第二十三話……木曽谷の窮乏
――天正八年(1580年)
甲府・躑躅が崎館に急報が届く。
「顕如様が石山本願寺を退去なされたとの事!」
「なに!?」
三又の者が伝えるところによると、本願寺への織田信長の攻勢が激しく続き、海からの毛利家の援助も遮断され、やむなく講和に至ったということだった。
ちなみに顕如の妻は信玄の妻の妹であり、本願寺と武田は昔からの姻戚関係にあった。
それはともかくとして、機内の不安が一掃された織田家の矛先が、武田に向いてくるのは必定であった。
「織田殿との和睦交渉は如何なっておる?」
「はっ、織田殿としても前向きに考えているとの由。さほど悪くはありませぬ!」
「……ふむう」
この時、勝頼は東美濃で捕虜にした信長の親類を返還。
織田側からも謝意があり、話は和睦へ進んでいるかに思われた。
すくなくとも最近においては、徳川の援軍に織田家がでてくることはなかったのだ。
――
「ご陣代様! 徳川と北条が東西より駿河に攻め込みましたぞ!」
「なんだと!?」
織田との脅威は一時遠のいたが、上杉との件で険悪化した北条が徳川と手を結び、武田領へ同時に攻め込んできたのだ。
「出陣じゃ!」
甲府を出立した勝頼は、駿河に入り、まずは徳川勢と対峙。
勝頼の旗本部隊を見た家康は、これを恐れて駿河への攻勢を諦めた。
この勝頼の旗本部隊は、設楽原で散った忠臣たちの子弟たちを取り立てた精鋭部隊だった。
それゆえ士気も高く、戦闘技量に優れ勇敢であった。
「次は北条勢だ!」
「高天神城は如何なさいます?」
家臣が勝頼に問う。
この時、遠江国の高天神城は徳川勢の包囲下にあった。
「高天神城の岡部元信には、先月に兵糧米を入れてある。まだ大丈夫じゃ!」
「はっ!」
高天神城は堅牢に改装されており、すぐには落ちないと判断。
その判断は正しく、この時の徳川勢は、城を包囲するに留めている。
「かかれ!」
勝頼率いる武田本隊は、駿河と伊豆の国境にて、北条勢とも激突。
これを散々に追い払った。
北条氏政の本隊は家康と同じく、精強な勝頼の旗本部隊とは戦いたくなかったのだ。
よって、勝頼に挑まれた決戦を避け続ける。
その結果、国境の北条家臣が、武田に寝返る始末であった。
『強すぎる大将』と信長に評された勝頼。
父譲りの野戦での強さは本物だった。
さらには、北条氏照などが甲斐侵攻を企図。
甲斐本国が攻められたのは、実に42年ぶりのことであった。
如何に武田家が周辺大名から恐れ続けられていたかの証左だろう。
「北条の弱兵どもを、押しつぶせ!」
この甲斐への侵攻も、勝頼は少数の兵で国境にて退ける。
よってやはり、甲府盆地に戦火は及ばなかった。
度重なる野戦での勝利を追い風に、勝頼は真田昌幸に命じて、関東の北条方を次々に調略。
東上野に唯一残っていた北条方の拠点である沼田城を陥落せしめた。
「氏政殿!今度こそ決着をつけようぞ!」
関東に出兵してきた勝頼に対し、氏政は武蔵国(埼玉県)へ駒を進めるが、陣城を築くなどして今回も決戦を回避した。
設楽ヶ原での教訓もあり、勝頼は陣城攻めは諦め、勝ち戦のまま甲府に戻っている。
――
信濃国西部・木曽谷
新府城築城の為の木材調達に追われていた木曽義昌は、窮乏の極みにあった。
領民も疲弊し、木曽家の台所は火の車であった。
「ご領主様! お客様様です」
「……どちら様かな?」
この時、木曽義昌のもとを訪れたのは、なんと穴山信君であった。
「このお金は一体!?」
信君の手土産は、なんと黄金一千両の大金であった。
「困ったときはお互い様よ! ご遠慮なさるな!」
「これは有難い!」
困窮していた義昌は、この大金を受け取った。
しかし、この大金の出どころは、なんと徳川家康であった……。