。ーーー?ふぇ?」
「チッ。ムダニ硬サダケハアル肉壁ガ」
ふと顔をあげると、タクスを貫いた怪物ーーミクスタ・ラーザが不満げな表情で忌々しげに舌打ちをしていた。
彼女はタクスを突き刺したままの腕を持ち上げ、振り上げることにより腕から抜け落ちたタクスの体が宙を舞う。
そして地に落ちてくるとき、ミクスタはタクスの体を蹴り上げ……一撃で粉砕した。
骨が砕け、肉と血管が引きちぎれる音が響き渡り、タクスの体はもはや原型を留めないほどに爆散し、周りに血飛沫の雨を降らせる。
なおも呆然とするチナに対し、ミクスタはその血飛沫の雨を全身に浴び、黒紅の瞳を見開き笑い出した。人の命を線香花火かのように扱い、タクスの死を嘲笑うかのように、卑しく醜く恐ろしく、嗤い出す。
「ーーアア、キレイ。…ヒャアッハハハハ!!」
「ーーあ、う」
聖騎士タクスの命が砕ける音がした。
同じく、僧侶チナの心が砕ける音がした。
「ーーッ!!貴様、よくもタクスを!!」
「待て、レイス!!早まるな!!」
仲間を殺されたことに激昂した女騎士ーーレイスがミクスタに突っ込んでくる。それをラチカが静止するも、冷静さに欠ける彼女の耳には届かなかった。
「死ね!悪しき魔族が!!『神の怒り』!!」
彼女はその剣を全力で振り下ろすも、その剣はミクスタに指で簡単に受け止められ、剣はミクスタの指でつまんだだけで砕けた。
レイスは剣を捨てて離れる。腰からもう一つの剣を取り出し、ラチカの元に戻った。
攻撃が通じない。スキルは先程10回は使用したが、全く効いている気配がない。
対するミクスタは、その拳で地面を殴りつけ、大量の土砂を空中に打ち上げた。そしてーーー。
「イイモンヤルヨ。止メテミロ、下等生物共」
彼女は飛び上がり、岩や土塊を空中で掴み、なんとそれらをラチカとレイス目掛けて投げ飛ばしてきた。これは魔法ではなく、ただの質量による物理攻撃。
つまりレイス達の『魔法防壁』では防げない。
「どうする?!切り札切るか?!」
「無理だ、切れば勝ち目は無くなる。……!そうだ、地属性魔法を使え!そうすれば防御できるはずだ!」
「おう、分かった!ギルガ・グラナ!」
ラチカがそう詠唱すると、地面が盛り上がり、ラチカとレイスを囲うように土のドームが完成する。
そのドームはミクスタが投げつけた岩や土塊からラチカとレイスを守り、死を届ける圧倒的な物量攻撃を逃れることに成功する。
「…………」
「どうだ!!悪しき魔族が!!貴様らが正しき人間と天使様に勝てるわけがないだろう!!」
「いやレイス、今がチャンスだ!切り札切るぞ!!」
ミクスタは空中に飛び上がった後、ゆっくりと落ちて来ている。空中では動ける範囲は少ない。
ーー今なら、ヤツを殺せる。
「レイス!!ヤツの動きを止めろ!!」
「言われなくても!!『停止』!!」
レイスが能力を発動すると、空中のミクスタの動きが止まった。彼女は一瞬だけ動けなくなる。
だが、今はこの一瞬が重要だ。これで、決める。
「いくぞ!!」
「ああ!!」
二人は祈り始め、周りの精霊に魔力を供給してもらう。レイスとラチカは光属性魔法を使おうとしている。
光属性の精霊に多く語りかけて魔力を得、そのまま己の手を握り、神聖なる詠唱を始め出した。
「「『天に申します我らが【神】よ。貴方様の力を借りし罪深き私たちをお許しください。必ずや悪しき魔族を討ち滅ぼし、貴方様の望みを果たして見せます』ーー万物よ尽きよ!!『天罰』!!」」
その瞬間、ミクスタを中心とした光の柱が地面を割って溢れ出し、彼女を呑み込む。
赤い月明かりが差し込む夜に、巨大な光の柱が構成され、凝縮した後弾けた。夜の暗がりを眩しいほどの光が覆い、その場の全員は目を覆う。
次の瞬間、光の柱を中心とした大爆発が発生した。
だが、万物に破滅と裁きを届ける光に呑み込まれるミクスタの顔は、口角を最大限まで上げて笑っていた。
「ミクスターーー」
ラインが叫ぶ。
レンは黙って見守る。
やがて魔法陣が消えていき、光の爆発が収まった後は、抉れた地面以外はもう何も残っていなかった。
▽▲▽▲▽▲▽▲
「…ハァ……ハァ……この最強の切り札の前に消え失せたか…やった、やったぞ!!私たちの勝ちだ!!」
「一回きりの賭けだったが、上手くいったな……」
二人は息をつく。戦いが終わったのだから。
それを見たチナは、絶望に染まった顔をーー更に絶望で染める。
「ふ、二人とも……後ろ」
「「え?」」
二人は後ろを振り向く。
ーーそこには、消し飛んだはずの悪鬼が、悪魔のような顔をして、笑っていた。
その肌は焼け焦げたような痕が残っており、顔に至っては皮が剥がれて目玉などが剥き出しになっていたのだが、それもすぐさま再生し、聖騎士2人はその光景を理解できないまま唖然とする。
自分達の切り札がまるで初めての有効打だったかのように扱われ、再生されたことにより無意味と化す。
そんな2人を嘲笑うかのように、ミクスタは嗤う。
「マダ終ワッテナイダロ?楽シモウゼ?」
「ーーは?ちょ、待ーーーーー」
何かを言おうとしたラチカの頭部が蹴り上げられる。彼の頭がミクスタの剛脚に耐えられるわけもなく、脊髄と骨、そして肉が引きちぎれる音と共に空に舞った。
それをレイスは止めることは出来なかった。その原因は恐怖心だ。最後の切り札、しかも2人分ですら通用しなかった暴の化身の前に、魔力も霊力も使い果たした自分如きが何ができるのか。そういう恐怖心。
首を飛ばされたラチカの首があった付け根から血が噴き出す。その血はレイスの顔にかかり、彼女の体を鎧諸共赤く染める。
ーーそして同じく彼女の心を恐怖心で染める。
「い、いや………」
一方ミクスタは、蹴り飛ばしたラチカの生首でリフティングを始めた。その顔は笑顔であり、側から見れば友達とサッカーをする子供のような微笑ましい光景だ。
そのボールが、人の生首でなければだが。
ミクスタはリフティングを止め、レイスの真正面に頭をシュートした。ラチカの頭は複数回バウンドした後、レイスの目の前に転がってくる。
ーーーその顔は削れに削れ、半分しか原型が残っていない。その顔には極限の驚きと恐怖心が貼り付けられており、まるで今のレイスの顔そのものだった。
「ーーーー。い、いや、いやああああああああああああああああああああああああああああああああ!!」
ーーーレイスの精神は、遂に壊れた。恐怖心に支配された。耐えられなかった。ミクスタの様子が変わったときに、逃げればよかった。後悔が溢れる。だがもう遅い。自分は死ぬ。それは決まったことだ。
しかし私は死にたくない。死にたくない。
嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくないーー
「ごめんなさい!!ごめんなさい!!私が悪かったです!!何でも!!何でもします!!だから命、命だけはお助けください!!」
神天聖教会のメンバーにも関わらず、レイスは魔族に命乞いをする。【神】を信仰しているにも関わらず、彼女は魔族の暴力に屈した。
それほど、彼女の心を、恐怖が支配した。
「ーーーー。」
ミクスタは何も言わない。
ただ無言で、赤黒く光る目でレイスを見下ろす。
…そして、その手を差し出した。
「……え?」
レイスはその手を取った。ーーー取ってしまった。
次の瞬間。
彼女の手は握り潰され、ただの肉塊と化した。
「ーーーえ?あ、うあ?わたし、のて、てーーい、いやあああああああああああああああああ!!!!」
「アッハハハハハハハハハ!!マサカ、許シテ貰エルト思ッタノ?!嘘デショ?!アンタ達ハ私タチ魔族ガ命乞イシテモ平然ト殺シタ癖ニ?!……コンナモノジャ済マスワケナイデショ?死ヌマデ甚振ッテヤルカラ覚悟シテオイテネ?ヒャアッハッハッハッハッ!!」
「やだ!!いゃだああああああああ!!!!ーー」
ーーそこからは、ただの蹂躙だった。
先ずは残っている片手と両足を全て叩き潰し、一瞬でミンチ肉へと変えた。
次に腕と足の第一関節をへし折り、もはや何の動物の足か分からないレベルにまで捻じ曲げた。
次に右肩を捻り、レイスの悲鳴と共に体を投げ、その衝撃でレイスの右腕が肩から骨ごと千切れた。
投げ飛ばされたレイスは抵抗すらできず、タクスやラチカなどを一瞬で屠った、その圧倒的なスピードで真下に移動して来たミクスタに打ち上げられた。
そして空中に打ち上げられたレイスの体は、またしても真上に移動したミクスタによって、鎧ごと肋骨をへし折りながら地面へと蹴り飛ばされる。
そして地面に激突したレイスは、その途切れかけの意識で脳を動かし、自身の身体を見渡す。
…その華奢ながらも力強い肉体はボロボロにされ、ほとんどの部位が原型を留めていない。その豊満な胸も、先程叩き落とされた際に完全に潰れ、今は肉の塊でしかない。体から血という血が抜け、もう頭が働かない。
そう考えていると、視線の先に暴の化身ーーミクスタが降りて来た。彼女はレイスを見ると笑顔になり、レイスの潰れた胸倉を掴んで空中に持ち上げる。
抉れた肉塊だが最悪なことに痛覚はまだ死んでいなかったらしく、レイスは全身を剣で突き刺されているような痛みを胸元に受け、絶叫する。
「ーー何カ言イ残シタ事ハアルカ?」
「…あ、あ?うあー、ああ、いあ……」
もうレイスは何も言えない。あまりの恐怖に幼児退行を起こし、正面の暴の化身の問いには答えられない。
「ーー面白クナイナ、オ前」
ーーミクスタは失望したかのような眼差しを向け、そのままレイスの脳天を砕き、その体液を土に還す。
そしてその亡骸を、先程から魂が抜けたような表情をしているチナの方に投げ捨てた。
チナはもはや生き絶えたかのように動かない。その死んだ目を、かつては共に魔族を葬って来た仲間だった肉塊達に向け、何もできない。
そんなチナにミクスタは興醒めしたかのような眼差しを向け、その小さな首諸共、風前の灯であろう命を刈り取ろうと脚を振りかぶる。
ーーー甲高い金属音。
「何をボーっとしてんだ!逃げろ!!早く!」
「アンタらはムカつくけど、流石にこれ以上はやり過ぎだよミクスタ!充分殺しただろ?!もういいよ!」
チナの前には、ミクスタの仲間であるハズの魔族の少年と魔族の仲間が、手に持っている剣と短刀で防いでいた。
「ーー邪魔スルナァァァァァァァ!!!!」
ミクスタはその剛脚を振り上げ、ラインとレンを叩き殺そうと脚を下ろす。
しかしそれを見たラインとレンは目配せし、お互い『能力増強』を発動しながら即興の技を叫ぶ。
「『全力一閃』!!」
「えーと、もう何でもいいわ!!『四連舞撃』!!」
二人の攻撃は、ミクスタの剛脚を押し切ることに成功した。彼女の認識的には下等生物である人間風情に己の攻撃を防がれたミクスタは、新たな獲物に悪どくニヤけながらミクスタは奥に引いていく。
ターゲットが変わったことにより、もうチナを狙うことは無いだろう。今のうちしか、逃げられない。
「ーー何をしている?!早く逃げろ!!」
「死にたくないなら、急げ!!」
「ーーっは?!は、はい!」
茫然自失状態だったチナは2人の呼びかけで正気を取り戻し、虚勢も張らずに無様に走り去っていく。
だが、それで良い。
彼女の仲間はその下らない虚勢で死んだのだから。
「よし、行ったな。…んじゃ、ミクスタを止めるために手伝ってくれ、レン」
「ああ、元々そのつもりさ。死にたくはないけどな」
「死なないよ。……三人で、生きて帰ろう」
「……ああ、みんなでだ」
そう言い、ラインは剣を構える。レンは少し驚いた顔をした後、即笑顔になり、彼も短剣を二本構える。
「……成ル程、私ト戦ウノカ?」
「ああ、『君』と帰るために」
「ーー?……帰ル?誰ト?」
「アンタじゃない。『君』とだ、ミクスタ」
「ーー何ヲ『……ラインさん!私はここです!!』ーーッ?!誰ダ?!」
「……アンタの『中』の人だよ」
「……違ウ。私ハ『悪鬼』ミクスタ・ラーザだ。『私』は、私ーーー?ワタシは、あ、ワタシ?私ーーワタシ私ワタシわたし私ワタシーー?」
「迷ってるじゃねえか。何が悪鬼だよ。悪の心に染まりきれてないんだよお前は。…なあ、悪鬼さんよ。あんま『ミク』を舐めんなよ?」
ラインが声をかけると、ミクスタは頭を抱えて苦しみ出す。さらにレンが畳み掛けると、彼女のツノの赤黒い色が少し薄くなった感じがした。
しかし彼女は再度空を向き、赤い月を凝視する。
すると彼女は再度咆哮し、理性の無い黒紅の瞳をこちらに向けてくる。その口は笑っており、先程の戻る前兆は何処へとやら、最悪な残虐性を表していた。
「ーー?今のは……おわっ?!」
ラインがその様子に訝しむと、一瞬でライン達の前に距離を詰めて来たミクスタが拳を振り翳してくる。
ラインはそれを間一髪で剣で防ぎ、すぐに距離を離す。すると今度はレンのほうに飛び出し、その拳を振ってくる。しかしレンは動かない。
「アイツの力、借りるかーー『影分身』!!」
ーと、冷静にスキルを詠唱する。
すると、レンの体が10ほどに分身し、ミクスタの周りを囲う。彼女は無差別にレンを攻撃するも、彼女の拳が貫いたのは雲のような状態になったレンであり、周りに残る9人のレンは『悪鬼』を挑発する。
「悪鬼さんこちらーーここまで来やがれ」
「舐メルナ!!下等生物ガアアァァァァァ!!!!」
激昂した悪鬼がレンに向かう。闇雲に周りのレン達を攻撃するも、本物のレンはチョロチョロと動き回っており、たまにフェイントも混ぜて翻弄している。
一見今のレンの発言は悪口にしか聞こえないが、ちゃんと意図がある。
それは『相手の冷静さを奪える』ということ。したがって攻撃も単調なものになり、回避しやすくなるだけでなく、反撃もしやすくなる。
ーーしかしレンの目的は、もう一つある。
それは、『ラインにミクスタの意識を引き摺り出す手段を考える時間が生まれる』ことである。ライン達の目的はあくまで『ミクスタを止める』こと。
レンが時間稼ぎしている間、ラインは考える。
今のところミクスタはレンを押しているが、よく見ると何秒間隔かで月を見ており、その様子が不自然に見える。
彼女は、月を見た後暴走した。その暴走が、月を見ることが条件なら彼女の不自然な動きには合点がいく。
ミクスタを元に戻すには、月を見せないようにする必要があるのではないか?ラインは仮説を立てた。
なら、今一番それが可能なのはーーー。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー。
ーーバカなことしてしまったなあ。
『川之上 恋』はそう思う。
彼はミクスタの攻撃を分身しながら回避する。
しかし体力が減ったレンにミクスタの強烈な打撃が掠り、少しずつかすり傷から目立つ傷になってくる。いくらフィジカルを強化しているとはいえ、耐えられる威力は限られる。まともに食らえば死ぬ。
そもそもライン達とは1日も経ってない付き合いなのだ。人間が襲って来た時点で普通に見捨ててトンズラしても良かった。よかった、はずなのに。
先程、神天聖教会とかいうヤツらが攻めて来た時も、ミクスタが悪鬼となり暴走し始めた時も、自分はその腕にラインを抱えて逃げているのだ。
何故。どうして。召喚前の自分は他人との関わりを拒もうとした人間だ。将来が不安になり、先に進むことを拒もうとした人間だ。そんな人間が今更人助けなど。
ーーいや、理由は分かっている。
自分は、『変わりたい』のだ。今までの自堕落で情けない『川之上 恋』から、どんな形でもいいから恋よりもマシな『レン・カワノカミ』へと変わりたい。1人親だった母に誇れる人間になりたい。
ーーーーーーーーーーーー。
「ーー俺は、変わりたいんだ!!みっともねぇ俺を見離さないでくれた母さんに誇れる人間に!!俺はなりてぇんだよ!!!!」
「ーー?!何をーーー」
「俺は変わりたい!!それはお前もだろ、ミク!!さっきのキャンプのとき、お前が言ってただろ『お父さんとお母さんに会いたい』って!!本音が二つあるのは構わねえ!だけど俺たちが協力できる内容にしよう!みんなで叶えよう!!」
「ーー。レン、さン……」
「レン!!彼女を戻す方法が分かった!!あの月から彼女の目を遮れ!!そうすれば多分元に戻る!!」
「ーー?!なゼそれヲーーー?!」
「ーーたった今ネタバレしてくれたな。図星だろ」
「さセルかーーぐアッ?!」
ミクスタに、剣が飛んでくる。その剣によるダメージはほぼ無いが、急に頭に飛んできたことによる衝撃で彼女の動きが怯んだ。
剣を投げたのは、ラインだ。
「ーー今だ!レン!!ミクスタの頭に!!」
「分かってる!!」
レンは怯んだミクスタに駆け、体当たりで地面に倒す。そのまま彼女の体に馬乗りになり、自身と彼女の真上にある赫月を自身の顔で隠す。
ミクスタは月を見るためにもがく。しかしレンは離さない。顔だけでも動かそうとするも、レンはミクスタの顔を掴み、彼女の顔を自身の顔に向かせる。
「ーーお前の人間を恨む気持ちは本物だろうな。だけどその意識はお前のものじゃない。要は赫月の悪意に呑まれちまっただけだ」
「ーーードけ」
「ーー今回のことは俺たちにも非がある。お前の体質を知っておきながら戦わさせたのだから。俺たちも強くならなきゃな。体も、心も、絆も」
「ーーはナセ」
「……ミクスタ。赫月に呑まれるな。今だけは、俺を見ていろ」
(……いやいや何言ってんの俺ーー?!会って1日の女子に言うことが『俺だけを見てろ』?!キッモ!!気色悪っ!!イケメンにしか許されねえんだよそのセリフは!!これ正気に戻っても気持ち悪がられるじゃねえかバカーー!!俺のバカーー!!)
レンは心の中で絶叫する。
その顔は赫月並に真っ赤になった。
そして悪鬼は。ミクスタはーー
「ーーは、はひ」
レンと同じぐらい緑の肌を真っ赤にし、しどろもどろな返事をした。
彼女の肉体は縮んでいき、ツノの色も白に戻り、鋭く生えた牙も収まり、黒紅の目も紅の瞳に戻っていく。
そして彼女ーーミクスタは体の疲れが限界を迎えたのか、すぐに目を閉じる。ミクスタは静かな寝息を立て始め、それはこの戦いの終焉を意味していた。
「ーーお、終わった……」
気が抜けたレンはその場にへたり込み、一息つく。
その後レンは彼女をお姫様抱っこの体制で持ち、ラインの元に戻る。その顔は傷だらけながらも、どこか垢の抜けた、柔らかい微笑を浮かべていた。
しばらくすると、レンがミクスタを持ち上げて帰って来る。彼はなんとなくスッキリしたような目をしており、その顔は微笑を浮かべている。
しかしミクスタは現実世界では中学生ほどの外見。
それを18歳程の青年が抱える絵面は、まるでーー。
「じ、事案だ……」
「事案じゃねぇよ?!」
何となく事案という言葉が浮かび、意味も分からず口にする。それを聞いたレンが表情を一変させ、ツッコんでくる。
ラインとレンはしばらく笑い合い、周りにあった形の不揃いな屍を地面に埋めて埋葬し、ラインが2人の傷を治した後テントに帰り、死んだように眠る。
次の日の朝は、3人で迎えることができた。
▽▲▽▲▽▲▽▲
ーーー翌日。
テントの入り口から差し込む朝日で、ラインは目を覚ます。
彼は明るくなっていく空を見上げ、背伸びをする。今日も朝を迎えられた。その『当たり前』を仲間全員と迎えられたことが、一番嬉しい。
しかも、今回の戦いは下手したら全滅だった。何故なら、相手は話の通じない連中だからだ。神天聖教会のメンバー5人と暴走したミクスタと戦い、死にかけた日から1日ーー正確にいえば半日も経ってないが。
しかし彼女は望んで暴走したのではない。たまたま素質があって、たまたま昨日が暴走してしまう日で、たまたま夜まで起きざるを得ない状況だっただけだ。
そして彼女が振り払えきれていなかった『本音』も、ラインにとってはよく理解できるものだ。
ーー『人間を1人残らず殺してやりたい』。ラインだって一瞬なら思ったことがある。というよりかは魔族の皆も持ってしまった考えだろう。
平和を唐突に奪われることがどれほど理不尽なものかは、人間族が最も知っているはずなのに。ラインはそう思う。
そしてーーラインの親友だった子なら、確実にこの考えを抱いてしまっているだろう。
そうラインが昔からの友人を懐かしんだ後心配していると、レンとミクスタも目を覚ます。
「ーーぁ、……わ、私…」
ミクスタは自身の手を見つめ、ぶるぶると震える。
するとレンが彼女を抱きしめ、静かに語りだす。
「ミク。ーーいや、ミクスタ」
「ーーはい」
「俺ってさ、小学生のとき、よくイジられてたんだよ。多分当人らには悪意はないんだろうけどさ」
「ーーーえ?」
「いくら俺が止めて、って言っても全然止めなくてさ、一回だけ殴り合いになったことすらあんだよ。まあ今になれば、昔の思い出ってことで終わるけど」
「ち、ちょっと待ってください!……つまり?」
突然の自分語りを始めたレンに困惑を隠せないミクスタだったが、それに間髪入れずにレンは結論を話す。
「要は、誰でも人を恨んだことがあるってことだ」
「誰、でも……?」
「ああ、比較的平和な俺がいた世界でさえ、すっげえしょうもない理由でお互い憎み合って殺し合う種族だぜ?人間って。何で肌が違うだけで差別すんだろうな、皮剥いだら一緒だってのに」
「例えが怖いです。何ですか皮剥いだら一緒って」
レンが例え話をするも、その例えが物騒だったので、ミクスタはついツッコんでしまう。
彼女の本調子が戻って来た。もう少しだ。
「……まあ、あれだ。俺たち人間同士でさえ憎み合って殺し合うわけだし、から故郷を焼かれた挙句それが遠回しに両親を殺した要因になろうもんなら、俺だって人間コロス、になってたと思う。お前だけじゃなくて、みんなそう思うはずだ。みんなじゃなくても、少なくとも俺とラインはそうなるだろうな」
「ーー。で、でも、だとしても私はあなた達を」
「心の底にあった憎しみが突然刺激されて人をぶん殴りたくなることなんて、俺にもあるぞ?」
「ーーー。わ、私は、恐ろしい怪物ですよ?実際にあなた達を殺しかけているんですから」
「確かに殺されかけたけど、特に大きな怪我も無かったし、あの神天聖教会とかいう奴らから守ってくれたのもお前だろ?ミクスタ」
「ーー。でも、私じゃなければあなた達が巻き込まれることは無かった。私だったから、皆傷ついてーー」
「確かに、他の人ならもっと上手くできたかも知れないな。みんなが生き残って、みんなが満足できるようにできたかも知れない。ーーでも、居たのはお前だったろ?ミクスタ。死にかけたけど、お陰で助かった。ありがとう!」
「ーーーぁ」
レンがミクスタに感謝すると、ミクスタは小さな声を漏らす。彼女の固くなった表情が緩み、目元が潤んでくる。
「ーー私は、仲間を巻き込もうとしました」
「俺だってあるさ、そんなもん。誰だってある。行き場のない怒りはどうしようもないよな」
「ーー私は、人をこの手で殺しました」
「あれはアイツらが急に襲ったのが悪いだろ。こっちはそもそも寝ようとしてただけなんだし」
「ーー。こんな、仲間を巻き込もうとしたクズのわたしを、あなた達は受け入れてくれるの……?」
ミクスタは涙を堪えながら言う。その目には自己嫌悪と悲しみが篭っており、今にも溢れ出しそうだ。しかもすでに嗚咽が漏れ、今にも涙腺は決壊しそうだ。
すると、今まで微笑を浮かべていたレンが黙った。
「ーーミクスタ」
「はい」
「ホゥアチョォォッパィ!!」
「っ?!」
レンはミクスタを呼んだかと思うと、謎の奇声を上げながら彼女のおでこに空手チョップした。
彼女は急な行動に目を白くし、瞬きを繰り返す。
しかしいくら瞬きをしても、その手を痛そうにさする目の前の青年が、自身にチョップしたということしか分からなかった。
「ーーミクスタ、お前は馬鹿だ。大馬鹿野郎ーーいや、女子だから大馬鹿女子だ」
「え?ちょっと何言ってるか分からない点は抜いて……はい。私は馬鹿です。ラインさんだけでなく、レンさんも巻き込ませたんです…」
「全くだよ。その馬鹿は仲間を巻き込みそうになって、聞き分けのない人間をボコボコにして、俺に武器くれて、俺よりも体力あって、俺より運動神経良くて、誰よりも優しくて、何より可愛いーーー」
「ーーうぇ?!いや、ち、ちょっと待って下さい!途中から褒め言葉が混じっているようなーー」
レンの馬鹿への言葉に、ミクスタの顔は昨日のように真っ赤になり、それをレンに確認する。
「褒めてんだよ。もっと自分に自身を持とうぜ?」
彼は褒めていることを否定しない。何で、なんで?私は、この屑は仲間を巻き込んだ屑ーー」
「ーーそのマイナスシンキングを止めようぜ?」
「ーーー?!私の考えが読めるのですか?!」
「いや読めねえ。あの僧侶がその能力持ってたんだろうけど、俺はアイツの能力だけは模倣出来なかったからな」
「ーーーーーー」
「でも、考えは分かる。お前自己評価低すぎないか?
まあそう言う俺も、あまり自己評価高くないんだけど。そんな俺だから言える。俺とお前には言える。もっと自分をマイナスじゃなくてプラスに見ようよ」
「ーー?プラスに…?」
「ああ。今回のことなら、『ミクスタが敵を全部倒してくれた』『敵がいなくなったお陰でこうして3人で朝を迎えられた』とかってさ。少しでも前向きになれば、気持ちも少しは楽になるんじゃないかなー、って俺は思うんだ」
「ーー少しでも、前向きに、ですか」
「そうだ。『今日死ぬかも知れない』じゃなくて、『明日もこの朝日を拝みたい』とかさ。解釈を変えるだけでも結構楽しいもんだよ、物事って」
「ーーはい、分かりました。そうしてみます」
ミクスタの表情が和らぐ。その紅の瞳は少し明るみを取り戻し、その華奢な身体の震えも少し収まっている。
「あ、あともう一つだけあるわ」
「ーー?何ですか?」
「自分のことを『クズ』とか言うのを止めろ。もし言ったらなーー俺が駄々こきながら泣き喚くぞ?」
「な、泣き喚いてですか?」
「ああ、それはもう壮大に泣いてやる。手足を放り出して地べたに寝転がって泣いてやろうじゃねえか!」
レンが何故か胸を張りながら恥を晒すことを堂々と告白している。その顔は真っ赤に染まり、明らかに発言通りにはできないことが一目で分かる。
もしやってもレンは恥ずかしさで爆散するだろう。
「絶対無理じゃん。仮にしてもその場に置いてくね」
「ひっど!!ちょ、昨日した固い握手は?!」
「これが所謂『追放成り上がり系マンガ』?」
「違えよ?!俺は追放されたくないからな?!しかもそれ成り上がりじゃなくて恥晒しじゃん!!」
「ーーぷっ、フフッ」
ラインがレンから教わった『マンガ』に絡めた冗談を言うと、彼がツッコんで来る。
そのやりとりをすると、ミクスタが小さく噴き出し、そのまま3人で笑い出す。しょうもない内容。だが、冗談を言える環境なのは、微笑ましいことだ。
「ーー分かりました。レンさんが泣き叫ばない為にも、私は自分に自信を持とうと思います!」
「何か違う感じがするけど…まあいいか!とにかく前向きになりゃあ、何でもばっちこいだ!」
ミクスタが決意し、レンが彼女の意思を肯定する。 立ち直ったようだ。これでまた3人で冒険できる。
「んじゃ、テント等を片付けよう。出発する準備だ」
ラインがそう言い、荷物をまとめる。残り2人も頷き、周りのものを整理し始めた。
彼らの次の目標こそ、『濃霧の森』。《黒百合》と呼ばれる戦士に会いにいく為に荷物をまとめる必要があるのだ。
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ライン・シクサル 16歳 男性 魔族
主能力…????
スキル…治癒者、能力増強
技…『消失者』
ミクスタ・ラーザ 14歳 女性 混血魔族
主能力…鍛治職人
特異体質…『悪鬼解放』
スキル…障壁貫通
レン・カワノカミ 18歳 男性 異世界人
主能力…模倣
スキル…能力表示(表示されるもの…種族)
コピーしたスキル ・治癒者
・能力増強
・障壁貫通
・対象威圧
・停止
・影分身
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