14話 膨れ上がる卑劣
ーーー魔界内『四大禁地』『エネミ毒沼地帯』。
植物はおろか建造物すらまともになく、あるのは毒沼と何かの生物の骨、そして破壊された建物の瓦礫だ。
瓦礫の中には、元々は大きかったことが推測されるものもあり、城のような雰囲気があるものもあった。
至る所にある毒沼がボコボコと音を立てている。その毒沼にうっかり入った動物の肉が音を立てて溶かされ、骨も残らず消滅した。
また、空は黒い雲で覆われており、晴れる気配は一切なく、その空を飛んでいた鳥が毒沼からの蒸気で肺をやられて死に絶える。
そんな危険地帯に聳え立つ城の居るのは、1人の魔王候補者と、その世話をする給仕たちだった。
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暗い空間。だが、周りは豪華な装飾が施され、一般的な人間や魔族にはできない暮らしぶりが分かる。
その場所は城。昔ながらの石造りの城であり、西洋感あふれる見た目となっていた。
かつてのデリエブがいた城に良く似ており、余程の立場の者が住んでいることがうかがえる。
その空間の中心にある椅子に、一人の男が座っていた。周りには複数の種族の使用人がいる。彼女らはいわゆるメイドであり、皆若い女性ばかりだ。
彼は砕けたクリスタルの破片のようなものを手に取り、指先で優しく撫でている。しかしその撫で方は何処かイヤらしく、触り方が気持ち悪い。
「ーーなるほど、あんな愚王の息子の割には、随分と頭が切れるようですね。まさか私の能力だけじゃなく目的まで見抜いてしまうとは…正直舐めていましたよ」
彼は少々見直した顔をしており、ラインの推察に感心する。しかしその声色には、明らかにバカにしたような嘲笑が込められていた。
彼はクリスタルの破片から手を離し、隣にある机に置いてあるワインを手に取り、グラスに注ぐ。
ーーこのワインは、人間国家内でしか流通していない特別な品である。彼が何故それを持っているのかは彼の行動が原因なのだが、それはまた別のお話。
「しかし、それももう後の祭り。奴らはもう魔界からは出られません。世界の英雄たる勇者の正義と誇りの剣の錆へと変えられ、魔界で朽ちるのです」
男は椅子から立ち上がり、手の中のワイン入りのグラスを揺らす。そうするとワインが揺れ、丁度よく混ざっていく。沈澱したワインは美味しくないからだ。
彼は窓際に行き、登り始めた朝日すら見えない、真っ黒な雲を見つめている。しかし、すぐに目を離し、周りにいるメイド達を見始めた。
「ーーー勇者をわざわざ配置しましたからね。彼らは頭が堅いサルばかりでしたが、何とか説得に成功しました。全く、私の純潔なる夢が遠のいてしまいます」
彼は、周りの給仕に語りかけるように言う。
しかし、誰も反応しない。というよりは、したら死ぬからだ。彼は天上天下唯我独尊の化身、かつての七罪悪魔にも勝るまさに『傲慢』の極みだからである。
気に入らない回答をしたら死ぬ。気に入った回答をしてもそれは数分しか持たず、むしろターゲットになって気に入らない回答をしてくるまで質問してくる。そして気に入らない回答を返したら殺すのだ。
だが、黙っていても生き延びれる保証は無い。
男は立ったまま、周りの給仕を見渡す。まるで今から彼女らを品定めするかのように、舐め回すように見ていく。
あるメイドは会釈し、
あるメイドは何もせず、
あるメイドは作り笑顔を浮かべ、
あるメイドはうっかり目を逸らしーーー
ーーー次の瞬間、目を逸らしたメイドの胸に、先程男が撫でていたクリスタルの欠片が突き刺さった。
その破片はメイドの胸深くまで突き刺さり、遂には心臓を貫いた。そして背中すら貫通し、後ろの壁に内臓諸共鮮血を噴き出して倒れる。彼女本人は何をされたのかも分からず、真顔のまま問答無用で即死した。
男はその場から動いていない。手だけをその相手に向けて、何かを投げたようにしているだけだ。
これは彼が持つ『特権』が関係しているのだが、彼は自身の手の内を徹底的に隠しており、他の魔族にはもちろん、部下や仲間にさえも明かしていない。
男のその血に引き継がれる慎重さと狡猾さが、彼の強さだ。
「『片付けろ』」
男がそう言うと、他のメイド達はそそくさと屍と化したメイドを運んでいく。また、ある者は絨毯に清掃魔法をかけ、赤く汚れた絨毯を綺麗に戻していく。
ーー彼女らの顔に感情は一切なく、人形のようだった。持ち主が望んだ使われ方をする、ただの道具だ。
この男は、《掌刻者》『シャイス・エバム』。
あの《第10代魔王》、又の名を《卑劣な魔王》と呼ばれた、『リシュ・エバム』の子孫である。
※ ※ ※
この男ーーシャイスの先祖はかつて、世界を混沌に陥れた《魔王》の1人であり、しかも第4回人魔大戦を引き起こした恐ろしい魔王だった。つまりシャイスは、他種族から見れば大罪人の子孫ということである。
だが彼の一族は、魔王が死んだ後は徹底的に善行に徹しており、周りからその行為の真意を疑われることは無かった。その為、あの魔王デリエブにも懇意にされ、『三大魔王獣』が封印されるこの地帯を任されているのだ。
そして16年前にデリエブが『魔王総選挙』で当選した時、彼らリバム一族に、とある時転機が訪れる。
ーーーデリエブは愚かにも、魔族と人間含む他種族との友好的な交流を始めよう、と国民に訴えかけた。
魔族の地位向上も同時に訴えていたが、そんなことは無理な話だとシャイスと彼の父はそう考えていた。
魔族の立場を今の最低ラインから人間レベルにまで引き上げるには亜人族や精霊族を蹴落とさないといけない。しかし、デリエブは「友好的に」と言った。
つまり、「争わずに仲良くしよう」などという夢物語を、何の恥ずかし気もなく全国民に語ったのだ。
そもそも、人間族の《勇者》に没落させられたこの一族が、人間を憎んでいないワケが無かったのだ。
正確に言えば第4回人魔大戦は、リシュがちゃんと魔物や魔族を統制しなかったことが原因なのでシャイス達の恨みは逆恨みに等しいのだが、《卑劣な魔王》の遺伝子はさすがと言うべきか、そんなことは彼らにはどうでも良かった。
自分達を没落させた人間と、それを支持した他種族全てが許せない。だから人間含めた他種族をこの世から死に絶えさせられる可能性を秘めたデリエブに協力したというのに、裏切られた。
そんな身勝手な意見が、彼らの真意だった。
そしてそんな魔王デリエブの直属配下である四天王すら屠れる力を持つのが、シャイス・エバムである。
シャイスの特権は、使い方次第では《掌刻者》の文字通り「刻」を操れるチートスキルのポテンシャルを秘めている能力なのである。
※ ※ ※
「国に必要なのは愚かな王と愚かな民衆ではありません。優秀な王がいれば、愚かな民衆は口を閉じます。その優秀な王には、この完全無比である私以外には適任はいません。ーー我らがエバム家は、あのような甘ったれたシクサル一族とは違う」
シャイスは忌々しげに呟く。それは呟きにしては長すぎる、ダラダラとした呪詛に近かった。独り言のハズなのだが、彼は勝手にイライラして足をゆすり始める。それを受けてか、周りのメイド達の肩が震える。
(頼むから、こちらに怒りが向かないで下さい)
メイド達は内心そう強く願う。それはそうだ。シャイスの理不尽な気まぐれで、今まで一緒に生きてきた同僚達は殺されたからである。そんな目には、自分だけは巻き込まれたくない。それが真意だった。
するとシャイスが立つ部屋の壁際の影から、固形となった影が形を現す。その影は徐々に人の形を形成し、完全に人の形になった影が弾けた。
「《黒色菫》、只今戻りました。このような不純な姿を貴方様の前に晒すことをお許し下さい」
その中から、漆黒のメイド服を着た女性が姿を現した。彼女はシャイスに跪き、頭を垂れる。その黒き服には赤い液体が付いており、少し鉄臭い臭いがした。
彼女は女性の中では高身長で、業火の如く美しい赤瞳を開く。しかしその瞳は右側だけであり、左目には黒い眼帯がされていた。彼女は隻眼なのであろうか。
銀髪赤瞳の女性は、黒い菫の髪飾りをつけた銀の長髪をなびかせ、薄暗い空間にその幻想的な姿を現す。
そして女性らしい白い肌に似合わぬ黒いメイド服を身にまとい、彼女は『命令』をこなすのだ。
影から現れた彼女を見たシャイスは頷き、口を開く。
「ーー戻りましたか。命令は果たせましたか?」
「は。ーーー貴方様のご命令通り、『目標の暗殺』と『《地嵐嬢》の憎悪を人間へと向けさせる』の二つを達成致しました。次のご命令をお申し付けください」
「そうですか。それは大変喜ばしいことですね」
黒メイドの報告を聞いたシャイスは、声のトーンが高くなり、あからさまに機嫌を良くする。
機嫌が悪くなっていたシャイスに殺されることを恐怖していた他のメイド達は、内心ほっと息をつく。
「では、次の命令をお願いしましょうかね」
「は。何なりと」
「ーー次は《氷雷皇》へと掛け合いなさい。彼女は既に人間への憎悪が増幅しているはずなので、家族の暗殺は必要ありません。少し甘い言葉で揺さぶってやれば、簡単に堕ちるでしょう」
「了解致しました。『暗殺女部隊』は動かしますか?」
「ええ。そして貴女以外に《氷雷皇》へ話をつけさせます。優秀な貴女の部下達なら、勿論可能ですよね?」
「ーーはい。言うまでもなく、可能でございます」
「なら今すぐ動かしなさい。貴女は後で戻るように」
「は。我が主人」
銀髪の黒メイドは寡黙であり、しかしながらシャイスに対しては従順である。彼女は再度影の中に消えていき、空間に残るのは先程までの面子となる。
先程までは不機嫌だったシャイスだったが、作戦成功の報せを受けて上機嫌になった。彼は手に持つワイングラスを揺らし、その波の揺れを楽しんでいる。
「ーー『全員、この部屋から出なさい。今すぐに』」
シャイスが一言かけると、周りのメイド達は彼に一礼し、去っていく。そこに礼を忘れる愚か者はいない。
もし忘れれば上機嫌になったシャイスの怒りを買い、簡単には殺されないことを分かっているからだ。
シャイスはそれを尻目に窓の外を眺めながらワイン入りのグラスを掲げ、1人でに呟く。
「遂に滅びる悪しきシクサル家の血に、乾杯」
男はそれだけ言い、彼はワインに口をつける。口の中に芳醇な香りが広がるのを楽しみつつ、そのうちの少しを喉に流し込む。
ーーー今日のワインは、甘さが強かった。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
皆が出て行き、静かな空間が残った。
そんな静寂の部屋内で、シャイスは酒を楽しむ。彼はまだ酒を飲めるようになってあまり経ってはいないのだが、あたかも「私は酒に強いです」とでも言うかのようにワインを楽しんでいる。その目には外の景色ではなく窓ガラスに映る自身の姿しか映っていなかった。
彼の一族は、第10代魔王リシュ・エバムの死以降の400年間、徹底的に外面をよくすることをこだわった。その腐り果てた性根を直そうという発想は出て来ず、偽りの優しさに偽りの目標、偽りの姿といった、何重にも被せられた『虚飾』の仮面を被り続けることを貫き通して来たのだ。
その虚飾さは最早脱帽レベルにまで達しており、彼が無理矢理従わせている配下以外からは、全く疑いを向けられることすらない。
その為シャイスは好き放題動くことができ、今こうして配下を活用しながら来たる『魔王候補者会議』に備えて、さまざまな細工や手引きをしている。
もちろん内部告発などはさせない。彼の持つ特権とはまた違った主能力、『人形奇術師』の能力にある『感情掌握』というものにより、屈服させた相手の感情を自動的に感知することが可能であるのだ。
また、このスキルは『禁忌の感情』の設定が可能であり、その感情を抱いた相手を問答無用で即死させることも可能なのである。しかも内部告発をするような輩は、大体心が安堵と恐怖が入り混じったような感情になる為分かりやすい。彼はそれを部下に施している。
一見最強の能力だがちゃんと明確な弱点が存在し、先ず「相手の心が強すぎると服従できない」こと。そしてもう一つは「相手の内部に『何らか』が入っていた際は、そちらに服従効果が吸われてしまう」こと。
まあ前者は、シャイスのお得意な甘言や彼の忠臣であるメイド長率いる『暗殺女部隊』を用いることで相手の心を揺さぶり、こちら側に堕とすことが可能である。
後者はそもそも『何らか』が入っていることがとても稀なのであって実質有って無いような弱点である。
それに比べると、今の自分の配下達の自分に対する忠誠心は非常に高い。「無理矢理従わせているだけ」?人聞きの悪いことを言わないで欲しい。
彼女らは自ら率先して従っているのだ。まあ確かにほんの少し『感情掌握』は使っているが。そもそも従うか死ぬかで天秤にかけたら大体は服従するだろう。
しかし3人だけ、『感情掌握』を使用していないのにも関わらず自主的シャイスに従っている忠臣がいる。
そのうち、最強の戦闘力を誇る忠臣の名はーーー
「ーー大変お待たせしました。貴方様のお望み通り、『暗殺女部隊』を手配しました。明日ごろには、《氷雷皇》の下へと着きます」
おっと、噂をすれば何とやらだ。影の中から銀髪赤瞳の女性ーー《黒色菫》が姿を現し、こちらに跪く。その身は先程の血塗れの格好ではなく、しっかりと洗われた彼女専用のものを着ていた。
彼女はメイド長という肩書きにある通り、シャイスに仕えるメイド達の長である。と言っても彼女が一番早くシャイス専属のメイドになったのがきっかけであって、メイドとして入った年齢としてはまだ若い。
シャイスが21歳に対し、《黒色菫》はまだ18歳。年齢的には3歳しか差が無いが、彼女にとっては年齢など些細な問題でしかなかった。年齢がチャチなものに思える『何か』が、彼女の中にあったから。
「では、メイド長……いえ、『ヴェイン・ゾーラ』」
「ーーはい」
「今から貴女だけに、直接命令を出します。これは何が何であろうと決して、外部に口外しないように」
「ーー。は、何なりと」
「…あと、いつものアレを済ませてしまいましょう」
シャイスは銀髪赤瞳の女性を『ヴェイン・ゾーラ』と呼び、彼女だけにしか伝えない命令を下そうとする。
そしてシャイスは机にワイングラスを置き、自分の下に来るように手招きする。
無言でシャイスに近寄るゾーラのその表情は無表情だが、彼女がシャイスにした返事には信頼の感情が籠っており、そこには確かな信頼関係があった。
シャイスに寄ったゾーラは再度彼に対し跪くも、シャイスはそれを咎めた後、自身の手を差し出してくる。
そしてゾーラは口を付ける前に口を開け、その整った歯並びのうち鋭く尖った前歯をシャイスの手に立てて突き刺し、『吸血』する。
ーーゾーラは、吸血鬼族と人のハーフである。
と言っても両親の顔など知らないので、スラムで生きている時に殺した相手の血を無差別に吸っていた。だが9歳の頃シャイスに拾われてからは彼との契約で彼以外からの吸血を禁止され、今では一日一度の吸血の時間は当たり前となりつつある。
10秒程した後にゾーラは歯を抜き、口を離す。
「……ん、ご馳走様でした」
「クフフッ。ええ、お粗末さまでした」
そしてゾーラはシャイスを見上げ、彼の命令を待つ。彼女には断る命令は無い。ただシャイスの為に働き、かつて彼から受けた恩を返したいだけなのである。
そんなことを考えていると、歯形が付いた手を拭って軽い応急処置を取るシャイスが口を開く。
「ーーゾーラ、貴女はこの地に眠る《三大魔王獣》を知っていますよね?」
「はい、もちろん。《三大魔王獣》の《疫災》が眠るこの『エネミ毒沼地帯』のことは、貴方様に拾っていただいたあの日以降から今日まで熟知しております」
「ならば話が早いです。ーー今もなお、この地に封じ込められている《疫災》を解放しなさい。ヤツも数十年ぶりの外の空気を吸いたくなっている頃でしょう」
この世界の禁忌、《三大魔王獣》。
それを解放するように、シャイスは命令した。
「ーーよろしいのですか?この場でアレを解放するとなると、大量の従者と兵を失うことになりますが」
「まだ話は終わっていません。最後まで聞きなさい」
「ーー失礼致しました。続きをお申し付けください」
ゾーラは、シャイスはあの厄災をこの地で解放するのだと勘繰り、シャイスに言葉の真意を問いかける。
しかしまだ話は終わっていなかったのか、シャイスが不機嫌な態度を隠さずにゾーラの疑念を否定する。そして彼は「最後まで話を聞け」と命令した。
正確には、シャイスがその目的を最後まで言わなかったから彼女に疑念を生んだのだが、シャイスは悪びれる様子すら無い。それが彼の性根なのである。
それにゾーラは文句を言わない。その声色にも特に不満や文句は含まれておらず、ゾーラの態度から、彼女は心からシャイスを信頼していることが分かった。
「『ここ』では解放しません。今日から三日後、今から私が言う『ある場所』の最南端から解放します。その為、貴女の部下のうち、魔法陣を作成できる者は残しておきなさい。物体を瞬間移動させられる魔法を持つ者は尚更です、今すぐ集めて来なさい」
「はい。…しかし、一体何処にアレを解放するんですか?魔界に解き放てば、我々も被害を被るでしょう」
シャイス曰く、エネミ毒沼地帯では解放しないらしい。それを聞いたゾーラが珍しく感情を出し、少し安心したような表情を浮かべる。一見鉄の面のような彼女の顔だが、表情筋は生きているらしい。
「確かに、ここで出せば被害は避けられません。そうなれば今まで我らが一族が築き上げた信頼も失われ、私だけではなく貴女達までも危険ですね」
「では、果たして何処に?」
「ルクサス王国最南端の村辺りに召喚し、三日後に解放しなさい。あえてルクサス側に準備期間を与え、あの化け物に負けてもらいます」
「成程。確かに大国ルクサスが敗北した怪物となれば、わざわざ自ら危害を加えようと思う者は居なくなるでしょう。流石シャイス様でございます」
なんとシャイスは、人間国家の中でも魔族に友好的なルクサス王国を潰そうとしていたのだ。彼からすれば、いくら魔族に友好的だろうとその国が人間国家なら、今すぐにでも滅ぼしたい対象だったのだ。
そこに魔王候補者会議の内容は含まれていない。ただただ人間が嫌いだから、そうするだけである。と言っても、実は候補者会議への恩恵もあったりするが。
※ ※ ※
先ず、人間嫌いの魔族の味方を得やすいのだ。
魔王候補者の大半が、元々人間嫌いで有名な家系だったりする。特にアグルア家は、その傾向が強い。
そんな彼らをカリスマがあるデリエブが率い、人間へと手出しをすることを抑制していたのである。
しかしそのデリエブ亡き今、それを抑えるカリスマを持つ人材はいない。唯一懸念されるのはデリエブの息子の存在だが、奴は既に《勇者》ハルト・タナカの手によって屠られているはずだ。何も問題はない。
次に、シャイス自らが手を下すのでは無いことだ。
いくら人間嫌いだろうと、やはり良心が働いて人間の虐殺を止めたがる者もいるだろう。魔族は人間と違って、二度と同じ間違いを犯さない種族となった。
これは魔王デリエブが9割の魔物を『有知性化』させ、それらを魔族へと進化させたからではない。エバム家をそこらの下等魔族と一緒にしないでもらいたい。
エバム家は400年以上の歴史を持つ名家である。つまり400年前から有知性であり、その間は『無知性』だった他の"現"魔族と比べるべきではないのだ。
エバム家と他の魔族とは、既に種としての重みが違いすぎるので対比にならないからだ。
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「分かったらすぐ動きなさい。これは『命令』です」
「ーーー了解致しました、我が主人」
シャイスは高圧的な態度で、ゾーラに命令する。それを受けたゾーラは返事を返し、再度影に消えていく。
先程シャイスに近づいた際も同じことがあったが、ゾーラはとにかく足音などの物音が聞こえないのだ。彼女は異常なまでの静かさで動き、相手へと近寄る。
それが自分の主人だろうと、暗殺対象だろうと同じである。彼女はほぼ無音状態で近寄り、目的を果たす。
ただそれだけが、昔から『悪』に塗れて生きて来た彼女が、唯一『正義』を果たせる拠り所だから。
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ゾーラが居なくなった空間で、シャイスは再度ワイン入りのグラスに手を付ける。その表面には薄い空気の膜が張られており、シャイスは手でそれを取り除く。
彼は何かを企んでいる様な態度で周りを見渡す。そして1人でほくそ笑み、クスクスと意地悪く笑い出す。
「…所詮はゾーラも人間。上手くいけば他の魔王候補者を配下に置けますから、せめてその時までは…必死に下らない『正義』の為に戦って貰いましょうかね」
所詮は人間。
ゾーラ自身は、まさか主人に裏切られることなど考えていないだろうが、それはシャイスにとってはむしろ好都合だった。
ーー絶望から希望を見せ、絶望に堕とした時が、最も美しい人間の表情が見られる。果たして彼女は、どのような情けない表情を見せてくれるのだろうか。
彼には魔王リシュ・エバムの血が流れている。このような変態的な狂気には、かつて最悪の魔王であった『リシュ・エバム』の面影を感じる。
彼らは全てを奪うことを好む、精神異常者だった。
ーーー底知れぬ『卑劣』は、今もなお途絶えることなく増幅し、その血統に膿の如く溜め込まれていた。