第二章 龍神の剣の世界へ(二十一)
山んばとオオタカを解放した後、二名に自分の身の上話をした進。だが、山んばは似たような話をすでに聞いたことがあると言った。何でも以前の進が前に話したというのだ。
何やら風が吹いている気がして右横を見ると、そこの空間が細かく震動している。宙に大きな黒い穴が広がっている最中だった。オレがおったまげて見ていると穴はどんどん大きくなり、人の身長ぐらいの大きさになった。すると、そこから同じ服を着たもう一人の山んばが跳び出てきた。
「お疲れ様です。さゆりん。今日は見つかってよかった…」
両足で着地したた山んばはそう言った。さゆりんはこっちの山んばの名前らしい。着物は同じだがもっと年を取っている。顔が険しいおばあさんだ。そういえばゲームをやってて、敵として山んばに遭遇したときの絵はこんな感じだった気がする…。
「おはようございます。ゆかりん」
おばあさんはオレの方を見ると、あっという顔をして、
「お疲れ様」
と言った。何か…オレを知っている?
次の瞬間、穴からオオタカが羽ばたきながら飛び出してきた。そして、オレと一緒にいたオオタカの前まで来ると、片方の翼を頭の横に持って行き、
「グアー!」
と鳴く。
「グアー!」
とオレの知り合いのオオタカが同じような動作で返す。まるで警備員が敬礼をしているかのようだ。
「何かありましたか」
とゆかりんと呼ばれた山んば尋ねる。
「そうですね…申し送りは、この人がまた帰ってきたことです。ブチャノバの家で二日間泊まっていたそうです。あたしもちょっと他の魔族とのいざこざで捕まっていて…すみません。交代できなくて困ったでしょう?」
と言って、さゆりんはオレの肘を持つ。
「そうだったんですか。こちらは大丈夫でしたよ。仕事が休みになって、おかげでいい骨休めができまたよ。ではあがってください。あとはあたくしめがしますから」
「はい。ではお先に」
そう言って、さゆりんはオレの肘を引っ張った。
「行きましょ」
さゆりんはオレを引っ張って穴の中へ入ろうとする。中は真っ暗である。底も見えない…ひゅうううと音がしてきそうだ。光も地面も見えない。入ったら下まで落ちてしまいそうな感じがする。
「え。大丈夫?これっ」
山んばがあきれたように言った。
「あんた、夜巣も忘れっちまったのかい…」
「ヨルス…ああ、そう言えば前に他の奴からその言葉は聞いたよ。何のことかわからなかったけど。じゃあここがその…ヨルス…何かやばそうだな…」
「大丈夫だよ。ほら」
山んば「さゆりん」は先に穴に入って見せた。たしかに足をつけている。
「ここはあたい達のねぐら。夜になったら戻る巣なんだよ、だから安全だよ」
「安全ね…」
だが、上も下も左も右も底が知れない感じのただの闇があるだけである。顔だけ入れてみると何だかひんやりしていて、微風を感じる。目を凝らしたが地面があるようには思えない…。
何だろうこれは…――そうだ、火葬場だ。祖父のお葬式に行ったときに、煙突から響く風の音、そして葬式の悲しい雰囲気がこの暗い世界を見ていると思い出されてくるのだ。
「ほら。早く来な」
「あ、ああ…」
オレは意を決して、おっかなびっくり穴に入る。地を踏む感覚がちゃんとあり、ほっとする。中を歩いても大丈夫なようだ…。
オオタカも穴に入ってきた。そして、鳴きながらどこかへ飛んで行った。オオタカの姿がどんどん遠くなる。最後は消えて見えなくなったが、かなりの距離まで見えた。奥行きがあるのが分かる。明かりもないのに見えるのが不思議だった。
「あんた、スーパー行こうよ」
「……どこにあるの?」
「あそこだよ」
さゆりんは遠くを指さす。よくよく見ると、高い位置に小さい光があるのが分かった。ずいぶん遠くにあるようだ。
振り返ると、穴はまだ開いている。外はずいぶんと明るい。
オレは聞いた。
「この穴は?」
「自然に閉まるから大丈夫。行こう」
山んばは暗闇の中を上へ向かって歩いて行く…すると、山んばはだんだん高く上がって行って、今はオレの頭ぐらいのところに足がある。だが、その足は宙に浮いているようにしか見えない。
「え?何だよ、それ…階段なんかあるのか。見えないが…」
オレは足を進めるが、ちっとも高くならない。前方にだけしか進まないのだ。自然に高くなるんじゃないのか?
「…何やってるの?こっち」
「前にしか進めないよ」
「そう思ってるからだよ。上にも道があると思わなきゃ上がれるわけないじゃないか」
「え?」
「そう思ってごらんよ。ここで見ててあげるからさあ」
山んばのさゆりんはしゃがんで膝の上で頬杖つくと、こっちを見た。オレの保護者みたいな言い方である。
「わかった…」
上に階段がある、とイメージする…いや、あるわけないだろ。いやいやいや、階段が絶対あるんだ、ある!階段は絶対ある!と自分に言い聞かせ、しっかりイメージしてから足を上げてみる…。
てく、てく、てく……。
だ、め、だ…前に進むだけだ。
「んー…難しいな」
「気負いすぎなんだよ。当たり前だと思わなきゃ。当たり前だと思えば、いちいち気合いなんて入れないだろ?気合い入れすぎるとダメなんだよ」
「そうか、わかった。ちょっと待ってて」
まず、リラックスする。階段がある、そこにある。うん…よし、上がるぞ、と軽く思う。
てく…。
――あ!右足がかかった!――着地する。
左足も上げてみる。同じ高さに着地した。
また右足を上げる。着地した。これなら上へ行けそうだ。
「うまいうまい」
とさゆりんが褒めてくれる。
「ありがとう、さゆ」
「さゆねぇ……昔を忘れても、その呼び方は同じなんだね」
「え。そうなの?」
「うん…じゃあ、行こうか」
「ああ」
そういえば、と思って振り返ると、向こうの世界と行き来ができる穴はすでに消滅していた。背後は闇が広がっているだけである…。
そのスーパー「魔々(ママ)の味方」(表の木の看板にそう書いてあった)ではいろいろなものが売っていた。人間の世界でもありそうな食材からなさそうな食材、絶対にない食材まで。ただ、日本のスーパーよりちょっと内部がうす暗い。そして、壁の色なども黒系を使っていた。壁が黒とか紺なのである。その点がやや魔族の店っぽかった。
食材はどんなのがあるかというと、普通の赤身の肉や刺身みたいなもの、ほうれん草やニラ、にんにく、しそ、ネギ、じゃがいも、かぼちゃ、しいたけみたいな形の野菜。だが、色が違う。肉は赤身と白身があって、同じような感じだが、切り分ける前の状態で置かれているコーナーがあり、そこの天井には巨大なオオカミや大芋虫などの体を吊るし、狩猟したのを誇るように置かれている。ほうれん草みたいな野菜は緑をベースに少し黄色いし、ネギはあずき色だし、しいたけは真っ黒だ。でも、値札の表示には「ほうれん草 二銭」とか「ニラ 一銭」と書かれていた。人間界と名前が同じなのが不思議だ。しかしここも人間がつくった世界なのだからそれも当たり前なのかもしれない。袋に入ったスナック菓子の類いもある…ただ、菓子の袋に絵はなく、ただの透明なビニールみたいな入れ物に入っていた。人間の世界よりも包装が地味だ。
魚は人間界にいそうな青っぽい魚、さんまのような細い魚もいたが、牙の生えた魚、角の生えた大きい魚などが見せびらかすように半分に切られた状態で置かれてある。
さゆりんは肉や魚、野菜を数種類、竹のようなもので編んだ茶色いかご(入口に積まれていた)の中に入れると、会計に向かった。
途中、鬼や座敷童、お化けなど、いろんな魔物たちがかごを持って買い物をしており、オレは自分の正体がバレないかヒヤヒヤした。村人は一人もおらず、それを不思議に思って、さゆに聞いてみたが、人間はここにはいないらしい。
会計係は頭に三角巾をして、髪の毛を後ろに結んだ馬の顔をした魔物だった。
「今日はずいぶん買うんですのね。何かあるんですか」
と馬の魔物が言うと、さゆは
「そうなのよ。お祝いを兼ねてね」
「まあ。いいですわね」
顔見知りらしい。馬の魔物さんはソロバンで合計を計算していく。さゆは二十三銭支払った。
「さゆ。ここにカレールーって売ってるの?」
「あるよ。食べたいの?」
「いや、今度作ってみたいと思ってさ。さゆにも食べさせてあげたい。オレ、うちでときどきカレー作るんだよ。買い物に行くこともある」
「そうなんだ。じゃあ今度頼むよ。水色としましまがあるけど、どっちで作るの?」
「何だそれは…」
「もちろんルーだよ」
「ルーの色?」
「そうだけど?水色が辛口で、白黒のしましまがマイルド」
たくさん質問をしたい衝動に駆られる。きっとカレーの話だけで三十分は持つだろう。
そんな会話をしてどのくらい歩いたろうか……。遠くでいろんな魔物たちが集まって食事をし始めていた。暗闇の中、ぽつぽつとグループを作って集まっている。自分たちがいるところより高い所にいるグループ、低い所にいるグループと様々だ。テーブルに座っていたり、ちゃぶ台を囲んでいたり、床の上に座っていたりで、人数も二人ぐらいのところもあれば二十人以上いるところもあり、いろいろな物を食べていた。食事している場所の高さがまちまちなので、足の裏が浮いて見えたり、頭のてっぺんや肩が浮いて見えたりと、何だか不思議な光景だ。手づかみで食べているのもいれば、箸を使っているのもいるし、槍や剣に突き刺して食べている者もいた。
あまりじろじろ見ると、こっちをじっと見返して来るので、あまり見ないようにした。怪物なので短気な気性も多いだろうと思ったのだ。気のせいか、オレ達を見る目が少し険しいような…。
「何で高いところにいたり、低いところにいるんだろうなぁ…」
「軽いのは上へ、重いのは下に行くけどね」
「体重関係あるんだ。さっき太った青鬼が上にいたけど」
そう言うと、さゆが素っ気なく
「ないよ」
と答える。
意味がよく分からない。
「は?」
「そうじゃなくて、気分を軽くしているかどうか…かな。あたしらもみんなはっきりとは認識してないんだけど、心の状態なんかが影響してるみたいだね」
「へえ…じゃ、重たい気分でいると下へ行くってこと?」
「そうとも言えないけどね。下が好きな奴もいるから。けど、重たい気分でいると上へ行けなくなることはあるね。軽ければどんどん上に行けるし、下にも行けるよ。それで付き合う魔族が決まって来るんだよ」
「妙なところだなぁ。オレの気分は今どんな状態なんだろ?」
「あたいと同じような感じだろうね。それ以上でもそれ以下でもないさ」
「答えになってるようでなってないな」
「んー…」
山んばは何か考えるように宙を見ていたが、急に足を上げて、闇の中を上り出した。どんどん上へ行くと振り返り、
「こっちへ来れるかい?」
「う、うん…」
オレは階段をイメージして五歩ほど上がる。ところがそれ以降はまったく上がれなくなってしまった。
「何で行けないんだ…階段をイメージしてるのに…」
すると山んばがふわっと降りて来て、オレのいる辺りに着地した。裾が少しめくれて少し白い足が見えた。思っていたより太くてきれいな足だな、と思った。
「だろう。ここじゃそういうもんなのさ」
「下へ沈む沈むと思えばどんどん落ちていくのかな」
「なるよ。やめときな」
「やばいの?」
「それで帰って来なかった奴がいるらしいからね」
低い声で言うと、山んばは急に明るい調子で、
「生きていくってことは気分転換なのさ!さあ、行こう行こう」




