売り上げアップのヒントはすぐ側に②
「さあさあお集まりいただきました皆様、もう間もなく調合も最終工程を迎えますよ!」
女性が集まった人々に語り掛ける傍らで、男性は錬金釜から片時も目を離さずにかき混ぜ続ける。その表情は真剣そのもの。どうやら向かって右手の女性が進行役を務め、実際に調合するのは男性のようである。
髪を後ろで一つくくりにした、小柄で明るい印象を受ける女性が、端に置かれた机から小瓶を持ち上げ、その中身を観客によく見せる。
「こちらは調合の要である<奇跡の種>です。大きさは人間のこぶしほどはあるでしょうか。自然界には存在しない、錬金術師クリストフが生み出したまさに奇跡の種子。世界に一つだけの素材を用いて、いまから皆様にはその神秘をお見せしたいと思います!」
なんだか胡散臭いわね、とシャンテなら言ったかもしれない。
けれどニーナは世にも珍しい素材を目の当たりにして、すでに夢中になっていた。他の錬金術師の調合だって、滅多にみられたものじゃない。ニーナは自分がここへなんのためにやってきたかも忘れて、憑りつかれたように見入っていた。
女性が男性にこぶし大の種を渡す。男性は白シャツを袖まくりしており、丸眼鏡をかけていた。その人は軽く頷きながら素材を受け取ると、釜の真ん中あたりへ落とした。ニーナと錬金釜との間はニーナの歩幅で三歩ほどあるが、その種は大きさ相応の重さがあったためか、ぽちゃりと着水する音が聞こえてきた。
「わぁ……!」
ニーナはつま先立ちで釜のなかを覗き込む。<マナ溶液>は灰色から鮮やかな紫色に変わり、さらには沸き立つ気泡がそのままシャボン玉のように宙へ浮かび上がる。見たことのない素材。見たことのない錬成反応。夢中にならないわけがなかった。イチゴのケーキを目の前にした子供のように、ニーナは琥珀色の瞳をきらきらと輝かせる。
そこから数分は釜をかき混ぜる男性の姿を静かに見守った。そしていよいよ、女性が青い小瓶を手に取る。
これは知っている。
錬成の最後で必ず使用される<神秘のしずく>が入れられたものだ。みんなもそれがわかっているからか、周囲から息を呑む声が聞こえてくる。もちろんニーナもだ。
小瓶の蓋を開けて、男性へ。
男は<かき混ぜ棒>を置いて小瓶を受け取ると、ここで初めて、観客に向けて一つ笑みをこぼした。どうぞご期待ください、とその表情は物語っているようだった。
──ぼふんっ!
しずくが投じられると、たちまち白い煙が上がった。それも大量に。
「ひゃあ! ……けほっ、けほっ!」
最前列にまで来ていたニーナは、押し寄せる煙に当てられて咳き込んでしまう。目も開けていられなかった。だから、周囲が歓声を上げてから少し遅れて、ニーナはそれを目の当たりにした。
「うわぁ……なにこれ……!」
見上げたそれは、錬金釜から生える立派な大樹だった。もちろんマヒュルテの森で見られるような木々と比べたらスケールは随分と小さいが、それでも樹齢何千年かを思わせるような木が目の前で枝葉を目一杯に広げ、赤い果実をたわわに実らせている。しかも驚くことに、根本は錬金釜のなかにあるのだ。
──すごい。こんな錬金術、本でも読んだことないや……!
調合という大仕事を終えた男性が、この木についての説明を始める。
「皆様、ごらんのとおり調合は成功し、この世に一つしかない聖樹ルピアが無事に果実を実らせました。色良し、香り良し。きっと口に含んだ瞬間に、みずみずしい甘さと共に皆様に幸福を届けることでしょう。この<ルピアの実>は、本来であればお一つ5000ベリル頂くところですが、本日に限りましてお試し価格の3500ベリルでご提供いたします。どなたか食べてみたい方はいませんか?」
男性がそう言うと、周りの人たちはざわついた。いくら珍しい果実とはいえ、リンゴよりも小ぶりな果物に3500ベリルというのは少しばかり手が出ないといったところだろうか。
しかしニーナは違った。迷うことなく手を高く挙げたのである。
「それではそこの赤い帽子を被ったお嬢さんから、どうぞ」
「やったぁ!」
ニーナはガマ口の財布からフクロウコインを取り出して女性に手渡すと、もぎりたての<ルピアの実>を両手で受け取った。まん丸な赤い果実は意外にもズシリと重くて、ぎっしりと中身が詰まっていることがわかる。
「皮は薄いので、ぜひそのままかぶりついてみてください」
ニーナは言われるがままに小さなお口をいっぱいに広げて、がぶりと噛みついた。たちまち果肉からみずみずしいエキスがあふれ出してきて、しかも果肉自体もとっても甘くて、とろけそうで。ニーナは果汁の一滴も逃すまいと、上を向きながらそれを頬張った。そして目をつむりながらゆっくりとそれを味わい、幸せをいっぱいに噛みしめて、一言。
「んーっ、あまーいっ……!」
頬が緩み切ったその表情は、言葉以上に美味しさを雄弁に語っていたらしい。ニーナがあんまりにも美味しそうに食べるから、周囲の人たちも我慢できなくなっていた。私にもくれといわんばかりに、こぞって手を挙げ始めたのである。一斉に押し寄せてきそうな勢いに、女性はニーナを少し離れた場所へと避難させたほどだ。
<ルピアの実>は芯の部分以外はすべて食べられた。種も特に見当たらずで、もしかしたら小さなそれを気付かぬうちに食べてしまったのかもしれない。ニーナが食べ終えたあとも、しばらく混雑は続いていた。
そして最後の一つがもぎり取られようかというとき、女性は再びご注目下さいと言う。いったいなにが始まるというのだろうか。お店の後ろ側に避難していたニーナは誰にも邪魔をされない位置で、その一部始終を目撃した。
「えっ、こんなことってあるんだ……!」
聖樹ルピアから最後の果実が採取された。すると大樹は巻き戻しの映像を見るかのように、みるみるうちに小さくなり、やがては錬金釜のなかへと消えてしまった。
そして男性がその釜のなかに手を突っ込み、引き抜くと、彼の手のなかには先ほど素材として使用されたものと同じ<奇跡の種>だけが残されていた。聖樹ルピアは役目を終えて、また神秘が宿る種子へと戻ったのだと男は言う。
ほどなくして集まっていた観光客たちは去っていった。調合に携わった二人は後片付けを始める。そんななかニーナはというと、まだ夢見心地のようで、先ほどの光景を頭のなかで繰り返していた。口のなかはまだほんのりと甘さが残っていた。
<奇跡の種>はまた瓶のなかに戻され、女性が腰に付けたちいさなかばんのなかへと大事そうに入れられた。ニーナはその様子をじっと見つめていたのだが、いつのまにかすぐ側に男性が立っていて、話しかけてきた。
「どうだった? 美味しかったかい?」
「はい、とっても! 今までで食べたどんな果物より甘くて、濃厚で、とろけそうで、どんな言葉でも足りないぐらい美味しかったです!」
「俺たちとしても君が真っ先に手を挙げてくれてよかった。おかげで大盛況だったよ」
ニーナはそのときを思い返して、少しだけ恥ずかしくなった。年頃の女の子としては、あんなにも緩み切った表情をみんなの前で見られて、複雑な気持ちなのである。ニーナは<ルピアの実>のように頬が赤く染まったのを自覚した。
「あの、途中からしか見れなかったのですが、調合もすごかったです。どうすごいのかわからないぐらい」
「ははっ、わからないのにすごいと思ったのか。正直だな」
「だって、そうとしか言えないと言いますか、あんな沸騰してできた気泡がシャボン玉のように浮かぶなんて、見たことも聞いたこともありません」
「それが可能なんだよ。<世界樹の輝く葉>を使用すればね」
ニーナは息を呑んだ。もしかしたら今日一番の驚きだったかもしれない。そして、そんな大事な場面を、錬金釜のなかに<世界樹の輝く葉>を投入する瞬間を見逃してしまったのかと思うと、嘆きたくなった。
けれども、どうやら少しだけ想像と違うようで。
「調合途中にアリアが……あぁ、あの助手を務めてくれた俺の彼女なんだが、あいつが<奇跡の種>は俺が生み出した神秘の種子だ、とか言ってたの、覚えてるかい?」
もちろん忘れるわけがない。錬金術師クリストフが生み出したのだと、女性ははっきりと口にしていた。
ニーナは男性に頷きを返す。
「あれはつまり<奇跡の種子>は作られたもの。<世界樹の輝く葉>を素材として生み出された、錬成によって生まれた人工的な聖樹なのさ」
「それじゃあクリストフさんは、<世界樹の輝く葉>を素材とした錬成を成し遂げた、その結果があの大きな種ということですか?」
「そうだ。錬金術を行うことで何度でも極上の果実を実らせる、そんなルピアの種子を俺は生み出したんだ。まさにこいつは金の生る樹の種だよ」
そう言ってクリストフは無邪気に笑った。
「どうしてクリストフさんは<奇跡の種>を錬成しようと試みたのですか?」
「まあ色々とね。これがあれば金にも食うものにも困らないし、見た目も派手だし、それに<ルピアの果実>を素材として、また新たな発明ができたら面白いかもなって思ったんだ。<世界樹の輝く葉>は一度調合したら成功や失敗にかかわらず失われてしまうが、この種は違う。調合に成功するたびに手元に戻ってくる。そういう風に作った。面白いだろ?」
クリストフはまた無邪気そうな笑みを浮かべた。彼が<まさにこいつは金の生る樹だ>と言ったときはどきりとしたものの、どうやらそれは建前。お金目的も否定しないのだろうが、それよりも好奇心を満たしたかったようだ。ハッキリと明言はしないものの、表情を見て、なんとなくそう思った。
「まあ難点は、調合に失敗したら<奇跡の種>は真っ黒のぶよぶよに変わってしまうことと、こいつが儲かることを知っている連中から妬まれることもあるから、目立ちすぎると面倒くさいことだな。だから本当は調合品部門で上位を狙いたいところだが、今回もほどほどに儲けて、上位は他に譲るよ」
「妬みかぁ。なんだかやるせないですね。でもよかったんですか? そんな大事な秘密を私なんかに教えてくれて」
「いいさ。君の純粋な瞳を見ていると、君になら教えても良いと思ったんだ」
そこ、私の前でちっちゃい子を口説くなよ、とアリアが後片付けをしながらツッコミを入れる。
「ははっ、怒られてしまったよ。まあ君も頑張ってくれ。見たところ、君も俺と同じ錬金術師なんだろ?」
「はい。色々と教えて頂きありがとうございました!」
ニーナはぺこりと頭を下げて、彼の店をあとにした。物凄く貴重なお話を訊けて、クリストフとも知り合いとなれて、なんて幸運なのだろう。それに、あのようなやり方で集客する方法もあるのかと参考にもなった。ヒントはやっぱりイベント会場に落ちていたのだ。
ニーナは次のヒントを求めて、再びミーミル・ストリートを歩き始める。
「──あっ、ニーナだ」
そこへ誰かが声をかけてきて……?




