20話 華やかに 散り行く命 儚きとーー
風が吹き荒れ砂埃が巻き上げられる岩場地帯。
その場に立つ、5人の戦士と1人の殲滅者。
白黒が入り乱れる髪を持つ美形の青年。豊満な体と可憐な顔を持つ金髪青瞳の少女。日焼けした筋肉質な体を持つ禿頭の男。橙に染まり切ってない黒髪を持つ茶瞳の青年。黒髪黒瞳の顔に大きな傷がある少年。
彼らの反応は様々だ。自身満々の者、慢心が抜けきっていない者、表情から油断が抜けていない者、こちらの実力を確かに測り実力差で怯える者、強敵との戦いに心を弾ませる者。
ーー若い。全員が人生経験が足りていない。
彼らを見下ろす長身ーーサクラは、そう捉える。
「おい貴様!我々勇者は人々の安泰を守るために貴様ら悪をこの世から抹消することが役目なのだ!」
「我々からすれば絶対悪以上にありがたい存在は居ませんよ。何せ全ての責任を被せられるんですから。絶対悪を作り、心身共に殺す…その正義の行いがどれほど気持ちがいいことか!」
「意見が被るのは癪だけどアンタは頭が悪いと言わざるを得ないわぁ。魔族はみんな生誕罪!生まれたこと自体が罪!アンタはそれに与した大罪人なのよぉ!」
「……正しいこと、か」
「何よタケル。文句あるのなら裏切ればぁ?」
「いや、違……!そういうことじゃーー」
「黙れ。殺されたくなければな」
「ーーアナタ、バカを極めてませんか?」
ハルト以外の各々はサクラに罵倒するが、タケルだけはサクラへの罵倒をせず、むしろ思うところがあったように悩んでいるようだった。
それに目をつけたフェルシュをはじめとした3人はタケルをボロクソに非難し始める。それに悲しそうな目を向けるタケルと、タケルを好き放題コケ下ろす3人を睨みつけるハルト。
ーー全く絆が育まれていない、反吐が出る関係。
サクラは内心、そう吐き捨てる。
「来いよ、《黒百合》。決着付けようじゃねぇか」
そんなふうに冷えた目線を向けていると、咳払いでタケルを虐める3人を立ち直らせ、それを確認したハルトから、サクラは名指しで声をかけられた。
そちらの方に瞳を向けると、彼は光のない瞳でこちらに目を合わせ、彼が持つ超越聖剣を向ける。
眩しく光り輝く聖剣と、光の失われたハルトの瞳。
その姿は、昔のサクラの姿にそっくりだった。
サクラは小さく深呼吸する。それにより無駄な雑念が頭から抜け落ち、彼女の頭に残るのは闘志だけ。
黙り込んでいたサクラに痺れを切らしたのか、ハルトが自分が持つ七色に輝く剣を振りかぶり『飛ぶ斬撃』をもう一度放とうとしていることが分かる。
彼の目には虚無のみが宿っており、何の為に生きているかが分からないようだ。だがその黒の瞳は、時々隣に並び立つ黒髪の少年へと向いており、無表情を偽って人を気にかける程には心があるようだった。
相変わらずサクラと似ている。何もかもが。
一部の身内への甘さも、杜撰さも、勇気の無さも。
「終わりだ!!『終焉断斬七光撃』!!」
ハルトがその手に握られる超越聖剣にある魔力を全て消費し、彼の体に纏っていた虹色に輝くオーラも全て剣に注ぎ込んだことによる最終奥義が放たれたのだ。
サクラに残された選択肢は避けるか受けるかの二択に絞られるが、サクラに残された選択肢は実質一つのみであり、避けるしか無くなった。
掠っただけでも致死的な一撃がサクラへと迫る。
がーーー、
「"桜流 抜刀"ーー『鳳閃火』」
サクラはそれだけ言って、腰の刀を引き抜く。
その速度は迫るハルトの最終奥義よりも素早く、違和感に気づいたハルト以外は誰も理解できていなかった。
瞬間、何か硬い物同士がぶつかり合ったような甲高い音がハルト達の耳を劈き、サクラが手に持つナマクラを上に振り上げた。
ーーー何故か振り上げられたのだ。
ハルトの放った最終奥義の斬撃は空中へと軌道が外れ、虹のように空に光り輝く。それを理解できないハルト以外の者は唖然とし、飛んでいく七色の斬撃をただ見ることしか出来なかった。
「……軽いな。斬撃も、人生も、何もかも」
サクラがそう吐き捨てた瞬間、空中へと飛んでいったハルトの最終奥義が爆発した。灰色の雲で覆われていた空が七色に光り輝き、その眩い光にタケル達は目を覆うしかなくハルトでさえも顔を顰める。
角度的に光を直視しなかったサクラはその場に佇みながら、こちらを睨むハルトと目を押さえる4人を見る。
大規模な魔力爆発が空を包み、張ってあった暗雲が全て吹き飛び、晴れ渡った夕暮れの空が姿を現した。七色の魔力の残滓が空を照らし、まるで快晴の昼間のような明るさを大地に届ける。
だがそれだけで済まず、地上へと強烈な衝撃波が荒れ狂い、サクラとハルト以外の4人は弾き飛ばされそうになる。サクラとハルトは体幹で耐える一方で、ハルトを除くタケル達は武器を地面に突き刺したり遮蔽物を作るなどして耐え忍んでいた。
吹き荒れる衝撃波は少しずつ収まっていき、真っ平に整地された岩場地帯に残されたのは、勇者ハルトを始めとした6人の選ばれし戦士達だった。
「おい」
ハルト達の耳に、中性的な声が響く。
その声は聞き流そうとしてもこちらの精神を丸ごと捉え、その精神を一切離そうとしない、まるでコールタールのような重い声であり、意識から剥がそうとすればなおも絡まって剥がすことのできない声だった。
「私はね、怒ってるんだ。それもすごくね」
また先程の中性的な声が聞こえてきた。
今度は少し長く、淡々としている声だが、相手は確実にこちらに語りかけていた。
それは能天気なフェルシュでさえもはっきりと認識でき、彼女は普段しないような冷や汗を浮かべた神妙な面持ちをしながら、相手の話を黙って聞いている。
ーー何故なら、相手は激怒しているから。
普段見せないような憤怒を激らせ、今にも爆発しそうな怒気が、相手が発する声の全てに含まれていた。
それは他メンバーも勿論承知しており、確実に相手の逆鱗に触れてはいけないことを精神に刻み込まれる。
彼女は腰から白い紐を取り出して自身の長い茶と黒が混じる髪をまとめ上げていき、前に垂れる一本の前髪だけはそのままに涼しげで動きやすい髪となった。
まあ、ハルト以外にそれを見る余裕は無いのだが。
「私はね、別にキミ達が何かしなければ特に手を出したりはしなかった。もしかしたらキミ達と手を取って仲良く出来た世界のお話もあったかもしれないと思ってる」
相手はなおも話し続ける。
しかし交渉の可能性は完全に潰えたらしく、今更何を言っても相手は引き下がらないだろう。
語気はそのままなのだが、サクラから物理的な覇気の剣呑さがどんどん増していき、まるで全身を針で突かれているような緊張感が5人の心を覆い尽くす。
ーーこの場において、ハルト以外は完全に被食者へとなったことを嫌でも思い知らされ、絶望しかける。
だがそこは勇者一行というべきか、タケル以外の3人の心は絶望に呑まれず、相手への怒りで中和した。
「……何を怒っている?怒りたいのは私なんだが?」
その瞬間フェルシュ、マシュー、キョウヤの頬に銀閃が掠め、そこに赤い線が一本引かれた。鋭い痛みが来たと同時に赤い液体が流れ落ち、それと同時に理解する。
ーー自分達は、サクラに斬られたのだと。
ハルトのように『飛ぶ斬撃』を放つことであの場から一歩も動かずに、こちらを斬ってきたのだ。
だが、どうやら狙いを外したらしい。この技量なら、外さなければフェルシュ達を狩れただろう。
しかし今こうしてフェルシュが生きていることを根拠に、サクラが攻撃を外したことを意味しーーー。
「すまなかったな。敢えて外した」
ーーていなかった。故意的に外されていたのだ。
その真実を知らされた際、あり得ない事実を前に脳が理解を拒み、脳の思考能力が機能停止する。
そんなわけがない。あり得ーーー。
「勝手に思っていればいい。じきに分かる」
サクラはそう吐き捨て、ハルトに声を向ける。
ハルト達はまだ顔を上げていないので彼女の表情を見ることはできなかったが、察することはできた。
ーー確実にキレている。
ハルト達は、サクラの触れてはいけない逆鱗に触れるどころか引き剥がし、跨ぐことすら許されない虎の尾を何度も踏んだのと同然の行いをしたのだ。
「私は、400年ぶりに外の世界へと出た。世界は綺麗だったよ。流れるような風に花が揺られていて、橙色に光り輝く太陽を見たのは数100年ぶりだった。身体で自然を感じるのなんてずっとやって来てたのに、綺麗と思うなんて久しぶりだった。……楽しかったな」
サクラは唐突に一人語りを始め、ハルトを除いたフェルシュ達は唖然とする。
先程まで明らかにブチギレていた強者側の人間がいきなり冷静になり、淡々と話し始めていることに正気を疑わざるを得ない。
だが確認も疑うことも、ハルト以外にはできない。
何故なら、サクラから感じる覇気の剣呑さは一切変わっておらず、少しでも気を抜けば自分の首が刎ね飛ばされることがひしひしと伝わってくるからである。
サクラが発しているのは覇気ではなく殺気。
研ぎ澄まされた刃のような殺気が、ハルト達の体全てを刀身で撫で回すように立ち込めているのだ。
「でも、お前らはそれを奪おうとした」
いきなりサクラが放つ殺気が強くなった。
それを肌で感じたフェルシュ、マシュー、キョウヤの3人は反射的に顔を上げ、サクラの表情を伺う。
どれだけの怒りを込めてこれほどの殺気を解き放っているのか、それを知る為に、顔を上げてしまった。
「ーーひ」
瞬間、フェルシュは顔を上げたことを後悔した。
マシューとキョウヤも驚愕と恐怖を隠し切れず、上を見上げた体勢のまま全く動けなくなっている。
それを訝しんだタケルはその表情に釣られて、うっかり警戒を怠って上を見上げてしまった。
……その目に光は一切宿っておらず、彼女の黒瞳はどこまでも深く沈むような漆黒の闇の如き色となっており、顔も完全な無表情に、こちらを見る目はもはや生物を見るそれではなくなっている。
失望。諦観。興味の喪失。無関心。無感情。
彼女の美形の顔は、ただそれだけを語っていた。
「お前らは最初からライン君をつけていたんだろ?ライン君の育ての親を殺し、一度デザイアへと帰った。そんな醜悪なヤツら『お前は絶対悪』だって?……ふざけるのも大概にしておけよ、クソガキ共が」
今のサクラに怒りはほとんど無くなっている。
一度殺気が溢れ出したが最後、その後のサクラにはある一つの思いを残して一つ以外全てが消失する。
底知れぬ殺気。
それを理解した瞬間、タケルは心底震え上がった。
ハルトのような化け物に並ぶ存在が敵対して目の前で、ハルトと同じ目でこちらを見下ろしている、この状況そのものが心底恐ろしかったのだ。
「絶対悪は私達人間だろ?お前らは私達人間が犯して来た罪を棚に上げて、生まれただけの魔族の昔の罪を掘り返して一方的に責め立てているだけ。それはお前らも全く同じ。私も同じだ、何も変わらない」
彼女が一言発せば、殺気も高まっていく。
収まらない殺気は全て大気に放たれ、剣呑さを増してハルト達を押し潰さんと襲いかかっていくのだ。
「誇り高く誠実で絆が強い種族?違う。負の歴史から何も学ばない塵のような種族。それが人間」
それだけ吐き捨て、サクラは刀を構える。
下から体を斬り裂くような態勢になり、刀の刃を地面に向けて何らかの斬撃を放てるような格好になる。
その動きをハルト達が無視するわけなく、ハルトだけでなくフェルシュ、マシュー、キョウヤ、タケルも武器を強く構える。
フェルシュは爆裂魔法が放てる準備をし、マシューは全身をダイヤモンドに硬化させ、キョウヤは蘇らせた巨大海蛇を展開し、タケルは腰から抜いた剣にビームを纏わせ、最後にハルトは超越聖剣を強く握りしめて構え、未だその場から動こうとしないサクラに狙いを定めた。
そしてーーーーーー
「ーーお前ら、楽に死ねると思うなよ?」
サクラがおぞましい笑顔でにやける。
その目には殺意しか込められておらず、ハルト達は人間として、生物としての危険信号を受信した。
その瞬間、ハルト達の恐怖心がキャパを超えた。
「『無限嵐乱全斬』!!!!」
「『爆裂業火』!!!!」
「『傲慢無比なる一投』!!!!」
「召喚獣召喚:『巨大海蛇』!!!!」
「『光烈連続斬』!!!!」
全員が自分達の渾身の技を叫んだ瞬間、その場から全く動かないサクラにさまざまな攻撃が飛来した。
森羅万象を斬る斬撃の嵐が。
全てを焼き尽くす火力の火球が。
サクラが乗る岩とは比較にならない岩礫が。
何もかも喰らいつくそうとする巨大な海蛇が。
光で構成された、大量の光の刃の嵐が。
それらは豪速でサクラに迫り、そしてーーー
攻撃効果を全て失った。
▽▲▽▲▽▲▽▲
タケルは絶望した。
自分の放った無数の光の刃は、もれなく全てあらぬ方向へと弾かれ、中にはこちらに飛来して自分達に当たりそうになるようなものもあったから。
キョウヤは愕然とした。
けしかけた巨大海蛇がこちらに向かってくるような形の無数の斬撃で、一瞬で刺身へと解体されたからであり、さらにシーサーペントの心臓部の心核も粉々に破壊され、シーサーペントを再度召喚できなくなったことが確定したから。
マシューは驚愕した。
一度拳と刀を交えた時から薄々感じていたサクラの強さだが、今回はそれ以上だ。
投げた巨大な岩石の岩雪崩、受け止められまいと考えていたが、サクラは飛来した岩石全てを砂レベルにまで斬り刻んだのだ。
それも、あの一瞬でそれだけの量の岩石を。
フェルシュは脳が理解を拒んだ。
自分のエクスプロージョンは誰にも防がれたことの無いフェルシュの最強奥義だが、あのババアはその火球を真っ二つに斬った。
火球はサクラの横を通り抜けた後に少し飛び続けて爆散し、熱風だけがフェルシュの身体で感じることができたが、それをフェルシュは信じられなかった。
ーーそしてハルトは、生まれてから2度目である、心が死んでいく独特の感覚を味わった。
誰もが皆平等に絶対に味わう、人生の終着地点。
その感覚、香り、音、色、暖かさ、視覚情報。
そのうちの視覚を活用して、目だけ動かす。
ーー自分の首から斬り離された胴体が見えた。
それは血を延々と噴き出し続けており、辺りにも鮮血と血糊を撒き散らしている。
血がまともに頭にかかったフェルシュとタケルは呆然とした表情を崩せず、体がフリーズしているようだ。
ーーああ、そういうことか。さきほどからからだからかんじるこの『いわかん』はーーー
これがじんせいのさいしゅうとうちゃくちてん、
死。死。死。
死。死。
死。死死死しししししーーーーー。
飛び散る鮮血。吹き飛ぶ《最強》の首。
それを見上げる、一人の女。
その姿は、血濡れた刀を持った体制のまま。
《最強の勇者》ハルト・カツラギは、名もなき岩場地帯で《血桜》の凶刃により、儚く絶命したのだ。
「"桜流 回刀"ーー『日廻』」
サクラはそう呟く。
手には赤い液体が付着した刀を持ちながら、彼女は態勢を変えずに周りに目を動かし、自身の刃にかかる次の獲物を探す。
その光のない黒き瞳を、ギロリと動かしながら。
ーーー隻腕の女が、最強の首を刎ね飛ばした。
その事実を飲み込めずに、最強の勇者ハルトの仲間たちーーフェルシュ、キョウヤ、マシュー、タケルは自身の目と脳がおかしくなったのではないかと疑う。
あと鼻も。何故か妙に鉄臭い。異常なまでに鉄臭い。
あの最強の戦士ハルトの首が、こんな女に簡単に刎ね飛ばされた。あり得ない。
そうだ。そのハズなのだ。それーーー
しかし4人の真っ白になった視界に、明るい赤色がフェードインしてくる。見るつもりはなかったが、ただその場に呆然としていたら嫌でも視界に入ってしまっただけであって。
そしてうっかり、視線をそちらに向けてしまう。
あったのは胴のみとなったハルトの死骸で、それは首の付け根から大量の血糊と鮮血を辺り中に撒き散らして辺り一面を真っ赤に染め、撒き散らされた鮮血がハルトの隣に居たフェルシュとタケルに降りかかる。
フェルシュは自身の頬、タケルは自身の頭に降りかかった液体に触れて掌を見る。赤い。真っ赤だ。
さらに間髪入れずにサクラが飛び上がり、空中に吹っ飛んだハルトの生首を地面に向けて殴り飛ばした。
その勢いは音をも置き去りにするスピードで、そのような豪速で固い地面に叩きつけられたハルトの首は弾け、辺りに体液を撒き散らしながら肉塊と化した。
タケルはゆっくりと目を向ける。
そこにはハルトの黒い目玉だけが、その光の無い黒瞳をこちらを向いており、そこに命の形は無かった。
彼の顔は今、肉塊と化した。
《最強の勇者》ハルト・カツラギは、死んだのだ。
▽▲▽▲▽▲▽▲
「ーーーひ」
「!!!?……アンタ、何をーー」
「ハルト殿!!……貴様ァ!!!!」
「え?はぇ、え?」
やっと今起きたことを理解できた4人だったが、それでも即時行動に移れた者は限りなく少なかった。
4人が後ろを見ると、そこには返り血で赤黒く染まるマントを羽織る長身の殺戮者、サクラがいた。
彼女も既にこちらを見据えており、その光の無い目をこちらに向けながら選定している。
誰が、次の獲物になるかを。
タケルは恐怖のあまり腰を抜かし、
フェルシュは突然のことに動揺を隠し切れず、
マシューは即時臨戦態勢に移り、ハルトの死骸がこれ以上傷つけられないように全身を金剛へと変え、
キョウヤはまだ完全には理解し切れておらず、また再思考し始めたことによりフリーズする。
※ ※ ※
(さて…どれにするべきか……)
サクラは静かに考える。
5人組の中での最強は何とか初撃で屠れた。
あとはコイツらを皆始末するだけなのだが、その前に自分を強化したいと彼女は考え、誰が一番自分の体に馴染むかを探しているのだ。
候補は2人。サクラは第一候補の少女を見やる。
少し細いが一番自分の体型に近い。
正直接着できるかはライン次第だが多分できるだろう。さっき自分に斬られた足接着してたし。
そうまとめ上げたサクラはフェルシュの方を向き、フェルシュの細い左腕に向かって、己の手に握られた刀を振りかぶる。
※なおこの間0.2秒(思考時間0.1秒+刀振り0.1秒)
※ ※ ※
「ーーひっ!?」
自身へと迫り来る殺気に悲鳴をあげながら、フェルシュは反射的に絶対障壁を展開する。
これが奇しくも大当たりした。
その刹那、フェルシュの左腕に向かってサクラが抜刀し、バリアと鉄の刃が衝突する甲高い金属音が響く。
ーーもしバリア展開が遅れていたら。
その「もしも」の話にフェルシュは心底恐怖する。
もしあと1秒バリア展開が遅れていようものなら、自分の腕は失われていただろう。
一応フェルシュ達を召喚したデザイア国には体の欠損すら復活させる、凄まじい回復技術を有しているのだが、腕を失った際の痛みの記憶までもは消えない。
自分は強者だ、ババアに舐められてたまるか。
フェルシュは自分を真っ先に狙って来た目の前のババアに対して憤り、彼女が持つナマクラに警戒を示して何が何でもバリアは解かないと心に誓った。
その意地が、自分を殺す刃となることを知らずに。
するとサクラはいきなり退いてフェルシュに向かって刀を投擲してきたが、もちろん無敵のバリアに守られているフェルシュに当たることなどなく、刀は金属音を立てながらあらぬ方向へと吹っ飛んでいった。
(しめた!バカなババアねぇ!戦場で武器を投げ捨てるなんてどうかしてるわぁ!死にたいのかしらぁ?待っててねハルトくん、アナタの仇を、今討つからぁ!!)
それを好機と見たフェルシュは絶対障壁を解除し、丸腰のサクラに対して杖を向け、巨大な火球を放つ為の魔法陣を空中に浮かび上がらせる。
それが致命的だった。
「死ね、このクソババア!!テラザ・フレーー」
ーー瞬間、フェルシュの顔が万力の握力で掴まれてそのまま地面へと顔面ごと叩きつけられらそれどころかあまりの威力に大地が割れる。
地面に組み伏せられたフェルシュは何が起きたのかを全く理解できておらず、それを理解しようと全思考を注ぎ込むが、理解が間に合わなかった。
フェルシュは愚かだった。この刹那、攻撃魔法を放つことを第一に考えていれば、フェルシュにも勝ち目があったかも知れなかったはずなのに。
サクラはフェルシュの土手っ腹を踏みつけ、フェルシュの左腕を自身の右腕で掴み、人間の力の域を遥かに超越している力でフェルシュの左腕を引き始める。
圧倒的な力によって自分の肉体が引っ張られる痛みがフェルシュを襲い、彼女の顔が苦痛で歪んでいく。痛みから絶叫し、足をバタつかせて何とかサクラから逃れようとするも、腹を踏まれていることによって固定された体は動かない。
まさか腕を千切ろうとしているのだろうか?いや、まさか。いくらサクラが化け物でも流石にその所業は悪魔のそれを大きく超える。
しかしいくらあり得ないことだと思い込んでも、フェルシュの歯がカチカチと震えている。どれだけ自分に言い聞かせようと、本能からの恐怖心は消えない。
あり得ないだろう。あり得ないんだ。ありーー、
「さっき言っただろ?『楽に死ねると思うな』と」
そんなフェルシュの淡い希望は、サクラ本人の口から完全に否定された。
サクラは更に右手に力を込めて引き続け、それによりフェルシュの肩が脱臼する。絶え間ない激痛にフェルシュは絶叫し、体をのたうち回そうと激しく抵抗するが、それはかえって腹の激痛も悪化させるだけであり、腹のほうからも腸が潰れていく音が聞こえた。
激痛が身体中を駆け巡り、あと少しで正気を失う寸前にまで精神が追い詰められていく。口の端から泡を吹き、白目を剥きかけていたフェルシュだが、今意識を失ったら確実に腕が持っていかれる。
フェルシュは最後の藁に縋るために自身の意識を叩き起こし、絶叫によって破れた喉で何とか音を発せるようにした後に、その喉から掠れた声を漏らす。
「すい"ません"!ごめんなざい"!調子乗ってしまってごめんなさい!謝ります!謝りますから手を離して下さい!このままだと腕が千切れ痛あ"あ"あ"!やめてやめてやめてやめてやめてやめて離して離して離して離して痛い痛い痛い痛いあ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"!!」
フェルシュは最後の望みに縋る気持ちで、その青い目に涙を浮かべながらサクラに命乞いするが、サクラは一切の返答を返さず、無言で腕を引っ張り続ける。
フェルシュの腕内部の血管が引きちぎれる音が聞こえ二の腕部分が赤黒く染まり始め、肉の中で血管が引きちぎれる際の痛みによって発された、フェルシュの潰れた喉から今までで一番大きな悲鳴が岩場に響く。
マシューとタケル、キョウヤは何もできない。もはや人間性が完全に欠落した暴君サクラを目の前にした者の心には、皆が同じ恐怖を抱くのだから。
そしてーー、
「細いな。ちゃんと食べろよ、クソガキ」
肉と骨が引きちぎれる音が響き渡り、フェルシュの左腕が肩から先までサクラに奪われた。
無惨に千切られた腕と付け根から大量の鮮血を噴出し、辺り一面に撒き散らす。それと時を同じくし、フェルシュの意識は、耳を劈くような奇声とも取れる断末魔と共に散っていった。
それを見たマシューは即座に肩にハルトの亡骸、右手にキョウヤ、左手にタケルを持って退散する。
できるだけ距離を離そうと走りながらタックルで岩壁を破壊し、サクラが視認できない位置にまで逃げた。
「退き際を理解して、肉壁を持ちながらの逃亡。自分の命を守る為の動きとしてはいい判断だな」
それをサクラは敢えて見逃し、右手に持つフェルシュの左手を見やる。引きちぎられた傷口からは今も血が滴り、サクラが掴んでいた位置は内出血で赤黒くなっていた。
だが、これでいい。サクラは断面を綺麗にする為に吹っ飛んでいった刀を拾い上げ、それでガタガタになっている腕の断面を切断した。想定よりも少し短くなったものの、この程度なら妥協ラインだろう。
「ーーさて、戻るとするか」
サクラは意識を失ったフェルシュを無視し、ライン達がいる場所へと戻って行った。しかもジャンプを繰り返して移動するのではなく、一度跳躍した後は岩壁を壁キックしながら軽やかに、かつ速く移動する。
▽▲▽▲▽▲▽▲
「ーーやあ。戻ったよライン君」
足の結合具合を確認していると、軽やかな動きで長身のイケメン、サクラが戻ってきた。彼女の体を見やると一見は返り血だらけで焦ったが、特に傷などはなく、無事だったことが分かり、ラインは心の底から安心する。先程デカい断末魔が何回も聞こえた気がするが、あれは誰のものだったんだろうか。
あと髪を束ねていた。気合い入れの為だろうか。
するとサクラはこちらに向かって何かを投げ、その何かは地面に落ち、グチャッという音を立てて着地した。
ーーふと見ると、それは誰かの腕だった。
指や掌の形から左腕だろうか?筋肉質ではない腕だったので多分フェルシュのものであろうそれは、こちらにその綺麗な断面を覗かせ、今もなおジクジクと鮮血が漏れ出している。
「うわぁああああぁぁ!?腕!?え、ちょっと待て、これどうやって持ってきた?あとこっちに傷口を向けるように投げるなグロすぎるわ!!」
「すまん。私もこの戦い方をするのは久しぶりでな、つい荒っぽくやってしまった。どうか許してくれ」
ーーま、まあいいだろう。
というか先程からサクラの話し方がかなり変わっている気がするのだが気のせいだろうか。普段から中性的な喋り方をしているサクラだが、今は女らしさが全く感じられない、男性的な喋り方をしているような。
「ああ、この話し方か?これが私本来の口調だ。召喚前から殺された父の代わりに母を介護していたことが理由でな、気に病んだ母を落ち着かせようと男口調に変えたことが原因だ。まぁ、無視してくれるかい?」
うん、超気になる。普段から変わりすぎてて違和感しか残らないし、語気がキツくなってる気がする。
400年前の仲間たちとはこのように話していたと考えると、まだ信頼され切って無かったのでは、と、ラインは誠に勝手ながらもショックを受けた。
そしてサクラは咳払いし、本題へと入る。
「ライン君。キミは先程、私が斬った足を接着していただろ?」
「うん、出来るかは分からなかったけど、勇者に斬られなかったから大丈夫だったよ。ほらこの通り」
そう言って、ラインはサクラに自身の足を見せる。
足には接合されたような痕が残っており、何らかで足を斬られたことが一発で分かるようになっていた。
するとサクラは少し考えた後、ラインに言う。
「キミの回復魔法、少し変わっているように見える」
「ーー?変わっている?」
「ああ。本来の一般的な回復魔法は『治療』だが、ライン君のは『治癒』だろ?それに、治療は治した傷跡は残らないハズだが、キミのは残っている」
「???」
…確かに自分の回復魔法は他の人が使うモノと比べて少し違うような感じはした。
まあこの能力のおかげで今こうしてラインは生きているし、それには感謝している。傷を治す時に削れた肉が埋まっていく関係上痛いのだけは不満ありだが。
するとサクラが咳払いし、本題を話し始めた。
「まあいい。それは全部終わった後に聞く。じゃあ本題だ。ーーその回復魔法を、私の左腕の付け根とフェルシュの左腕に付与して貰えるか?もし上手くいけば、私の戦闘力も飛躍的に向上する。どうか頼みたい」
ーーは?他人の体と他人の体の接合?
そんなことできるのだろうか?確かにラインの両脚とミクスタの太腿・お尻なら接合できたが、これらは本人のものを断面に合わせて繋げただけだし、断面も比較的綺麗なものだけだった。
それに血液型の問題もある。完全に接合するなら血管も繋げることになるが、血液型は4つ。サクラとフェルシュの血液型が合わなかった場合、サクラの体が拒絶反応を起こして最悪死ぬ可能性すらある。この問題が解決できない限り、サクラの提案は飲めない。
一応、神経と肉だけ繋げる選択肢もあるが……。
「ーー。分かった、やってみるよ。だけど2人の血液型が分からないから血管以外の神経や皮を繋ごうと思うんだけど、大丈夫かな?下手に繋いでサクラが死んじゃっても嫌だし、何かいい方法があればいいんだけど…」
「それなら大丈夫だ。恐らくだが、この体は異なる血液型にも適応する。だから、安心してくれるか?」
ラインが不安になっている時に、サクラがそれを保証する。まあ確かに、腕を吹っ飛ばされた人が言うなら間違いないのだろう。というか信じるしか無い。
今はサクラを信じる。自分にできるのはそれだけだ。
「ーーじゃあ、やるよ?死んでも恨まないでね?」
「死なない。皆で生きて帰るぞ」
ラインが確認すると、サクラは力強く否定する。
しかしその否定は嫌味などのマイナスの感情は一切込められておらず、ただ皆で生き延びることへの強い決意と覚悟が込められていた。
それを聞けて安心した。彼女は死ぬつもりはないらしいし、命を投げ捨てるような真似はしないだろう。
そう考えて、地べたに落ちていたフェルシュの左腕を拾い上げる。まだもぎたてだからか知らないが、今も脈が波打っており、持っただけでもドクドクと動いている。正直気色悪い。人の腕を持つなど初めてだからだ。
そんなことはどうでもいい。ふと前を見ると、サクラがしゃがみながら自分の左腕の付け根にあった包帯を外している。巻いていた包帯は真っ赤に染まっており、出血は相変わらず続いているようだ。
外し終わると、付け根からは未だ鮮血が出ていたようで、少しの血液が地面に落ちた。相変わらずのグロさだが、今はこれが丁度いい。
サクラの付け根とフェルシュの左腕を合わせると、意外にもサイズがちょうど良かった。少し筋肉量が違っている程度で、太さも大体同じ。それに断面も互いにスパッと斬られた痕なのでフィットする。これなら恐らく問題ないだろう。
「ーー『治癒』」
サクラの腕の付け根に自身の右手を添えて小さく唱える。すると、サクラの付け根とフェルシュの左腕に淡い光が纏わり始め、やがて包んだ。その光内ではグチャグチャと嫌な音が出ているが、ちゃんと接合自体は上手くいっているらしい。サクラの表情も大して痛そうではないし、多分大丈夫なのだろう。
30秒ほどそうしていると、やがて光の中から音がしなくなった。手を翳すのを止めると光も散っていき、サクラの腕が顕になった。
「ーー数年ぶりの感覚だ。腕があるのはこうも動きやすいものなんだな。ありがとうライン君、礼を言う」
そこには腕が装着されたことにより全盛期の力を取り戻した女、《黒百合》こと『サクラ・オカザキ』の完全体(仮)がいた。(仮)をつけたのは、腕が他人のものだからである。もしラインが欠損部位を復活させられるのならば、真の完全体にできるのだが。
彼女は手を握ったり開いたりし、感覚を確かめる。特に異常はないらしく、ちゃんと機能しているようだ。
だがよく見ると、完全に接合したはずの繋ぎ目から血が滴っていた。おかしいと思い、レンやミクスタの傷の繋ぎ目を見るも、こちらは全く大丈夫だった。
なぜサクラだけ治りきらないのかと疑問に思っていると、彼女自身が口を開いて、考察を述べて来た。
「多分、私の魔法と状態異常への抵抗力が異常に高いのが原因だろう。私の見解だと、30分がこの腕の寿命。だからそれまでに決着をつけてくる。キミ達はそれまでに逃げる準備をしておいてくれ」
そう言って、サクラは腰を低く構え、そのまま足元の大地を踏みしめた。どうやら戦場に戻るようだ。ラインも彼女の方を向き、その後ろ姿を見送ろうとする。
ーーその一瞬、サクラが一言。
「ーー私なりの考察だが、恐らく勇者ハルト達はキミの父の部下達は殺していない。あの表情の変化は本当に知らない者の反応によく見られるからな。まあババアの戯言だと思っていればいい。気にするな」
ーーーーえ?
彼女を問い詰めようとしたが、サクラは既に少しの土埃を上げていなくなっており、どうやらもう勇者ハルトの残党達の元へ移動してしまったらしい。
ゲイルが魔法陣を生成し始めて3分弱。残り2分を稼いでもらえるのはありがたいのだが、ラインは先程サクラが呟いた、「ハルト達は四天王を殺していないのではないか」という推察が気になって仕方ない。
だが結局ラインの血の抜けた頭で熟考など不可能であり、再発した頭痛によってその思考は閉ざされる。
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サクラが豪速で戻って来ると、その場には日焼けした筋肉質な肉体が特徴的な、禿頭の男が1人だけいた。
1人になったところで、敵は敵。相手がこちらの無血開城を蹴った挙句味方側に犠牲者が出た関係上、今更サクラが手加減したり見逃したりする謂れは無い。
そう割り切った彼女は、その冷徹な黒瞳を下す。
「ーーよぉ若造。お前だけか?死にに来たのは」
「あの荷物持ちなどいるだけ邪魔だ。奴にはあのクソビッチと役立たずキョウヤの相手をさせている。奴とあの女しか回復魔法は使えないからな、戦えるのは俺だけだったわけだ。…無駄話は終わりだ、殺してやるよ」
彼曰く、あの顔に傷のある少年が、回復魔法をフェルシュにかけているとのこと。それに加えて、キョウヤは今茫然自失状態とのことで、今は1対1でケリをつけるにはもってこいのタイミングだということが分かった。
それは相手も同じだったらしく、こちらに話しかけながら体を少しずつ金剛石へと変質させていき、ついには腕全体が純度100%のダイヤモンドへと変化した。幾万ドルの価値があるかすら計り知れないそのダイヤモンドは、空から降り注ぐさまざまな光を反射して半透明の輝きが止まることはない。
これが《金剛筋肉》の二つ名を持つインメート・マシューの特権、『筋体金剛化』である。
だが、彼は憤っていた。敬愛するハルトを殺した愚者に。世界に仇なす宿敵に。荒んだマシューの心を救ってくれた恩人を、見るも無惨な形へと変えた仇に。
憎み、恨み、妬み、心底嫌悪した。
その勢いで手を強く握りすぎてしまい、手の部分のダイヤモンドが少し欠ける。その音で冷静さを取り戻したマシューは前に向き直り、今すでに腰を低く構えて刀を腰に据えるサクラ・オカザキを視認する。
あれはこちらに、抜刀して斬りかかる構えだ。マシューは伊達に長年アメリカのスラム街で生きてきたワケじゃない。そこで積んだ筋力と観察眼は、ハルトを除いてパーティ最高峰だと自負できる。
「ーー『泰山の霤は石をも穿つ』」
ふと、サクラが呟く。文の形からしてなんらかのことわざだろうが、アメリカ人であるマシューからすれば全く意味が分からなかった。
彼がサクラの発言に頭がフリーズしているとーー、
「意味は『どんなに小さい水滴だろうと、何回も何年も積み重ねれば硬い石にすら穴を空ける』。お前の金剛は大したものだが、攻撃すれば砕けるだろ?」
マシューは解説されて分かった。そして激怒した。ーーサクラは、明らかにマシューを馬鹿にしている。
勇者ハルトのNo.2としてのプライドが強かったマシューからすればこれ以上の侮蔑は存在し得なかった。
それにサクラは『金剛』が大したものだと言う。
つまりマシュー自体の肉体は度外視した話であり、それは己の肉体に絶対的な自信があったマシューからすれば、馬鹿にされているとしか思えなかったのだ。
そして、最後の「攻撃すれば砕ける」。この発言は、本来砕かれることの無い金剛を軽々しく見た発言でもあり、能力を侮辱されたのと全く同じだった。
マシューは憤りながら構えを変え、そのダイヤモンドの腕を振りかぶる形になる。サクラの一撃を防ぐ体制から、サクラの一撃を迎え撃つ形へと構えを変更した。
来る。
「『傲慢不遜なる肉体美』!!」
「"桜流 抜刀"ーー『堕椿』」
マシューが手を思い切り振りかぶったその瞬間、とんでもなく甲高い金属音が岩場中に響き渡り、マシューの鼓膜に強く響いた。思わず耳を塞ぎたくなるような不快な音に耐えながら、マシューは真っ直ぐ前を見据える。