第十六話……戦後処理
設楽ヶ原の戦いは、全戦線において武田軍の総退却となっていった。
一目散に退却する武田軍を、織田徳川連合軍は柵から勢いよく飛び出て、次々にその背後を襲った。
もともと兵力差が三倍以上もあったのもあり、武田方の組織的抵抗がなくなると、一方的な殺戮の場と化した。
さらに、織田徳川連合軍は日が暮れるまで落武者狩りを徹底して行い、各所で手柄首の奪い合いが起きた。
確かに、織田徳川連合軍の鉄砲の火力による損害も大きかったが、内実、最も人的損害が多かったのが、この追撃による掃討戦によるものだった。
原昌胤など、そうそうたる顔ぶれの一線級の指揮官たちが、この追撃戦で首を取られていたのだ。
又、全体を見ても、武田勢一万五千の内、一万人が死傷するという、被害率で言えば、過去例を見ないほどの大損害であった。
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「……お気を確かに!」
「……」
本拠地である甲斐の躑躅が崎館に戻った勝頼は、悲観に暮れていた。
しっかりするようにと励ます家臣の声にも、上の空だった。
設楽ヶ原の戦いにて、武田の屋台骨である山県昌景、馬場信春、内藤昌豊などの歴戦の諸将を失ったショックは言わずもがな大きい。
食は咽喉を通らず、夜は寝つけぬ日々が続いていたのだった。
「御陣代様!」
聞き覚えのある一人の老臣の声に、勝頼は我に返る。
上杉謙信の南進対策の為に、北信濃の海津城を守っているはずの高坂昌信の姿であった。
「しっかりなさいませ! 未だ武田は滅んでいませんぞ!」
この高坂の言は正しかった。
確かに、織田徳川連合軍は戦いに勝ったが、その勢いをもって武田領に攻め込んでは来なかった。
武田勢の縄張りである山岳地域での戦いを避けたのである。
他にも、設楽ヶ原で負けはしたが、そもそも武田家の総動員力は三万五千。
一線級の指揮官を多く失いはしたが、戦力の全てを失ったという訳では無かったのだ。
「ご陣代様、私めのご提案にございまする!」
昌信は武田復興の進言をまとめた意見書を勝頼に手渡す。
「……こ、これは!?」
勝頼はその意見書を見て絶句した。
その内容には、戦場を勝手に離脱した穴山信君と武田信豊の切腹が盛り込まれていたのだ。
確かに、穴山信君の戦場離脱は万死に値した。
……が、彼を処分したらどうなるか?
実は設楽ヶ原の戦いで戦死した将は多いが、こと一族衆に限って言えば、鳶の巣砦を守っていた武田信実くらいのものであったのだ。
譜代家臣の戦死者は膨大であったにも関わらずだ。
その理由として、いわば他所者の『陣代』である勝頼は一族衆に下に見られており、そのため一族衆は勝頼を見捨ててさっさと逃げたものが多かったのだ。
穴山信君とはその一族衆の頭目といっても差し支えない存在だった。
「他の献策は入れよう! しかし、穴山殿に切腹を申し付けたら、他の一族衆が黙ってはいまい!」
「……さ、左様ですか」
ちなみに、高坂昌信の嫡男も此度に戦いにて戦死していた。
勝頼も総大将として、また、陣代として戦犯の処分を下したいところであったが、彼の力では到底に無理だったのだ。
『ご先代様が勝頼様を正式な後継者にしていれば……』
昌信はそうほぞを噛んだが、どうにもならない思いは勝頼も同じだったのだ。
……こうして、穴山信君や武田信豊など、主な戦犯者はお咎めなしとなった。
が、領内にはこの度の敗戦を拭うための増税が課され、勝頼を非難する声はより高まった。
今までの勝ち戦で一旦は高まった勝頼の名声だが、再び地に落ちてしまった。
甲斐の領民たちは武田が勝っているからこそ勝頼を崇め、辛い兵役の負担にも渋々応じていたのだ。
『敗北の前例無し!』と自他共に認められていた最強武田軍の大敗北は、領地内外を問わず、周囲の勢力に大いなる波紋を投げかけたのだった。