ロブさん張り切る②
「ぶごごごごごぉお!」
ロブはいま、後ろ脚を持たれた状態で逆さまに吊るされていた。
「ぶぶぶ、ぶごご、ごごごぉ……!」
無数に現れていた気泡が、やがて少なくなっていく。
ロブは苦しそうに前足をバシャバシャと動かすが、まだそのときは訪れない。
「ぶごごぉ……!」
酸素を求めてもがくブタの動きが、次第に鈍くなってくる。
そこでようやくシャンテは水面から兄を持ち上げた。
「ぶっはぁ……! し、死ぬかと思ったぜ」
「自業自得よ。まったく、なんで自分から木にぶつかっていったの? ちょっとは後先考えなさいよね。……まあ、兄さんのおかげでサル共はみんな逃げていったから、アタシは楽できたけどさ」
また、あの匂いにやられて気絶してしまったらしい。
ロブは逆さ吊りとなったまま、辺りを見渡した。
ここはウルドの滝。ざぁーっと、高所から流れ落ちる大量の水が、ここが数週間前に訪れた場所であることを知らせてくれる。どうやら気絶しているあいだに、シャンテがここへ連れてきてくれたようだ。臭くて苦しい思いはしたが、望んだとおりの展開にロブはニヤリとした。
──ぎゅるるるるるぅ~
おっと、腹の虫が鳴っちまったぜ。
「よっしゃ。今日も俺が魚を採ってくるから焼いて食べようぜ」
「なに言ってんのよ。家でニーナのこと待たせてるんだから早く帰るわよ」
「えぇ、でももう俺、お腹が減って動けない……」
「それこそ自業自得よ。それにどうせあとはアタシの背中にしがみついてるだけなんだから、別にちょっとぐらい空腹でも問題ないでしょ」
「だったらせめて家で待ってるニーナのために、俺がこの滝つぼの主を捕まえて……」
「はいはい、魚ね」
シャンテは器用にもワイヤーを伸ばして、一匹、二匹、と軽快に魚を釣り上げる。
そういえば妹は、ワイヤーを駆使した釣りが天才的に上手なのであった。
「さっ、これで文句ないでしょ」
魚を素材回収用の瓶に詰めてポシェットに押し込むと、なにかを言う前にロブを背負い、シャンテは足早に家へと引き返し始める。
まずい。このままだと大した足止めになっていない。かといって、もっと森を探索しようぜ、などと自分が言うと不自然すぎる。なにかこう、さりげなく時間を稼げそうなアイデアでも……
「おっ、シャンテ、あれって<キャキャロット>じゃね?」
「えっ、どれどれ?」
それは獣道のど真ん中で光り輝く葉っぱだった。きっとあの土の下に人参によく似た野菜が埋まっているに違いない。初めて森に訪れたときはちょうど現れたマッスルウサギに邪魔をされて……
「おっ、出たな、マッスルウサギ!」
シャンテとロブが足を止めて<キャキャロット>に歩み寄ろうとしたとき、それを遮るように現れたのは筋骨隆々のウサギだった。
そのウサギを見て、ロブの頭脳が冴えわたる。
──こいつに蹴り飛ばされれば、うまく時間を稼げるんじゃね?
思い立ったが即行動だ。ロブはシャンテの背中から飛び降りて、前回のリベンジだと言わんばかりにマッスルウサギに突進を仕掛ける。
──さあ、こいこい!
なけなしの体力を振り絞ってロブはジャンプ。マッスルウサギに跳びかかった。
するとそこへ、予想通りマッスルウサギのドロップキックが顔面へと入れられる。ロブは見事に放物線を描き、遥か遠くへと飛ばされていく……はずだった。
ぴとっ、とお尻になにかがくっつく。かと思えば、宙を舞っていた体が地表へと引っ張られていった。そしてそのままロブはシャンテの腕のなかにすっぽりと収まる。
「兄さんってほんと学習しないわよね。ほら、口開けて」
そう言ってロブの口に押し込まれたのは黄色いビスケット。それを口にしたロブのお腹は一瞬で膨れ上がり、まんぷくとなる。
そう、これぞまさにニーナの新発明である<まんぷくカレービスケット>の力である。
「これでもう変身できるでしょ。さっ、今度こそリベンジよ!」
<まんぷくカレービスケット>がある限り、ロブは何度だって巨大化できる。
シャンテはロブのお尻を掴むと、<キャキャロット>を引き抜こうとするマッスルウサギ目掛けてロブを一直線に投げ飛ばす。
またも顔面から向かってくるロブを見たマッスルウサギは、ドロップキックで迎撃する構えを見せるが。
「変身! バトルボアー!」
突如として巨大なブタへと変身したロブに、マッスルウサギは驚き跳びあがった。そしてそのまま成すすべなくロブの体当たりをまともにくらうと、今度はマッスルウサギが宙へと投げ出される。
そこへすかさずシャンテはワイヤーを伸ばして、後ろ脚を絡めとるように獲物をキャッチ。見事二人はリベンジを果たした。以前は散々からかわれた相手を見事に生け捕ったことで、シャンテも顔をほころばせる。
「変身が解ける前に<キャキャロット>も回収しちゃってよ」
<キャキャロット>は非常に強い野菜だから、多少雑に扱っても土のなかで折れることはない。ロブは妹に言われた通りに、口で葉っぱをくわえると、それを力任せに引き抜いた。さすがの<キャキャロット>も変身したロブの前では降参するしかなく、オレンジ色をした立派な人参が姿を現す。
「よっ、どんなもんだい!」
「うんうん。アタシたち、良い感じに成長してるわね!」
<ワイヤーバングル>に<まんぷくカレービスケット>。
二つの新たな道具を手にしたシャンテは、確かな手ごたえを感じて頷いた。
ぼふんっ、と煙をあげて変身が解けたロブが、またいつものように腹の虫の音を鳴らす。そして地面に寝そべりながら、もう一個ビスケットちょうだい、とばかりに口を大きく開けた。
シャンテはお手柄を上げたロブにご褒美とばかりに、口のなかに黄色いビスケットを放り込んでやる。
ぱくりっ!
……もしゃもしゃ。
「ふぅいー、食った食ったぁ」
腹が満たされたロブは満足げな笑みを浮かべる。
「それ、アタシ食べたことないんだけど美味しいの?」
「おー、なんたってシャンテが作ったカレーが素材として使われてるからな。美味しくないはずがないんだぜ」
「ふーん、そうなんだ」
ロブを見つめるシャンテが思い返すのは、昨日のお昼過ぎのこと。
ニーナが突然「カレーを作って欲しい」などと言うので、シャンテはてっきり夕食はカレーが良いとお願いされたのかと思い、大鍋にカレーと、大量の白米を用意した。カレーはロブの好物でもあるから、作るときはいつも多めに用意することにしていた。
それからレタスやらトマトやらを切ってサラダを準備して、さああとは夕食前にもう一度カレーを温め直せば完成ね、などとのんきに考えていたのだが、するとニーナはシャンテの目の前で、カレーが入ったお鍋を錬金釜の上でひっくり返し始めた。
それを見たシャンテは唖然とした。言葉が出なかった。ニーナが突拍子もないことをしだすのにはもう慣れていたかと思ったが、そんなこと全然なかった。
──ああ、せっかくの夕食が。なんてことを……
そうして呆気に取られていたシャンテの前でニーナはさらに白米を投入し、鼻歌まじりに錬金釜をかき混ぜる。そして仕上げに<神秘のしずく>を垂らして完成したのが、この<まんぷくカレービスケット>なのだった。(ちなみにニーナとシャンテのその日の夕食は、鍋に残ったカレーをパンに塗って食べた。ロブは完成した<まんぷくカレービスケット>を欲張って二つ食べて、苦しそうにしていた)
振り返り終了。
さてと、とシャンテがロブを抱え上げる。
「思わぬ収穫もあったことだし、今度こそ帰るわよ」
「えー、せっかく俺が珍しくやる気になってるんだし、もう少し探索していこうぜ。いまなら<トトリフ>だって見つけられそうな予感がするんだぜ」
「それは魅力的な提案だけど、あいにくワイヤーを使い過ぎて、アタシの魔力がもう心許ないのよね。というわけで面倒ごとに巻き込まれる前にさっさと帰るわよ」
そう言われてしまえば、もう何も返す言葉がない。
「そういえば、今日のお昼のぶんの買い物はすませたのか?」
「そうね……もともとお昼ごはんは残ったカレーライスの予定だったけど、ニーナが調合に使っちゃったし、考え直さなきゃいけないわ」
「それじゃあ帰りに市場にでも寄っていくか?」
「そうね。だけど槍を持ったまま買い物するのは面倒だし、一度家に寄って帰るつもりよ」
ああ、なにを言ってもダメ。これ以上の足止めは無理そうである。
ごめんなんだぜ、とロブは心のなかでニーナに謝るのであった。
ちなみにみんなが食べているにんじんのオレンジ色の部分。あれは根っこです。さつまいもなどと同じく根っこを食べているのです。(なお、じゃがいもは茎の部分を食べてます)




