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第六章 夜巣の底(三)

夜巣の底で老人ニギノに出会った進。そこで二人は仲良くなり、進は気になることを訊ねる


オレは箸を手に取ると言った。

「ところでじいちゃんはここから出ようと思ったことはないの?」

「ん…いや、それは思ったことはないな」

「え。どうして?」

「まあここは想像でたいがいのことはできるしな。それにあれが来るうちはな…」

じいちゃんはそう言って上を見る。

オレもその視線の先を追うようにして暗い空を見上げる。

何も見えない。そこには同じ色の闇があるばかりだ。

だが…何か色が変わり始めていた箇所があった。灰色のような薄い青みがかった黒が上空を覆い始めている。

鳥か?

空から何か大きなものが近づいてきているのだ。あんなもの、さっきまでいただろうか。

目を凝らしているとはっきり分かる。それは巨大な魚の影だった。尾びれもあるし、体を傾けたときに背びれのようなものも見えた。

鮫か?

その魚のような影は闇夜の上空を泳ぐようにして旋回していた。

「あれは何…」

影鰐かげわにじゃ」

「カゲワニ?」

「空を泳ぐ動物じゃな。金助が飼っていて、ここに置いて行ったんじゃ。奴がここを見張っているうちは夜巣を上がることができんのじゃ。たちまち奴に喰われてしまうからな」

「何てこった…」

つまりじいちゃんはこの夜巣の底にずっと閉じ込められていて出れないでいたのだ。

影鰐はゆらゆらと体を揺らして空を泳いでは行ったり来たりしている。

「どうして突然現れたの?」

「今お前がここから出ようと思ったからじゃろうな。逃げようと思うと必ず奴が空に姿を現すんじゃ。この夜巣からは脱出不可能よ。奴がいるうちはな」

「あいつはこっちへ来ないの?」

「それは大丈夫じゃ。奴は一定の高さまでしか泳げないみたいなんじゃ。ここまでは来られない…昔、わしも逃げようと思ったことがあってな、想像で体を軽くしていき、空を上りに行ったことがあるんじゃ。すぐに奴に見つかってな、危うく飲み込まれるところじゃった。ほれ…」

そう言ってじいちゃんは左手で着物の右袖をまくって見せた。

「うわ。何だよそれ」

二の腕には裂かれたような大きなみみずばれをした傷が残っていた。

「その時、影鰐に噛まれたんじゃ…それ以来もう上っていない」

オレはじっと空を見上げた。じいちゃんも見ているのが気配で分かった。

しばらく眺めていると、影鰐は大丈夫だと思ったのか、ゆらゆらとどこかへ行ってしまい、戻って 来なかった。

「さあ、スズブー。奴のことは忘れてご飯を食べよう」

「うん…」

正直、食事どころではなかったが、オレは無理して飯を平らげた。

「逃げようと考えただけで来るの?」

「ああ。そうだ」

  オレ達は今、ほうじ茶をすすりながら話している。じいちゃんが食べ終わった食器を言霊で消してから、出現させたものだ。

  全く困ったものだ。すぐにでもここを出て、さゆ達と合流したいというのに。きっと心配していることだろう。さすがの正兄もここまでは来られまい…。

  するとしばらくしてまた空の色が少し青黒く変わり、巨大な魚の影が空に踊り出した。

  じいちゃんがそれに気づいて言った。

「また考えたのか…」

「あ、うん…」

「現界に戻るより、こちらにいた方が便利だぞ。大概のことならできる、うまく想像したことはな」

  オレはそれには答えずに言った。

「空に上がってあいつを倒せないかな」

「無理じゃ。あいつが現れると空は水みたいな状態になるのじゃ。そこでは体は思うように動かせず、奴の思うがままにされるぞ」

「じゃあここで想像で武器を出現させて、例えば弓で射るとかは?」

  じいちゃんは首を振った。

「いや…武器と情報に関係する物は出せないんじゃ」

「そうなの?」

「うむ。なぜかな…金助がそうしたのか、あるいは元からそういう法則があるのか分からんのだが、剣やら鎧は想像しても出てこなかった…」

「じいちゃんはもうここにどのくらいいるの?」

「さあ、どうだろうな…ここはずっと暗い世界だから時間が分からないんじゃよ…」

  じいちゃんは悲しそうに下を向いた。

「あ。そうか…今は魔長八年だから、きっとじいちゃんはここに来て八年くらいだよ」

「八年…もうそんなにか…」

その後、じいちゃんは「八年。八年。そんなにか…」とつぶやいていた。

「うん。そうだと思うよ」

「時間の感覚があまりないんじゃよ。毎日同じ生活を送っているからな」

「そうなんだね…」

何と言っていいか分からないのでそう答えるしかない。

「じいちゃん。「むねむねあきんど」って知ってる?」

じいちゃんは顔を上げてオレを見る。

「奴か。もちろんじゃ。忘れもせん!わしがこういう目にあったのも奴らに追い出されたからじ ゃ」

「奴らって?」

「むねむねあきんど、金助、翼蛇神よくじゃしん様、そしてアマハラの村人どもじゃ」

「ヨクジャシン?」

つばさへびかみと書いて翼蛇神じゃ」

「ああ、そっちかぁ…」

「欲」の方かと思った。まあ蛇神のラスボスみたいな奴だろう。

「むねむねあきんどってどんな奴だったの?」

「奴は龍神族の勇者じゃ。魔族と蛇神族が襲われる原因はわしの統治に問題があるからだと主張し て村人をそそのかし、反乱を起こしたのだ。最後は翼蛇神までもが奴に味方しおったのだ。わしは大神官を辞 めるしかなかった」

じいちゃんは歯噛みしながらそう言った。

「ひどいね。翼蛇神は神様だろうに」

とオレは同情する。

「そうじゃろう!全く!神とはいえ、蛇じゃからな!判断力などないのじゃ」

「じいちゃんとむねむねあきんどは最初どういう関係だったの?」

「奴は元々わしを守るボディガードとして雇ったのだ。翼蛇神様の推薦があったからだが、はっきりしない奴じゃったよ。翼蛇神様の話では、何でも龍神族を裏切って蛇神族についたということだが…」

「ふうん…翼蛇神の推薦があって、最後は翼蛇神がむねむねあきんどの反乱に味方したんだ。じいちゃん、翼蛇神にはめられてない?」

「いや、それが…そうは思えんのじゃ」

「どうして」

「それが…奴は翼蛇神に嫌われておった…いじめを受けていてな」

「いじめ?」

 「うむ。翼蛇神様はむねむねあきんどを叱ったり、魔物の家来に言って棒で打たせたりしておったよ…とても憎まれていたようじゃ…わしも止めたことがあるんじゃが…」

 「うわ…」

 宗兄が翼蛇神に嫌われていた…まあ、元々勇者は龍神族だからな。けど、じゃあ何で嫌いな宗兄を翼蛇神は雇えと言ったんだ…?そして最後はじいちゃんを追い出して、宗兄を大神官にしてしまっ た…なぜだ?

 考えるほど分からなくなった。


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