二人の若き錬金術師
「──待ってよ!」
その声にアルベルは足を止めた。そして短く息を吐きだし、ゆっくりと肩越しに振り返る。
「……なんのようだ?」
振り返った先には小柄な錬金術師が息を切らせていた。ここまで走って追いかけてきたのだろう。手を膝につきながら、肩を上下させている。そして遅れて、彼女の連れが追いかけてきた。遠くでは、まだ夜空に花火が上がり続けていた。
「なんのようだ?」
アルベルはもう一度訊ねた。
そこでニーナは顔を上げて、アルベルの顔を正面から見た。
「入賞おめでとう」
アルベルは表情を曇らせた。もともと話しかけて欲しくなさそうな雰囲気だったが、その顔がより一層険しくなる。
でも、そうだろうなとは思っていた。
アルベルが目標としていたのは優勝。二位という好成績も、彼は不服なのだ。
ただそれでもニーナはおめでとうと、そう伝えたかった。
「……それを言いに来ただけか? なら、もう行くぞ」
「待ってよ」
「いまは話す気分じゃない」
「わかってる。その理由も、なんとなく。でも一つだけお願い事を訊いてくれないかな?」
「……なんだ? 言うだけ言ってみろ」
「<一角獣のツノ>を譲って欲しい。もちろん、タダでとは言わないから」
<天使のリュックサック>に手を伸ばし、なかから透明な瓶を取り出す。錬金術師が素材採取によく使用する<拡縮自在の魔法瓶>である。そしてそこから一枚の風切り羽を手に取った。ニーナの顔よりも大きな灰色の羽。それを目にしたアルベルは驚愕に目を見開く。
「それは……<オオユグルドの羽>? どうして君がそれを?」
「本当に偶然、私たちの前に舞い降りて、そして落としていったの。私はそれをたまたま手にしただけ」
獰猛な獣を狩る巨大なフクロウ。世界樹の守り神でもあるその鳥が落としていった羽は、錬金素材としても非常に珍しく、また売買が禁止されていることもあって、<世界樹の輝く葉>以上に入手が困難とされている。錬金術師なら誰もが欲しがるであろう素材が、この<オオユグルドの羽>だった。
「ちょっと、ニーナ?」
そこへ後ろから、シャンテの戸惑うような声が聞こえてきた。
実は、アルベルに交換を持ちかけることをニーナはシャンテに相談していなかった。ニーナが一人で勝手に決めて、そして秘かに準備していたのである。
「それ、手放したら二度と手に入らないかもしれないぐらい、すごく珍しいものなんでしょ?」
「うん。けれど、別に苦労して手に入れたものじゃないし、渡したって惜しくないよ」
「でもだからってアタシたちのために、ニーナが大事なものを失う必要なんてないじゃない」
「そうだぜ。昨日も言った通り、そんなに急いで素材を揃える必要はないんだから、それは大事に取っておくといいんだぜ」
と、ロブも口をそろえる。
「僕も、正直この取引は釣り合っていないように思う。事情は知らないが、どうやら話もまとまっていないようだし、考え直した方がいいんじゃないか?」
「ううん、いいの。シャンテちゃんやロブさんには日ごろからお世話になってるから、ずっと恩返しがしたかったんだ。けれど私はまだ半人前なんだって、今回のイベントを通してわかったから。だから、こんな形でしか二人に恩返しできないんだ」
ニーナはアルベルのほうへと歩み寄る。そして差し出すように<オオユグルドの羽>をアルベルの目の前に。
「交換してもらえませんか?」
「……わかった」
アルベルは斜めがけのかばんから、先ほど贈られたばかりの<一角獣のツノ>を手にすると、それをニーナが持つ羽と交換した。この街で生まれ育ったアルベルですらも初めて間近に見るそれが、いまは自分の手にある。珍しくアルベルの手は震えていた。
「本当に貰っていいんだな?」
「うん、こっちこそありがとう。それとあらためて、入賞おめでとう。アルベルは優勝以外興味ないって顔してるけど、でもやっぱりすごいことだと思うから、同じ錬金術師として祝福させて欲しいな」
気持ちを素直に伝えると、アルベルは複雑そうな表情を浮かべて視線を逸らした。
そしてなにか言葉を探すように、軽く口元を開けたり閉ざしたり。
「……僕は、いまでも今回の結果に納得がいっていない。<マテリアルボール>はたしかに素晴らしい発明だと認めるが、それでも完成度という点において<ワイヤーバングル>より数段劣っている。あんな実用化に向けて試作段階のような発明品に負けたのかと思うと、正直腹立たしい」
「アルベル……」
「しかし、結果は結果だ。今回ばかりは勝ちたかったが、受け止めなくてはいけないんだろう」
悔しさを顔中ににじませるアルベルに思い切って、どうしてそこまで優勝にこだわっているのか訊ねてみた。
するとアルベルは、父さんが病気だから、と短く答えた。ニーナは言葉が出なかった。
「といっても、命にかかわるようなものじゃない。ただ色覚異常とでもいうのか、色を正しく判別する力が衰えてきているだけ。でも、それが錬金術師にとってどういうものか、君にならわかるだろう?」
ニーナはハッとした。
色が判別できないということはつまり、<錬金スープ>の色の変化を見極めることが難しくなっているということを意味する。それは調合においてもっとも重要な能力が失われているといっても過言ではなかった。
「いまはまだ調合に携わることができているが、年々衰えが酷くてな。いつ引退してもおかしくない状況なんだ。薬や、色覚を補助する眼鏡でもあればと色々と試しているが、まだこれといったものは見つかっていない。だから父さんと一緒に<青空マーケット>に臨めるのは、今回が最後だったかもしれないんだ」
「そっか……だから優勝にこだわってたんだ」
「ああ、そうだ。仮に今年で錬金術師を引退することになっても安心してもらえるように、なんとしてもここで結果を残したかった。きっと父さんは二位でも喜んでくれていると思うが、優勝のみを目標としていた以上、僕はこの結果に満足することはできない」
アルベルはそう言って、手にした<オオユグルドの羽>へと視線を落とす。そしてなにか重たいものでも吐き出すように、大きく息をついた。
「でもまあ、さっきも言った通り結果は結果だ。受け止めるしかないんだろう。そしてこの悔しさは、来年の<青空マーケット>で晴らすしかないんだろうな。君はどうだ? 今回の結果に満足しているのか?」
「まさか。私も来年こそは入賞目指してリベンジするよ!」
「威勢だけは良いな。それまで村に戻らなくて済むようにしっかり働けよ」
「むぅ、また馬鹿にして!」
静けさを取り戻した夜の街に、若い錬金術師たちの笑い声が響く。
一つの挑戦は終わりを迎えたが、二人の未来はまだ始まったばかり。同じ志を持つ者同士、再びの挑戦を誓って、二人は無邪気に笑いあった。
遠くの空では最後の花火が打ちあがり、会場は割れんばかりの拍手に包まれた。
そこへ、とある四人組の冒険者が人々の頭上目掛けて矢を放つ。それらは独特の風切り音と共に空高く上がったかと思うと、まるでイベントの終わりを名残惜しむように、夜空を虹色に彩るのであった。
◆
「ほんと使えないクズね」
魔女に罵られたオドは肩をすくめた。鼻は折れ曲がり、三人のなかでは比較的ハンサムだった顔は見る影もなくなっている。後ろの二人もすっかり酔いがさめて、魔女の前で小さくなっていた。
ここは魔女の隠れ家。
騎士に連行されて散々叱られたあと、魔女様に結果を報告するために戻ってきた。鼻はへし折られたが、命令された通りニーナたちの店を荒らすことには成功した。見事に役目は果たしたのだから、魔女様の言う<ちょっといいご褒美>がもらえるはず。三人は期待に胸を膨らませ、意気揚々と魔女の下に戻ってきたのだが。
「ですが、俺たちは言われた通りにやりました。ちゃんと<バケツ雨の卵>は店の前で割ってきたんですよ」
まさかあのあと何事もなかったかのように営業を続けていたなんて。
ロブが魔法で元通りにしたことを知らないオドたちは、魔女から事の顛末を聞かされて愕然とした。そんなわけがないと反論したが、水晶玉による映像を見せられて、それが真実なのだと知った。それでも腑に落ちなくてオドは抗議を続けたが、言われた通りにしかできないからクズだといったのよ、と魔女は吐き捨てるように言った。
魔女はご機嫌斜めだった。椅子に腰かけ、テーブルに頬杖をつき、足を組んだ姿勢でこちらを睨んでくる。また彼女の足元では白くて絨毯のような長い毛並みを持つ猫が不快感を表すように、にゃあ、と低い声で鳴いた。
「私はあの店をめちゃくちゃにしてきなさいと言ったの。その方法の一つとして、あの妙な卵を店の前で割ってきなさいと言っただけで、あれだけでじゅうぶんだとは言ってないわ」
「ですが、俺たちが連行される前に見たときはたしかに店はめちゃくちゃだったんだ。テーブルも倒したし、商品も台無しにした。なにもかもずぶ濡れで、誰がどう見ても営業を再開できる様子じゃなかった。あれが元通りに戻るなんて、きっと誰も予想できなかったはずだ。俺たちは魔女様の命令を忠実に……!?」
オドは必死に抗議を続けていた。ところが魔女が何事かを呟くと、オドの口は閉ざされて、くぐもった声しか出なくなった。
「言い訳なんて聞きたくないわ」
オドたちの最大の不運は、魔女の性格が気まぐれだということ。特別な能力などなにもないオドたちを僕として引き入れたのも、ただの気まぐれ。だから切り捨てるときも容赦がない。
部屋の隅から杖が飛んできて、魔女の手に収まる。そして魔女は呪文を一つ呟いた。目がくらむほどの眩い光が辺りを覆う。オドたちはとても目を開けていられず、固く瞼を閉ざした。
そして目を開けたときには、もうオドたちは人間の姿をしていなかった。
──な、なんだこの景色は?
どこか別の場所へと転移させられたのかと思ったが、これは違う。すべてが大きく見えるのだ。それに、なんだか体にも違和感を感じる。腕も足も、それにお腹も、そのすべてがねずみ色の短い毛で覆われているのだ。
──というより、この体はもしかしてネズミ……?
そのとき、突然目の前に白くて毛むくじゃらな生き物が現れた。自分よりも何倍も大きなそいつはぎょろりとした目玉をこちらに向け、鋭い牙が生えそろう口元を開いた。
その瞬間、オドは自分の運命を悟る。
──ははっ、魔女と関わった時点でろくな死に方は期待しちゃいなかったが、まさか人として死ぬことすらできねえなんて。
アニメタモルの呪い。
それは人を動物の姿に変えてしまう、恐ろしい呪術である。
長きにわたる<青空マーケット編>にお付き合いいただき感謝です。錬金術師のお仕事ものとして、この物語にしかできないことに挑戦させていただきました。もっと短くまとめたいと当初は思っていたのですが、難しいですね。
次章はシャンテとロブにフォーカスを当てて、短くも濃密な章になるよう努めますので、どうぞ引き続きよろしくお願いします!




