27話 ノア=ルクサス
大平国家ルクサスと、魔王の一人息子ライン・シクサルとその一行との間に突如組まれた、共同戦線。
世界に数百年悪名を轟かせていた『三大魔王獣』の一角《疫災》の『死龍』は、第13代魔王デリエブが知性を与えた後に行われた魔王獣に対しての協議の末、およそ100年の封印が取り決められた。
しかし突如封印から目覚めた『死龍』にはもはや知性が失われており、かの化け物は今この時にもルクサスへと向けて進撃している。そこには思考は無く、ただ憎しみと殺意の怪物となり、より人間が蔓延る大国ルクサスへと向けて侵攻しているのだ。
そこでたまたま同タイミングでルクサスへと来訪していた、魔王デリエブの息子であるライン・シクサルとその一行累計5人と共同戦線を組み、死龍討伐へと向けた大戦への準備を着実に進めていた。
ーーーのだが、その過程が一日の密度じゃない。
1.挨拶回り
2.ライン達のいつメン5人が分散(ラインは荷物積み、ミクスタは新武器作成、サクラは大荷物運搬、ゲイルは作戦会議、レンはスキル習得を含めた挨拶回り)
3.荷物積みしている最中、ゲイルから「新武器に魔石をふんだんに使うので、袋ごと下さい」というミクスタからの伝言を預かり、腰の袋ごと渡した。
4.急遽方針転換し、国民にも死龍襲来を伝達。暴動が起きかけるギリギリだったが何とかその場を落ち着かせ、死龍討伐に失敗した場合伝達が行くようになった。
5.食糧の積みすぎにより貯蓄していた食料が減り、いつもより質素(ルクサス比)な食事となった。兵士の分は確保できたが大臣の分がごっそり減らされ、ギルリヌを始めとしたバカが大騒ぎしたがリダにより沈静化。
これらのことをたった一日で経験すれば、ラインの精神力とSAN値はゴリゴリ削られる。一歩間違えれば暴動になりかねない、細い糸を渡る綱渡りを何とか成功させたラインの精神は、もう倒れる寸前だった。
「………どぉゔっはぁぁぁぁぁぁ……疲れた……」
そんなオッサンみたいな声を出しながら、ラインはベッドに大の字で背中から横たわる。
この部屋はリダが手配してくれたルクサス王宮の一室である。他の皆にも部屋が割り当てられており、レンとミクスタは同室、ゲイルとサクラも同室だった。
客人用の部屋だからというのもあるだろうが、1人用だがとても広い。なんとと言うべきかやはりと言うべきか、ここにある大半のものはゲイルの教え子が開発したものらしく、特にラインが関心したこの部屋の光魔石を使ったランプは、なんと付け消しが可能な代物なのである。
現世界だと普通かもしれないが、異世界だとすごいことだ。いかんせん機械を使わずに再現しているのだから、ゲイルの元教え子達がどれだけ凄いのか、そして彼らを真っ直ぐ教育したゲイルがどれだけバケモノかを実感するには十分すぎた。
ーーそれにしてもあと1日。間に合うのか?
(《そんなこと言ってる暇あるなら早く寝なさいよ。明日もあるんでしょう?それなら今日はもう寝て、明日の作業に備えた方がいいと私は思うけどね》)
ーーと、久しぶりの声が聞こえて来た。
サテラの声を聞くのは半日ぶりだ。彼女はラインの作業中は邪魔をしないためかずっと黙っており、そのおかげでラインは作業に集中することができた。
……サテラとリバイアが頻繁にラインの脳内で苛烈なレスバをしてたことだけは気になったが。
確かにそうだな。よし、寝るとしよう。
………………ん?何か忘れてるような…?
「……あっ。そういえばサテラ。別にリバイアでもいいけど、君たちって悪魔だし、もう肉体が無いから肉代が無いとダメなわけじゃん?そのヨリシロとして選ばれる条件って何かあったりするの?」
ふと、自分の中に宿る悪魔2人のことが気になり、サテラまたはリバイアにそのことを聞いてみる。
サテラとリバイアは静かに熟考し始めた。このようなことを聞いてくる宿主はいなかったのだろうか。
そういえばサテラにあだ名を付けた際、「名前をつけることをする受肉体なんて初めて」という趣旨の話をしていた気がする。そんなに皆がドライだったのかと勝手に思っていると、ラインある一つの仮説に辿り着いた。
ーー非常にご都合展開で、都合の良い内容の。
「……もしかして、コレって最強に覚醒する為の序章だったりする!?いやぁ、ついに僕にも覚醒する時期が来たか!長かったよほんt」
(《いや、それはない》)
(《いや、それだけはないです》)
「ーーー」
(《あとこれ悩んでた訳じゃないんだけど、本当のことを言っておくわ。……これ、人の血を引く者なら全員が対象なのよ》)
「ーー」
(《それに純血の人じゃなければダメという制限もありませんし、本当に少しだけだろうと人の血を引いていれば、確率は下がりますが受肉体となることは可能です》)
「ー」
(《まあ要するに、『悪魔受肉の条件に関しては』、アンタは別に特別でも何でもないということになるのよ。残念だったわねライン》)
「」
………………泣いていい?
どうやら悪魔受肉のハードルはとても低いらしく、人の血を持つ者なら誰でもなれるとのこと。故にゴブリンと人の混血魔族であるミクスタや、異世界人であるサクラやレンも可能ということ。
なんて言うんだろう。僕じゃなくてもできることが世の中に多すぎて嫌になってくる。
聞いたことを後悔する重苦しい気持ちを持ちながら魔石ランプを消灯し、質の良いベッドに寝転がって寝ようとしたが、ネガティブな気持ちを持ちながら寝ることは難しく中々寝付けなかった。
するとサテラが小さく脳内に話しかけてきて、それを受けたのでとりあえずランプを点けて起き上がる。
(《ライン、さっきは特別じゃないって言ったけど、もしかしたらアンタは少し特殊なのかもしれないわ》)
(ーーマジ?本当に?)
(《大マジよ。私の経験を今思い返したのだけど、悪魔受肉をしてきた人間達って大体が儀式だか何だかを行って私の魂を呼び寄せていたのよ。だけどアンタは何もしていないのに受肉したじゃない?》)
(ーーあ)
(《それに、本来悪魔は魔力量が多すぎて並の人間だったら絶対に2体以上は受肉させられないのよ。それこそ魔人や魔族か天使の混血となれば別だけども…》)
(……ん?魔人or天使か魔族との混血?)
サテラの話を興味ありげに聞いていると、サテラが言うには本来悪魔受肉にはその悪魔の魂を呼び寄せ、ヨリシロとなる肉体へとぶち込むらしい。しかもその悪魔は魔力量の関係で、人しか受肉できないのにも関わらず人だと2体以上は受肉させられないとのこと。
……だがこの僕ことラインは、魔族であるにも関わらず悪魔のヨリシロとなっており、しかも一つの肉体に2体もの悪魔を保有している。これだと先程のサテラの発言と全く合わないのだが、果たしてどうなのだろうか?
…いや、確かリバイアが『混血でも人の血が混ざっていれば可能性はある』と言っていた気がする。魔人だというのはそもそも人じゃないラインには当てはまらないので除外するとして、もしかしてラインもミクスタと同様に混血魔族だったのなら辻褄は合う。
「ーーえ?つまり、もしかして父さん……人と交わっていたということ?僕の母さんは、人間だった?」
(《……まあ、そういうことになるわね》)
「……ちなみに、純人間が2体以上受肉させたら?」
(《血と臓物を撒き散らしてド派手に爆散するわ》)
「ーーデリエブ父さん、ありがとう」
あくまで仮説の域を出ないので真偽は不明なものの、この推察が合っていると仮定すれば、ミクスタだけでなく僕までもが混血魔族の生き残りだったのだ。
何故デリエブや四天王の皆が隠していたのかは不明だが、とりあえず悪魔受肉の件も含めて、ラインが人間の母と魔族であり父であるデリエブとの間に生まれた混血魔族であることは、ほぼ確定的だ。
ーーーでも。
「まあいっか。それで命が助かってるのなら」
(《……意外ね。感情の活性化だけで私達を受肉させたアンタのことだからもっとショック受けるものだと思ってたわ。そんなにつまらなかった?》)
「いや、そんなことは無いし超びっくりしたよ?だけどどんな理由があっても命あれば儲け物だと思うんだ。綺麗事だったりカッコつけてるように聞こえるかもしれないけどこれだけは本心から言える。……1人になってもこんなふうに話せる話し相手ができたしね」
そんなふうに話をまとめ、脳内で照れ臭そうにするサテラを半ば無視しながら魔石ランプを消そうとしたその時、ラインの部屋の扉がノックされた。
誰だろうと思いつつ、どうぞと入室を許可すると、その人物は小さい禿頭の老人ーーリーヴだった。
「……こんな夜更けにすまんな。リダ様がお前さんと話をしたいらしくての。儂が案内する間、少しジジイの散歩に付き合ってくれるかのう?」
とのこと。特段断る理由も無いので着いていこう。ラインが着替えようとすると、「寝間着のままで良いそうじゃ」とのことだったので、服装は寝間着に靴で行くことになった。
▽▲▽▲▽▲▽▲
夜ということもあり、王宮内はとても静かだ。たまに魔石ランプの点いた部屋から話し声が聞こえてきたりすることはあっても、それ以外は街の歓声ぐらいしか聞こえて来ない。夜ということもあり、廊下に設置されてある魔石ランプは低純度のものが使用されているらしく、淡い光を放っている。
そんな薄暗い廊下をジジイと一緒に歩くライン。ロマンチックのカケラも無いこの状況、どこか虚しい。
「ーー死龍、か」
「………………?」
と、リーヴがいきなり虚空へと呟き、それが耳に入ったラインは多少戸惑いながらも少し聞いてみる。
「あの悪龍は、400年前から既に存在していた。当時からもうそりゃあ至る所で暴れ回って、他の魔王獣の中でも最も人的被害を出しておったのじゃよ」
「400年……そんな前から死龍って居たんだ」
「うむ。しかも今よりも更に強く、な。幸いと言うべきか、今のヤツは封印から目覚め立て故、大幅に弱体化しておるじゃろうて。……出来ればこの手で、完全体の悪龍の魂諸共滅ぼしてやりたいと思っておるがの」
淡々と語るリーヴの声色はその口調とは違い、静かながらも明らかな憎悪と激憤が篭っていた。
だが彼と死龍が関わりがあるようには見えない。かつて戦ったのでは、と推察したが、特に外傷も無い。確かに400年の時が経てば傷は無くなるかもだが、そうなると昼間の「戦ったことがない」発言が矛盾する。
そんな疑念をラインが抱いていると、リーヴはこちらの様子を伺ってきた。それに断りを入れておいた後に続きを促し、するとリーヴも了承して語り続ける。
「……ワシと死龍の関係について知りたい、という瞳の色をしておったぞ、お前さん」
「やっぱりバレてた?観察眼凄いよこの爺さん……」
「伊達に400年生きておらんわい。……ワシと死龍の関係性か。ハッキリと言えば、直接は無い。ーー要は、間接的に関わりがあるということじゃ」
そこで深呼吸し一幕置いて、リーヴは再度続けた。
「お前さん、ジュンという勇者を知っておるかの?」
ラインはリーヴに、そう言われた。ジュンーー今まで会った人の中には絶対にいないはず。だが、どこかで聞いたことのある名前だったのは覚えている。
確かゲイル加入前だったはず。サクラが加入した辺りで聞いた覚えが朧げながらあるのだが……。
……あ。確かーー、
「サクラの話に出てきた、《第11代勇者》のこと?」
「……ご名答。かつての勇者ジュン・マツオカとワシ、そしてサクラは彼奴と同じパーティで数年過ごしておったんじゃ。その勇者ーージュン関連で、死龍と関わりがあってな」
彼はそこで、口を閉じる。その顔には憎悪と怒り、そして何より悔しさが滲んでいた。しかしそれらの悪感情を振り切り、ラインに続きを話す為に口を開く。
「ーージュンはな、己の寿命が残り僅かだと知った途端に魔界の森を飛び出し、世界各地の助けが要る者達を助けて回ったんじゃ。その道中で、かの悪龍ーー死龍討伐の依頼を偶々寄った大国から承ったらしい」
「ーーーーーー」
「……ここまで話せば何となく察しておるだろうが、結果は惨敗。己に触れた攻撃が無効化されるという能力を持っていたジュンでさえ、骨も残らなかったらしくての。最期の瞬間まで、1人でも逃がそうと盾と剣を持って戦ったらしい。……アイツらしい最期だな」
「ーーーーーー」
「俺がやっとその情報を掴んだ時には、何もかもが手遅れだったよ。瓦礫の街と化したかつての大国の中心部の広場に、歴代勇者が持ち続けた剣だけが刺さっていた。一つの錆も無く、な。明日見せてやろう」
リーヴはどこか懐かしそうに、しかし何かの鬱屈とした負の感情を抱えながら、歩みを進める。
死龍が11代勇者の仇なのは知らなかった。このことはサクラは知っているのだろうか。彼女は11代勇者を文字通り愛していた節がある。それ故に、事実を知っておいた方がいいのではないかと思ったのだ。
ーーリーヴとラインの二者から少し離れた場所で、その張本人であるイケメン老婆が盗み聞きしていることには全く気づかずに。
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「……着いたぞい。ここがリダ様の御部屋だ」
しばらく歩いていると、リーヴがとある扉の前で立ち止まり、それによりラインも扉の前で立ち止まる。
比較対象が質素な魔王城なので比較にならないかもだが、この王宮はラインからしたら十分豪華な城だ。憧れはしないが、《賢王》が住むとなれば十分理解できる。
しかしその反面、思ったよりも金をかけてなさそうな城なのである。無駄な装飾が少なく、必要最低限のものしか設置されていない。なのに一部の扉だけは、どれも3メートルを超えるドデカいものなのだ。
まああの王冠を通すとなればそれはそうか…
するとリーヴがおもむろに後ろを振り返り、そのロマンスグレー顔をニヤリとしながらあからさまに話す。
「入るぞい。心と体の準備は良いかの?ライ……」
バキッ。
ーーーーバキッ?
「……ライン君に何してんだよクソジジイ」
リーヴの発言の途中、骨が砕け肉が潰れるような不快な音が、夜の城内の廊下に響き渡る。
その音にラインが疑問を抱いていると、リーヴはラインの後ろに目を向けてその笑みを浮かべた表情を曇らせ、何か後ろめたいことがあったような顔をし始めた。
ーーーと、低く冷酷な声が空間に響く。
「クソジジイ」という二人称から、明らかに自分にあてられた声ではないことは分かるのだが、それでも圧倒的な殺気と冷酷さに背筋が凍りつくような思いをしている。まるで首元に刃先を当てられているかのような、不快感が。
反射的に後ろを振り返ると、そこには黒と茶が入り混じったような髪色をした日本人風の高身長イケメンが立っていた。髪色も相まってその姿は闇と同化しており、喋っていなかったら分からなかった可能性すらある。
「ーーやあライン君。こんな悪い大人達に誑かされて夜更かししてたらダメだよ?背も大きくならないしね」
……それは案の定、サクラだった。
彼女はラインに飄々とした雰囲気で和やかに話しかけてきた。だがその右拳からは真っ赤な血が滴っており、恐らく手を握り潰したことが原因だろうとラインは推察する。
するとその間にリーヴが割って入り、それを受けたサクラは黙ってリーヴを無視しようとするもリーヴの懸命な妨害に痺れを切らして、そのにこやかな表情を先程の殺気によく似合う冷酷なものへと変える。
「ーー聞いていたのか。全て」
「……偶々だけどな。お前がこの国に留まってた理由にはなってないが、ジュンが戻って来なくなった理由は分かったよ。……ジュン。君はまた無茶をーーッ」
その直後、再度肉や骨が潰れるような音が響き、サクラの拳から白い骨が突き出している。これ以上やると元通りにはならなさそうだが、彼女は己の歯を割る程に歯軋りもしており、その音がラインの鼓膜に響く。
「……ワシへ向けた憎悪、ジュンへと向けた疑心。己へと向けた怒りに苛まれているのか。ーーサクラ。訓練場に来い、睡眠前の運動といくぞよ」
「そのまま永眠して貰って構わないぞ?幸い私は父の墓を立てたから手慣れてるし、最低限の墓は立ててやる」
目の前で一方的に火花を散らすサクラとそれの集中砲火を受けるリーヴはそんな物騒なやり取りをしながら2人は去っていき、ラインはただ1人取り残された。
呆然と立ち尽くしていると、扉の向こう側から年頃の幼女声で「爺?居るのか?」と聞こえてきた。どうやらリダはリーヴのことを待っていたらしいが、残念ながらここにはラインしかいない。
幼女の部屋に入るのは気が引けるが、入らないわけにもいかないだろうと思い、扉を三度ノックし、向こうからの返事を待つ。
「……爺ではない、か。…まぁ良い。入れ」
するとこちらがリーヴではないことを察したらしいリダが声のトーンを低くし、今日の午前中の会議時のような厳格な声で入室を許可してくれた。それを受けてラインは扉のドアノブを握って回し、戸を開ける。
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その部屋は、ラインの貸し出された部屋に比べると一回りほど大きく、その思ったよりも質素な壁には様々な男の人の絵画が飾られている。
広々とした部屋にはベッドとミニテーブル、書斎机に魔石ランプなどのような、ラインが割り当てられた部屋と大差ないものしか置かれていなかった。1人の王の部屋としては質素で、謙虚で、かつどこか寂しさを孕む何とも言えない部屋。
ーーそこに、寝間着を着た幼女がいた。
「貴様か、ライン・シクサル。爺は恐らく《黒百合》に目をつけられたのだろう?奴はリーヴを目にしてから殺気立っていたからな」
昼には縦にロールさせていたその白金赤色の髪を解かして長髪をなびかせる様子は、昼とはまた違った雰囲気を醸し出している。また、就寝前に呼び出したのであろうか寝間着であり、アホみたいに縦長の王冠は被っていない。
彼女はリーヴの所在を問うもすぐに自己解決し、黒百合ことサクラに目をつけられたということまでドンピシャで当てた。
リダは予め用意してあったのだろうミニテーブルと3人用の椅子がある場所までラインを手招きしてきたので、その場所まで移動する。
そしてリダはテーブルの上の林檎ジュースをグラスに注ぎ、それをラインに手渡して着席した。
ラインもそれに応じ、断りを入れてから着席する。
「……こんな夜更けにすまんな。我としては、やはり黒百合やらゴブリンの娘ーー恐らく悪鬼のツノを有する個体だろうが、そんな曲者を束ねる貴様の本音やら何やらを知りたくてな」
「ーー?本音って、昼に全部言ったよ?」
「違う」
そう言ってリダはミニテーブルからその幼い身を乗り出し、ラインの額に指を差し、その赤眼で真っ直ぐ見つめてくる。
ーーその瞳には、疑念と不安を覗かせながら。
その姿は昼頃に見た《賢王》としての姿ではなく、1人の人間である『リダ・サーヴィア』としての姿なのだと思い知らされる。
「ーー貴様自身にも知り得ない本音を、我は知りたいのだ。無論貴様にこれを言ってどうなる訳でもないのも承知だが、我はその隠された本音が末恐ろしい」
「……リダさん?」
「我は臆病だ。幾度もの死を超えても人を信じれず、限られた忠臣しか身の側に置けぬ愚か者なのだ。何度も裏切られ、惨殺され、屈辱と己への不甲斐なさにその身を焼き続けた老害なのだよ、我はな」
そんな、どこまでも自嘲気味なリダを見ながら、ラインは此度の死龍襲来の原因を特定し始める。
死龍の封印を管理していたのは、エバム家。しかしその当主は人魔大戦で死亡。だが確か子息がいたような気がする。つまり犯人はその子息か、子息を殺して封印を解いた第三者。
「リダさん。死龍襲来の原因、僕分かったかも」
「………何、誠か?」
その言葉に頷くと、リダは少しの迷いをその赤瞳に浮かべながら、何やら決意したように口を開く。
ーーー瞳に宿る迷いを、決意で相殺しながら。
「……貴様を信じる前に、我を信じて貰って良いか?」
「……うん」
「我がルクサス初代王《愚王》『ノア=ルクサス』からリダ・サーヴィアに渡るまで全ての王の正体だったと言おうとも、貴様は信じられるか?」
「………え?」
「そうなるのが普通だ。リーヴですら理解に丸一日を要した内容をこうもあっさりと暴露されようものなら、いくら貴様でも理解することはさぞ難しかろう」
驚くラインを尻目にリダは椅子から立ち上がり、書斎机の引き出しを開け、中にあるかなり古びた肖像画らしきものを持ってきた。ラインが目を白黒させていると、リダはそんなラインの頬をひと叩きし、その肖像画をラインの眼前にまで近づけて見せびらかす。
その肖像画には、顔色の悪そうな1人のおじさんが描かれており、正直とてもリダには似ても似つかない。
だが唯一の共通点としては、その瞳が赤いこと。
そしてーーー、
「……要は、肖像画の男と目の前の幼女は同一人物だということ、そして壁にある肖像画の歴代王全てとも同一人物だということじゃ」
※ ※ ※
ーーー転生者。
前世の記憶を持ちながらも生前とはまた別の生命体として生まれ変わる事例。『この世界』では『転生病』と呼ばれる病名があるぐらいには知られている。
だが一般的な常識ではこれはあくまで病気による過度な妄想だと言われており、表では殆ど信じられていないのだ。
そしてリダやラインも、その1人。
しかしラインのような不確定なものとは違い、リダのものは他の者とはまた違う転生の仕方である。
ノア=ルクサスとして死ぬ直前に、彼は国民を救えなかった罪悪感ともう一度やり直したいという我儘から、禁術である『輪廻の儀』を秘密裏に研究し解明。そしてそれを自身に施した数秒後、寿命で亡くなった。
ラインや他の転生病患者のように、『現世界』から『異世界』に魂が転生するのではなく、『輪廻の儀』により魂自体は『異世界』に留まり、新たな生命体として生まれ変わる特異個体。
それが、リダ・サーヴィアーー否、《愚王》『ノア=ルクサス』をはじめとしたルクサス歴代王の正体・真相なのである。
※ ※ ※
「………クソッ!!またしても失敗した!」
豪奢な部屋に響き渡る、怒鳴り声と机を叩く音。
その部屋には様々な高級品が並べられており、グラス一つ取っても家を建てられるぐらいろ価値を秘めている、いかにも富豪が住んでいそうな部屋だ。
その中心にある書斎机に肘をついてその太い足を貧乏ゆすりするのは、太った男である。彼はその指全てに大きな宝石がついた指輪をしており、あまりもの成金感を隠せていない。
そんな彼が、これほどまでに苛立つ理由。
その原因は、その机に置かれた映像水晶に映し出されている光景が、全てを物語っていた。
『ーーリダさん。僕はあなたを信じるよ』
『何?貴様、この短時間で理解を?』
『いや、そうじゃないんだ』
『ーー?』
『だって僕もーー』
と、そこで太った男ーーギルリヌは苛立ちに耐え切れず、目の前に不快な光景しか映し出さない映像水晶を己の拳ーーというよりはその指輪で叩き割った。
途中魔族の小僧が何らかを言いかけていたが、どちらにしろギルリヌにとって不快な内容には変わりないだろうし、そもそもそんな魔族のガキの話を聞いてやる義理などないのだ。
こちらは文字通り新たな主かな心を捧げたことにより命がかかっているのだ、舐めないでもらいたい。
「クソッ!!どいつもこいつも俺の思い通りに働かないグズ共めが!!何故この俺があのようなメスガキに首を絞めあげられた挙句邪険に扱われなければいけないのだ!?舐めやがって……!!舐めやがって!!」
ギルリヌの怒りは尚も治らず、血だらけの手を拭おうともせずに手当たり次第に物に八つ当たりし、それによりガラスやら金やら宝石やらが辺りに飛び散る。
息を荒げながらギルリヌは怨嗟のような愚痴を垂れ流しながら、しかし膝から崩れ落ちる。そして彼は怒りと恐怖が入り混じった痙攣を起こし始め、ガタガタと震える。
「………死ぬ…死ぬ…『あの方』に、殺される…」
『………誰に、殺されるのですか?ギルリヌ様?』
はっとするギルリヌが懐から先程とはまた別の、紫色の映像水晶を取り出すと、そこには25歳前後の年齢と見られる青年が映っていた。しかし背景は暗く、青年の全身を視認することは映像の乱れもあり難しい。
だがギルリヌからしたら、その映像水晶に映し出される顔の輪郭と声だけで、相手が誰かを判別できる。
「………!!シ、シャーーー」
『周りを確認もせずに私の名前を呼ぼうとしないで貰えますか?私からお願いさせて頂いたことを達成できたかのみを聞きに来たのですが、どうですかね?』
「……も、申し訳ありません!!ライン・シクサルを追い返すこととリダ・サーヴィアを精神崩壊させるご命令でしたが失敗しました…。しかしご安心をーー」
『……思い上がるなよ、下等生物の人間風情が』
みっともない言い訳を繰り返していたギルリヌだったが、通信相手の魔族はその声色に苛立ちを一切隠しておらず、その声色が変わった瞬間、ギルリヌの心臓部に想像を絶するような激痛が駆け巡る。
ギルリヌは絶叫を上げながらのたうち回るが、涙やら涎やらでぐしゃぐしゃになった顔のまま紫の水晶に齧り付くように見入り、涙目で懇願し始めた。
「もう一度だけ、もう一度だけ私めにチャンスをお与え下さい!!次こそは必ずあのガキ2人を貴方様のご希望通りに屠ってみせます!!」
ギルリヌが心から願うと、魔族は少し考えた後に声色を心地よいものへと変え、優しくギルリヌに命令する。しかしこの優しさは薄氷の上に取り繕われた偽物のものであり、それを重々理解しているギルリヌは魂の底から震え上がる気持ちを味わうことになった。
『…では、なんらかの物に細工をしたりするなどのルクサスが確実に滅ぶような行動を行いなさい。その成果次第では、此度取り下げた死龍襲撃前に貴方を避難させる話を、もう一度考えてみても良いのですが…』
「ほ、本当ですか!?感謝致します!!」
『クフフ。はい、勿論ですよ。しかし今度こそは、私の思う通りの働きをその身を以て成し遂げて頂かなくてはいけません。……呑んで、頂けますよね?』
「はい!!是非ともこのギルリヌにお任せを!!」
そうギルリヌが言い切ると、通信相手の魔族は満足げに頷き、そこで通信は途切れることとなった。
ギルリヌは安心感と焦燥感に板挟みになり、そのストレスで吐瀉物を吐き出した。絶え絶えの息を整えるギルリヌだが、その表情は先程よりも明るく、そしてより一層残虐なものへと変貌していた。
「……見ていて下さいシャイス様。あのガキ2人を死滅させ、必ず貴方様のご希望に応えて見せましょう!」
ギルリヌは嗤う。どこまでも嗤う。
ーーー卑劣は、ルクサスにも侵食していた。