フェリクの一日 前
パチリと目を覚ますと、部屋の窓を開けて朝日を中に迎え入れる。
うん、と伸びをして深呼吸をひとつ。
頭の中で今日の一日の予定を簡単におさらいすると、ラフな恰好で部屋をあとにし、階下へ向かい見かけた宿屋の主人に朝の挨拶をする。
「おはようございます」
「あぁ、おはよう、フェリクちゃん。今日も早いね」
この宿屋はフェリクが常に利用しているので、主人とも顔なじみになっていた。
宿の裏手にある井戸で水を汲み、冷たい水で顔を洗う。
これでシャキっとするので、一日がキビキビと送れそうな気がするのだ。
少し前までは、朝は使用人に起こしてもらい、服を着せてもらい用意してくれた朝食を食べるのが一日のはじまりだったというのに、人間というのは、環境が変われば適応していくものらしい。
ふと、宿屋の一室を見上げた。
その部屋はまだ窓は開いておらず、中を窺うことはできない。
「……まだ寝てるのかしら」
いつもそこを使っているのはジェイだった。
彼の場合、こんな朝早く起きることはなく、たいがい昼前に宿屋から出てくる。ひどいときは昼を過ぎてからというときもあった。
以前一度起こしたことがあった。
そのとき、すごく眠そうな顔でこう言われた。
『……こんな朝に起きて何するんだよ……ふぁぁ……』
『何って、仕事よ、仕事。依頼者があなたのことを待ってるんじゃないの?』
『朝はアイシェんとこの店は開いてねえんだよ。依頼はアイシェが窓口だし、今アイシェを起こしてみろ。すっげー機嫌悪そうに追い返させれるから。じゃあな……』
と、いうようなことをジェイは面倒くさそうに言って扉を閉めた。
アイシェの仕事は、酒場ということもあり夜遅くまで続く。だから彼女も朝はどちらかというとジェイと同じくらいのんびりのようだ。
運び屋で窓口がアイシェとなっている以上、昼前まで寝ているのは彼なりに理に適った行動だったらしい。
もちろん、フェリクが通っている冒険者ギルドもまだ開くような時間ではない。
朝フェリクが何をしているのかというと、素振りと読書だった。
『これから冒険するのに疲れてどうすんだよ』とジェイに言われたことがあるが、前向きな鍛錬に水を差された気分になり、ついムッとした。
フェリクが愛用している訓練用の木剣……といってもただの立てかけてある棒切れで、そうとは知らなかった店主が布団叩きに使っていたこともあったが……それを手に取り、鍛錬をはじめた。
扱うのは細剣が中心なので、普通の剣とは動きが違った。
ジェイには、当たる瞬間にだけ力を入れろ、と助言されたので、それを頭の中で繰り返しながら反復練習をする。
どうしてそうなのか尋ねると『力んだほうが動作が遅いし敵に攻撃を気取られる』と端的に彼は言った。だから、当たる瞬間にだけ力を入れるそうだ。
ヒュッ、ヒュッ――。
一歩踏み込んで腕を伸ばし切る寸前にグッと力を入れる感覚。これを体に覚え込ませる。
なんとなく悔しくて言えてないが、助言を聞き入れてから、標的に逃げられたりかわされたりすることが減ったのだ。
すごい人だとは思っていたが、本当にすごいのだとそのとき改めて実感した。
ひと汗をかいたあとは、部屋に戻ってクエスト代で買った魔導書を読み進める。
アタリとハズレの本があるが、今回はハズレだった。書いた人物が、自分がいかにすごい魔法使いかをダラダラと書き連ねているだけで、魔法に関する有益な情報も理論も方法論も記されていなかった。
それら朝の日課が終わると、着替えて装備一式を身に着け、冒険者ギルドへ向かった。
まだ閉まっている冒険者ギルドの前には、開館待ちをしている冒険者がまばらにいた。
割りのいいクエストがしたいなら、朝一に行け――。
これもジェイの教えだった。
割りのいいクエストは、そうだと知っているベテランが先に引き受けてしまうし、そうでなくても、王都を拠点にする冒険者は多いので昼前に行ってもいいクエストは残ってないのである。
「……私、ジェイに洗脳されているのかしら」
ことあるごとにジェイのことが頭に浮かんで、彼の言葉が蘇る。
アイシェにそのことを言うと、キャーキャーと黄色い歓声を上げた。
『あぁ~っ。もうしんどいしんどいっ。フェリク、もうオチてるじゃんそれ! あぁ~』
と、嬉しそうにニマニマしながらテーブルをペシペシと叩く。しんどいと言いながら、それが堪らないらしい。
彼女が言わんとしていることはわかる。
恋をフェリクも知ってはいる。書物で読んだことがあるのだ。
しかしそれがジェイに対する感情なのかどうかは、いまいちわからないでいる。
ようやくギルドが開館すると、フェリクは掲示板に張り出されたクエストを他の冒険者たちと眺めて、夕方までに終わらせられそうなものをひとつ受領する。
受付の職員から簡単な注意事項を説明され、送り出された。
「君、最近ここでよく見るね。一人?」
出入口らへんで、二〇代前半くらいの男性冒険者が笑顔で声をかけてきた。
この人からチラチラと視線を感じていたので、声をかけてきそうだなと思ったら案の定だった。
「私、ソロでやっているので。ごめんなさい」
パーティを組もうと誘われることは正直多かった。
誘ってくるのは、同年代~四〇代後半の、男性冒険者ばかり。
効率のいい断り方を発見してしまう程度には、フェリクは勧誘される数が多かった。
誘う前は、決まってフェリクをチラチラと見る。あの粘着質な好色そうな視線が大の苦手だった。
「……んだよ。お高くとまりやがって。チッ」
こういう男性が大半……いやほぼ全員なので、断って正解だったなといつも思う。
女性冒険者が勧誘されたときは、よっぽど信用できる男性冒険者でなければソロで活動しろ、もジェイの教えだった。
身を守るためであり、余計なトラブルに巻き込まれないようにするためだとか。
パーティを組むとしたら、女性同士か女性がいるパーティに限ると。
「ジェイはあんなミエミエの下心なんてないのに」
ギルドを出ていくと、フェリクはぽつりとつぶやく。
ジェイがいかに紳士で真面目で誠実で優しいのかがよくわかる。
そんなことは接していればわかることだけれど、他の男性冒険者を見ていると、より一層そう思う。




