イーロンド家
すぅ。様からレビューいただきました!
ありがとうございます!!
◆フェリク・イーロンド◆
「アホか。Dランクなりたての腕で魔王軍と遭遇するかもしれない場所へなんて連れていけるか」
ジェイならそう言うだろうとフェリクは思っていたが、まさしくその通りとなった。
「上空から見るだけでいいの。焼け落ちているかもしれないし、壊されているかもしれないけれど、どうなっているのかだけ、この目で確認させてほしいの」
「そこまで行かない可能性もある」
「ジェイ、お願い」
唇を噛みしめ、頭を小さく下げた。
っはぁ~、とジェイのため息がすぐに聞こえて、困ったように頭をかくボリボリという音がする。
「……俺の指示には絶対に従うことを約束してくれ。それなら、まあ」
「ありがとう、ジェイ!」
飛びついて抱き着きかけたが、フェリクはどうにか自重した。
「こんなつもりじゃなかったんだけどなぁ」
渋い顔をして、ジェイは腕を組んだ。
「もし屋敷がそのままなら、お母様が私にくれた大切なブローチがあるの。残っているのなら、回収したい」
「わかった、わかった。ま、軍が押し込んでて、イーロンド領は軍の支配下になっているかもしれないしな。焼け跡になっていないことだけを祈るよ」
「すぐに出発する?」
「ああ。必要そうな物資を揃えたら出る。食堂前で待ち合わせよう」
「わかったわ」
フェリクは一度宿に戻り、滋養強壮薬と言われる小瓶の液体を飲み干した。
「うぇぇぇ、何よ、これ。マズ……」
魔力にまだ余裕はあるが、今日のクエストの消耗を考えると、飲んでおいたほうがいいと思ったのだ。
冒険者ギルドで報酬としてもらったものだが、この後味なら飲まないほうがよかったかもしれない。
フェリクはぱちぱち、と両手で頬を叩き、気合いを入れた。
魔王軍が襲来したあの夜を忘れたことはない。
カーテンに映し出された翼の生えた何かが見え、対応しようとした警備の騎士があっという間に串刺しにされてしまった。
燭台をかざした向こうに揺れる邪悪な横顔は、今なお脳裏に焼き付いて離れない。
騒音と悲鳴と叫び声が立て続けに聞こえる屋敷は、地獄のようだった。
メイドに連れ出され、地下へ向かう途中、父と母の変わり果てた姿を目にした。
呆然と立ち尽くしそうになるフェリクをメイドは叱咤した。
そして、隠し通路に繋がる地下倉庫まで連れてきてくれた。
『お嬢様はこの通路でお逃げください。他の皆さまはすでにここから脱出なさっておいでです。さあ早く――!』
混乱するフェリクに、まともに思考回路が働くはずもなく、言われるがままその言葉に従った。
通路を進み、地上に出るとさっきまでいた屋敷は遠くに見えた。
他の皆さまとは誰のことなのか。先に逃げているとメイドは言ったが、誰の姿もない。
そこで、ようやくメイドの嘘に気づいた。
あの時点で、まだ誰も避難できていなかったのだ。彼女は他の人たちを連れ出すため、また屋敷の中へ戻っていったのだ。
そのあと、自分がどこをどう歩いていったのかは思い出せない。軍に保護されたことだけはぼんやりと覚えている。
着の身着のままで、所持品は何もなく手ぶらだった。
だから、家族を感じるもの、あの幸せだった頃を思い出せる物が、ひとつでも手元にほしかった。
冒険者としての日々を過ごすうちに、戦いにも慣れた。
あのとき。
敵に魔法を放てるほど冷静であったのなら、こうはならなかったかもしれない。
今のように戦えるのであれば、撃退できていたかもしれない。
後悔しない日はなかった。
兄妹とメイドが無事に避難できていることを、祈らない日はなかった。
「もう、あの頃の私じゃない――」
小声でつぶやき、そう言い聞かせた。
◆ジェイ・ステルダム◆
道具屋から新調した鞄にアルアから預かった書類を詰め、携行食をいくつか放り込んだ。
食堂前に向かうと、すでにフェリクが待っていた。
もう一度だけ俺は念を押した。
「戦う準備こそしたが、行って渡して帰ってくるだけだ。イーロンド家は、そのついでだからな」
「わかっているわ」
どうだか。
気迫十分って感じの顔をしているぞ。
イーロンド領は、魔王軍に襲われた領地のひとつだ。
その悲劇的な知らせは、王都に届くころには遠くの出来事のように噂されていた。
イーロンド家は全滅したと俺は噂を聞いた。
その娘がここにいるのだから、噂は噂でしかないんだろう。
無言のまま城外に出ると、キュックを召喚する。
「きゅぉー」
窮屈な場所から飛び出てきたかのように、首をぶるぶると振って、翼を一度大きく広げた。
「頼むぞ、キュック」
「きゅ」
トカゲ時代からそうだけど、キュックは、俺の話している言葉を理解している節がある。
こいつはバハムートらしい。それが本当なら、その程度の知能はもともと備えているのかもしれない。
俺とフェリクが乗ると、キュックに飛んでもらった。
イーロンド領方面……南西へ進路を向け、敵に見つからないようになるべく低空飛行させた。
屋敷が近くなったのか、フェリクが見覚えのある物を指差していく。
「じゃあ、屋敷が近いんだな」
「ええ」
その割に、届け先の軍団がいる気配がない。ここ以上に押し返しているのか? それとも――。
地上には、魔物の部隊がいくつも見えている。魔王軍の勢力範囲ってことか。
どうやら深入りしすぎたらしいな。
連合軍が以前より後退している。
キュックに旋回を指示しようかというとき、後ろから「あった! あそこよ!」と声が上がった。
「イーロンド家の屋敷。あそこよ!」
たしかに、指が示す先には屋敷がある。地方貴族の屋敷を絵に描いたような、可もなく不可もない大きさの屋敷だった。
旋回して届け先をまず探すか? いや、ここまで来たのなら、もう――。
周辺が魔物だらけなら、届け先を探しただろう。
だが、今その姿はない。
屋敷が無事に残っているなら、価値を知らない魔王軍が形見のブローチを放置している可能性は高い。
「魔王軍がどこに潜んでいるかわからない。あまり長居はできないぞ。目的のブローチを回収したらすぐに出る」
「了解」
キュックが翼の動きを最小限にして飛ぶ。それだけでかなり静かな飛行となった。
音をなるべく立てないように、キュックが屋敷の屋根に着地する。
「あそこ。屋根裏の窓があるわ。そこから中へ」
「俺も行く。敵がうようよいるかもしれない」
再召喚は魔力を消費する。すぐに飛び立てるように、キュックには屋根で待ってもらうことにした。
足を忍ばせ、屋根裏へ続く窓を開けてフェリクが中へ入る。俺も続くと、梯子を使って階下へと降りていった。
俺が先頭に立ち、フェリクには後ろから道を指示してもらった。
多くはないが、魔物の気配がある。
便利だから拠点として残しておいたってところか。
「私の部屋はここよ」
「開けてくれ。中を確認する」
うなずいたフェリクが扉をそっと開け、俺は部屋に入る。
「ボググッ――!?」
一体、豚の魔物オークと鉢合わせになった。
「チッ」
「ボギャ、ゴゴオ!」
休んでいたのか、テーブルの上においていた剣を慌てて取ろうとする。
それよりも早く、俺は剣を抜き放ちオークに斬撃を浴びせる。
袈裟に目いっぱい斬り下げた一撃は、致命傷の手応えがあった。
「ボゴゥ……」
血を吹き出し倒れそうになるオークを、そっと支えて物音を立てないように床に横たえた。
「ジェイ」
「問題ない。それよりも早く」
「ええ」
中に入ってきたフェリクが、真っ先に机の引き出しを探す。
「あったわ!」
「よし。とっとと逃げるぞ」
ボギャボギャ、というオーク特有の鳴き声が聞こえてくる。
何か騒いでいるな。
……俺たちのことに気づいたか?
ドッドッド、と巨漢が走るような重い音。
「ボギャゴォぉォぉ!」
ドオン、という物音とともに、扉が呆気なく破られ、倒したオークより一回りほど大きな個体が現れた。
身につける装備品も、奪ったものだろうがいい物を身につけている。
人間なら両手で扱うだろう大剣を、片手で握り、唾を飛ばし涎を垂らしながら何かわからない言語を喚いている。
「勘のいい豚野郎め」
俺たちのニオイや気配を察知したか? それとも、部下の様子を見にきたか。
「違う、こいつじゃないわ……」
「何言ってる、フェリク。窓からキュックを呼んでくれ。脱出する」
フェリクが返事をする前に、隊長オークが突っ込んできた。振り下ろされた大剣を俺は横にした剣で受けた。
「ゴギャア! ポポゴッ!」
「良い打ち込みと気迫だが、ま、ランクで言うならBってところか」
俺は気合いの声を上げて大剣を押し返す。
下が騒がしい。もう侵入者がいることはバレたな。
「ポォォォォ――――ッ!」
隊長オークが雄叫びを上げ、大剣を横に払う。そこを俺はかいくぐるように接近し間合いを詰めた。
「オォッ!」
体重を乗せた斬撃を食らわせる。ぼひぃ~と悲鳴を上げる。
俺は息つく間もなく、剣撃を加える。
馴染みの剣に、体に馴染んだ連撃の技。
敵に倒れることすら許さなかった。
俺がSランク冒険者たる所以の、電光石火の速攻技だ。
「ぽぎょぉぉぉうう……」
全斬撃をその身に受けた隊長オークは、壁に磔になるように立ち尽くしている。
目から生の光りが無くなるのがわかると、ずどぉおん、と大きな音を立てて倒れた。
ふう、と一度呼吸をすると、俺は血振りをして剣を鞘に収めた。
「あんな、大きなオークを一瞬で……」
フェリクが目を剥いて驚いていた。
「この豚ちゃんには永遠に近い一瞬だったろうけどな」




