22話 げーむおーばー
「……はぁ…はぁ……はぁ………」
サクラがハルトの残党を狩りに行ってから数分。
ゲイルの魔法陣によって作られる魔法扉の形はもう大きくなり、立派で頑強そうな扉が出来上がっていた。
まだミクスタとレンは目覚めておらず、魔法の扉を生成しているゲイルの額には大量の汗が湧き出る。 このままいけばあと1分ほどあれば逃げられそうだ。
だが自分ーーラインの体にはいくつか異常が起きており、ただでは済んでいない。左腕を失った挙句、全身の至るところに斬り傷が残る以外にもあるのだ。
今のところは血が出ているだけでそれ以外は特にないがやはり傷が再度開くのは痛い。それに加えて、頭がギンギンと痛み、意識が朦朧としているのだ。
「ーーーゲイル…あとどれぐらいか教えて」
「……あと…30秒…で……いけます……!」
ほとんど独り言のような聞き方で残り時間をゲイルに聞くと、ゲイルは苦しそうながらも自信に溢れた返事を返してくれた。
彼曰く、あと30秒。あと少しの辛抱である。
もう少しの。もう少ーー、
「はい残念。あと10秒でお前らは全員死ぬ」
凄まじい殺気。サクラのものじゃない。誰かのだ。
そちらを振り向く。ゲイルもこちらを見る。
「ーーーッ!?」
「なんで、アンタがここに居るんだよ…」
そこにいたのは、サクラに首を刎ねられた青年が、自身の血濡れた服の首元を気にしながら立っていた。
彼の顔は相変わらず感情が抜け落ちたような顔をしており、その澱んだ黒の瞳でこちらを見つめている。
深淵を覗く時、深淵もまたこちらを覗いているという言葉があるが、まさにこの状況に相応しい言葉だ。
「知らねえよ。俺だって死んだと思ったさ」
《第15代勇者》『ハルト・カツラギ』が、ラインのほぼ真後ろに立ち、彼はその暗い瞳をラインの黒い瞳へと合わせ、こちらを確実にロックオンしていた。
まさかサクラが殺し損ねたのか?いや、そもそもサクラはかなり用心深い性格だからそれは違う。
それに彼女の持っていた刀にはまだ新しい鮮血がこびり付いていたからあり得ないだろう。
「悪いが、お前を逃がしすぎたからこちらにも損害が出てんだ。荒事は嫌いなタイプでね…大人しく全員首を差し出せ。そうすれば苦痛を与えずに殺してやる」
そんな上から目線な発言をするハルト。
そもそも僕たちはお前から逃げる為に今こうしてゲイルに無茶をさせているのに、あんまりな言葉だろ。
いきなりハルトが復活したこと。
血の跡はあるが一切外傷はなく、無傷なこと。
その勇者サマが、自分達に死刑宣告してること。
もう色々と分からないことだらけで頭が痛くなる。
元々貧血で痛かったが…。
少なくとも分かったのは、ライン達全員がこの場から逃げられる可能性はカケラも潰えたことだけだ。
そんなラインだが、自分でも知らず知らずのうちに脚に力を込めていた。サクラに斬られた影響からか、立ち上がるとものすごい痛みが脚に走る。
ハルトはライン狙いだ。それだけは分かる。
だからこの状況で自分が出来ることはただ一つ。
力もスキルも頭も無い自分に何ができるか。
僕に賭けられるものなんて、これぐらいしかない。
「ーーーゲイル」
「はい、ラインさん。どうしま」
「4人でにげて」
「ーーえ?」
「いままでありがとう。キュアル達によろしく」
「待って下さい!どういう意味な」
「バイバイ」
その瞬間、ラインは震える足を根性と虚勢で無理矢理動かし、ゲイル達がいる方向とは真逆の方向へと逃げ出した。
ハルト達からすればメインターゲットであるラインのいきなりの逃亡にゲイルだけでなくハルトも驚いたらしく、彼はラインの服を掴み損ねる。
ラインは足場の悪い岩場を駆けながら息を深く吸い、肺に酸素を取り入れて頭に酸素を目一杯回し、口から血反吐と共に大音声でハルトに呼びかけた。
「こっちだ!一対一の決闘をしよう!」
そう言って、ラインは足場の悪い地面を蹴りながらひたすら全力で逃走する。後ろは振り返らない。後ろは一切振り返らずに逃げる。何も顧みず、だ。
ただ遠くまで。出来るだけ仲間達が逃げられる時間を稼ぐために。『自分以外は』誰も死なないように。
ミクスタ。この3週間どうもありがとう。
レン。体調に気をつけてミクとお幸せに。
サクラ。命を大事に。君は強いから大丈夫。
ゲイル。生徒達によろしく。皆と仲良くね。
……どうかみんな、お元気で。さようなら。
さようなら。さよなら。バイバイ。
そんな思いを内に秘め、ラインは走り続ける。
ただひたすら全力で、出来るだけ遠くまで。
その目元に、大量の水滴を蓄えながら。
※ ※ ※
「ーーやられた。俺の考えバレてたのかよ……」
そんなことを呟きながら、ハルトは自分の頭に手を置き、ハァと大きなため息を吐く。
それを見るゲイルは色々察し、しかし察したところでその行動に納得がいっている訳ではない。
「貴方、今から何を…?まさか、ラインさんを」
「安心しろ。俺はお前らを殺しはしねぇよ。俺はな」
そう言って、ハルトはラインが逃げていった方向へとミサイルのように飛んでいった。
世界有数の実力者であるゲイルやサクラに匹敵ーーいや、その2人を遥かに超える天才。それがハルト・カツラギという勇者なのだ。それを止められる者は存在しない。周りはただ、粛々と従うことしかできない。
「ラインさん……すみません」
ゲイルは嘆いた。己の無力さを。恩人を見殺しにする自身の情け無さを。そして、己の死を以て仲間を逃がそうとするラインの純粋さと愚かさを。
それを嘲笑うかのように、タイミング悪くたった今完成した魔法の扉は、ギィ、と悲しげな音を立てて開き、その開いた扉の中からは眩い光が立ちこめる。
ゲイルはその中に未だ眠るミクスタとレンの体を持ち上げて優しく白い光の中に入れると、彼らの体は一瞬で消えてなくなり、この岩場地帯から消失した。
これでミクスタとレンの離脱は完了した。あとはゲイル自身とサクラ、そしてラインだけになる。
「ラインさん…すみません。私は貴方の命令に背きます。貴方は居なくてはいけない。今の魔界にはーーいや、この不平等な世界には、その差別を訴えられる貴方が必要不可欠なのです」
しかしゲイルはその場に留まる。彼からすると生徒達の身の安全を確保してくれる人というものは、たった今去った黒髪の少年以外は居ない。彼は自分の命や価値を過小評価しているが、今の魔界には彼の存在が必要不可欠であった。
※ ※ ※
ラインの仲間は彼に命を助けられた者しかいない。彼はかつてサクラに「命を粗末にするな」と言った。「自己犠牲精神は何も生まない」と。彼は偉そうにも、そうほざいて来た。
それを恥じらいも無くほざくことができるライン自身が、この世界で最も己の命を粗末にしているのに。
※ ※ ※
「ーーーここでいいかな」
そう言って、岩場の端で立ち止まる。
下を覗き込むと、潮の香りと冷たい風が吹いた。どうやらこの下は海らしく下には大きく波打つ波が大量に岩壁に打ち付けており、止まることを知らない。
「僕にしては強気にできたんじゃないかな。今回」
「ーーお前さ、人を歩かせるの止めろよ。モテんぞ」
声がしたそちらを見ると、ラインの予想通りゲイルやミクスタ、レンを無視して来た勇者ハルトが立っていた。
何故か気持ちは落ち着いている。
自分は今から絶対死ぬのに、何でだろう?
「ーーあのさ、僕を殺す前に賭けだけさせてくれ」
苦し紛れの命乞いをし、ラインが唯一勝ち目が残っているやり方でやってやろうと思い、ハルトに提案してみる。これを突っぱねるか聞き入れるかは完全にハルト次第だし、ラインには決定権はないし、もし聞き入れて貰えなかったらラインはすぐこの場で死ぬ。
生殺与奪の権を他人に握らせるのはもはや愚の骨頂であるが、今のラインからすればこれぐらいしか仲間達が逃げる時間を稼ぐ方法が思いつかなかった。どこぞのコミュ障隊士がブチ切れそうなやり方だが、許せ。
これが僕、ライン・シクサルなりのやり方だ。
するとハルトは珍しく鉄面皮を崩し、こちらに口の端だけを歪めた笑みを浮かべる。怖えよ。目の隈やハイライトの無い瞳が相まって悪魔みたいな見た目になってる。
(《失敬な!私はあんな悪い笑いしないわよ!!》)
めっちゃびっくりした。サテラが復活したらしい。
とりあえず久しぶりなので、挨拶をしておく。
(うお、久しぶりに聞いたわその声。大丈夫だった?)
(《ーーええ、今は大丈夫。けど…アンタこそ大丈夫?ごめんなさい、左腕を失わせちゃって。……出来ることなら何でもするから、私に償わせて》)
(相変わらず悪魔とは思えないような誠実な発言…いや両腕が無くならないだけマシだよ。血すげぇ出るけど)
(《………そう》)
(だけどさ、一つだけ手伝って欲しいんだけどいい?)
(《なんでも言ってちょうだい》)
(えっと、それはねーーー)
「ーーおい、聞いてんのか?なんかボーっとした顔してたが。何かの秘策でも準備してんのか?」
「……うん。賭けではあるけど可能性としては、ね」
おっといけない。ハルトのこと忘れてた。
また前を見やると、やっぱり彼は歪めたニヤケ面を浮かべており、こちらをその黒い瞳で見据えてくる。
流石に『賭け』なんて受け入れられる筈ないか。
「ーーー。ーーいいだろう、言ってみろよ。お前がそんな自信満々に言えるような『賭け』ってやつを」
あー、やっぱ流石にダメだったか。そりゃそうか。今まで散々逃げてきてたし、今更ーーん?
ーーいや、いいんかい!?ラインは内心、まるでバラエティ番組のツッコミ役のように突っ込む。だがハルトの瞳には嘘偽りの色は感じられず、本当にこちらの賭けに乗る気でいるらしい。
(《ーーちょっと、その賭けとやらを教えなさいよ》)
「おい、その賭けとやらを早く教えやがれ」
耳から入る声と頭に直接入る声が被ったし。
まあいいだろう。むしろいちいち1人ずつに説明する手間が省けて助かった。ちょっと流血が酷すぎて頭痛が痛い状態になってるから早く説明しよう。
「じゃあ言うよ。僕が言う『賭け』は、僕とアンタが互いに全力の一撃を一発ずつ交互にぶつけ合って、先に倒れた方が負け。これが無理ならもう諦めるよ」
あまりにも無謀なラインの発言に対して、サテラとハルトの両者は絶句する。
ハルトはその鉄面皮を崩して驚き、サテラは脳内会話をピタリと止め、しばらくしてから話しかけてきた。
(《ーーアンタ、死ぬ気?》)
(さあ、どうだろうね?)
「……いいだろう。面白え、やってみろよ」
「決まりだな?毎度あり」
(《ちょっと!死ぬ気かぐらい教えなさーい!!》)
ハルトに通るかは賭けだったが、なんとか通った。
そのせいでサテラを置き去りにすることになったが。
▽▲▽▲▽▲▽▲
(《ーーーで、どうなのよ実際問題。アンタ、そんな切り札的なものあったの?魔力量もあまり多くないし、実力も平均程度だし。私はとてもそう見えないけど》)
(酷くない?まあ確かに僕は弱いけど…まあいいや。とりあえず頭のコレって念波みたいにして会話してるのなら説明しなくても分かるんじゃないかな?)
(《いや情報は入ってるわよ。問題はコレ危険すぎるし第一めちゃくちゃ私頼りじゃない!やってもいいけど下手したら自爆するわよ!?正気で言ってる?》)
(先生!悪魔と普通に会話する人は正気ですか!)
(《確かにそうね…って誰が先生よ!?先生はあのエルフじゃない!あまり調子乗るとぶっ殺すわよ!!》)
(分かった分かった。ごめんって)
サテラとそんな脳内会話をしていると、ラインが見据えるハルトがコチラを同じように見据えながら、ラインへと「おい」と呼びかけてきた。一旦サテラとの脳内会話を中止してそちらへと意識を向けると、それを確認したハルトが口を開く。
「お前の出したこの決闘の案だが、俺からもいくつか提案ーーというよりは願いがある。このままだとお前に有利に働きすぎるし、少しぐらい弄ってもいいだろ?」
「ーーーーーーああ」
「先行は俺だ。お前は俺の後に攻撃しろ。いいな?」
ハルトの一撃がどんな一撃になるかは分からないが、ハルトがして来るであろう行動はかなり絞れた。
これのうち片方ならラインに勝ち目がある。
ズバリ、『舐めプするか』『しないか』だ。
ハルトは少し舐めプ癖があることは見抜いた。彼の強さはまさに天下一品だが、そのせいで戦闘時の舐めプがかなり顕著に出ている。だから二度もラインに逃げられ、先程もラインをすぐに殺さなかったから今こうして遠くにまで逃げられたのである。
だから完全な運ゲーにはなるが、ハルトが舐めプすることに全てを賭けているのである。そして舐めプだった場合、それを根性で耐え切った後に、カウンターの一発をハルトにお見舞いしてやるのだ。
(サテラの一番強い技って何?武器無し撃てるヤツで)
(《『憤怒ノ爆拳』かしらね?炎魔力を正拳突きの形で押し出すの。こうホッ!ハァ…スッ!フン!ってやるの。どう?すごいでしょ!》)
(なるほど、まったく分からん)
(《センス無いわねー、アンタ戦い向いてないわよ》)
そんなくだらないやり取りをサテラとしていると、ハルトが手に持つ聖剣改め超越聖剣を上に掲げて、周りの大気中にある魔力全てを吸っていく。
その影響でラインが自身の体にかけ続けていた回復魔法の魔力まで吸われ、ラインの左腕があった付け根からもっと大量の血が出てきた。
目の前ではハルトがエクシードカリバーを掲げ、その刀身に闇属性を除いた七属性魔力を纏わせていく。
あーあ、僕もこんなヤツになりたかったな。
強くてイケメンでカッコよくてモテモテ……にはならなくていいか。ラインには好きな子がいるし、その子も自分を愛してくれている。彼女は無事かなあ。
「ーー『七光彩纏いし聖剣』!!」
そうハルトが叫んだ瞬間、彼の持つエクシードカリバーが七色の光に輝き、その右手には七色の爆光を纏いし光の剣があった。
今更気にしても引き受けちゃったことだからいくら文句を言っても仕方ないのだが、やっぱり圧倒的な力を目の前にしたら怖いものがある。
(ーーーサテラ、僕を防御方面でサポートできる?)
(《はっきり言うわ、無い。私の魔力を提供し続けることでアンタの『治癒』とやらの回復速度を上げることはできるけど……》)
(それでいい!ハルトの攻撃に耐え切った後に『憤怒ノ爆拳』をぶち込む!!その時も魔力貸してもらうしサポートもしてもらうよ!!)
(《強欲!!強欲すぎない!?こんだけ欲張りなヤツは今まで1000年間受肉した中で初めてよ!?もう!!》)
ーーー強欲か。確かに。
「そうだよ!僕はみんなに助かって欲しいしだけど自分が死ぬのも怖いしみんなで生き残りたい!魔族のみんなが待っているから死ぬわけにはいかないんだ!!」
(《ーー気に入ったわその根性!!今更訂正してももう遅いわよ!!歯ぁ食いしばって腹に力ぁ入れて、何がなんでも絶対に絶対に耐えるのよライン!!!!》)
「その言葉後悔するなよ!!『全万解七彩刃』!!」
来る。来る。
死ぬ。
ーーーいや、死なない!!死にたくない!!
生きる為にラインが出来ること。それはーーー
「ーー根性ぉぉぉお"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"」
肌だけでなく魂諸共カラダを斬り刻まれる激痛に耐える過程で口から絶叫が漏れる。出したくもない絶叫を我慢しきれずに発し、七色の光を纏いながら飛来してカラダに襲いかかる斬撃の嵐を耐え忍ぶ。カウンターに必要不可欠な右腕をカラダで守る体制を取り、背中だけでなく腹側の肉や骨を『飛ぶ斬撃』に斬られていく。
まるで生きたまま解体されているかのようだ。こんな激痛、耐え切れる自信が全くない。さっきまで出ていた黒いモヤは一切出て来ず、痛みを失くせる魔法の麻酔を使えない状況でラインは体をバラされる。
熱い。熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱ーー、
いや違う。痛いのだ。これは熱くなんかない。
痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛いイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイいたいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいたたたたーー。
※ ※ ※
ーー他※※。俺はお前を見捨てない。
お前はあんな親のような人間にはなるな。
ーー俺?ああ、俺は最後の※※※※家の人間として天寿を迎えるよ。腐敗し切ったあの※※※※家は俺の代で終わらせる。お前には関係ない話だから気にするな。
ーーえ?「嫁さんに話して家族に加える」?
冗談はよせ、お前がお嫁さんと結婚したら俺とは別の家系になれ。俺が加わったら綺麗なお嫁さんに加えて兄が増えることになるんだぞ?それでいいのか?
ーーー。いいのか。俺なんかがお前の幸せの一端を齧ってもお前はそれを許してくれるのか?
……へっ、相変わらずお前はあのクソ親から生まれたとは思えない程にいい奴だよな。俺は嬉しい。
最強のスペックを持つ俺と、最高の性格のお前。
2人が居れば、どんな奴も敵じゃないな!ハハッ!
※ ※ ※
「ーーマジか」
「たーー、え切…てやっ、た…、ぜ」
ラインの体はもはや原型が無くなりかけであった。
肉は剥げ、至る所から骨が剥き出しになっている。内臓の大半も傷つき、酷いものは体から落ちている。骨の8割以上は断裂し、もはや一歩も歩くことは不可能そうだった。左耳、右目は肉塊へとバラされ、ライン本人の回復では絶対に復活しないほどにまで解体された。
それ以上に、体から血が出過ぎている。多分体から大半の血液が流出し、地面がラインの内臓や肉片の上から鮮血をぶっかけたドス黒い赤のフルセットになっている。フルセットと言っても、こんなもの見ても食欲がものすごく減退しそうだが。
そんな生ける屍と化したラインはなけなしのフルパワーを振り絞る。
肉が抉られ骨が見える悍ましい右手を低く構え、残った左目でハルトに狙いを定め、『憤怒ノ爆拳』の構えを取る。
腕を引く。
自分の内臓ごと抉られた横腹辺りに持っていき、そのズタボロになった右腕に最大限の力と魔力をありったけ込めて、残った左目でハルトの全身を捉える。
己の体の限界に気がつくことはなく。
(きめる)
あたまに血がまわらない。
まったくからだにちからがはいらないが、みぎの拳だけはかんかくがびみょうにのこっている。
このいちげきできめられなければ僕は死ぬ。もはやかおをうごかしてじぶんの手をみることすらできない。
(ーーーさてら、おねがい)
(《ーーライン。……その姿、見てられない……》)
(ごめん。……早く)
もう余力がまったくない。立っているだけで精一杯だ。だが、これできめられれば全てがおわる。
ラインとハルトの間に生まれた因縁も。ハルトの命も。ライン自身の命も。魔界の皆の未来と命すらも。
「……はぁ。お前さ、状況判断能力がカスだな」
ハルトがなにかいっている。だがきにするな。
これでおわらせろ、ライン・シクサル。
「……『憤怒之爆拳』ぉ"ぉ"ぁ"あ"あ"!!」
もはや形を保っていない拳を、突き出す瞬間ーー、
ラインの視界が突如揺らぎ、膝から崩れ落ちる。
(あれ)
まさか、貧血?
そんなくだらないことで、こんなときに体制を…?
体制を崩したラインの目の前には、地面。
(ーーあ、まず)
その刹那、『憤怒ノ爆拳』がラインの立っていたすぐ前の地面に着弾し、その影響でとてつもない爆音と熱、衝撃を伴って弾けた。
ハルトは一切の防御無しで受け切り、しかしまるでダメージは受けていないようだ。
そしてあるものが、空を舞う。
それは全身丸焦げになるだけでなく、下半身が完全に吹き飛び損失し、もはや生命だったことがギリギリ分かる程度にまで原型を無くしている魔王の息子。
…ライン・シクサルは、今度こそ引導を渡された。
だがそれを直接渡したのはハルトや彼の仲間ではなく、皮肉なことに一発逆転などという傲慢な手段を選んだライン自身だったのだ。
「自分の体の状態すら把握してなかったのか。…だからお前は弱いままなんだよ」
そんなふうな独り言をハルトは呟き、もはや屍にしか見えないラインの肉体へと近づいていく。
全ては、ラインに完全なるトドメを刺すために。
▽▲▽▲▽▲▽▲
ーーーーーーーーー。
ーーしずかだ。
もうなにもきこえない。なにもかんじない。
ぼくはどうしたのかすらかんがえられない。
あのときいったいなにがあったのだろうか?
たしかさてらにさぽーとしてもらってばーすとふぃすとをうとうとしてだけどひんけつでからだのばらんすをくずしてそれからーー?
わからない。なにもわからない。
もういたかったりくるしかったりもしない。
ただただしずかで、ながくかんじられて、だけどほんとうはとてもみじかいこのいっしゅん。
もうかんがえるのもつらくなってきた。あたまにちがまわっていないからだろうか?
「ーーおーー、ーー然自分の状態をーーできてないよな。ーーーで勝てるーー思ったな?バカーー?」
なにかきこえた。
だがまったくなにをいってるかがわからない。
「ーー2分ぐーーか。よーーーたキーーヤ」
「ーーーハルーーラギぃぃぃ!!」
「キレーーよババア。おあーーだろ?」
またなにかきこえた。
これはわかる。さくらだ。
ーーーーああ、死にたくないなぁ。いやだなぁ。
こんなときにとっけんさえあれば。
はるとのようにぜんかいふくわざがあれば。
ああ、うらやましい。ねたましい。
なんでぼくにはなにもくれないんだよ。
ーーーうまれたときからなにもあたえなかったのに、うばうことだけはいっちょまえにするのか?あんまりだろこんなの。
だがそれはぼくだけじゃない。それはぼくもでりえぶも配下のみんなもみんなみーんなおなじ。
だからもんくはいえないのかもしれない。
ぼくだってすたーとはかなりらっきーだったのだろうな。なんたってまおうのこどもとしてうまれたのだから。しかもひとりむすこだからあいがそれることもない、はず。まあでりえぶやきーらたちがそのていどのことであいをへらすとはまったくおもえないが。
いくらせかいからうとまれているまおうだろうとひとりのいきもの。きどあいらくはあるしといれにもいけばしょくじだっている。だがにんげんはそれをどうしてもりかいしてくれない。たまにりかいしてくれてともにあゆんでくれるひとたちもいる。さくらやれんがそうだ。るくさすおうももしかしたらそうかもしれないが、それをかくにんすることは、ぼくにはできない。
だって、いまからぼくは死ぬのだから。
ああ、ねむくなってきた。
もはやなにもみえないめをとじそうになる。
「ーーーラーー君!寝ーーな!!起きーー!」
さけびごえがきこえてきた。たぶんさくらだ。
ごめん、むりかも。まじでねむい。つかれた。
はやくやすみたい。もう、らくになりたい。
「ーー逃げーーよババーー!俺がーー手だ!」
「邪魔ーー!退けこのーーーがぁ!!」
どうやらはるとにぼうがいされているらしい。
さくら、にげてよ。なんでにげないんだよ。
げいるがまってるよ?なんで?なんでーーー
【それは、貴方が生きているからですよ?】
ーーー!?だれだろうか?おんなのひとのこえだ。
【ーーボクは、この世界の神と呼ばれている者でございます。そうですね……『ゼロ』とでも名乗っておきましょうか。それでは本題に入りましょう。貴方は先程「なぜ個……サクラは逃げないのか」と申しておりました。間違いありませんか?】
その【こえ】ーー『ゼロ』となのったそれは、たんたんとしたはなしかたでぼくにかたりかけてくる。
ややはんしゃてきではあったが、ぼくはゼロのしつもんにあたまのなかでうなずいた。
するとゼロはだまったあと、よくわからないことばをとなえたのちにぼくにさいどはなしかけてきた。
【ーー誠に残念ですが、貴方はもう助かりません。肉体だけでなく魂まで深い傷がズタズタにつけられており、もはや修復不可能の域を超越しております。神と言われるボクでも、今回ばかりは限界になってしまう状況なのです。【神】と言われるボクを超越する存在、それが貴方が剣を交えたハルト・タナカという勇者なのです】
ーーーはは、あながちまちがってないや。
まぞくのぐんのみんなをせん滅しただけでなく、とうさんをらくらくと殺したゆうしゃに、とっけんもなにもないぼくがかてるわけがなかったのだ。こんなことになるのなら、さいしょからひゅーじさばくをおうだんするいきかたのほうがあんぜんだっただろうに。
へたによくばってじかんたんしゅくしようとするからはるとにそうぐうし、いまこうしていのちのともしびが尽きようとしている。
はるとの「状況判断能力が著しく欠けている」ということばはただしかったのかもしれない。
ああ、さすがはるとだ。さすがさいきょう。
てんさいはあたまのまわりかたもちがうんだな。
【ーー貴方は仲間だけでも逃がしたいのでしょう?】
ゼロがはなしかけてきたので、おのれのかんがいにひたるのをやめ、そくとうでうなずいた。
【ーーでしたら、早急に死亡することが一番よろしいでしょう。貴方が亡くなれば、貴方のお仲間は退避すると90%で予測。……いかがなされますか?】
ーーーなるほど、ぼくが死ねば。
ぼくが死ねば、あの2人はにげられる。
たしかに、こんなむしのいきで生きる屍をぎせいにしてあの2人ふくめた4人がぶじにこれからも生きられるなら、生きられるならーー。
(ーーーああ、そうするよ)
【ーーー了解しました。意識の強制消去を開始ーー】
ふたつへんじでゼロのことばにうなずいた。
そうすると、さきほどからつよかったねむけがさらにまし、どんどんなにもみえないまぶたがさがっていくのをかんじる。めがないのでよくわからないが、そのちかくではさくらとはるとがけんとかたなをしょうとつさせあっているらしく、かるいきんぞくおんがとぎれとぎれにきこえる。
だがそれもすぐにとおくなり、ぼくのみみにはおとがさらにはいらなくなった。はなもいつのまにかてつくさいじぶんの血のにおいをかんじなくなり、しょっかくはすでにしんでいる。みかくもさきほどからてつのあじがぬけなかったがそれもとおくなっていく。
(《ーーーインーーダーーやめてーーー》)
あ、さてら。忘れた。
ごめん、300ねんぶりのじゅにくだったのに。
でもぼくが死んでもさてらは死なないから大丈夫。
ごめん。
ーーーそういえば
ぼくのじんせいいやませいってなにをなしとげるためにあったんだろうかれんやみくやげいるはたすかったかもしれないがまぞくのみなのきぼうをせおっているのにいまだにるくさすにたどりつけないどころかいまこうしてゆうしゃはるとにころされかけているってぼくはなにがしたかったんだろうかわからないわからないよおしえてよとうさんきーらごれあすぞるてうすらうすぼくはなんのためにうまれてきたのかそれすらもわからないまましにたくないよあーでもむだかどうせいまからあのよにいくんだからそしたらきけるかなああはやくみんなにあいたいないっそのことはやくらくになってしまいたいせきにんなどほうりだしてはやくかつらくにいきたいそういえばみおはげんきかなじんまたいせんいこうまったくおとさたないけどもしかしたらにんげんにつかまっているのかもしれないあるいはもうーーいやかんがえてもしかたないよなどうせぼくはいまからしぬんだからさもしいきてるならぼくなんかよりいいかれしをみつけてしあわせになってほしいな……いやだなあやっぱりみおのとなりにたつのはぼくがいいなあああいやだよしにたくないよでもしぬんだよなあたすけてよだれかだれかだれでもいいからさぁーーー。
ーーーあ、もうむりだ、しぬ。
みんな。ごめん。
父さん。キーラ。ゴレアス。ゾルテウス。ラウス。
ごめんなさい。