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設定メモへと堕ちた何か  作者: ヌヌヌ木
第一章 新芽と残火編
16/45

番外編 『魔王候補者』

こんにちは、またはこんばんは。ヌヌヌ木です。

今回は番外編ですが、2種類あったものを合わせたものとなっています。リメイクと共に新話も制作しておりますので、これからもライン君達の活躍をお楽しみにくださいませ!



 魔界には『四大禁地』と呼ばれる危険地帯がある。これらは魔石の採掘場として最高の場所なのだが、いかんせん埋蔵量が多すぎて最高純度や高純度の魔石同士が互いに削り合いやすい。

 それにより魔石内の魔力が暴走し、それこそ天変地異レベルの異常気象及び大災害を引き起こすのだ。


 そのため、四大禁地にはデリエブの依頼に応じた魔族家が配置されており、彼らの子供達は次回の魔王候補者として有力な候補だった。

 しかし魔界が《勇者》により壊滅させられた後はその地位も盤石とはいかず、特に家族が死んだ家系は一家存続の危機に瀕していた。



 ーーこれは、ライン一行にゲイルが加わる前の、荒れ果てた魔界に立つ『魔王候補者』達のお話である。



※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※




 四大禁地、『フレア溶岩地帯』…であるはずの場所。


 普通は至る所からマグマが噴き出し、炎が撒き散らされている危険地帯だ。魔族でさえも近づけない灼熱の場であり、生き物など当然何も住んでいない。


 ーーーしかし、今日だけはそのマグマの半分以上が凍りつき、火の山が氷山へと化していた。それだけでなく、空に満ちる暗雲の中から雷が降り注ぎ、炎地帯に氷と雷が溢れかえる光景はまさに天変地異である。



 ーーそんな空間に、2人の『魔王候補者』がいた。



                 ▽▲▽▲▽▲▽▲



「あー、怠。動きたくねえ」


「動いて下さい。こんなだらしない姿だと私に負けてしまいますよ」


「いやでもさー、岩場が丁度ツボ押してマジで気持ちいいんだよ。このベスポジは俺が3日前から確保してたんだから、もし欲しいなら残念ながら他を当たれ」


「くっさ」


「臭くねぇよ。ほら、おい、逃げんな。俺だって人なりに傷つく心はあるんだぞ。そんなに疑うのなら嗅いでみろ。いや絵面やばいとかじゃなくて、マジで」


「ーーお日さまと木炭の匂いがします」


「だろ?」



 炎とマグマ噴き出す地帯の真ん中で、だらしない声とそれを戒める声が聞こえてくる。一つは青年のの声でやる気のない気の抜けた声だが、もう一つは少女の声で、清涼な声がダラケ切った青年の声を掻き消す。

 やる気のない声の青年は灼熱の岩場に寝転がり、少女はその隣で氷のアクセサリーを弄っている。今しがた余りにも気の抜けた行為が行われていたが、これは彼らにとっては日常なのでツッコむのは野暮である。


 普通に考えてマグマと氷山が溢れ、雷が降り注ぐような空間に2人もいるのは頭がおかしいとしか言いようがないが、彼らは普通の魔族とはまた違った、少し特別な者達だった。



「デリエブさんがこんな早く死ぬとは思ってなかったんだよなー。だから十年はゆっくりしようと思ってたんだがな…。マジで人間達やってくれたな……」


「今更じゃないですか?私は人間嫌いですし。いくら過ちを犯しても学ばない、浅はかで愚かな種族です」



 やる気のない男が恨めしそうに呟くと、隣にいた少女がそれに反応した。

 彼女は心底嫌悪するように吐き捨て、その手に握っている氷の装飾が施されたアクセサリーが砕け散る。その砕けた氷片には閃光が走っており、何か電流が流れたかのような跡があった。

 少女はそれを踏み潰して忌々しげに足裏でねじり、砕けた氷の欠片はその場の空気熱により一瞬で溶け、跡形も無く蒸発した。



「落ち着けよ。あんまりイライラするとさ、お前の可愛い顔が台無しだぜ?白くて綺麗なお前の身体には怒りの赤は似合わねえんだから、もっとお淑やかにさ」


「急に口説かないで下さい、気持ち悪いです」


「あら辛辣。お兄さん心傷付いちゃった」



 男がナチュラルに口説くも、少女にあっさりとあしらわれる。それに男は肩をすくめ、少女は「ハッ!」と鼻を鳴らして男を小突く。

 そんな気の抜ける会話をしている2人だが、この死が真隣にある空間では異質な存在に思える。


 男の見た目は筋肉質ながらも細身で、服はほぼ半裸のワイルドな服を着ている。その腹には立派な腹筋が見えるのだが、顔より下側の左半身は酷い火傷の痕があり、その部分は赤い肌へと醜く変色している。

 そして赤髪黒瞳の彼は立ち上がり、縦に背伸びした。


 もう1人の少女は銀髪青瞳で、彼女自身か放つ冷静な雰囲気も相まって凛とした雰囲気を纏っていた。

 その反面、服はフリフリのスカートに少し露出が多めの服装でいかにも「お嬢様」な見た目をしているのだが、彼女の貧相な体には多少不釣り合いである。

 彼女は銀の長髪をなびかせて白い息を吐くと、その息は灼熱の空間に届いた瞬間に音を立てて蒸発した。



 そして彼らは、本題を話し出す。



「ーーで、お前は何しにここに来たんだ?」


「客人に茶すら振る舞わないとは、あなたの教育具合がうかがえますね。まあ、それはいいです」


「いや呼んでねえんだけど…そもそもこんな場所に水すらあるわけないだろ。茶を沸かす熱ならあるがな」


「……あなたとは争いたくありません。だから今立候補している『魔王総選挙』から降りて下さい」


「はい無理っす!俺はのんびり出来ればそんでいいんだけどよ、お前が当選したら真っ先に人間滅ぼしそうだしな。……人間だけが全て悪い訳じゃねえぞ」



 ーーそう男が言い切った瞬間、少女の周りのマグマ地帯が一瞬にして氷の地と化した。先程の和やかな雰囲気は何処へとやら、一瞬で殺伐とした雰囲気が空間を支配する。

 それを受けた赤髪の青年は歩いて離れ、少し距離を置く。そしてくるりと男らしくなく可憐に振り返ると、少女は冷徹な青い瞳をこちらに向けていた。



「私はいいんですよ?あなたをここで殺しても」


「おー、怖。可愛い美少女顔が台無しだぜ?笑えよ」


「そうですね、あなたが要求を呑むなら笑いますよ」


「いやだから無理だって。俺はのんびりしたいだけなの。出来れば戦いとかで争いたくないんだよな」


「…そうですか。では、ここで死んでもらいます」



 青年は何とか少女を落ち着かせようと声をかけるがむしろ逆鱗に触れたらしく、殺意は一切抜けない。

 純白の少女は青年から距離を離し、手を虚空へと翳す。すると、空中に複数の青い魔法陣が展開され、そこから様々な氷の武器が生成される。



「『冷徹なる執行者(コールドパニッシャー)』」



 彼女がそう唱えた瞬間、魔法陣が砕けて氷で生成された武器が全身を現し、それを青年へと向ける。

 氷で出来た武器の数々は青年に狙いを定め、光を反射し青銀色に光り輝き、それらは全て青白いスパークをバチバチと音を鳴らしながら纏っていた。

 氷の弓、氷の剣、氷の斧、氷の礫などの様々な武器が空中に展開され、青年は完全に逃げ場を失くす。


 しかし青年は呑気なのか、この状況で欠伸をする。

 その挑発的な態度に苛立った少女は手に氷の槍を装備して青年へと向け、そしてその冷徹な青い瞳を目の前の紅髪黒眼の青年へと向けた。



「……考えを改めなさい。人間は愚かな生き物です。彼らは学びません。存在自体が悪の権化なのです」


「いーや、いい奴もいるぜ?俺は人間と魔族が共存できる国とか作ったらすんげえ楽しそうだと思うけど」


「……。魔王総選挙の前に寝言を吐けるとは、あなたも呑気ですね。その呑気さには心から感心しますよ」


「それ褒めてないよね?酷くね?」



 苛立ちを隠せない少女に対して青年はいつまでも飄々としており、それにまた苛立つ少女は踵を踏み鳴らし、その度に地面に張られた氷が砕けていく。

 彼には目の前の氷槍が見えていないのだろうか。虚勢か、はたまた自分はやられない傲慢さからか。


 すると、聞くばかりだった青年が口を開き始めた。



「…ん、たーしかにな。人間には悪いヤツがわんさかいる。俺だっていくらでも差別されたことあるぜ?」


「ーーッ!!だったら、尚更ーーー」


「でもさ、いい奴もいっぱいいんだよ。あの飯屋のオヤジ、元気かなあ。あの飯につけてくれたオマケの肉がマジで美味かったんだよ。また食いにいくか」


「………?何を ーー」


「ーーつまり、人間も魔族も大して変わんねえのさ」



 ……それを聞いた瞬間、少女は激情で手に持つ氷槍の取手を握り潰し、そのせいで槍の先端が落下する。

 それだけでなく、空から降り注ぐ雷の勢いが増し、それらは轟音と閃光を伴いながら落ち、マグマを跳ね散らすも少女に触れる前に凍りついて地に落ちる。


 しかし彼女は頭をすぐさま冷やし、また持ち手を再生した氷槍を構築して手元に再度展開する。

 だがその形は先程のシンプルなものではなく、様々な武器が施されている殺傷能力に特化したものであり、本気で青年の命を刈り取る形をしている。


 そして、それを青年の喉笛に突きつける。「お前の生殺与奪の権は、自分が握っている」と。

 


「ーーふざけるのも大概にして…!!」


「ふざけてねえよ。人間皆殺し計画とか出されて仲の良いヤツらが殺されるのは嫌なんだよな、俺は」


「彼らの優しさはあくまで表向きのもの。裏の顔は邪悪そのものです。…あなたなら、分かりますよね?」


「ああ、表向きだろうな。…だが俺はその表向きの優しさが好きなんだよ」


「私はその経験が無いので共感はできませんし、人間の肩を持つというのならここであなたを始末します」



 少女はなおも苛立っており、槍の先端を青年の喉に当てるも、全く青年は焦らない。恐ろしい胆力及び自信があるのか、それともただのバカなのか、青年は少女の威嚇をものともしない。


 それにより少女の神経がさらに逆撫でされ、ついに怒りの沸点を超えた。一度腕を引き、呟きながらスパークと共に青年の喉笛へと氷槍を突き刺そうとする。



「もういいです。魔族の未来の為に死んで下さ……」


「ーーやめとけよ。俺だって美少女を殺したかねえ」



 彼の喉笛に氷槍が突き刺さる刹那、青年が一言だけ呟く。その声は今までの軽薄な雰囲気が無くなり、1人の魔王候補者としての威厳がある声をしていた。

 そして突き出された氷槍は青年の喉笛を突き破り、その有限で儚い命を残酷に奪い取ーーーらなかった。


 喉に触れた氷槍が一瞬にして溶け、ただのマグマと化した。蒸発したのではない。マグマとなったのだ。

 そして青年は、おもむろにそのマグマに手を突っ込み、すぐさまマグマから手を出す。


 ……その手には、真っ赤な鋼で生成された炎を纏う巨大な片手斧が握られ、その斧は全身を現した。人間が言う階級(グレード)で言えば最低でも伝説級(レジェンダリー)は超えている代物だ。

 しかし先程少女が生成した氷槍も同じグレードがあり、この青年はそれを喉元で触れただけで溶かした。


 つまり、この青年には例え伝説級の武器だろうと命を奪えない、圧倒的強さを持っているのだ。



「……流石魔界No.2の強さを持つだけはありますね。まともに戦ったら私は負けるでしょう。絶対にね」


「分かってんならそろそろその武装解いてくれね?気ィ抜いたら飛んできそうで怖いんだよな、それ」


「それで死んだ場合、貴方がバカだっただけですよ」


「殺したお前は無罪放免かよ?俺は一応立候補してるから、そのうちの1人が死んだら大分疑われるぞ?だって無実の証拠が無いしな。一家諸共自滅しちまうぜ」



 青年ーー魔界No.2の強さを持つと言われた青年は、その紅の髪を雑にボリボリ掻き、再度欠伸をする。

 しかしそんな軽薄を極めた態度とは裏腹に、その手には赤銀に光る炎斧を持ち、警戒を解いていない。


 しかし、能力と特権の数だけ見れば青年に互角若しくは勝っている少女が、彼に勝てないと言ったのか。

 それは、『氷属性は火属性が苦手』という相性上の不利以外にもあった。


 それは、彼女自身も承知しているつもりだ。



「…私が女だから。基礎的で物理的な力が無いからあなたには勝てないんでしょうね。…私が男だったら」


「言っとくが、別にお前が男でも俺には勝てねえよ」


「………は?」


「お前と俺の決定的に違うのは、未来を視る姿勢さ」



 青年の否定する言葉に、少女は全く知らない言語で何かを言われたかのような顔をした。

 青年の発言を理解し切れずに混乱する少女の疑念を見抜いたのか、青年が答えた。



「お前の言ってることも一理あるさ。だけど、お前の信念はただの破滅主義にしか見えないんだよな。人間を滅ぼしてどうすんだ?次は天使族でも殺すのか?」


「……逆らう種族は、全てですが?」


「んじゃあ尚更ダメだわ。そんなことしたらかつて滅んだ『悪魔族』みたいに魔族が滅ぶことになるぜ?」


「私は悪魔族とは違う。絶対に滅ぼされませーー」


「言い切れんのか?その考えだと少なくとも魔族(おれたち)に友好的なルクサス王国でさえも潰すことになるぜ?あそこには最強の剣士がいんだよ。…正直、国総がかりだと俺でも勝てるか怪しいわ」


「ーー!?あなたが、負ける…!?そんなことーー」


「ああ。エデルニ家のアイツなら勝てるかも知れねえけど。…俺が負けるってことは、お前は勝ち目が無いってことだ。お前は賢いから分かるだろ?」


「ーー腹立たしいですが、理解はできます」


「他にも問題はある。神天聖教会と天使だってそうだ。魔族No.1のアイツでも《四大天使(フォーサー)》全員を捌き切るなんて無理だし、亜人も見逃せねぇしな。……俺たちだけじゃ、絶対に勝てないんだよ」


「ーー。ーーーー」



 青年の言葉に、少女の心が揺れる。

 自分達だけじゃ生きていけない。だが自分は他種族を滅ぼしたい。その壁に、少女は挟まれる。

 理想と現実。夢とリアル。実現可能と実現不可能。その度し難い壁に板挟みにされる少女は自身に問いかける。


 自身は本当は何をしたいのか。

 それをして何になるのか。

 その先に未来はあるのか。



 ーーーしかし、答えは出なかった。



「ーー私には、分かりません。何が正しいのか、何が間違っているのかも、何もかも…私なんかには」


「俺なんて理解すらしようとしてないからマシだろ。そんな俺に比べたら立派なもんだ。それにさーー」


「ーーー?」


「今すぐ答えを出す必要は無え。まだ魔王候補者会議まで二週間以上あるからな。その間に考えを変えるのもいいし、会議後に変えてもいい。何なら、今すぐ変えちまっても構わないぜ?内緒にしておくからよ」


「急に口説かないで下さいとあれほど言ったはずですが?そんなだからあなたは女性経験ゼロなのでは?」


「おっと、俺の古傷を弄くり回すのはやめて貰おう」



 何をしたいかが分からない少女に対し、青年は気怠そうに、しかし優しく声をかける。それに付け足し、「今すぐ答えを見つける必要はない」と諭してきた。


 何を偉そうな、あなたには何も背負うものがないクセに。誕生時に家族が既に死んでいた彼と、今回の人魔大戦で家族が死んだ自分と比べてもらっては困る。



        ※ ※ ※



 あの魔王デリエブも懇意にしていた有力な魔族貴族であるアグルア家に生まれ、6人兄姉間の中で末っ子ながらも戦闘力最強だった彼女は、家系の後継者として皆から期待を寄せられていた。

 彼女の人生において、不祥事や事件を起こさない限りは、余生は安泰の一歩を辿ったはずだった。


 ーーーしかし、現実はそう甘くなかった。


 権力を大半を持っていた父親が死に、後継者候補だった兄姉も戦場で戦死したのだ。9割以上の兵士達も戦死し、少女の家系はもはや力を失いつつあった。

 残されたのは、戦場に行かなかった純白の少女と、彼女が愛する母親と、少しの従者だけ。



 少女は残された自身の母を守るために家系を継ぎ、安泰を取り戻す為に魔王ならないといけないのだ。

 何故戦力的には最強である少女を父親と兄姉たちが遺していったのか。それは既に答えが出ていた。


(ーー可愛い自慢の娘に、戦場の汚さを見せたくない)

(ーー俺たちの自慢の妹の白い肌には、戦場で飛び散る赤は似合わない。コイツだけは、巻き込みたくない)

(ーー私達がやらないと、この子も危ない)


 戦場ではただただ邪魔になり、一部では「一番無駄な感情」とも言われる、『愛』。家族愛。

 そんな家族愛により、少女は母と共に置いていかれたことにより、今もこうして生き残っている。


 彼らは彼女を希望でも後継ぎでもなく、娘として、妹として生かされた。そこに、戦略や陰謀はない。



        ※ ※ ※



「……お母様や部下達を守る為に、魔王にならなきゃいけないんです。これだけは、絶対に譲れません」


「……ん、いい理由だ。とりあえずそれが理由でいいんしゃね?…んまあ、俺はお前が人間を皆殺しにしないなら、いくらでも協力してやるよ」



 青年が再度声をかけてくる。その声には「信じろ」という意思が込められている気がした。

 自分が人間を憎んでいるのは本音だが、魔王になりたい理由は「遺された家族を守りたい」なので、二つの本音を統合すると、「魔王になって家族を保護し、その後に人間などの他種族を皆殺しにする」になる。

 他種族に攻撃すれば報復は避けられないが、他種族を皆殺しにしなければ、心の底に残る泥のようにドロドロした憎悪は拭えない。



「ーー。私は…どうすればいいの?お父様……」


「もう少し自分を信じてみたらどうだ?今の味方はお前自身しかいない。ーーだからさ、それが正しいかどうかはともかく、今だけはお前自身を信じてやれよ」


「ーー。 ーーはい」



 心の整理はまだだ。何が正しいのかも分からない。自身が正しいのかも、何もかも分からない。


 ーーでも今だけは、自分を信じていたい。


 彼女は結局、青年の言葉に絆された。本当に腹が立つ。普段は何の役にも立たないのに、こういう時に限って核心を突いた発言ばかりしてくる。


 ……まあ、だから嫌いにはなれないのだが。



「じゃあ、私はここで失礼します。次また来る時にはお茶とお茶菓子でも用意しておいてください」


「だから茶葉があっても肝心の水が無えんだよ。そもそもここに茶葉持ってきたら蒸発しちまうしよ……」


「ハッ、魔界No.2もこの程度ですか。情けない」


「うん、今日で一番腹立ったわ今。無理言うなバカ」



 そのような軽口を叩き合いながら少女は武装を解除し、それを見た青年はひと息ついた後に武装を解除した。

 彼らは軽い挨拶を済ませ、少女は故郷である、四大禁地『フロスト氷焉地帯』に戻ろうとする。しかしその戻り方は瞬間移動(テレポート)によるテレポートではなく、もっと原始的な移動方法だった。


 少女が少し力を込めると、その純白の衣服を纏う背中から青白い氷で形成された巨大な翼が姿を現した。

 その翼は透き通っていながらも最高峰の硬度と柔軟性を誇り、さながら鳥のように飛びながらも絶対に撃ち落とされない硬さを得ることが可能だった。



「では。……言っておきますが、私は魔王になるのを諦めていませんので。互いに全力で戦いましょう」


「いやだから俺は戦いたくないっつーの。一応勝てるけど、それで世界から美少女1人奪いたくないのよ」


「もっと褒めなさい、リアス」


「え、何で?お前は美少女以外の感想出ないけど」


「ーーー。少し腹が立ちますが今回は気分がいいので許しましょう。あなた曰く、美少女顔の私に免じて」



 「もっと褒めろ」と言った少女に対してリアスと言われた青年は首を傾げ、「何でこれ以上言わなきゃいけないんだ?」とでも言うかのような顔で反応する。

 するとリアスは唐突に熟考し出し、今まで全く気にかけて来なかったある疑問を導き出した。



「いや、ちょっと待てよ?俺は今年20になって、お前は俺と同年代だから、つまりお前は今年でーー」


「……次、歳の話したら殺しますよ?」


「怖!アイツに比べたらマシだけど、お前も大概ヒスだよなーー」


「なんか言いましたか?リアスさん?」


「いえ、何でもありません。貴女様は可愛くて生まれつきの美少女で性格も優しい最高の魔族様ですはい」



 年齢の話をしたリアスに対し、少女は再度喉元に氷槍を突き立てる。それに対してツッコもうとしたリアスに対し、彼女は意味深な笑顔になって氷槍に大量の棘を発生させる。それを見たリアスが焦り、顔に大量の汗を浮かべた。

 彼が急いで弁明すると少女はやっと屈託のない笑顔になり、やっと飛び立つ体制を取る。そして、彼女はリアスに別れの挨拶をした。



「では。《業焔帝》『フェルノ=リアス』」


「うい。《氷雷皇》『ヴェルザード・アグルア』」



 そう言い残し、少女ーーヴェルザードは飛び立つ。

 氷でできた翼を柔軟に羽ばたかせ、恐ろしくも美しいスピードで空を舞って暗雲の中に消えていった。

 それと同時にリアス周りの氷山が氷解を始めてどんどん崩れていき、雷を落とす暗雲も引いていったことでいつものフレア溶岩地帯に戻りつつあった。



「あ、一つ言うの忘れてた」



 ヴェルザードが居なくなった場所でリアスは呟き、リアスはヴェルザードが飛び去った方向を見やりながら、誰に宛てたものでもない独り言を発した。



「……魔王候補者会議、多分立候補者1人増えること言うの忘れちまったな。まぁ俺の直感だしいっか」



 そう言いリアスは、先程の岩場に背中を乗せてその紅髪に手を組み、黒い瞳を閉じて昼寝を始めた。

 その黒瞳に移り行く世界への好奇心を孕みながら。





※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※





 ーー魔界内『四大禁地』『ハリケスト暴風荒野』。



 その場所は暴風雨が止まず、荒れ果てていた。

 至る所がデコボコしており、草の一本も生えておらず、あるのは剥き出しの山肌と荒野特有の砂埃、そして至る所で発生している竜巻・つむじ風だった。

 それもこれも、この土地に溢れかえるように埋蔵されている地属性と風属性の高純度な魔石が影響しているのだが、今の魔族間にはその魔石を採掘できるほどの技術が無かったのだ。


 これは残りの四大禁地にも言えることで、その為、四大禁地の魔石を持て余す魔族を見て、人間からは「宝の持ち腐れ」と馬鹿にされている。

 確かに、人間からすれば喉から手が出るほどに欲しい高純度の魔石を、技術不足により採掘できないのだから、この反応は割と妥当ではあるのだ。



 しかしこの土地には、文字通り『災厄』がいる。


 ーー《三大魔王獣》。

 人間達からそう呼ばれている、一体で大災害を引き起こす怪物であり、今まで様々な冒険者、ある時は一部の《勇者》でさえも敗北した化け物である。

 しかしヤツらは魔王デリエブにより封印され、魔界内の四大禁地に移動させ、そこに有力な魔族貴族が住まいながら管理することで被害が出ないようにしていた。



 ーーーそんな荒れ果てた土地に拠点を構える『魔王候補者』が、この場にも存在していた。



        ※ ※ ※



 四大禁地、『ハリケスト暴風荒野』にある城。



「ーーー報告は以上です、エル・テンペスタ様」


「うむ、ご苦労だった。後は私が何とかしよう」



 広く明るい部屋内に、2人の声が響く。


 部下と思われる男は書類を見せながら、エルと言われたもう1人の男に説明している。魔界では高級品であるスーツを着ている男は仕事机に座り、手元に書類代わりにの木板を持ちながら、エルは報告を聞く。

 その男は緑髪茶目であり、この世界の髪色・目の色としては少し珍しい身体の特徴の組み合わせである。また、頭には2本の立派なツノがあり、それらは部屋の光源の光を反射し、黒く光り輝いていた。


 エルは部下にその内容を把握した旨を伝えた後、部下の男は丁寧に一礼し、エルの部屋から退室する。


 1人部屋に残ったエル・テンペスタは小さくため息を吐き、手元にある書類に一通り目を通す。あの魔王デリエブが死んだ後からいい報せは全く入ってこない。エルはかつての魔王デリエブとは親しい間柄であり、四大禁地を任された魔族貴族の中でも特にデリエブと仲が良かった。

 たまには晩酌をし合う仲だった、彼の友人であったデリエブの死は、精神的にかなり応えるものがあった。



 ーーそしてエルの娘も同様に、デリエブと顔見知りだった。と言っても昔、デリエブが娘に会いに行ったら一方的にギャン泣きされただけなのだが。



「ーーパパ、いい加減に休んだらいいんじゃないの?もうこれで2徹目よ、流石に身体に悪いんじゃない?」



 その一言と共に、先程部下が出て行った扉からとある女性が入ってくる。彼女は、今のところテンペスタ家で最高権力を誇るエルに断り無く、彼の部屋に入って来れる存在だった。

 その存在は、テンペスタ家最強であり、次期当主になることが既に決定されているほどの優秀な人物ーー、



 彼女こそが、《地嵐嬢》『アースバル・テンペスタ』である。


 彼女は父親譲りの緑髪茶目をしており、その目はくりくりとしていて大きい。また身長は高め、太ももと胸も平均女性魔族よりは大きめであり、ツノは父と同じく黒で、しっかり大きいものだ。

 アースバルはその身を父と同じスーツで包んでいるのだが、ズボンではなく長すぎず短すぎずのスーツタイプスカートを履いており、女性らしさはある。


 

 溺愛する愛娘の登場にエルは破顔しかけるも、まだ仕事中だったことを思い出して木板に目を通し始める。

 自身を無視した父エルに対して不機嫌になりながらも近づき、その机に己の尻を乗せながら話しかける。



「ちょっと、無視しないでよパパ」


「おお愛しい愛娘ことアースバルよ、すまんな。だがあと3件終わらせてからにしたいんだ。これらなら大して規模が大きくないからな…」



 そんな発言をしたエルが目の前のアースバルの顔を見上げると、アースバルは非常に不機嫌そうな顔をしながらこちらを見下ろし、その瞬間彼女の平手打ちビンタがエルの頬に炸裂した。

 何が起きたか目を疑うエルに対し、アースバルはエルがいる机を台パンし、怒りながら説教し始める。




「アンタね!可愛い一人娘が気を遣ってあげているのにその態度!?可愛い娘の言う事ぐらい聞いてよ!」


「ーーそう、だったな。すまなかったアースバル」


「謝るぐらいならすぐ休んで!今日はもうお仕事終わり!明日万全な状態でやった方が効率がいいから!」



 アースバルはお説教をしながら、エルの周りに飛び散っていた木板を片付け始める。その動作はテキパキしており、手つきの滑らかさでこのような作業に慣れていることが窺える。



「すまなかったなアースバル。死んだ母さんに似てお前は本当に優しい愛娘だ。父として鼻が高いよ」


「うっさい。分かったら早く片付け手伝って」



 エルがアースバルを褒める言葉をかけると、彼女は冷たく突き放すような発言を返した。一見エルが可哀想だが、ひとり親であるエルには、アースバルの真意がよく分かっている。

 アースバルはツンデレなのだ。しかし母親譲りの優しさは失われておらず、今もこうして父を心配して声をかけ、彼の木板の片付けを手伝っている。



「はぁ〜……。その顔を見るにまだ納得してないんでしょ?これはやってしまいたいんでしょうし、それならアタシがやっておくからパパはもう休んでて」


「ああ、そうさせてもらうよ。ありがとう愛娘よ」


「そういうのいいからとっととベッドで寝ろ!!」



 仕事の一部を請け負ってくれたアースバルに対してエルが感謝すると、アースバルは顔を真っ赤にしながら地団駄を踏み始める。

 どうやら照れ隠しがうまくいかないらしい。うむ、とても可愛らしい娘である、とエルは微笑んだ。



                 ▽▲▽▲▽▲▽▲




 その後1分後ぐらいに、エルは部下達の調子や作業進捗を尋ねた後に厨房と書斎にお邪魔し、その後自室の目の前まで戻った。

 その手には紅茶と本を持っており、今日はリラックスするための準備が整えられていた。



「さて、愛娘の頼みだ。今日はゆっくりするか」



 そう呟きながら、エルはドアを開ける。中には特に無駄なものはなく、魔石ランプや羽ペン、この世界の地図などの仕事関連のものが大半を占めており、この部屋にも本棚があるのである。



「よし、今日はこの本を読破することを考えよう」



 エルは小さな今日の目標を立て、後ろにあるドアを閉じる為に後ろを振り向く。


 ーーそこには漆黒のメイド服に身を染めた女性が、手元に鉤爪(クロー)を装備して振りかぶってきていた。



「お覚悟」


「 ーーーな!?誰だ君はーーーがっ……!?」



 その瞬間、エルの胸元に鋭い痛みが走る。

 衝撃をまともに食らったエルは吹っ飛んで壁に激突し、その衝撃で机の上に置かれていたペンや紙が音を立てて落ちる。

 目の前の黒メイドはそのままエルの自室の扉を閉め、鍵をかける。どうやら、助けは呼べないようだ。



(ーー!?何だ、誰だ彼女はーーー!?)



 あまりにも急な攻撃にエルが対応できるわけがなく、胸元にまともに受けてしまった。エルが胸元を見ると、そこからはジクジクと真っ赤な鮮血が溢れ出し、内臓が見えるほどに裂かれた部分もあった。

 そして体から血が吐き出される度に、エルの胸元から尋常じゃない灼熱が何度も彼を襲った。何十回も、何百回も、胸元を抉り取るような熱さが、何度も。


 そんな地獄の熱ーー否、痛みに耐えながら、エルは目の前に立ち尽くす漆黒の暗殺者に問いかける。



「ーー君は…誰だ…?誰の差金で私を殺しに…?」


「悪党に答える義理はありません」



 エルは壁にもたれかかりながらも何とか立ち上がり絶え絶えの声で質問したが、黒服のメイドはその質問を一蹴する。

 急襲してき時から察していたが案の定、話が通じる相手ではない。 


 ……ん?「悪党」?誰のことを言っているのだ…?



「ーー君、『悪党』とはいったい誰のことを………」


「無自覚ですか。あの方からは『本物の悪は自身の行いを悪と思っていない』と言われましたが、それは本当だったらしいですね」


「ーー?『あの、方』?」


「長話が過ぎました。即刻処理に入ります。お覚悟」



 黒メイドはそう言い、再度鉤爪を構える。その鉤爪の階級(グレード)は、軽く見ても希少級(グレート)を超えている。伝説級(レジェンダリー)は無くとも、それに近い力を有する武器だということは分かった。

 しかし真に恐ろしいのはそれを扱う彼女の技量だ。先程胸板を抉られた時、彼女は確実に一発で仕留めにきていた。



「…その『悪党』は…私のことで合っているか?」


「この部屋には貴方以外には居ませんよ?」


「……正直、私には何のことか分からない。私は一体何の罪を犯したというのだ?…なあ……教えてくれ」


「それは、その罪で穢れた自分の魂に聞いて下さい」



 黒メイドがエルを「悪党」呼ばわりする理由を問うも、彼女は一切取り合わずに腰を低く構える。

 しかし、今のエルにそれを避ける体力は無い。

 体の中の血液の大半が外に出て行き、体が寒い。

 体に力が入らない。正直、立っているのも限界だ。


 ーーー殺される。


 エルの生物としての本能が、そう警戒信号を送る。

 しかし、今更もう遅い。エル・テンペスタの死は、この部屋に入った時点で決定したことだったのだ。



 それは既に、エルの中で覚悟は出来ていた。むしろ旧友と同じあの世に行けることを楽しみにしている心すらあった。そういえば、あの世には酒はあるのだろうか。あるのなら、是非ともまた一杯交わしたい。

 そうだ、死別した妻にも会えるだろうか。彼女は恐らくあの時から変わってないだろう。こんなおじさんになった自分を夫と気づいてもらえるだろうか。



 ーーーしかし、一つだけ心残りがあった。



 エルは、壁に貼られているこの世に存在する種族をまとめた貼り紙の「人間」の部分に、魔力弾を当てて穴をあけた。これで「犯人は人間だ」と分かってもらえればいいのだが、うまく行くかは読み手次第だ。



「ーー分かった。何の罰かは分からないが、ここで君に裁かれるのが私の運命(さだめ)なら、潔く受けよう」


「やっと覚悟が決まったようで何よりです。死体は悪戯に傷つけません。ーーでは、お命、頂戴致します」



 それだけ言い、黒メイドはこちらに迫って来る。その手には鉤爪が装備され、消えかけの線香花火程度しか無いであろうエルの命の灯火をかき消さんと、黒く光り輝く。



ーーー死ぬ。確実に死ぬ。今から自分は死ぬ。死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ーー ーー、




「ーーーだが、一つだけ頼みがある!!」



 命が尽きようとしているにも関わらず、エルは叫んだ。彼の肺には深い傷が入っているため、喋ると激痛が襲って来るはずだが、それでもなお彼は血反吐と共に叫ぶ。



「ーーーーーー」


「金ならくれてやる!立場ならやる!だが、何が何でも私の娘にだけは手を出すなーーーー、が」





 アースバル。


 パパはな、先にあの世に逝くらしい。

 

 先に、パパとママは向こうで待っているから。


 できるだけ遅く来て欲しい。お前はまだ若いから。


 お前を置いて先に逝くことを、どうか許してくれ。



 アースバル。お前を世界で一番、愛している。




「ーー言われなくとも、今回のターゲットは貴方のみなので殺しませんよ。私は無益な殺生はしない主義なので」



 黒メイドの白い肌には、少量の返り血がこびりついていた。彼女はそれを黒い手袋で拭い、先程まで生きていた屍を一瞥した後、影に呑まれて消える。いわゆるテレポートに近いが、テレポートとは違い全く魔法陣が要らず、かつ音も無く長距離移動が可能らしい。


 これは彼女の特権の能力なのだが、それは彼女の主人しか知らない。彼女は、身元がバレてはいけない仕事をしているのだ。



 ーーー《黒色菫(クロビオラ)》。ある人物のメイド長兼裏仕事のボスである彼女は、同業者(おなかま)から畏怖され、陰でそう呼ばれている。



        ※ ※ ※




「ーーっは!?パパ!?」



 エルの仕事部屋で、緑髪茶眼の女性、アースバルが声を上げる。今、明らかに嫌な予感がした。それも今まで感じたことがない、最悪レベルの嫌な予感が。


 彼女の特権の能力の一つ『危険予知』は、自動的に風や空間、微小な地面の揺れ・動きを読み、異常や危険を察知してくれる能力である。

 この能力はチートスキルとまではいかなくとも、それに匹敵する便利さを持っていた。この能力のおかげで、アースバルは今まで様々な危険を回避できていた。



 頭に落石が落ちてきた時も。 

 ツノが換角期に入り、抜け落ちそうな時も。

 山道が風化により、崖崩れ発生寸前だった時も。

 人魔大戦時に、人間軍が攻撃して来た時も。


 ーーー母が病気で、早死にした時も。



 最後の『予知』だけは、今までにないほどの強烈な予感を感じた。まるで全身に電流を流されたまま、体の肉を小刀で麻酔ナシの手術をされたような、あり得ない程の予感。

 ーーーそして、今も全く同じものを感じた。



「ーーーまさか、そんな」



 アースバルは手元にあった書類を投げ出し、エルの部屋から出ようとドアに向かう。

 すると向こうからドアが破られ、彼女の従者達がなだれ込んできた。アースバルは咄嗟に人の雪崩を回避し、少し後ろに下がる。

 流れ込んできた従者・女中達の顔には焦りと混乱が溢れており、中には発狂寸前にまで心を追い詰められているのか、過呼吸になっている者までいた。


 ーーー明らかに、良くないことが起きた。


 アースバルは能力関係ナシに、直感で不吉な気配を感じ取った。なんでよりによって今頃に起きるのか。ただでさえ今は、人間によって引き起こされた人魔大戦の被害処理や事後処理で忙しい時だっていうのに。



「みんな、落ち着いて!何、何が起きたの!?」



 ひとまずなだれ込んで来た従者達を落ち着かせ、アースバルは彼らに「何が起きたのか」と質問する。とりあえず彼らは騒ぐのを止めたが、全く落ち着いていない。むしろ焦りと慌て、混乱に頭がパンクしそうになっているようだった。

 物凄く嫌な気配を感じる。一体何があったのか。




「ーーーお嬢様。我々は絶対に貴女様の味方です。なので決して慌てず焦らず、落ち着いてお聞き下さい」


「ーーーうん」


「貴女様のお父様、エル・テンペスタ様が、何者かに暗殺されました。恐らく、外部の敵が犯人です」



「 ーー。ーーーえ?や…え?ぱぱが、しんだ?」


「はい、何者かに暗殺された痕跡がありました。鉤爪型の武器を使用している者が犯人だと思われます。貴女様は我々に任せて、少しお休み下さーー」


「ーーーじゃマだァァ!!どケぇぇぇ!!」



 アースバルを気遣う部下たちを、アースバルが小規模の竜巻と地ならしで吹き飛ばす。彼女が吹き飛ばしたことで部下達が大混乱に陥り、状況は悪化する。


 しかし今のアースバルに、彼らを気遣う心の余裕は無い。今はとにかく、自分の父に会いたい。それ以外はどうでもいい。誰が死のうと、何が壊れようと関係なかった。


 彼女は部屋を飛び出し、父の自室に走って向かう。



「パパ…ハァ……パパ……ハァ……」



 かつてない焦燥感に駆られ、アースバルは城の廊下を全力疾走する。何度も躓きかけたりしたが、それを根性だけで堪え切り、真っ直ぐ全力で進み続ける。


 ーーそれが、手遅れだとも知らずに、ただ足掻く。




                 ▽▲▽▲▽▲▽▲




 アースバルがエルの部屋の前に着くと、部屋の前には大量の従者と兵士がいた。

 全員がこの世の終わりのような顔をしており、中には発狂しそうになっている者までいた。まさに死屍累々とはこのこと、とアースバルは内心嘲笑する。


 アースバルはそれらを押し除け、部屋内に入ろうとすると、エルの配下こ魔族兵士に呼び止められた。しかし彼女は配下たちを体から鎌鼬風(カマイタチ)を発生させただけで斬り刻んだ後弾き飛ばす。

 できるだけ手加減はしたつもりだ。アースバルの心には全く余裕が無いので確実性は無いが、多分大丈夫だろうと彼女は勘繰った。


 そんなことはどうでもいい。今は父のことだ。




                 ▽▲▽▲▽▲▽▲




 彼女が部屋に入ると、そこには"地獄"があった。


 至る所に血の跡があり、内装はグチャグチャだ。光源となる光の魔石を入れるランプは割られ、地面には父が飲もうとしていたのか、ティーカップとこぼれた紅茶の跡が残っている。本は無差別に破かれ、壁には血糊がこびりついている。

 鼻は全く機能しない。部屋中が血やら体液の匂いで満たされているからだ。むせ返りそうな不快な匂いにアースバルは鼻を抑えようか迷うも、やめておいた。



 部屋の中央には複数の治療術師がおり、何かに治療魔法をかけている。しかし状況は芳しくないらしく、治療術師達の顔には汗と涙が大量に現れて、顔がビシャビシャになりながらも治療魔法をかけ続けていた。


 その付近には父が最も信頼していた重鎮である猪人(オーク)の老婆『エンラ』がおり、彼女は目元にハンカチを当てて何度も涙を拭っていた。父は彼女とアースバルが生まれる前からの付き合いであり、エンラはエルの昔からの忠臣だったのだ。

 アースバルが彼女に声をかけると、エンラは顔を上げてアースバルの表情を窺って来た。余程酷い顔だったのだろうか、エンラの顔の陰りが増えた気がする。


 そしてアースバルはエンラに、今の状況を聞いた。一体何があったのか、誰が犯人なのか、敵は何なのか。



 ーーそして、父であるエルは、本当に死んだのか。



 エンラはしばらく嗚咽を繰り返していたが、やがてそれらを無理矢理抑えながら、アースバルに話始めた。ーーアースバルにとって、最悪の話を。



「ーー嬢様。…貴女様のお父様、エル坊ちゃんは、……本当にお亡くなりになられました。あそこで治療魔法をかけ続けている彼らは、現実を受け入れられずに『まだ生きているかも』などという幻想・理想に縋り付いているのです。……申し訳ございません。私めの監督不足で、貴女様のお父上を死なせてしまいました。何なりと、処分をお申し付け下さい」



 そう言い、エンラは深々と頭を下げる。しかし、悪いのは彼女じゃない。ここにいる人たちは、今回のこの件については全く悪くない。


 悪いのは、父を殺した何者か。それだけだ。



 アースバルは足をフラフラと進め、何かに群がって治療魔法をかけ続けている治療術師達をどかそうとする。しかし彼らは頑なに現実を受け入れようとせずに、アースバルを弾き飛ばそうと力を加える。

 普段の彼女なら余裕で反撃できるが、今のアースバルにそんな心の余裕など無かった。その為、彼らに力負けし、外に押し出されそうになる。



「ーーーどいて」


「アースバル様、邪魔しないで下さい!まだ彼は生きている可能性があります!!だからーー」


「やめんか貴様ら!エル坊ちゃんが亡くなって、誰が一番心に負担があるのかも分からなくなったのか!?この愚か者共めが!!ーー退がれ下郎!!」


「グッーー!?ーーあ」



 押し返されそうになるアースバルに助け舟を出したのは、エンラだった。彼女は手に地属性の魔力を纏いながら掌底し、アースバル以外の治療術師を弾き飛ばす。

 エンラは、エルとアースバルを除けばこの城内で最強の戦闘者兼エルのお世話係だった。今日は少し休暇を貰い、気を抜いていた時に、エルが暗殺された。


 彼女に吹っ飛ばされた治療術師達だったが、その時に感じた痛みにより、ようやくこの光景が現実だと理解した。ーーー否、理解してしまった。



「ーーぁ、うあ……も、申し訳ありません、アースバル様…私達は、何たる無礼を……」


「 ーーーーーー」



 声を震わせながら謝罪する治療術師達の声を、アースバルは耳に入れることはできなかった。

 彼女の目線は、喉元と胸元に深い切り傷をつけられ、臓物と血を出しすぎたことにより失血死に追い込まれた屍にしか向いていなかった。


 父の死によるショックによって周りの音、匂い、触覚、味の4つを奪われた彼女は、呆然と立ち尽くす。しかしそんな状態でも、視覚だけは生きている。

 あたかも「せいぜい父の屍(それ)をじっくりと眺めてろ」と言わんばかりに、いつまでも視覚だけは無くならない。アースバルは、生まれて初めて自分に視覚があることを憎んだ。こんな目、今すぐ潰れてしまえ。


 体に力が入らず、膝から崩れ落ち、彼女の足は父の腕の横に崩れ落ち、足はもう動きそうにない。

 視界がぼやけて来た。あれ、と思っていると、5秒もしないうちに目から大量の水滴が溢れ出す。泣いたのなんていつぶりだろうか。何もかも分からない。


 震える手に力を入れて、父の頭を持つ。人の体にしては、冷たかった。しかし彼の死に顔は安らかそうで、あたかも死ぬことを受け入れたかのような顔をしていた。



「……何で、なんでそんな顔するの?」



 その穏やかな死に顔が理解出来ず、アースバルは誰に向けたものでもないうわ言を繰り返す。

 「何で?」「どうして?」と、何度も。

 再度父の近くに寄って座り、冷たくなった父の体を抱きしめる。冷たい。冷たかった。

 最近は気恥ずかしくてしなかったが、2年前に抱きしめてもらった際はとても温かくて柔らかかった父の体が、今はもう鉄のように硬くて冷たかった。


 ーーーその瞬間、アースバルの感情が爆発した。






「ーーーパパァァァ!!あ"あああ"ああ,ああ"ああ"ああ"ああああ!!誰がやッた!誰がパパを殺シたァァァァァ!!あ"あああ"ああ,ああ"ああ"ああ"ああ"ああ"ああああ」





 アースバルの怒りと悲しみの叫びと共に部屋内に大暴風が吹き荒れ、震度でいうと7〜8以上は遥かに超える大規模な地震が暴風荒野で引き起こされた。

 その圧倒的な「破壊」の影響で城が半壊し、外にある竜巻やつむじ風などもアースバルが解き放つ大暴風にあっさりと打ち消される。元々生命の一つすら自生できないほどの死の土地であるこの地帯だが、更に文字通りの天変地異と化した。



「ーー嬢様、落ち着いてください!!それ以上暴れられるとお父様のご遺体まで破壊されますぞ!!」


「 ーーー。ーーーぁ。ご、ごめんな、さい」



 エンラがアースバルを静止するとアースバルはすぐに正気を取り戻したが、その一瞬だけでもこれほどの破壊活動が行える能力を有する者。


 それが、アースバル・テンペスタだった。


 アースバルは冷静になり、周りの被害状況を確認する。幸いエンラが張った障壁のおかげで皆は無事だったが、エルの部屋はほとんど何も残っていない。

 ーーしかし、その場に一枚、謎の紙が残っていた。


(何だろう、この、紙……?)


 そう思いながら、アースバルは紙を拾いあげる。

 一見すると、ただ種族を表示してあるだけの何の変哲もない種族表の一部なのだが、その種族表のうちの「人間族」の部分に、魔力弾で撃ち抜かれた跡があった。

 エルと親しかった部下達、エンラ、そして血の繋がりがあるアースバルのみ分かったが、紙に残された魔力の残滓からその魔力弾はエルのものだと分かる。


 部下達はそれが何を意味しているか全く分からず、エルがこの地に住み始める前からの長い付き合いであるエンラにも理解できなかった。

 しかし、アースバルは何となく理解できた気がした。

 ーーー犯人は人間族だ、と。



「殺してやる…!この世界から一匹たりとも生かさない…!!世界の害獣共が…!人間が!…は…へ…アハッ……ふ、アハハハハハハ…!死ね!人間共が!!」



 敵は人間。父を殺したのも人間。

 アースバルは顔を歪め、涙を流しながら悪魔のような笑いを浮かべる。その歪んだ口から呪詛のように憎しみの言葉が漏れ出し、アースバルの心が悪に染まる。



        ※ ※ ※



 アースバルの『魔王候補者会議』の指標が変わる。


 それはフェルノの「人間と友好的に過ごしたい」のような温和なものや、ヴェルザードの「家族と部下を守りたい」などのような排他的ながらも同胞への想いが感じられるものではなかった。


 彼女が魔王になった時の目標は、「人間を皆殺しにし、殺された魔族の恨みを晴らす」という、憎しみと怒りに満ちた虐殺の序章へと堕ちた。






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