エピローグ2 陰謀渦巻く魔界
ーー第4回人魔大戦によって魔王デリエブが討たれ、彼の死後2週間が経過した。それは、新たな魔王が選ばれる前に行う代表者達により会議、『魔王候補者会議』まで2週間を切ったことを意味する。
候補者達はそれぞれの思惑を持ち、会議に臨む。
自分が魔界を、魔族を、他種族をどうしたいか。それに善悪は関係ない。それだけが、彼らの参加する意思なのだから。
ーーある1人の裏切り者を除いては。
〜 ※ ※ ※ 〜
ーー魔界 四大禁地 『フレア溶岩地帯』。
現在は管理者が1人もおらず、かつてこの土地に巣食っていた元『四大魔王獣』『不死炎鳥』と相打ちとなる形で滅んだリアス家の、隠し子と名乗る『フェルノ=リアス』がその代わりとしてこの地を管理している。
そんなフェルノは今日も、のんびりとマグマが煮えたぎる灼熱の岩場地帯の真ん中で寝転がっていた。相変わらず彼の顔より下側の半身は酷く焼け爛れており、見るも無惨な姿を、そのほぼ半裸に近い服を着ることによって惜しげもなく晒している。
そんなフェルノの元に、極寒の冷気と雷、そして圧倒的な魔力と共に、白髪青瞳の少女が白銀の氷翼を生やして飛来した。彼女はマグマだらけのフレア溶岩地帯を瞬く間に凍らせていき、あっという間にマグマ地帯は氷山が広がった。
その少女はフェルノの前に降り立ち、寝こけるフェルノの顎を、その美しい氷の靴で蹴り上げた。いきなりの攻撃に「んがっ!?」と間抜けな声を出してフェルノは起き上がり、自分を蹴り飛ばした張本人である白髪青瞳の少女を見下ろす。
「ーーなんで私を見下ろすんですか。先程みたいに呑気な姿で寝転がって下さいよ。普段は見下してくる高身長な奴を上から見下ろすのはとても気持ちがいいので」
「……サラッとすげぇ最低な発言してることに気づいてないのか?あと出会い頭に人を蹴り飛ばすな乱暴者め」
そんな軽口を叩き合いながら、フェルノと白髪青瞳の少女ーー『ヴェルザード・アグルア』は話し出した。
この一日の間に起きたことや、昨日の夜空に映る星の数や色、最近の人間達の動きなどの情報を交換し合っている……というのは御名目であり、実際にはヴェルザードはフェルノの体と濃密な触れ方をしている。
この光景はいつものことであり、ごく稀にフェルノ側からヴェルザードのほうへと向かう場合もある。
だが第4回人魔大戦の影響で魔族貴族のうちアグルア家はヴェルザードと母以外の後継者が戦死したことで壊滅の危機に瀕し、第13代魔王デリエブの家系であるシクサル家は崩壊したと伝えられている。
直属配下の《四天王》も全員が死亡したと、新たにエバム家当主となった『シャイス・エバム』から伝えられ、これにより現状無事だったのはテンペスタ家とそもそも1人しかいないリアス家のみとなった。エバム家は前当主が人魔大戦で死に、今はその息子であるシャイスがその座を受け継いでいる。
そんな殺伐とした魔界でヴェルザードが家族以外で唯一心を許せる相手との戯れの時間。真面目な彼女からすれば、普段のストレスの反動が出てしまうのだ。
だが今回だけは、その時間は早く終わる。
「……ヴェルザード。今すぐ帰れ」
「……?何故ですか?せっかく来たのにーー」
「魔力を探ってみろ。ここは俺達以外は居ねえ筈だ。本来はな。……俺達以外に、微弱だけんど反応あんだよ」
「………!?」
「テンペスタ家の当主が暗殺された話、聞いただろ?アグルア家はより攻めやすい。アグルア家最強のお前が去ったタイミングで襲うなら今、ってこと。お前の母さんーーサジルーアさんが危ない、ってことだな」
「……分かりました。この時間の埋め合わせは、絶対にしっかりとって貰いますからね?せめて二倍です」
「おー、怖。はいはい、行きな行きな」
フェルノは虚空に向けるように、向こう側の氷の壁に目を向けながらヴェルザードに言う。それをヴェルザードは不思議そうに首を傾げるも、フェルノの黒瞳を見た瞬間に顔色が変わる。
彼女はフェルノの懐から飛び上がった後、背中に先程と同じような白銀の氷翼を生やし、暗雲渦巻く空へと消えていった。彼女が去ったことにより、張り巡らされていた氷が溶け、マグマ地帯へと戻っていく。
「ーー出てこいよ」
そう、先程から見つめていたフェルノは呟く。
「……すみません。ヴェルザード様とのお時間は宜しかったのでしょうか?お二人同時にお話させていただいても良かったのですが……」
すると、岩陰から黒い影が現れた。
いや、影といっても物の影ではない。人影だ。
それ姿は、銀髪赤瞳の美人だった。外見年齢からすると大体20歳前後だろうか。その身を漆黒のメイド服に包み、隻眼なのか左目には黒の眼帯、頭には黒のビオラの髪飾りがつけてある。
彼女はかなり細身なその身体をマグマの無い地面に着地し膝をつく。少しずつ爛れる己の肌は一切気にせず、己の黒いビオラの花を模した髪飾りが特徴的な長い銀髪を下げ、フェルノへと話しかけた。
「ーーー申し遅れました。私はエバム家現当主であるシャイス・エバム様に仕えさせて頂いている、《黒色菫》こと『ヴェイン・ゾーラ』と申します。どうか先程の不敬をお許し下さい。此度はシャイス様が貴方様との協力をさせて頂きたいと申し出ております故、どうかご検討頂けませーー」
「帰れ」
間髪入れずに、フェルノは促す。
「………」
「再警告、帰れ。次は無い」
「了解致しました。失礼します」
軽く、しかし恐ろしい重圧が籠った声。
その声で確かに『威圧』されたゾーラは、しかしながら顔色一つ変えずに丁寧に会釈し、影の中へと消えていった。恐ろしく早い交渉決裂だったが、これにはちゃんとした理由がある。
それは、フェルノの体から灼熱の魔力が解放されていたからである。ヴェルザードによって自身が暗殺されそうになった際ですら飄々としていた彼が、敵意剥き出しでゾーラを追い返した理由。
ーー相手に、ほんの微量の殺気があったから。
並みの魔族は全く気付かず、最強クラスであるヴェルザードですらその感じられなかった殺気を、フェルノは感じ取っていた。
だが、普通は不可能のこと。それは彼の特権とは関係ない。彼が千年間蓄えた直感による判断。
「ーーヴェルのママさん、無事かねぇ」
そう言ってフェルノは、ヴェルザードが去ったのにも関わらず暗雲が立ち込める黒い空を見上げながら、白髪青瞳の少女を純粋に気遣う声を出していた。
〜 ※ ※ ※ 〜
ーーー魔界 四大禁地 『フロスト氷焉地帯』
故、『フロス・アグルア』の元領土であるこの土地には、その吹き荒れる吹雪と雷雲に相応な氷城が出来上がっていた。元は石造りの城であったのだが、この吹雪により表面が凍りついている状況である。
「ーーとのことで、ぜひ貴女様方の助力も頂けると我々としても大変有り難いのですが、どうでしょうか?ヴェルザード様の御母様、サジルーア・アグルア様」
そんな女声が、冷え切った広い空間に響く。
声的には、少女の声だ。
4人の影。
3人は皆が揃った黒い従女服ーーいわゆるメイド服を着ている。1人は茶がかった猫耳と尾が生えた女、別の1人は緑肌の子鬼族の血を引く女。そして残る最後の金髪黄瞳の少女は見た目は人間だが、その頭には漆黒のダリアの花飾りが付いている。
対して3人と顔合わせになる女は白髪黒瞳の女。露出が多めの服を着ているが、その反面スタイルは細身で貧乳と、服装に釣り合っていない。しかしそのお淑やかな雰囲気から圧倒的『バブみ』を生み出し、グラマラスな女性とはまた別の魅力を放っている。
その空間には魔石で作られたシャンデリアが眩い光を放ち、4人が向かい合う長机や壁を照らしていた。
そのテーブルには女性ーー『サジルーア』と呼ばれた白髪黒瞳の女性と、黒メイドが3人の合計4人が向かい合って座っており、それに合わせるようにテーブルにはティーカップが置かれている。
先程声を発した黒ダリアの髪飾りを付けたメイドはティーカップに口を付け、味の薄い茶を流し込む。
「……なるほど。つまり貴女達は私達アグルア家の協力が欲しいから、今日はこうしてわざわざこんな寒い場所にまで来てくれたのね。すごーくご苦労様」
ーーと、そんな美貌に似合わない間抜けな声が空間に響き、先程と同じくティーカップの中の茶を啜る音が冷えた部屋に木霊する。
その声は同じ空間にいる黒メイド服を着た3人の緊張感を奪い、冷えた空間は柔らかい雰囲気に溢れる。
だが気を抜いてはいけない。目の前にいるのは、絶対的な強者だから。それらは彼女達にも分かっているはずだ。一見は脳天気なお気楽ママさんだが、彼女達の主たるシャイスからの情報が油断を許さない。
「ーーそれで、ヴェルザード様はまだいらっしゃらないの?『魔王候補者会議』に向けて、ヴェルザード様と直接お話しさせて頂きたいのだけど」
「ごめんなさいねぇ。ヴェルちゃんは今、フェルノくんのところに行ってるはずなのよ。今日あなた達がこっちに来るとは思っていなかったから、いつも通りフェルノくんのところに送り出しちゃったの」
黒メイド服の女性のうち、猫耳猫尾が生えている1人が口調を少しキツくしながらサジルーアに問うも、サジルーアは相変わらず間の抜けた声で返してくる。そんな緊張感の無い声に嫌気がさしたのか、猫耳メイドは溢れ出る苛立ちを隠しきれなくなっている。
彼女達の主人であるシャイス・エバムはその傲慢不遜な性格を表には隠した上で部下に向けており、そのせいでまともな扱いを受けていないので、日頃のストレスを解消し切れていないのだ。
「ーーなら、今すぐ呼びなさいよ。私たちの気が変わらないうちに。それに、いい加減その間抜けな声で喋るのはやめてもらえる?不愉快この上ないんだけど」
そんな言葉を吐きながら、黒メイドの1人ーー茶がかった色の猫耳と猫の尾を持つメイドがサジルーアの断りなく立ち上がった。明らかに交渉しに来た態度ではなく、彼女は高圧的な態度を隠そうとしていない。
これではほとんど交渉が決裂したようなものであり、黒メイドのうちゴブリンの同僚は大慌てで猫耳メイドを取り押さえようとしている。
しかし猫耳メイドの苛立ちは治まらない。彼女は同僚を振り払い、その胸元のポケットから鋭利なナイフを取り出した。そしてサジルーアの方に刃先を向け、唾を飛ばしながらその眼光で睨みつける。
「いい加減にしろよババア。とっととヴェルザード・アグルアを出せって言ってんのが分かんねえのかよ」
「ちょっと!やめなよ!ーーすいません!シャイス様は貴女様たちアグルア家と手を結びたがっております!だからこの不敬をどうかお許しをーー」
「うっさい!離せ!!」
「きゃぁっ!?」
猫耳メイドの怒りは治らない。
そのまま感情に任せてゴブリンメイドを斬りつけて突き飛ばした後、サジルーアの懐に一瞬で入り、その細い喉元に刃先を少し押し付ける。それを受けたサジルーアは、意外にもそこまで驚いていない。
そんな態度が、猫耳メイドの苛立ちを増長する。
それが自分の憎んでいるシャイスの思考と全く同じだということには気づかず、彼女は憤り、暴れ出した。
『ーーー禁忌の感情』
ーーーそう、猫耳メイドの女の頭に声が響く。
それが、彼女が聞く、最期の言葉となった。
その声が響いた瞬間、猫耳メイドの女の心臓部に強い圧迫感と激痛が走り、その苦しみに顔を歪めるが、その顔に反して、特に音を上げることなく静かに息絶えたからだ。
その光景を理解した者は、ただ1人しかいない。しかしそれは、猫耳メイドを殺した張本人であるシャイスではなく、この空間で1人、だ。
「……あーあ。だからあれだけシャイス様が警告していたのに。やはり大した忠誠心の無い、ただの淫乱で浅ましいメス猫だったんですますね」
そんな変わった話し方をする声が、再度響く。
その声の聞こえた方向を向くと、その女はティーカップに口をつける、黒いダリアの花飾りが特徴的な少女しかいなかった。とどのつまりーーー、
黒いダリアを模した花飾りを付けた金髪黄瞳の少女メイドは立ち上がる、
倒れ伏す猫耳メイドの死骸を彼女の同僚だったゴブリンのメイドに「端に寄せておけです」とだけ言い、サジルーアの方へと歩み寄る。そして彼女の前に来ると、その金髪の頭を深く垂れて謝罪した。
「ーーサジルーア・アグルア様。此度は我々の指導の不届きにより、貴女様に大変なご迷惑をおかけした事を、心からお詫び申し上げます。我々の不遜な態度により貴女様の寛大な御心を無碍にしてしまったこと、そして腹を割って話し合うこの機会に、私めの能力を隠していたことも、並びにお詫び申し上げます」
そんな長くも丁寧な態度と振る舞い方で、ダリアの黒メイドは謝罪する。もはやこれ以上の謝罪は存在し得ないと言っても過言では無いほどの振る舞い方、まさに人間国宝と呼ぶに相応しかった。
金髪黄瞳の低身長な女性で、幼さが残りながらも妖艶な顔つきをした彼女のその頭には、黒いダリアの花の髪飾りがある。
「大丈夫ですよ。頭を上げて下さいな、セータさん」
「とんでもない。ご迷惑をお掛けした以上、私めが身勝手に頭を上げてしまってはいけないのです。……これがシャイス様によるご指導が故、どうかご理解のほどよろしくお願いします」
サジルーアが相手ーー『セータ』と名乗った黒ダリアの髪飾りを着けたメイドの謝罪を受け入れて許すも、セータは一切退かずに頭を下げ続ける。
困ったわねぇ、とサジルーアが悩んでいるとーー、
「お母様!大丈夫!?」
部屋のドアがぶち破られる勢いで開けられ、外から白髪青瞳の少女が乱入してきた。黒ダリアのメイドは下げていた頭を上げて再度少女に対して一礼し、丁寧な口調で話し始めた。
「ヴェルザード・アグルア様。私はシャイス・エバム様のご命令により遣わされました、《三蹂死》の《黒麗花》、『セータ・チルトナ』と申します。以後、お見知り置きを」
「ーーリアスから聞きました。エバム家のところからの使者なんでしょう?エバム家は確かエデルニ家と匹敵するほどにまで人間と魔族の交流に否定的な家系だったと思っていましたが、……事実ですか?」
「はい。シャイス様は人間との交流に対して否定的な意見を持っておられます。かの魔王デリエブの愚かな考えにより人間との交流を強要された貴女達のお気持ちは、重々ご察ししております。人の分際で貴女様達の前に姿を晒す、私めの愚行をお許しください」
「ーー分かってる。…帰って。返答はまたするから」
……ヴェルザードの選択は、『保留』だった。
その選択を受けたセータは、ニヤリと小さく嗤う。
「ーーはい。良き返事をお待ちしておりますです」
セータはそう言ってゴブリンメイドに声をかけ、一度ヴェルザードとサジルーアの方を向いて深々とお辞儀をした後、足元から湧き出てきた影に呑まれて消える。
ーー姿が消える瞬間、セータの幼い顔が意地悪く歪んでいたのを、ヴェルザードははっきりと視認した。
ヴェルザードの表情は芳しくなく、その顔を見たサジルーアは心配そうに、愛する旦那と息子娘達が唯一遺していった愛娘ヴェルザードを気遣っている。
しかし今のヴェルザードには、サジルーアに安心させる言葉をかけ返すことができない。あのフェルノが顔色を変えるようなことが、今、起きているからだ。
「……一体、魔界で何が起きてるの?」
ヴェルザードは、今もなお全く止む気配の無い吹雪と雷が吹き荒れる外の光景を窓から見ながら、静かに呟く。その目は、父フロスと兄姉達が戦死した報告を受けた際と同じ憂いを孕みながら、静かに揺れていた。
〜 ※ ※ ※ 〜
「ーー幸い、アタシも人間をとても憎んでるのよね。正直言って、目の前のあなたを今すぐ、拷問なんて生温いぐらいの地獄に堕としてやりたいぐらいよ」
「やったら……」
「勘違いしないでよね。アタシはただ父さんを殺した人間を見つけ出して地獄すら生温く感じれるように血祭りに上げたいだけ。正直、魔王なんてどうでもいい」
「やけど、貴女は人を憎んどる。そら拭えへん事実やないでっか?」
「ーーーそれは」
「魔王候補者同士で互いに潰し合ぉたら、人間からしたらええカモですわ。人間のウチが言うのもなんやけど、協力した方がええと言わして貰いまっけどね」
ヴェルザードがフロスト氷焉地帯に戻った同時刻。
同じ『四大禁地』の一つ、『ハリケスト暴風荒野』では、この地を管理するテンペスタ家へと協力を持ちかける為にシャイス・エバムの配下が来訪し、話し合いをしている真っ只中であった。
現当主だったエル・テンペスタが何者かに暗殺されたことにより、人魔大戦の影響が小さかったテンペスタ家もその影響を受け、急遽今回の候補者会議には、エルの娘であるアースバルが参加することとなった。
エルが死んだことによって過激思考に歪んだアースバルの元を訪れたのが、シャイスの右腕ーー懐刀でもある、『三蹂死』が1人、《黒蜀葵》こと『シルア・デムド』である。
シルアは茶髪青瞳の若女であり、その頭には黒いタチアオイの髪飾りをしている。また、彼女は『化言』と呼ばれる話し方ーー所謂関西弁を話しており、その独特の言い回しにアースバルは鼻白む。
対するアースバルの見た目は父エルの生前から大幅に変化しており、まず頬が痩せこけ、目の下には酷い隈が色濃く残っている。父譲りの緑の長髪はボサボサになっており、その姿は彼女がここ最近まともな食事と睡眠すら取れていないことを示していた。
この話し合いの場に共に在席している従者ーー特にエルと付き合いが長かった猪人の老婆『エンラ』は非常に心配そうに、隣に座るアースバルの痩せこけた横顔を見つめている。
しかし今のアースバルにとって、父の仇を討った後など考えていないしどうでもいい。父の仇である人間を殲滅し、逆族共を八つ裂きにする。それだけが、彼女が生きる価値のない己の命を絶たない理由だから。
「ーーほな、シャイス様との協力をしてくれる、ちゅうことでよろしいんでっか?」
「協力じゃない。偶々人に対する憎しみがあって、それに任せて行動しようとするだけ。……人間風情が」
話をまとめ上げようとしたシルアの態度が気に食わなかったのか、アースバルは元々良くなかった機嫌を更に悪くし、憎悪と激憤の感情を一切隠さない。そしてシルア達に対し、膨大な魔力を浴びせ、シルアに付き添っていた彼女の同僚達は意識を奪われる。
それを受けながらもシルアは耐え、その辛苦の表情を心からの笑いで歪めて、アースバルの顔を見つめ返す。
「……なはは。人が嫌いなだけじゃなく人であるってだけでウチの発言も許してくれへんのか?一応、シャイス様の懐刀やで?それでも、やっぱ難しいんか?」
「……二度も言わせるな。人間風情が」
シルアは人間の許容量を遥かに超えた魔力の覇気をぶつけられたことにより息を荒くしその顔には汗を浮かべるも、それほどの強さを持つアースバルの協力を得れば、自分達の主であるシャイスの魔王当選は確実だということを確信する。
しかしシルアが人間である限り、アースバルは頑なに首を縦には振らないだろう。それを考慮した上で、シルアはアースバルが騙される可能性が高い言い方で取り入れることを決意する。
その言い方とはーーー、
「ーーほな、こうしまひょか。魔王候補者会議で貴女らとシャイス様が協力を結んだ後、貴女の父を殺した人間の身柄をウチらが探すわ。自慢やないやけど、我らが暗殺女部隊は情報や隠密に特化した組織でもあるし、きっとお役に立てると思わしてもらいまっけど」
エルを殺した張本人である、同僚《黒色菫》の命を、アースバルを釣るダシとして使うという仲間意識のカケラもない卑劣なものだった。
だがアースバルはシルアとゾーラの関係性を知らないし、そもそもエルを殺したのがゾーラだということすら知らないのだ。
「……分かった。パパの仇が討てるなら、アタシは何でもしてあげる。魔王の座も要らないし、エバムが人間を滅ぼしてくれるというのなら協力してあげる」
だからアースバルは、それを受け入れた。いきなりの意見の変化に、アースバルの従者達は混乱する。
それを受けたシルアは「そうですか。それは良かったです」と言いながら微笑み、自分も退出する為に影ができている場所にまで移動する。
そして何かを思い出したかのように言い、アースバルへとそのことを言う。彼女にとって最悪のことを。
「あ、そうや。さっきの話やけど、実はもう素性割れてんねん。シャイス様曰く、黒髪黒瞳の女らしいで」
「ーー!?黒髪、黒瞳……?」
「せや。アンタも聞いたこと無いか?かつて魔王を殺した魔族の天敵の人間のこと。……魔王デリエブが勧誘行っても、断られたという話や」
「ーーーまさか」
「ーー《黒百合》。人嫌いの魔族殺しという矛盾だらけの噂やから信憑性皆無かも知れんけど、残念ながら事実や。ソイツが誰かさんに誑かされてアンタのパパさん殺したんかもな。知らんけど」
「ーーークロ、ゆり」
「あ、あともう一個噂やけど、その黒百合誑かした奴の情報やと、どうやら死体を持ってくらしいわ。アンタ、エル様の死体火葬やら何やらで処理したんか?」
「何言ってるの!?そんなのできる訳……まさか」
「ーー早う見てきた方がええんやないか?」
その瞬間、アースバルは部屋から退出する。
その後ろを追いかけるように周りの従者達も飛び出していき、部屋にはシルアただ1人のみが残された。
「…ま、ほとんど嘘なんやけど。単純で助かったわ」
そう、シルアは嘲笑う。
そして彼女は、去っていったアースバルの絶望する顔を思い浮かべてほくそ笑み、影の中へ消えていった。
▽▲▽▲▽▲▽▲
「ーーーーー」
エルの死体を埋めたはずの小さな土山。
ーーー無くなっていた。エルの死体が。何者かに掘り起こされた跡だけが、土山に残されていた。
アースバルは膝から崩れ落ち、周りが彼女に駆け寄ろうとした瞬間、彼女は喉が裂ける勢いで絶叫した。
「黒百合ぃ!血桜!サクラ・オカザキぃ!人間風情が!!殺す殺す殺す殺す殺す!殺してやるぅ!!」
ーーこの日、魔王デリエブが死んでから3週間以内で観測されているハリケスト暴風荒野に吹き荒れた大規模な嵐と大地震が、史上初の一日に二度観測されることとなった。
〜 ※ ※ ※ 〜
ーーー『四大禁地』エネミ毒沼地帯の、封印の祭壇と通称されている場所。
ここには三大魔王獣が一体、『死龍』が封印されており、彼は永い眠りについている。
それを解放せんとする《掌刻者》シャイス・エバムとその配下である多種多様な種族のメイド達。普段は自ら出向くことのないシャイスが、わざわざこの場に出向いていた。
三大魔王獣は元々四体おり、四大魔王獣という名前であった。しかしフェニックスはリアス家共々相討ちになったとされ、現在はその隠し子を名乗るフェルノ=リアスが台頭している。
《火災》『不死炎鳥』
《疫災》『死龍』
《雪害》『終末氷蛇』
《地害》『破砕土竜』
そしてフェニックス以外の知性を得た三体の魔王獣達は、デリエブと対話し、今までの罪を帳消しにする為にも100年間封印されることが取り決められた。
そんな魔王獣が一体、死龍がいるこの場でシャイスがすることはただ一つ。だがその為にはまだ準備が足りない。あとは彼の忠臣が集えば始まるのだが……。
「「「大変お待たせ致しました、シャイス様」」」
その時、丁度彼の忠臣3人が同時に、シャイスの近くにあった石板の影から飛び出てきた。その姿は皆が皆黒のメイド服に身を包み、それぞれの頭には黒い花を模した髪飾りがよく目立つ。
金髪黄瞳の少女メイド、《黒麗花》ことセータ。
銀髪赤瞳の隻眼メイド、《黒色菫》ことゾーラ。
茶髪青瞳の方言メイド、《黒蜀葵》ことシルア。
シャイスの忠臣である《三蹂死》の3人が、シャイスから命じられた魔王候補者との協力申請を終えて戻ってきたのである。その内容はまだ聞けないのだが、シャイスは今はそれを気にしない。
「ーーー仕上げますよ、みなさん」
「はい」
「了解致しました」
「勿論や」
そう言って、4人は祭壇へと歩みを進める。
「……あ、せや。ゾーラちゃん、アンタが『死龍』を召喚してくれへん?な?頼むわ!《黒色菫》ちゃん!カッコよくいけ!」
「確かにそうですます。貴女なら私達よりも強いし、何よりシャイス様に良いところ見せられるます。暗殺と諜報任務ぐらいしかないでしょうし、シャイス様へのアピールチャンスは、今回私達は譲りますです」
「ーーなるほど。分かりました。シャイス様の右腕としてその役割、果たして見せましょう。2人とも、私などにお気遣いいただきありがとうございます」
(……ホンマ、ちょろいわぁ)
(……本当、単純な低知能で助かりましたです)
黒蜀葵と黒麗花は、同僚である黒色菫を言葉巧みに危険へと誘い、できればゾーラが『事故死』してくれたらなぁ、と思いながら。
▽▲▽▲▽▲▽▲
「ーーー総員!魔力全開!」
ゾーラが叫ぶと、先程から死龍が封印されている地面に設置されている巨大な円盤の上に封印解除魔法をかけ続けていたメイド達はさらに魔力を底から放出し、それにより封印が少しだけ緩くなる。流石は魔王デリエブが直々に封印した『三大魔王獣』、そうそう簡単には封印は外れない。
だがそれは逆に、死龍がそれほどにまで危険であるというレベルの脅威だということを表す、丁度いい危険指数表示装置なのだ。
このままでは、封印は外れない。
ゾーラ1人の魔法技術では無理な可能性もある。だからこそ、シャイスはわざわざ《三蹂死》を3人全員、この場に呼び寄せたのだ。
「ーーーシルア様!セータ様!お願いします!」
「分かっとる!『封印解除』!」
「命令するなです!『封印解除』!」
ゾーラが同僚の名を呼ぶとシルアとセータは飛び出し、封印の円盤に向かって『封印解除』を繰り出した。
だが、それを実力の高い2人が使ったとしても、死龍の封印は中々外れない。だが、ゾーラはこの封印はあくまで最初のほうだけが固く、あとの封印は意外と緩いことを己の右の『界眼』によって見抜いていた。
「『万物を封じし魔力の扉よ。愚かな魔の者に誑かされし永劫の封印を破り、今こそこの世に現れ給え』」
ゾーラはそう詠唱する。すると、円盤の地面と空中同時に、同じような紫色の巨大な魔法陣が出現し、そこから莫大な闇属性魔力と毒属性魔力が漏れ出してくる。
シャイスは、黙ってその光景を見つめていた。
…全ては、一瞬の隙を突くために。
「ーー終わりだ!『三重封印解除』!!」
ゾーラは叫び、3人分の封印解除を時間差で使用する。一つ目のアンロックは、もう少しで破られそうな封印を緩めるため。二つ目のアンロックは、緩んだ封印を一気に剥がすため。そして三つ目のアンロックは、残りカスほどの微弱な簡易封印を引き剥がすため。
すると、魔法陣から巨大な紫のクリスタルのようなものが出現し、それが円盤の真上に浮かんでいる。周りのメイド達は腰を抜かしたり気絶したりしているものの、ゾーラを始めとした《三蹂死》とシャイスのみは平然としている。…これこそが、彼らの目的だから。
そしてそのクリスタルは少しずつひび割れていき、その中にここ数十年眠っていた巨大な龍ーー『死龍』の姿が、クリスタルに纏わりついていた膨大な魔力が薄くなることによって徐々に露わになっていく。
もはや生物とは思えないその骨剥き出しの姿からは、大半の者が嫌悪感を抱くだろう。シャイス達も例外ではなく、汚れ仕事をよく請け負うゾーラ以外は、その醜悪な姿を見て顔を顰める。
そしてクリスタルが割れたことにより、《疫災》は再度、この世界に完全復活したこととなった。
全長60メートルは余裕で超える巨大な体。
ほぼ骨剥き出しな全身にこびり付く少量の肉片。
肋骨の間に眩しく光り輝く、闇色の心核。
肉がない為目や鼻の穴しかない、龍の頭蓋骨。
そしてその目の穴から見え隠れする、醜悪な脳。
唯一皮が残っている、体以上の大きさの巨大な翼。
これが《三大魔王獣》が一体、『死龍』なのだ。
彼は、その軽そうな体をゆっくりと動かして、周りの景色を見渡している。目は無いが機能しているらしく、一通り見終えた死龍はそのエコーがかった脳内に響くような声で、目の前にいたゾーラに話しかける。
『ーーん、なんだお前達?魔王デリエブとの約束だ。我は眠りにつかなければならぬ。悪いが邪魔は……』
「ーーー魔王デリエブは、死にました」
『ーーー?何を……』
「紛れもないな真実です。これが証拠です」
そう言ってゾーラは、シャイスから投げ渡された透明な丸状のものーー『記録水晶』と呼ばれるものに少しだけ魔力を流し込み、それを死龍へと掲げる。死龍も朧げな話し方や動きながらも水晶に近づき、その水晶に映し出された映像をまじまじとその無い目で見つめる。
ーーそこには、死龍の恩人である魔王デリエブが、勇者ハルトによって殺される一部始終が載っていた。
※ ※ ※
『ーーー我々は人間と敵対するつもりはない!だから今からでも遅くはないはずだ、頼む!退いてくれ!』
『命乞いか?俺らからしたらそんなの関係ねぇ。お前らが敵対するつもりが無くとも、こちらからしたらお前ら魔族は世界の敵なんだよ』
『ーーそんな、それは理不尽ではないか!人間と魔族の知性は同じだ!何故戦争をする!?何故ーーー』
『ーーー逆だよ』
『何?』
『知性があるから欲が生まれる。欲があるから争いが生まれる。争いがあるからこそ、経済が回るんだよ。戦争はビジネスだ。仕事なんだよ。……どちらの世界も、何も変わりゃしないんだ。俺はそれを知ってる』
『そんな、理不尽があって……』
『話しすぎた。魔王デリエブ。お前を討つ』
▽▲▽▲▽▲▽▲
『ーー終わりだ!!『終焉断斬七光撃』!!』
『ーーーぐ…ゎぁあぁァ!!』
▽▲▽▲▽▲▽▲
『金ならやる…地下に金庫があるはずだ…持っていけば良い……。だがその代わり…あと一日だけ猶予をくれ。どうか、頼む…私以外の魔族に罪は無い…だから、魔王を討伐した勇者殿よ、どうか、頼む……』
『ーーー分かった。『約束』してやる。…行くぞ』
▽▲▽▲▽▲▽▲
『ーーー父さん!父さん!!』
『デリエブ様!そんな…こんなことなんて…』
『俺が弱いばかりに!クッソぉぉぉぉぉ!!』
『……デリエブ、様』
『ーーお前たち。ライン様。泣く暇は無い。デリエブ様が遺して下さったあと一日の期間、我々がどう使うかがあのお方への最大の忠義なのではないか?』
※ ※ ※
『ーーそんな、馬鹿な。何故人間がデリエブ殿を殺すのだ?魔王を名乗っただけでこのような仕打ちを?』
「そうです。これこそが人の罪、人の業なのです」
『ーーー』
ここで、記録水晶の映像は途切れた。
死龍はその大口を閉じ、絶句している。
自分のような怪物にまで知性を与え、話し合いというテーブルを設けてくれた魔王デリエブが、人間に偉そうな態度やら行動を取るとは全く思えなかった。だからこそ、今回の人魔大戦の理由が分からない。
それをゾーラは、人の罪、人の業であると返した。人である彼女が言っているのだから、死龍からしたら信憑性が高いことなのだ。それが嘘だろうとハッタリだろうと、今の死龍にはそれを信じるしかなった。
ーー憎い。恩人のデリエブを殺した人間共が憎い。
だが死龍も知性を得た魔族。感情では動かない。
そもそも死龍は封印される前に、デリエブと約束をしたのだ。あの魔王は特権を使えば強制服従させることも可能なはずなのに、魔王獣の下にまでわざわざ出向き、互いが対等として話してくれた。
命を奪わないこと。種族関係なく、命は全て等しく、美しいこと。それは屍の姿である死龍も同じこと。
特に最後。今まで全ての種族から蔑まれてきた死龍からしたら、その一言がどれほど嬉しかったことか。
だからこそ死龍は他の魔王獣などとも話し合い、最終的にデリエブが提案した100年の封印を受け入れ、彼の手直々に封印された。そこからは永い永い眠りにつき、100年後にデリエブの遺伝子を引く血縁の者に感謝を伝えようと思いを馳せながら、眠っていた。
ーーーだが、そのデリエブはいない。その一族が人間に生かされている訳がない。今の死龍にはもう、デリエブの血縁に感謝を伝えることすらできなかった。
『そんな、ことが』
「シャイス様!今です!!」
死龍がたじろぎ、その巨体から悲壮感が溢れる。
その瞬間に、ゾーラはシャイスの名を呼ぶ。
「よくやりました、ゾーラ!」
シャイスは珍しく他人を褒め、死龍のほうに少し遅いながらも駆け寄り跳躍し、その頭蓋骨に手を置く。
そしてーーー、
「『禁忌の感情』!!」
死龍の脳を満たす『悲しみ』の感情を掌握した。
突然のことに死龍は暴れ回るも、封印から目覚め立てなこともありその暴れ方は弱々しいものだった。何より恩人であるデリエブの死による人間への憎しみと、デリエブに託された人との和平の道を捨てたくない意地がぶつかり合い、その骨しかない体に収まり切らないほどの感情が駆け巡っている。
そんな迷いがある死龍の感情を掌握することなど、次代の魔王となり得る者であるシャイスにとっては楽な作業だった。
シャイスは卑しく嗤い、死龍の脳に直接語りかける。
※ ※ ※
「ーーー魔王デリエブは死にました。それは他の誰でもない人間共のせいです。デリエブの死だけでなく、彼の忠臣達もその命を散らしたのです。どうですか?」
『ーーー人間が、憎い』
「でしょう?人間など世界に蔓延る病原菌そのものに等しい存在。それでも魔王デリエブは和平を諦めなかった最中、此度ほ凄惨な戦争により死に絶えた」
『ーー憎い』
「素直になりなさい。魔王デリエブは人の手により殺された。貴方は今、人を猛烈に憎んでいる。それは拭いようのない事実です。しかし悪いことではありません。貴方は人を憎む気持ちと憎みたくない気持ちがせめぎ合っているのでしょう?それは貴方が知性を持った魔族だからのこと。魔王デリエブが遺したモノは、決して無駄ではなかった。だが今だけはそれが邪魔になっている。……そうですよね?」
『ーーああ』
「だから私が、貴方の知性を一時的に奪います。そうすればその間にどんなことをしても、知性が戻るまでは好き放題に暴れることができるでしょう?……安心して下さい、私は約束を守ります。あの魔王デリエブには父が世話になっていますし、義理のある方なのでね」
『ーーーああ、頼』
「……バカな死にトカゲ風情が。ノせられやがって」
『ーーー!?』
「『無知性化』!!」
※ ※ ※
シャイスは死龍と心にもない約束をし、感情を消去した後に悪態を吐き、死龍がそれに本能で反応しきる前にその知性諸共奪い去った。
『無知性化』は魔族にしか効果がなく、他種族はもちろんのこと魔物にすら効かない珍しい技なのだが、その効果は絶大の一言。
ーー『知性の消去』。魔王デリエブが与えた知性にすら適応され、消失させるというとてつもない能力を誇っている。
本来ならばこの効果は10分で終わり、その後は知性が元に戻る。シャイスは感情を奪うついでにその効果を永久に延ばせる禁術『無限地獄』を施しており、イグノランスも無限効果となる。
そしてシャイスはゾーラに抱えられて死龍の頭から飛び退き、少し離れた場所に着地する。
その場に残っていたのはーーー、
『ーーガァァァァァァァァァ!!』
恩人である魔王デリエブから与えられた知性をその記憶と感情諸共奪われ、『魔族』から『魔物』へと退化した、哀しき一体の魔王獣がいた。
「ーーー貴女達!最後の仕上げですよ!」
シャイスがそう叫ぶと《三蹂死》は呼応し、その全長60メートルを遥かに超える巨体を覆い尽くせるほどの巨大な魔法陣を地上と空中に展開させ、死龍のテレポートを図る。
だが既に知性を失い魔物と退化した死龍は、その巨体の尻尾や両翼を振り回し、さらには口から闇のブレスを撒き散らしていく。そんな無差別攻撃をいきなりされた凡人メイドが避け切れるはずもなく、次々と肉塊へと化していった。
まさに厄災。これが《疫災》の力なのだ。
「行くで!」
「分かってますです!」
「ーーいつでも」
黒メイド3人は声を掛け合い、詠唱し、放った。
「「「『大規模瞬間移動』!!」」」
すると暴れ回る死龍の頭上と足元にあった魔法陣が一気に死龍のその巨体をあっという間に包み込み、3人はテレポーテーションが成功したことを確信し、離れる。
上と下の魔法陣が繋がり、そこから莫大な魔力が放出されながら光が漏れ出し、少しずつ死龍の体を光で包み込んでいく。それを視認した死龍だが、彼には既に意識はない。その場から逃げることなく、シャイスやその従者達に狙いを定めている。
彼に残ったのはその場に存在する生命だけに向かい、滅ぼすという魔物らしい残虐な本能のみ。その場から命が居なくなる、又は途絶えれば、次の命を刈り取りに、翼は最低限しか使わず這って移動するのだ。
光が殆ど死龍を包み込んだ時、死龍がシャイスに飛びかかって来た。シャイスは無防備に立ち尽くしており、それを見たゾーラは、彼女らしからぬ慌てた表情でシャイスの助太刀に入ろうとする。
しかしシルアとセータは助けに入ろうとしない。それどころか急いで助けに入るゾーラを見てクスクスと卑しく嗤い合っている。何故主の危機に動かないのか。
「……そんなに必死にならずとも私は大丈夫ですよ、ゾーラ。まさか私の能力を忘れたのですか?」
ーーシャイスは、全く別の場所に移動していた。
超スピードや瞬間移動ではない。何か別の能力だ。
魔力が多い絶好の獲物であるシャイスを逃したことに激怒しながら、ゾーラまでも捕食しようとした。
しかしただで食われるゾーラではない。軽い身のこなしで死龍の顎の一撃を躱し、その勢いに乗りながらシャイスの下へ戻る。そして、この地獄のような光景には似つかわしくない、綺麗な姿で跪く。
「いえ、勿論理解しております。申し訳ありません」
「いえ、問題ありませんよ。……ゾーラ。テレポート完了時間を少しズラすように以前命令しましたが、完遂できたでしょうか?」
「はい。シャイス様がおっしゃっていた通り、三日後にルクサス領土最南端の村に《疫災》が顕現するように調整致しました。……宜しかったでしょうか?」
「勿論ですよ。流石は私の大事な駒です」
謝罪するゾーラをシャイスは笑いながら許し、魔法陣の顕現を三日後にズラす任務を完了したゾーラを心から絶賛する。
それから彼女に他の《三蹂死》と生き残ったメイド達を呼ぶことを命じる。それを受けたゾーラは深く会釈した後、その俊敏な動きでシルアとセータを呼び、周りにいるメイド達の安否を共に確認している。シルアとセータは殆どサボっており、ちゃんとしているのはゾーラだけだがゾーラ自身はそのことに不満を持っていない。
信頼している主に共に仕える者として、シルアとセータとは良き友人の関係を築いていきたいという、その風貌とは裏腹に年頃の少女らしい純真無垢な願いから、彼女はシルア達に不満の一つすら持っていない。
ーーまあ、当人らは全くそう思っていないが。
「ーー死龍。貴方のチカラ、試させてもらいますよ」
周りに聞こえないように、シャイスは呟く。
その紫の瞳で死龍を見つめながら、彼はこれから一週間以内にルクサスで起こる惨劇を想像し、その非情さに悶えて体を震わせる。リシュ・エバムとはまた違った方向の異常性癖者。それがシャイスだ。
正直、魔王の一人息子があの《最強の勇者》から逃げ切れるとは思っていなかったが、このような時の対策として逃げ先であろうルクサスを予め潰せる準備を怠らなかった自分の賢明さに我ながら酔いしれる。
この圧倒的なナルシスト気質も、彼の本性である。
ーーそして、魔法陣から放たれる光が死龍を完全に包み込み、………消える。災厄の魔獣《疫災》が。
遂に『死龍』は、魔界から解き放たれた。
「ーーーせいぜい足掻け。ライン・シクサル」
シャイスはそう高らかに勝利宣言をすると、誰も聞いていないというのに死龍が封印されていた円盤を見ながらクフフと卑しく嗤い出した。
それを見たシルアとセータも嗤い出し、この場で笑っていないのはゾーラと他の黒メイド達だけになる。
膨れ上がる卑劣は、周りにも侵食し始めていた。