第二十二話……信康切腹
――遠江国・浜松城。
甲斐で新府城築城が決まった頃。
徳川家康のもとに、織田信長からの使者が訪れていた。
「……家康殿はどのようにお考えか!?」
事の発端は、家康の嫡男信康の妻が、信長に信康の愚痴の手紙を送ったことがきっかけだった。
ちなみに信康の妻は信長の娘である。
家康の正妻築山殿は、今川義元の一門の出だった。
このことからも、信康の周りには今川家の旧臣が集まっていた。
このことを苦々しく思った信長は、信康と築山殿の周囲を調べさせていた。
その結果、驚くべきことが判明する。
……なんと徳川信康と築山殿は、武田家と通じていたのだ。
この件を今、家康は詰問されていた。
「……いや、そのような事実はない。それより、織田殿はご息災かの?」
「はぐらかされるな! 証拠の文はここにあるのですぞ!」
家康は背中に冷汗をかいていた。
実は信康に武田と近づく様に密命を出していたのは家康自身だったのだ。
この頃の徳川家の動員力は五千といったところ。
対して、武田家の動員力は三万五千。
このところ、織田家は本願寺や毛利家との戦に追われて、家康に援軍を出せないでいたのだ。
設楽ヶ原で勝ったとはいえ、未だに武田と単独で、真正面から戦っては徳川家は危ない。
もしこのまま織田が援軍を出せない状況が続けば、武田が復活する日は近かったのだ。
そのために、家康は嫡男信康に命じて、密かに武田家に近づいていた。
織田とも武田ともどちらにでも近づき、家を残そうとする戦国時代にはありがちな手法だったのだ。
……しかし、他の大名家ならいざ知らず。
織田殿は苛烈な性格。
家康の二心を許してくれそうにはなかった。
「……信康に腹を切らせまする」
厳しい面持ちの織田方の使者に、証拠の文を見せられてはどうしようもなかった。
武田が弱っている今の状況で、織田に反旗を翻しては徳川は滅ぶ。
家康は非情の面持ちで、信康と築山殿の処分を信長に確約。
こうして、織田徳川の同盟は破綻を回避。
家康は信玄と同じく、心ならずも我が息子を手にかけたのだった。
――数日後。
「さて、次の作戦にござるが、武田側の高天神城を攻略の際に……」
徳川に織田から与えられた方針は、高天神城攻めだった。
珍しいことに、信長は城攻めの方法まで、こと細やかに指示してきた。
今までにないことであった。
内容は、城を完全に囲み、降伏さえ許してはいけないとの変わった指示だったのだ。
時間をかけ、弱らせてから『城兵を皆殺しにせよ』ということだった。
降伏を許さないとなると、城攻めは恐ろしく時間がかかることが予想された。
「かような方法で城を攻めては、武田の後詰が到着いたしますぞ!?」
「いや、今回それはない。安心して攻められよ!」
度々、武田と矛を交えた家康には信じられないことだった。
……あの武田が援軍に来ない!?
しかし、先日に信長の機嫌を損ねたこともあり、家康は疑問を抱きつつも、その指示通りに高天神城を攻めることになったのだった。