コイルラジオ
私の兄、三歳年上の彼は手先が器用で、銅線が裁縫箱の糸みたいに綺麗に揃えて巻く事が出来たからか、彼が作ったラジオはちゃんとラジオ放送が聞き取れた。
もちろん、自宅にあったラジカセのように音が大きいわけではなく、イアホンを耳に刺してようやく、というものである。
私は兄が作ったラジオを羨ましいと思い、自分も欲しいと思った。
電池がいらないから、寝なさいって両親に部屋に追いやられた後、あのラジオがあれば眠れなくても楽しめるんじゃない?
そんな風に考えたのだ。
その三年後、ラジオへの情熱なんか忘れてしまった頃だが、私の元にもラジオ制作キットが届いた。
「バカお前。銅線がもう捻じれてちゃ終いだよ。」
兄が笑った通りに、私は銅線を上手く巻きつけられなかった。
銅線はよれよれで捻じれ、兄が作ったコイルは糸車のようだったが、私のはサイズアウトしたセーターを解して巻き直しただけの毛糸玉にしか見えなかった。
当たり前だが、私のラジオは何の動作もしなかった。
「俺が昔作った奴をあげようか?」
「いいもん。ちゃんと聞けるはずだもん!」
私は自分のラジオを胸に抱くと、そのまま家を飛び出した。
電波が強い所だったら、私のラジオだって電波をキャッチできるはず!
そう思って、私は走った。
じ……じじ……しょか……はらさ……はな……さかすぞ……。
「聞こえた!」
私は飛びはねて喜んだ。
それから周囲を見回した。
そこは舗装された土手の上だが、数メートル先には大通りに繋がってるし、数メートル後ろには下に降りる道だってある。
下に降りる道を行けば小さな村の神社があって、その周囲には友人宅や親戚宅だってあるという、我が家よりも開けた場所と言えるかもしれない。
「やっぱ。場所が問題だった。」
機嫌よくなった私は再びイアホンの音声に耳を傾けた。
何を言っているのか、どこの局の放送が聞こえているのか、それを確認して自分を哀れんでくれた兄を見返しながら報告してやるのだ。
うら……うらみ……おく……おくもの…………。
声は掠れた低い女性のもので、私に理解できるのは最初のうらみという単語だけである。
「うらみ?」
なんだ、と思って自分の立つ場所を改めて考えれば、大通りと土手の交わるそこには、ボロボロの庚申塚が建っている場所である。
神社だって、神社の直ぐ脇にある地蔵さんにだって、母や近所の人はお供えをするのに、この庚申塚だけは手を合わせるなと言われている庚申塚だ。
うら……うらみ……さで……おく…………ちばなさか……さか……。
私の耳に低い女のかすれ声が響いた。
「うらみ?」
私は年数ばかり経って崩れかけている小さな石柱を見返し、急に背中が寒くなった思いながら一歩下がった。
私の背中に何かが当たった。
「わあ!」
「わあ!」
私は後ろを向き、そこに同級生が立っていた事を知った。
保育園ではなく幼稚園に通っていた子で、小学校から一緒になったはずなのに、顔が可愛いからか保育園組しかいないクラスで人気者となって君臨している少女である。
オタマジャクシ採りをしていた私のバケツを倒し、道路に散らばったオタマジャクシを踏んで楽しんだ彼女。
プチプチして楽しいよ。
足のしたで弾けた感触が気持ちいいよ!
そしてそんな虐殺行為を私がしたと触れ回ってくれた彼女。
うら……うらみ……はらしゃ……ちばな……さか……さか……。
恨み。
「何やってんだよ。ぼっちは宇宙人と交信中かよ。なんだその変なの。」
彼女は私の両手にある、私製作のラジオに手を伸ばしてきた。
私は反射的に彼女の手からラジオを遠ざけた。
もう習慣だ。
だって、私は彼女に色々なものを奪われている。
それらは全部東京に出張した父がお土産に買ってくれた可愛い文房具、髪飾り、だったのに、私と比べ物にならないくらい可愛い顔をしているというだけで、彼女の訴えの方が正しいと担任こそ認めた。
あなたには似合わないでしょ?
東さんのお家は大きなお店屋さんじゃないの。
それで毎回奪われたそれらは、全部彼女のものだったという事になって、学校では私こそ泥棒という事になっている。
「なんだよそれ。イアホンとかしちゃってさ。盗聴とかしてんの?きめえ。」
私は彼女からさらに一歩下がった。
ぴいんと、運動会のマイクが引き起こしたようなハウリングが起きた。
私は咄嗟に耳を押さえて座り込んだ。
同時に私の肩を大きく蹴られた。
「いいから貸してみろよ。」
彼女は私からラジオを乱暴に取り上げた。
「返して!」
「うるせえ、泥棒。お前は泥棒だもんな。お前の兄ちゃんも泥棒だろ?万引きしたって、今度学校で言ってみようかな?」
「なんでそんな嘘ばっかり!」
私は起き上がったが、立ち上がれなかった。
私の肩に冷たい両手が乗っている。
耳元に冷たい吐息を感じている。
でも、そんなはずはない。
私の背中は庚申塚の石にぴったりとついている。
彼女は私を馬鹿にした眼つきで見つめながら、私のラジオのイアホンを耳に差し込んだ。
うら……うらみ……はら…さで……か。
イアホンのない耳に、イアホンから通した音声が聞こえた。
手を合わせたらいけない場所。
幼い頃にした、母との会話が蘇った。
「お母さん。お墓があるよ。」
「それは庚申塚って言うのよ。」
「お地蔵様の仲間?」
「そう。でもお地蔵様みたいに手を合わせちゃいけないわよ。」
「どうして?」
「行き倒れた人があった場所に建てるものだから。」
私はしゃがんだまま塚に向き直すと、両手を合わせていた。
その日の私はラジオを奪われたまま家に帰ったが、彼女はその後大通りにて車に轢かれて死んでしまった。
その後、彼女の両親が彼女と仲の良かった子供達を集めて形見分けをしたそうだが、私の物だったものを貰った子達は、今ではみんな引きこもりとなっている。
私は今日も塚に手を合わせている。
「学校の三添みつこ先生こそお願いします。お願いします。」
私の耳にはラジオのイアホンが嵌っている。
低い低い女の声が、含み笑いしながら途切れ途切れに呟いている。
血花咲かしてやろう、ぞえ。