お金を受け取らない代わりに、一発殴ります
薬が入っている鞄を奪取した俺は、まだ城内を探し回っている仲間に見つけたことを伝えた。
捜索を指示したビンの手際がかなりよく、手下たちの行っていないところを探したら大当たりだった。
城壁の上にやってくると、スウェイはまだうっすらと口を開けたまま動かないでいる。
かすかに呼吸の音がしたので、まだどうにか生きていることがわかった。
鞄の中を確認してみると、スウェイが飲んだものと同じ薬が何本も出てきた。
すべて持ち出したといっていたあの発言は嘘ではなかったようだ。
研究資料らしき紙束も出てきた。
難しい単語が並ぶ資料にさらっと目を通していく。
「これだな」
解除の薬はたしかにあり、それは思っていた通り鞄の中にあった。
「勝てれば何でもいいのかよ」
解除の薬以外を地面に叩きつけて割った。
研究資料の紙束は、焚かれているかがり火の中に突っ込んで燃やした。
俺はまだ動かないスウェイのそばに近寄り、解除の薬の蓋を開ける。
「きちんと作用すれば戻れるぞ、スウェイ」
おまえは嫌がるかもしれないが。
口元から薬を流し込んでいくと、スウェイは何度か咳をした。
すると、体がぼんやりと光った。
肌の色が元に戻り体のサイズも俺が知っているスウェイのそれとなった。
……だが、アレまでは元には戻らなかった。
「ジェイ……酷いな、君は」
ようやく目を覚ましたスウェイはかすかにしゃべると、目元をゆるめた。
「手加減しようがなかった。悪い」
俺が与えたダメージは致命傷となっていた。
俺は意味があるかどうかわからない応急処置を施していく。
「友達にあんな攻撃をするなんて、なんて酷いヤツなんだ」
口角が一瞬上がる。
冗談を言って笑ったのだとわかった。
「友達だろうと何だろうと、さすがにああなれば止める。……いや、友達だからこそだろう」
キュックを酷使し過ぎた。今日はもう呼び出しても飛べない。
まともな処置ができるであろう連合軍の本陣はまだはるか遠い。
「君の手にかかるのであれば本望だよ」
俺はスウェイを背負った。
「どこへ」
「怪我人は手当てできるところまで運ぶのが当然だろ」
「人が好い。わかっているだろうに」
「しゃべるな。傷に障る」
聞こえていないのか、スウェイはぼそっと話した。
「……元々、意気地のない僕が悪いんだ。間違っていた。あのまま君が止めてくれなければ、とんでもないことになっていた。研究室から持ち出した関連資料と完成品がある――」
「大丈夫だ。取り返した」
「……君の言う通り、八つ当たりだったんだ。君の正論に、僕は何も言い返せなかった。図星だったんだ……」
背中から聞こえる弱々しい声には答えなかった。
「人間を滅ぼすなんて覚悟ができたんだ。今なら嫌いなやつの一人や二人殴れるだろ」
「……かもね」
城内の階段を降りて外に出る。
歓声が上がっている。
連合軍がフラビス城塞から出撃した魔王軍を打ち破ったところらしい。
旗が近くに見えたので俺は叫んだ。
「衛生兵――――! 衛生兵はいないか――――!?」
見かけた連合軍の兵士に声をかけたが首を振られた。
「なんて意味のない……僕の人生は、つまらなくて、なんて意味のない――」
「そんなことはない。――おまえが嫌いなやつを今から全員殴りに行くぞ。しっかりしろ」
遠くに見える山の稜線が赤く燃え、一帯を明るく照らしはじめた。
朝焼けだ。
「これをもらってほしい」
スウェイは腕を伸ばした。その手首に革細工のブレスレットがあった。
「たぶん、大事なものだろ? 受け取れない。それに、男からプレゼントもらっても嬉しくねぇんだよ」
俺は冗談めかして言った。
周囲は魔王軍の死体だらけで、少し先の川が血で染まっている。
「こんな死に際でも、やっぱり許せないなぁ。あの人たちのこと、死に際になれば許せると思ったんだけど」
「あとちょっとだ。黙ってろ」
朝陽が顔を出し、俺は陽光に目を細めた。
俺は努めて明るく話しかけた。
「スウェイ、他人を殴ったことあるのか。おすすめは腹だ。顔面は拳を痛めるからな。ああ、そうそう、酒が飲めないなんて言わないよな。二番通りの食堂、行ったことないか? 何年王都で兵士やってるんだよ。最近配属されたのか? あそこの店なら、潰れるまで飲んでいいぞ。俺も結構飲むつもりだから。おまえのおかげで報酬はかなりもらってるんだ。だから……」
「……ありがとう、ジェイ……」
手首にあった皮のブレスレットが足下に落ちた。
「どうやら上手くやってくれたみたいだね」
にんまりと中佐が笑った。
あの日の会議所で改めて俺は依頼主に報告をしていた。
「報告はすでに聞いているよ。『謎の巨人』が出現しフラビス城塞は陥落……。クックック。私が思い描いた通りだ! この手柄で私は階級が上がる……! フクク……!」
俺はぐっと拳を握った。
何が謎の巨人だ。
そうなるようスウェイに指示をしていたくせに。
「成功報酬の八〇〇万リンをすぐに用意させる。そのために今日来たのだろう?」
下卑た笑いを浮かべて唇を歪める中佐に、俺は首を振った。
「いえ、八〇〇万は要りません」
「ほほう? 他にもっとほしいものがある、と?」
「はい」
そう言って俺は立ち上がった。
「一発、思いっきり殴りますので、歯を食いしばっていただけますか」
「はえ?」
「お金を受け取らない代わりに、一発殴ります」
「は? ……え? き、君は一体何を言っているのかね」
「安いものでしょう」
うろたえる中佐は、慌てて声を上げた。
「だ、誰か、おらぬか! ろ、狼藉を働こうとしておる! ――中佐のこの私にそのようなことをして許されると思っておるのか!?」
「中佐だろうが誰だろうが、関係ありません。許さなくても結構です。俺もあなたのことを許さないので。『微々』たる犠牲を払ったあの作戦は上手くいったのでしょうが。……ではいきます――」
「あひいいいいいいいいいいいいいい!?」
中佐との間にあったローテーブルを踏み、情けなくガードのように手を突き出す中佐の顔面を俺は思いきり殴り飛ばした。
「おふっ!?」
ドゴッ、と重い音がすると、中佐はひっくり返りソファの裏に頭から落ちた。
「き、貴様……! な、殴りよったな!? 八〇〇万をフイにして、私を殴るなど……! 貴様を拘束するッ! 誰か! この男を捕えよ!」
さっきから呼んでいるのに、誰も来ないのには理由がある。
「どうやら済んだようだね」
騒ぎを聞いて……いや、さっきからずっと外で聞き耳を立てていた第四軍参謀長が中に入ってきた。
俺が以前アルアの依頼を受けて資料を届けた丸眼鏡の老将官だ。
実は、誰に相談していいのかわからず、俺はこの人に依頼とその内容、そしてフラビス城塞で起こったことすべてを教えていた。
「マーブル中佐」
まだひっくり返っている中佐を参謀長は覗き込んだ。
「ふはっ!? ハロエム准将閣下!? 参謀長として従軍中のはずがどうしてここへ」
「彼から、色々面白い話を聞いてな」
穏やかに老将官は話した。
「そのようなことが、我らが留守中に起きているとは思わなんだ」
「……っ、お、おも、面白い、話……?」
中佐の顔色が、瞬時に土気色に変わる。
俺に目線を寄こしたので首肯した。
「軍があんなことをしているのが信じられなくて、参謀長に相談をさせていただきました」
「……」
土気色をさせた顔色が、今度は紙のように白くなった。
「ずいぶんと好き勝手したようだな、マーブル中佐。いや、マーブル。……拘束されるのは、そなたのほうだ」
「わた、私が?」
「外道の薬を開発し兵に投与。兵器に仕立て上げフラビス城塞で暴れさせる……軍の作戦としての理は認めるが、なんと胸糞の悪い作戦か……ッ」
「く、苦戦していたのは事実……。犠牲を多数出したのも事実……! 綺麗ごとでは魔王軍に勝てません……!」
「うむ。一理ある。その作戦は、軍司令部全体で認められているものであろうな?」
「そ、それは………………」
ここが泣き所だったらしく、中佐はだんまりを決め込んでいる。
好き勝手した、というのは、このことだったらしい。
「あの外道の薬は、王国を汚す負の歴史となったであろう! 歴史書に主導者であるそなたの汚名が記されるところであったのだ。ジェイ殿に感謝すべきであろうッ!」
参謀長が一喝すると中佐は立ち上がった。
「はひいいいいいいいい……」
そして、俺に深く頭を下げた。
「私の、汚点を……! ぐふうう……っ、帳消しにする戦果を、上げてくださり、感謝の念に堪えません……」
などと口では言っているが、歯ぎしりの音が聞こえるし、拳もずっと握られたままだった。
俺は参謀長に言った。
「すでに報酬はいただきましたので、こちらから言うことはもうありません」
「そうか。それならよかった。軍からの依頼は今後も引き受けてくれるだろうか?」
機密と言われ俺は踏み込まなかった。
ただ運べばいいだけだと。それが仕事だからと詮索はしなかった。
だが、今後は今回のようなことを起こさないために、俺はひとつ決めた。
「きちんと詳細を明かしてくれれば」
「わかった。もし我が軍が依頼をする際は、それを徹底させよう。渋る輩がいれば、私に報告をしてくれたまえ」
「ありがとうございます。……それならあとは、報酬次第で何でも運ばせていただきます」
参謀長が人を呼ぶと、数人の兵士が中に入ってきた。
「マーブルを拘束せよ。軍法会議にかける」
「そんな……! このマーブルが作った研究チームの開発は利するものであり――王国を想えばこそのことで――――!」
愛国心からの行動だと中佐は言うが、どこか嘘くさい。
「功名心に逸ったな、マーブル。他にやり方があったろうに。通すべき筋がある。そなたはそれらを無視した。軍法会議で沙汰が下る。それまで牢で過ごすのだな」
「そんなぁああああああああああ」
喚き声を上げるマーブルは、縄で縛られ連れていかれた。




