ニーナとミスコンテスト①
どんどんどんどんどんどんっ!
──もう、うるさいなぁ……
どんどんどんどんどんどんっ!
──うう、誰? 私の眠りを邪魔するのは。
「起きてくださーい! もう時間ないですよー!」
──時間? なんの?
「ミスコン! 間に合わなくなりますよぉ!」
ニーナはハッとして目を覚ました。床に寝そべっていたニーナは顔を持ち上げて、窓の向こうへと目をやると、そこに張り付くようにフラウがいた。それを見て自覚した。自分は調合終わりに寝てしまって、それでフラウが迎えに来たのだと。
──でもなんでフラウさんが?
まだ上手く頭が働いていないニーナは、シャンテではなくフラウが来た理由がわからない。が、わからないなりに急がないといけないことだけは理解できた。ニーナは立ち上がり、急いで扉を開けてフラウを家のなかへと入れる。
「急いでください。もう時間が無いので、会場まで直接お届けしますよ!」
ニーナは頷き、伸ばされた箒にまたがろうとする。
「あれ、なにか作ってたんじゃなかったでしたっけ?」
ああ、そうだった。せっかく完成させたチョコレートを忘れてしまっては、シャンテに怒られてしまう。ニーナは机の上に並んだ完成品をかばんに詰め込もうとするが、そういえば入れ物に使えそうなものはみんな会場まで持っていってしまったと、いまになって気付いた。
「それが完成した品物ですね。では私が風呂敷で」
ニーナがおろおろとしていると、フラウが気を利かせて風呂敷で包んでくれる。フラウを頼りっぱなしで情けないが、これで万事解決である。ちらりと見た時計の針は、ミスコン開始まであと三分しかないと示していた。ニーナは箒にまたがり、お願いします、とフラウの背中にしがみつく。
「任されました! 急いで飛ぶので、振り落とされないで下さいね!」
◆
──速い。本当に速いです。
身をかがめるように、箒にまたがった状態で前のめりになるフラウと、そんな彼女の腰に手を回すニーナ。昨日の行き帰りの優雅な空中飛行とは打って変わって、猛スピードで空を駆けていた。まさに目が冴えるほどの速さである。
「もう間もなくですよ!」
下を見る余裕なんてなかったけれど、もう会場に到着するらしい。つまりあと数分でニーナはミスコンテストの出場者としてステージに立つことになる。心の準備などできていないが、こうなればやるしかないとニーナは覚悟を決める。
箒の速度が緩やかになり、高度も徐々に下がる。そうしてニーナはゆっくりとステージ前に降り立ったのだが。
「あれ、誰もいない?」
いまやステージ前は詰めかけたお客さんで満員だが、青空色のポロシャツを着たスタッフや、出場者らしき人は見当たらない。
まさか、もう締め切られちゃった?
そのとき、ステージ上に二人の司会者が現れた。とうとうミスコンテストが幕を開けたのである。ニーナはその様子を端の方から眺める。間に合わなかったのだと知り、小さな胸がきゅっと痛んだ。
「随分と浮かない顔だね」
「えっ?」
ニーナは声がした方向、つまり足元を見て驚いた。
「シャルトスなの?」
そっと足元に近寄ってきたのは、灰色の毛並みにピンと立った尻尾が特徴的なしゃべる猫だった。
「そうさ。つい一週間前に会ったばかりなのに、もう忘れちゃうなんてひどいなぁ」
「忘れたわけじゃないけど、こんなところで会うなんて思わなくて」
「たしかに。でも色々とあってね。とりあえず向こうに座席を確保してあるから、こっちに来なよ」
ニーナはわけがわからないままに頷き、フラウと共にシャルトスのあとをついて行く。シャルトスはステージ前の椅子を確保しているというが、主であるロゼッタの姿は探したところで見当たらない。とにかく大きくて目立つ人だから、これだけ人が多く集まる場所でも、すぐに見つけられそうなものなのに。
しかしニーナの予想は外れた。ずっとロゼッタの姿を探していたのに、シャルトスが案内してくれた座席にいたのは、見知らぬ男性だった。屋敷のお手伝いさんだろうか。その人はニーナたちを見ると、座席の荷物をどけて座るように促してくれる。それもご丁寧に二人分。まるでニーナだけでなくフラウがここにいることを初めから知っていたかのような、準備の良さである。
「えっと、失礼します」
ニーナが男性の隣に腰かけ、その隣にフラウが座った。シャルトスはニーナの膝の上に飛び乗る。ミスコンテストに出るつもりだったのに、こうして観客席に座ることになってなんだか不思議な気分だが、もうエントリーが締め切られてしまったのだから仕方がない。
「ねえシャルトス。ロゼッタさんは?」
「もうすぐ来るんじゃない?」
もうすぐ来る?
どこかへ食べ物でも買いに行ってるのだろうか。そのわりに、ロゼッタが座る椅子がないのが気にかかるが。
「やっぱりここ、ロゼッタさんが座る場所なんだよね? ここにいたら邪魔だよね?」
「いやいや、そこはニーナの席だよ。というか主さまは女性なんだから、ミスコンテストを見ることに興味なんてあるはずないでしょ」
そうだろうか?
周りを見渡してみると、たしかに男性の方が若干多い気もするけれど、女性の姿だってじゅうぶん多い。まあ、ロゼッタがそういったことに興味なさそうだということは同意するけれども。
ニーナは身をかがめて、シャルトスにだけ聞こえるような声で質問する。
「そもそも、隣に座ってる男の人は誰なの?」
「主さまの新しい恋人候補だよ」
「えぇっ?」
ニーナは驚くあまり素っ頓狂な声を上げてしまった。
新恋人って、グローメルと衝撃的な別れをしてから、まだ一週間ほどしか経っていないのに?
その顔をよく確かめようと隣を見ると、視線に気づいたのか、目が合ってしまう。グローメルとは随分と違う印象の、気真面目そうな男性だ。
なんとなく気まずくて目を逸らそうとしたが、その人はニーナに向けて微笑んでくれた。どうやら見た目ほど堅苦しい人ではなさそうだけれど、年齢はロゼッタよりも一回りほど上に見える。引き締まった体つきは紳士というよりボディーガード。お世辞にも顔がいいとは言い難い。
「初めまして……と言いたいところだが、君とは二度目かな? あの夜、ダンスパーティーがあった舞踏会の会場に乗り込んできたのは君なんだろう?」
「えっと……そうです」
ニーナは答えながら、記憶を手繰り寄せる。
ロゼッタがグローメルと踊りたい一心で変身した日、効果時間が切れそうなことを察して乗り込んだことは、もちろんニーナの記憶にも新しい。そのとき、いま隣に座る男性の姿を、あの会場内で見たかといえば……
「あっ、もしかしてあのとき、一番初めに拍手をくれた人ですか?」
変身が解けて太っちょになったロゼッタとグローメルが抱き合ったとき、会場内はまだなんとも言えない微妙な空気に包まれていた。魔法の道具に頼ってまでグローメルの気を惹こうとしたロゼッタを、蔑んだ目で見る女性も多かった。しかし誰かが拍手してくれたことで、その小さな音は次第に広がり、最後には大勢の参列者から祝福を受けることができた。
その、最初の祝福を送った人物こそが、いま隣に座り、そして新しい恋人候補となった人だったのだ。
近くから歓声と拍手が巻き起こる。
顔を上げてみると、どうやら参加者がステージ上へと姿を現したようだ。一人ずつ順番にステージの裏から登場し、私を見てとばかりにステージの上で華麗にターンをする。みんな自信満々の顔つきで、言わずもがな美しい。あそこに自分も並び立とうとしていたことを思うと、いまになって無性に恥ずかしくなってきた。
──私なんて、登場した瞬間にみんなから笑われちゃうよ。なんでお前がって、みんなから指さされちゃうんだ。ほら、あの人みたいに。
「……って、ええっ!? な、な、なんでっ!?」
ニーナは勢い余って立ち上がってしまった。
なんと最後に登場したのは、まさかのまさか。巨体を揺らすロゼッタだったのだ。




