ドッグタグ(ここまでが1章です)
1章完結!
ここまでで一区切りです。
部下のゴブリンたちは、魔族がやられたのを見るや否や、耳障りな鳴き声を上げて逃げはじめた。
「キュォォォォォォオオ!」
キュックが勝利の雄叫びを上げている。
部隊の人間の大半は逃げ出しているようだった。ここに残ったのは死体だけだ。
「は、運び屋さん……強いんですね」
腰を抜かしたままのロウルは、信じられないものを目の当たりにしたように何度も瞬きをしていた。
「俺が強いんじゃなく、あいつが俺を侮っていただけだろう」
そのおかげで一瞬の虚を衝けた。
今回に限らず、侮られたままでいると、こういうときにとても便利だったりする。
「いやいや、強すぎますよ……! 魔族の魔法の連射から飛び出して、ズバッと首を一撃で!」
俺はロウルに手を貸して立たせてやった。
「僕知っているんですから。戦っている最中に剣で首を落とすことがどれだけ難しいか!」
「わかった、わかった。そう興奮するな」
どうどう、と俺はロウルを窘める。
二人で生存者を探したがいなかった。
「別の隊を探して、壊滅を報告しないと……」
真面目なロウルは荷物をまとめようとしている。
俺はさっき見つけた死体のひとつをもう一度確認する。
ゴブリンたちに踏みつけられ、人相がわからなくなっている。
この死体なら、ロウルと背格好が同じだ。
「運び屋さん、何をしているんですか」
「ニコルに絶対に帰るって約束するんだろ?」
「え?」
「果たせるよ。今なら」
識別票の安っぽいプレートを死体からもらい、ロウルに投げて渡した。
「どういう、ことですか……?」
「おまえは、ここでさっき死んだんだ」
俺はロウルが首から下げていた識別票を外し、死体にかける。
脱力したロウルが、膝から崩れて地面に両手をついた。
ふぐ、うぅ、と肩を震わせて泣いている。
「さっきまで、死ぬんだと思っていました。もうニコルにも会えないんだって……。あの子が立派になるまで面倒見てあげないとって思ってたけど、それも無理なんだろうなって……」
俺はロウルの肩をぽんぽん、と叩いて、隣に座った。
ちょうどロウルが集めていた水と食料があったので、少し分けてもらった。
移動と戦闘でお疲れの様子だったキュックは、俺が何か食べているのを見つけて、のしのし、と近寄ってくる。
開けた口に水を流してやり、そのあとパンをいくつか放り込んだ。
怪我をしていないかキュックの体を確認したが、傷ひとつない。
あの魔族もバハムートって言っていたな。
「おまえ、やっぱりバハムートなのか?」
尋ねても食事に忙しいキュックは何も反応してくれなかった。
◆
ニコルは、ベッドに今日も一人で寝ていた。
六歳の体には大きなベッドは、兄と二人で寝てちょうどいいくらい。
その兄は、兵士になってどこかへ行ってしまった。いなくなってもうずいぶん経つが、このベッドの広さにはまだ慣れない。
格安家賃の家では隙間風が入り込み、いつも寒かった。
運び屋は手紙を届けてくれただろうか。
毎朝、もしかすると兄が帰ってきているのでは、と期待してはいるものの、それも徐々に薄れつつあった。
ときどき様子を見に来てくれるご近所さんの老婆は優しかった。
ただ、兄の話をすると、ときどき憐れむような目をする。それが意味するところは、ニコルはよくわからないでいた。
「お兄ちゃん……」
兄を呼び、今日も眠る。
朝起きれば、家の中と外の通りに兄の姿を探す――それがニコルの日課となっていた。
そうして何気ない一日がはじまり、昼食を何か食べなければと考えていると、扉がノックされた。
「お兄ちゃん……?」
心臓が高鳴り、大急ぎで返事もせずに扉を開けた。
「お兄ちゃん――!」
そこには、兄ではなく運び屋がいた。
「あ……運び屋さん……」
肩を落とすと、運び屋が口を開いた。
「報告をしようと思って。お兄ちゃんのロウルを探して、手紙を届けた」
ニコルは、うなだれていた頭をすぐに上げた。
「お、お兄ちゃん、元気、でしたか」
「元気にやってたよ」
「何か、言ってましたか……」
寂しい。帰ってきてほしい。
他にもいくつか書いた気がするが、この二言に気持ちは集約されていた。
わしわし、と運び屋がニコルの頭を撫でた。
「ロウルは、いっぱい言いたいことがあったと思う」
運び屋はその場から離れるように、す、と出入口を開けた。
「あとは――直接訊くといい」
そう言うと、扉の脇から兄が出てきた。
兄だった。
兄のロウルがそこにいた。
顔をくしゃくしゃにして、涙を流している兄がそこにいた。
「ニコル――」
「お兄ちゃん――――!」
膝立ちになった兄が手を広げる。
ニコルはそこに思いきり飛び込んだ。
「お兄ちゃん……お兄ちゃん……う、うああ、わあああああああああ――」
何か言いたいことがあったような気がするが、涙が溢れて止まらなかった。
兄は力強くぎゅっと抱きしめてくれた。
「兄ちゃん、帰ってきたよ。元気だったか、ニコル」
答えたいのに、喉がしゃくりあげるせいで上手く話せない。
呼吸を落ち着かせ、ようやくひと言声に出せた。
「げんぎ、だっだ……」
「よかった。本当によかった」
髪を撫でる優しい手つき。知っているこの仕草。ああ、兄だ。兄がここにいる。
離れないように、ニコルはまた兄の首に抱き着いた。
「運び屋さん……ジェイさん、僕と妹のこと、本当にありがとうございました。いくら払っても払いきれません」
兄が運び屋に向き直ると、運び屋は小さく笑って首を振った。
「いや、報酬は前払いで十分もらっているから、これ以上はもらえない」
「それじゃ、僕の気が収まりません。何かさせてください」
「そこまで言うなら……二番通りに食堂があるだろう。そこによくいるから、今度一杯だけおごってくれ」
じゃあな、と言って運び屋は去っていった。
「ありがとうございました! 本当に、本当に! ありがとうございました!」
その背中に、兄は何度もお礼を言っていた。
それから兄は、兵士になってからの日々と出会った英雄の話をしてくれた。
竜に乗って現れ、窮地を救ってくれた最高の竜騎士の話を。




