鉱山の町のヒューイ5
◆ヒューイ◆
ヒューイは大きく吠えた。
あの巨大な魔獣が持つ武器から、主のにおいがするのだ。
この淀んだ空気の中でも、はっきりとヒューイは感じ取っていた。
「ワンッ」
四肢を目いっぱい前後に動かし、素早く接近し飛びかかる。
「ブォ……!?」
爪を突き刺し、牙を立てるが、ミノタウロスが意に介した様子はなかった。
体を捉まれ、放り投げられる。
ドン、と背中から壁にぶつかり、ヒューイの視界が一瞬暗くなる。
『おまえ、野良か。一人なんだな』
どこからか主の声がした。
『食い物、これ。食えよ。腹減ってんじゃねえかと思ってな。警戒すんな。悪いモンじゃあねえからよ』
ヒューイは歯を食いしばり、言うことを聞かない足を踏ん張り、再びミノタウロスを睨みつける。
「ヴゥゥ――――!」
この巨獣が主に何かをしたことは明白だった。
ミノタウロスは、ドンドン、と大きな足音を立ててヒューイに迫ってくる。簡単に踏みつぶされてしまいそうな足からヒューイが逃げると、股をくぐって踵に嚙みついた。
臭くて固い。最低な味がした。
ミノタウロスに蹴り飛ばされると、ヒューイは長い間宙を舞った。
『今からヒューイって呼ぶからな。反応しろよ。名前は勝手につけた。異論は認めん。いいな?』
『ワン』
主は、なんとなくそれっぽいからという簡単な理由で、野良犬にヒューイと名付けた。それから主……ヘイルがよく世話をするということでヘイルの飼い犬としてヒューイは町の人たちから認知されるようになった。
名前があり、それを呼ばれるのは、これほど幸せなことだったのか。
主と暮らしていく中、ヒューイはそう実感するようになっていった。こんな毎日が続くのだと思っていた――。
ドシン、とヒューイの体が地面を転がった。
「ブォォォ……!」
「……ワン……ッ!」
……主に何をした。
間違いなく、主のにおいがするのだ。
砂埃と流れた血で汚れたヒューイは、再びゆっくりと立ち上がった。
「ヒューイ、もういい! 離脱しろ!」
ジェイが叫んでも聞かなかった。
また飛びついたヒューイは、足に噛みつく。
その足が大きく振り上げられるが離さなかった。
煩わしくなったミノタウロスは、再びヒューイを掴み地面へ放り投げる――その瞬間、ジェイが滑り込み、ヒューイの体を抱きかかえた。
衝撃はあれど、おかげでダメージはなかった。
ジェイの腕は、主の腕を彷彿とさせた。
◆ジェイ◆
地面に叩きつけられそうなところを、俺は滑り込んでヒューイを守った。
「ワン……ワン」
ヒューイが弱々しく吠える。
賢いヒューイがあれだけの執念を見せたということは、奴がヘイルさんに何かをしたことは明白だった。
走って元来た道を戻っていき、安全な場所にそっとヒューイを寝かせた。
ぜえぜえ、と呼吸が荒く、怪我もたくさんしている。
俺は常備薬として持っているポーションをヒューイにゆっくりと飲ませてやった。
怪我はすぐに治らないが、安静にしておけば命の危険はないだろう。
「あとは任せろ」
頭を優しく撫でて、俺がミノタウロスがいる大部屋へと駆け戻ると、フェリクとキュックが二手に分かれてムクロを引きつけてくれていた。
ロックはミノタウロスと組み合って膠着状態だ。
フェリクがかけてくれたエンチャントの効果はまだ続いており、俺の剣が纏った炎は、獲物を求める獅子の鬣のように揺らめていた。
「ロック!」
俺が声をかけると、さすがは召喚獣。意図を一瞬にして読み取ってくれた。
組み合っていたミノタウロスからすっと離れた。
……巨大な敵を相手にするときは、足元からと相場が決まっている。
「オォォッ!」
ヒューイの覚悟は、決して無駄にはしない。
一直線に接近し、勢いそのままにふくらはぎあたりに渾身の炎撃を叩き込んだ。
「ブォォァア!?」
肉が焼ける音がし傷口の上で炎が燃え盛る。堪えきれずミノタウロスが思わず膝をついた。
俺に気づいて睨むと、片手で握った戦斧を横に薙ぎ払う。
敵のパワーは一級品で、力比べをすれば俺が勝つ余地なんてないだろう。
だが、間合いに捉えてしまえば、動作は鈍いし機敏な動きもできない。こっちが攻撃する隙がたくさんあった。
ブオン、と風を切る戦斧を飛んでかわすと、次に狙ったのは、武器を持つ手だった。
振り終わりを狙った俺は、腰だめに剣を構え、体当たりの要領でミノタウロスの手に切っ先を突き立てた。
「ブォォあああああああ――ッッッ!?」
悲鳴が響き渡り、ミノタウロスが戦斧を落とした。
これで戦意も下がるだろうと思ったが、まだ目は死んでいない。怒りを滾らせたミノタウロスは、咆哮を上げてもう片方の腕を地面に何度も叩きつけた。
グラグラ、とそのたびに地が揺れる。
何だ。何をしている……!?
「ブオオオオ! ブォオオオオオオオオアアアアアアアッッッッ!」
そのときだった。ゴロロ、という雷鳴のような嫌な音が頭上から聞こえてきた。すぐさま、ドン、ドシン、と大岩がいくつも周囲に落下しはじめた。
これを狙ってたのか。
「きゅ! きゅぉぉ」
キュックは、器用に走り回り落ちてくる大岩を回避している。フェリクはヒューイが休んでいる通路まで退避していた。
「むぉ!」
俺の真上に落ちてきそうな大岩を、ロックが殴ってミノタウロスのほうへ飛ばした。
「ロック! 助かった!」
むふーっとロックは得意げだった。
ミノタウロスは、まだ地面を叩くことをやめない。このまま俺たちもろとも生き埋めにしようって魂胆か。
片膝を着くミノタウロスは、再び戦斧を片手で持つ。
俺を真っ直ぐ見据えているあたり、よっぽど俺は奴を怒らせたらしい。
「ブォアアア!」
戦斧を思いきり俺のほうへ投擲してきた。
それを、そばにいたロックが前に入ることで身を挺して守ってくれた。
これ以上暴れさせると、ここはよくても帰り道が塞がっている可能性がある。
早くこいつを止めないと。
俺はロックの横から飛び出すと、一直線にミノタウロスへ向かった。
よだれを飛ばして何かを喚くミノタウロスは、俺を掴もうとする。それが逆効果で、俺は迫ってくる手の平に、また剣を突き立てた。
人型であれば、腱もきっと存在するはず――。
比較的狙いやすい手首を斬り刻む。すると、固い何かを斬った手応えがあった。すぐに効果は表れ、ミノタウロスの手は開いたままで閉じることはなかった。
いつの間にかエンチャントの効果が切れていることに、俺はようやく気づいた。
「ジェイ!」
再びキュックに乗ったフェリクが魔法を施してくれる。
俺の剣が息を吹き返したかのように、轟々と赤い炎を滾らせた。
ミノタウロスに最接近すると、俺は上段に構えた炎剣を力の限り振り下ろす。
紅い斬閃が弧を描き、ミノタウロスに炎撃を刻んだ。
悲鳴が聞こえるが、俺は手を止めなかった。
この巨体を一撃でやれるとは思っていない。
一撃一撃、渾身の斬撃をミノタウロスへ放った。
七度を数えたとき、ひときわ大きな鳴き声をミノタウロスが上げると、フッと目から生気が消え失せるのがわかった。
俺に覆いかぶさるようにゆっくりと倒れてくるところを、ロックがミノタウロスを支え、俺が逃げる隙を作ってくれた。
それを見届けると、ロックはミノタウロスを離す。
ドシィン、と地鳴りとともに伝説の巨獣、ミノタウロスは地に伏せ、息絶えた。




