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第二話……西上作戦

――元亀三年(1572年)

 信玄は将軍義昭の要請を受けて、信長を追討する決意をする。


「軍議は決した! 我が武田の武名を轟かすべし! 御旗盾無御照覧あれ!」


 信玄をはじめ、勝頼、穴山などの御親類衆。

 小山田、馬場、真田、原などの歴戦の勇者たちも一様に、新羅三郎義光の大鎧に平伏した。

 いざ、上洛である。


 先だって、秋山信友率いる別動隊3千の兵は、織田信長が治める東美濃の要衝、岩村城を攻略。

 これによって、織田軍は行動の自由を失う。


 続いて、山県昌景率いる5千の別動隊が、三河北部へと進入。

 要害、長篠城を攻略。

 これにより、三河北部の武士たちに武田に寝返る者が続出した。


 信玄とその配下が考えた、三路舞進の策だった。



 しかし、秋の全ての収穫が終わり、いざ本隊の大兵団が出陣というときに、信玄が吐血。

 上洛作戦どころではなくなってしまう。


 ……が、なんとか小康状態を取り戻し、快方に向かった。



「父上! 出陣は延期致しましょう!」


「ならぬ、ならぬぞ! 勝頼!」

「いま兵を挙げねば、本願寺、浅井、朝倉を見殺しにしてしまう。それだけは絶対に避けねばならぬ!」


 本願寺、浅井、朝倉とは、将軍義昭の要請に従った、反織田連合軍のメンバーであった。

 武田が西上せねば、織田は西へと全力を振り向け、彼らを滅ぼすことが出来るのだ。


 伏したまま、信玄はさらに語気を強める。



「良いか? 必ずや、武田の旗を京の瀬田に掲げるのだ!」


「はっ!」


 勝頼には、それ以上言葉が出なかった。




――その三日後。

 元亀3年(1572年)10月3日。


「皆のもの! これより足利将軍家を害する、逆賊織田信長を打つ!」


「「「おう!」」」


 信玄の号令一下、躑躅が崎館が震えるほどの喚声が上がる。


 鬨の声を3度上げた後。


 風林火山の旗を先頭に、戦えば必ず勝ってきた甲斐と信濃の屈強な強兵たち。

 遂に、彼等戦国最強の武田軍本隊2万2千は躑躅が崎館を出立した。


 勝頼の父、甲山の猛虎こと武田信玄。

 これが、最後の出陣だった。




 信玄は、大事をとって輿にて進軍。

 馬上での指揮は、実質上勝頼が行った。



 甲斐を出立した武田本隊は、遠江国に乱入。

 その勢いのままに犬居城を攻略。


 さらに、山県昌景率いる5千の別動隊と合流した。



 彼等の行く手を遮るのは、要衝二俣城。

 遠江の国の扇の要のような城だった。



【図・作者製作】

挿絵(By みてみん)





地図を作るのにゼーハー言っております (ノ∀`)

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― 新着の感想 ―
[一言] 信玄が死んでいなかったら、歴史はどうなったのでしょうね?( ˘ω˘ )
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