主従の少女と二つの依頼9
◆ユリエラ◆
到着してから数日。
ベアトリーチェ王女としてケラノヴァ王の謁見が終わった。
豪奢な私室に戻ったユリエラは、大仰なドレスを脱いで普段遣いのイブニングドレスへと着替える。
普通なら、メイドの四、五人くらい着替えを手伝うところが、誰も手伝いにやってこない。
「わたしでなければ、着替えられなかったでしょうね」
リーチェがこんな扱いをされて耐えられるはずがない。
そう思うと、入れ替わってよかったとすら思う。
本当にあの子は一人で暮らせるだろうか?
それはリーチェの望みでもあるが、慣れないうちは苦労するだろう。
そのとき、自分がそばにいられれば、そんな無駄な苦労をさせることもないのに。
「……」
――バレないバレない。
そう言ってユリエラを同じベッドに招いたリーチェは、いつか静かに二人で暮らせたらいいな、と夢を語ってくれた。
たったそれだけで胸がいっぱいで、できるはずのない妄想を二人で話し合った。
楽しかったあの夜。
寝る前だったから、リーチェは忘れてしまっているかもしれないけれど。
「落ち着かない」
ジェイが王子に掛け合ってくれたおかげで、貴賓室で過ごすことになったけれど、ユリエラとしては質素で簡素な部屋のほうが落ち着く。
王族のような生活に憧れているとジェイは聞いてたから、それで掛け合ってくれたのだろう。
なんて優しい人なのか。
王家からの依頼の中、自分たちの我がままを聞いてくれて。
天蓋付きのベッドに横になっていると、窓がコンコン、と鳴った。
「?」
不思議に思って体を起こし窓のほうを見ると、そこにはリーチェがいた。
「え?」
周囲を気にしながら中に入れてくれ、と指を差している。
「え?」
人違い、見間違い、そんなはずもなく、まさしく自分が今なり代わっているベアトリーチェがいる。
「何をしているの、リーチェ」
慌てて窓を開けると、リーチェはバルコニーから中に入ってきた。
「ごめんね。ユーア」
「何が……?」
「あなたの覚悟を無駄にするような真似をして」
「どういう……何の話?」
「あたしが知らないとでも? ユーアが王族の暮らしに憧れていると、あたしが本気で思っていると?」
真っ直ぐ見つめられ、ああ、敵わないなとユーアは内心白旗を振った。
「あたしは、あなたに甘えていた。静かな暮らしってやつをやってみたいと思っていたのは本当だし、ユーアの覚悟や使命感を無下にするようなことはできなかったから」
「ああいう場所で暮らしてみたいって、リーチェは……。夢みたいな話って前々から言ってて……」
「でも、あの家にユーアはいない」
「うん。わたしはリーチェとしてここにいるから」
今にも泣き出しそうな顔でリーチェは首を振った。
「意味ないのよ。そんなの」
ユリエラの鼻の奥がツンとした。
あの日の夜みたいに、胸がいっぱいになり、喉の奥から言葉にならない気持ちがせり上がってきた。
声にならないかわりに、視界が涙で雲った。
「ユーア――あなたがいなければ、意味ないのよ!」
その言葉だけで、これから一生やっていける。
辛いことがあっても、悲しいことがあっても、親友であり主人であるリーチェのその言葉を思い出せば、何でも乗り越えていける。そう思った。
「ユーア。あの家に行こう。あたしたち二人で暮らすの」
こぼれた涙を手の平でぬぐって、ユリエラは首を振った。
「でも、ダメ。リーチェ。ちゃんと王女がここにいないと……」
人質なのだから。
いなくなれば国同士の問題に発展してしまう。
「ジェイが話をつけるって」
「ジェイ様が……?」
うん、とリーチェはうなずいた。
「でも、ジェイ様は運び屋で……」
王に取り次いでもらえたとして、何をどう説明する気なのだろう。
そんな力が彼にあるのだろうか。
「ジェイは、勝算ありって顔だったけれど、詳しくは教えてくれなかったわ」
リーチェも聞かされていないらしい。
「帰る準備だけしてもらえる? きっとジェイならやってくれるから」
「ジェイ様が……」
リーチェが手放しで信頼するのもわかる。
竜を使役し、空を飛び、あっという間にここまで連れてきてくれた強く優しい騎士。
彼の言動は信頼するに値した。
「ユーア、目がハートになってる!」
「んなっ、なってない!」
ニヤニヤするリーチェの肩をユーアは叩いた。
一週間も離れていないのに、いつもやっているやりとりがずいぶん久しぶりに感じた。
リーチェが言うので、帰り支度を進めていると部屋がノックされた。
リーチェが隠れるのを確認すると、ユーアは扉を開けた。
「――よお。お姫様」
「あ、ジェイ様」
姿を見かけて声をかけられるだけで、胸がドキンと跳ねる。
「こっちにじゃじゃ馬のほうはいるか?」
「誰がじゃじゃ馬ですって?」
後ろのほうからリーチェの声がする。
後ろ手に扉を閉めたジェイは、中に入ると言った。
「ベアトリーチェ王女殿下様は、ここにいる必要がなくなった」
「え? ジェイ様、それはどういう……?」
「二人であの家で暮らせるってことだ」
わしわし、とユリエラは雑に頭を撫でられる。
「大丈夫なの、それって」
不安そうにリーチェが尋ねる。
「ああ。最初粗末な部屋に案内されたんだが……逆に言えば大した扱いをしなくてもいいし、先方も大した扱いはしないってことだ」
何が言いたいのかわからず、ユリエラもリーチェもジェイの続きを待った。
「それこそ、ベアトリーチェ王女らしき女の人なら、誰でもいいんじゃないかってな。そう何度も民衆に顔を見せる機会はないだろうし」
人質としてケラノヴァ神国がグランイルド王国から王女を預かっている……という体裁が崩れなければいい、ということらしい。
「あの王子も、リーチェのことが好きだったわけでもないし、こっちもそうだろ? 政略結婚っていうのを割り切っていたから、あっちも話が早かった。両家で顔を会わせる必要があるときだけいてくれればいい、と」
たしかにそうかもしれないが、本物と同じように振る舞えるユリエラかリーチェがここにいれば、そんな面倒なことはしなくても済む話だ。
「だから、二人はあの家にいられるってことだ」
引っかかりを覚えつつも、最後の言葉がそれを押し流していった。
リーチェが感極まってユリエラに抱き着いてくる。
ユリエラもそれに応えてぎゅっと抱きしめた。
「ジェイ様。どうしてここまでしてくださるのですか?」
ユリエラの問いに、少し間をおいてジェイは話した。
「仲のいい友達同士が、離れ離れになるのを見てられなかっただけだ。俺がそうしたいからしたんだ」
だから気にすんな、と言った。




