第六章 夜巣の底(六)
金助の力で夜巣の底に落とされた進。そこで不思議な老人と出会う。言霊とイメージで体内の毒を輩出し、人に戻った進。自分の姿を宝剣を鏡にして確認しようとする
宝剣を上にかざして自分の顔を確認しようとするが、これだと辺りも暗いし、よく分からない。
「鏡か?」
「うん」
「想像で出してみな」
オレは手を握って、今鏡を握っていると思い、念じる。
「力み過ぎじゃ。もう少しどうでもいいような気分でやるのじゃ。気楽にな」
「うん!」
オレはもう一回仕切り直してから挑戦する。
できなくてもいいやと思い、それから…小さい白い手鏡。鏡の形は楕円形…オレは目を閉じて想像に集中する。
プラスチックの手ごたえを感じて来た…今手の中で実体をともなっているに違いない。オレはもうしばらく目を閉じて想像に集中する。
じいちゃんは辛抱強く待ってくれているみたいだ。オレができるようになるまで何も言わなかった。
しばらく経ってから目を開けた。
手の中には小さい楕円形の鏡があった。表面はピカピカしており、暗闇の中光っている。これはオレが夜巣の中でも見やすいように普通の鏡をアレンジしてイメージしたものだ。
さて。見るか。
オレは鏡をのぞき込む。懐かしい顔がそこにあった。ほくろの位置もにきびの位置も見覚えがある。
「おお…」
しばらく感動して何も言えなくなった。角度を変えてあちこち見てから
「じいちゃん、元に戻ったよ…戻れた…」
「うむ」
「ありがとう…ほんとに…」
この世界に来てからいろいろあったが、安心感のある達成感を感じたのは今回が初めてだった。
「いやいや、お前さんの力じゃよ。良いか、今のやり方を忘れるでないぞ」
「ふふふ」
思わず笑いが込み上げる。全く不安になったり感動したりおかしくなったりと今日は心が忙しいことだ。
それにしても何だか愉快にしてやはり心もとない感じがする。人間というのはこんなにも繊細だっただろうか。同じ人間にしてもじいちゃんは落ち着いているというのに。
上空に立ち昇って行った煙はすでに見えなくなり、ロマンのない夜があるだけだ。
「さっきの毒のエネルギーはどうなってしまったんだろう」
「上空に行くにつれ、ばらばらになって消えたんじゃろうな」
「あれはオレの一部なんだろう」
「そうだが…お前にとって必要のない部分じゃな」
「ふうん。俺の一部ね…」
あのエネルギー、煙はオレの一部なんだ…それが上がって消えていったんだ。何だか少し空虚な気分になる。毒とはいえ、しばらく俺とともにあった物だからだろうか。
「何かちょっぴり寂しいな」
「…そうか」
「今、自分が少し欠けた感じがするんだ」
「じゃが、余計なものを手放さないと良いものも入ってはこないからな。いらないものに未練を抱かないことじゃよ。常にエネルギーの循環は良くしておくことが望ましいのだ」
じいちゃんがなぐさめるようにそう言う。
「オレのエネルギーか…オレのエネルギーを全部手放したらどうなるんだろう」
「…そんなことはできんじゃろ」
「オレが消えてしまうわけ?」
「分からん。わしはやったことがないからな。ここではわし一人。つまりそれをやった者もいないと いうことじゃ」
「……そうか」
やれば何となく危ういことだけは分かる。心理的にブレーキがかかりそうだ。
「さっきオレの一部が上がったのに、影鰐が空に現れなかったな」
「逃げようと思ったわけではないからな。それにエネルギーの一部だ」
何かここにヒントがあるような気がした。
「じいちゃん。さっきのエネルギーをもう一度まとめることはできるの?」
「さあな…わしは知らん。そんな危険なことするものではないぞ。まあ茶でももう一杯飲め」
「ああ、うん…」
オレは勧められるままに注がれた茶をもう一杯飲む。
「菓子でもどうだ。あんころ餅だ」
「うん。食べる」
じいちゃんがつぶやくと、あんこの細長い菓子が小皿にのって二人分現れた。
先が二股に分かれた竹のフォークみたいな物が皿にのっている。オレは皿を受け取ると、竹で餅を刺して口に入れた。
「甘い…」
あんこが懐かしい。宗兄の家で里子おばさんに和菓子をよく食べさせてもらったっけ。
こちらの世界に来てからあまり甘い物を食べていなかった。この前飲んだ飴酒くらいだろう。人間に戻ったせいか、一口食べただけで思い出やら感情がたくさんくっついてくるのが不思議だった。
「じいちゃんはここでずっと暮らしてきたんだよなぁ」
「ああ」
「寂しくはなかった?」
寂しいに決まっている。そこをあえて聞くのが人間だ。
「寂しいさ。時間の流れをあまり意識していないのがせめてもの救いかな。ここだと現界にいるときほどは長く感じないしな」
「そうなんだ。しかし金助の奴もこんなところに落とすなんてひどい真似をしてくれるよな」
「そうだな。まあ死ななかっただけ運がよかったと思うよ。黄鬼などはもう殺されておるじゃろうしな。そうならなかっただけもよいわ」
言われてみればそうだ。殺すことにはさすがに躊躇があったということだろうか。
「黄鬼か…いつから金助が化けていたんだろうな」
「心当たりはないのか」
「うーん…」
奴におかしな点があっただろうか。オレは他人の微妙な違いには気づかないタイプだ。だからよく分からないというのが正直なところだ。そう言えばさゆはどうだったろうか。
オレはさゆが何か言っていなかったかと思い出そうとした。
「あ…そう言えば、村を襲撃する前に黄鬼の体が香水臭いってオレの相棒がぼやいていたよ。確かに前に会った時はあんな匂いはしてなかったな」
「ほう…香水をかければ体臭が消える。魔物は匂いに敏感な奴が多いからな。入れ替わったのはその前じゃろう」
「ああ、そういうことか。だから香水をたくさん振りかけていたんだな」
「黄鬼か。昔は手の付けられん魔物じゃったわ」
「じいちゃん。知ってるの」
「ああ。奴らは村の近くの山に住んでおったからな。茶色い鬼とよくつるんでいてな。当時は黄砂兄弟と名乗っておったよ。蛇神族の人間を襲って着物を盗んだり、村の者に悪さをしたりと盗賊みたいな奴じゃった」
魔物って本来そういうものじゃないのかと思ったが、眷属の人間を襲うのはやはり悪いこととされているようだ。
「そりゃひでえ。けど何で黄砂兄弟なんだ?」
ワン・テンポ遅れてオレはそう言った。
「それは名前じゃ。黄鬼の名前は黄蔵。茶鬼は砂彦だからじゃ」
「ふうん。まあ確かに奴らはそんなコンビだったな」
「奴らも焼きが回ったということじゃろうな」
「しかし金助って奴は汚いな。人間と魔物の両方を天秤にかけて操作しようとするんだな」
「そうだ。汚い」
「あいつは何者だろうな」
「さあな。人と魔物の数を減らすような奴じゃ…普通の心など持っておるまい」
「金助がここに来ることはないのか」
「ああ、一度もない」
話を続けるのかと思いきや、それっきりじいちゃんは黙ってしまった。言霊を気にしているのかもしれない。
「さて、今日はもう寝るかいの。この続きはまた明日しよう」
「寝る…ああ、分かった」
夜巣で寝ることには慣れている。




