ニーナがずっと疑問に思っていたこと
一階へ降りると、ロブが山盛りのカレーの前でいまかいまかと、ニーナが来るのを涎を垂らしながら待っていた。どうやらご馳走の前でお預けをくらっていたようである。
席について、いただきます。
スプーンでご飯とルゥをよそって、一口。
「……うん、おいしい」
ニーナは表情をほころばせる。
「昨日も食べたじゃない」
そう、これは昨日の残りもの。
でも美味しいことに変わりはないのである。
「そうそう、ニーナを上まで運んだのは兄さんなのよ。一応お礼言っといて」
「あっ、そうなんだ」
階段を担いで上がるのはシャンテでは危ないからと、わざわざ変身して運んでくれたのだろう。面倒をかけただけでなく、体力と魔力を惜しまずに人間の姿に戻って運んでくれたのだとしたら、きちんとお礼を述べなくては。
ニーナは椅子から降りると、ロブと目線を合わせるように屈んで、ありがとうございました、と感謝の気持ちを伝えた。するとロブは笑って、いいってことよ、と言った。口回りはカレーで汚れてしまっている。あとで綺麗に拭いてあげないと。
などと思っていたら、余計な一言が聞こえてくる。
「それに俺も色々とおさわりさせてもらったしなー」
「えっ、そうなの!?」
急にロブの笑顔がニヤニヤしたものに見えてきた。おさわりって、どこをどう触られたんだろう?
戸惑いがちにシャンテを見ると、シャンテはクスッと笑って、心配するようなことはなかったわよと教えてくれる。
「でもまあアタシと兄さんとで、ほっぺたはつんつんとさせてもらったけど」
知らない間に兄妹の遊び道具にされていたと知り、ニーナは恥ずかしくなって頬を赤らめた。でもたくさん迷惑をかけている自覚があったので、これは怒れないなと思ってしまった。
それにしてもロブの食べっぷりはすさまじい。あんなにも山盛りだったお皿が、もう綺麗になっている。米粒一つ残っておらず、お皿は洗ったみたいにピカピカだ。ロブはシャンテが作る料理ならなんでも美味しいと言うが、そのなかでもカレーは格別のようで、昨日も三回にわたっておかわりしていた。いまもシャンテにおかわりをせがんでいる。
そんなロブの食べっぷりを見ていると、ニーナも元気が出てきた。またスプーンでお米とルゥを山盛りによそって、大きく口を開けて頬張る。……うん、やっぱり美味しい。シャンテの料理は最高だ。そうしてロブに負けじとがつがつと食べて、そしてニーナもおかわりをした。
「はぁー、食べた食べた。もうお腹いっぱいだよぉ」
「珍しくおかわりしてたもんね」
「うん、なんでかわかんないけど、ロブさんを見てたら私ももっと食べたくなっちゃって」
それに三時間とはいえ、ぐっすりと熟睡したからだろうか、なんだか元気が湧いてくるような気がするのだ。
ただ、これですぐに調合に取り掛かったらいつもと同じ。こんなときこそ、焦らず、まずは現状確認が大事だろう。シャンテならそういうはずだとニーナは思った。
そしてこういう行き詰ったときは、素直に相談したほうがいいはずだ。
「私、このあとどうしたらいいと思う?」
「えっ、アタシに訊くの?」
シャンテは意外そうな顔をしたが、すぐに真剣は表情で考えてくれた。
「そうねえ、もしアタシがニーナの立場なら、他にやるべきこともあるし、入浴剤づくりは諦めるけど……。でも思い入れがあるから諦めたくないのよね?」
うん、とニーナは頷いた。
「だったら、アタシなら先に他の準備から取り掛かって、ぜーんぶ終わらせたあとで、残った時間の全てを調合の時間に当てるかな」
「先に出店準備を終わらせちゃうってこと?」
「そう。だって、他にやらなくちゃいけないことを残していたら焦っちゃうでしょ? でも全部終わらせたあとなら、気兼ねなく調合に集中できるじゃない」
たしかにその通りだとは思う、けれども。
「でもそうなったら、個包装は諦めなくちゃいけないんだよね……」
調合品は完成させただけでは売れない。きちんと包装紙に包んで初めて、商品として成立するのだ。特に<ヤギミルクたっぷりヌルテカ泡ぶろ入浴剤>は固形タイプの、石鹸のようなものをイメージしている。衛生用品を裸のままお客さんに渡すのは、あまり良いことでは無いとニーナは思っていた。
とはいえ、今回ばかりは個包装は断念するしかなさそうである。
と、ニーナは思ったのだけれど、しかしシャンテには考えがあった。
「そこは普通に、買ってもらったときに小さな紙袋に入れて渡せばいいんじゃない? ほら、<絶対快眠アイマスク>や<お喋りリップシール>なんかもデザインしたオリジナルの紙袋に入れて渡すでしょ。あれと同じものを使えば問題ないと思うんだけど」
「そんな適当でいいのかな?」
「そりゃあメイリィの店に置いてもらうのなら、裸のままじゃダメなんだろうけどさ。でも今回はゆるいイベントなんだし、店番をするのはアタシたちなんだから、そこは臨機応変にやっていけばいいんじゃないかな。テーブルの上に直置きするのが見た目的に悪いと思うなら、<バケツ雨の卵>と同じようにカゴに盛って、綺麗に並べてやればいいのよ」
「おぉ、そうかも……」
ニーナはイベント当日の自分を思い浮かべる。椅子に座る自分。目の前には長机。その上に編み込みの小さなバスケットを置いて、藁で底上げして、そこに入浴剤を並べる。でもこれは見本。買ってくれることになったお客さんには、あらかじめ紙袋に入れておいた、綺麗な入浴剤をお渡しする。
「……うん、いいかもしれない!」
「それじゃあチェシカに電話して、紙袋の数を増やしてもらうようにするわ。あっ、かごはどうする?」
「欲しい!」
「オッケー。それじゃあやっぱりアタシが直接行って買ってくるわ」
「いつもいつもお世話になってます」
ニーナは深々と頭を下げる。
「まあ、今回は<一角獣のツノ>がかかっているからね、アタシたちのためでもあるし。むしろニーナの頑張りに乗っからせてもらってるようなものだから、感謝するのはアタシたちの方よ」
「えっと、そのことなんだけど」
実を言うと、ニーナは以前から一つ疑問に思っていたことがあった。でもそれは、そのことを質問するとシャンテたちが自分から離れてしまうような、そんな怖さがあって、いままで訊ねることができなかった事柄だった。
でもシャンテたちのことを思えばこそ、ニーナは質問すべきだと思い、勇気を出してみる。
「ずっと前から気になってたんだけど、どうしてシャンテちゃんはこんなにも私に協力してくれるのかな? この街には他にも多くの錬金術師がいて、私なんかよりもずっと実績のある人たちばかりで、それこそアルベルのような入賞する確率が高そうな知り合いだっているのに、それでも私を助けてくれるのはどうして?」
「それはもちろん一緒に暮らしているからよ」
「でも、それとこれとは別じゃない。だってロブさんを人間に戻すのはシャンテちゃんにとって、なにより優先すべきことでしょ? それなら私と一緒に暮らしながらでも、他の錬金術師と契約を結べばいいと思うんだ。あっ、もちろん私は、シャンテちゃんと一緒にあれこれ考えて準備できることが楽しいし、とっても助かっているんだよ? フランベだってシャンテちゃんがいなかったら絶対に思いつかなかった。でもだからこそ、なんでここまで協力してくれるのかなって疑問に思っちゃって」
そうねぇ、とシャンテは天井へと視線を向けた。
シャンテのことだから、いままでそのことに考えが及ばなかったわけじゃないはずだ。<一角獣のツノ>を手に入れる確率を上げるために、この準備期間中に色々と根回しだってできたはず。それなのに、どうしてここまで自分に協力してくれるのかが疑問だった。もしかしたら見捨てておけないと、頼りなく思われているのかもしれない。
でもそれは、自分に協力することでシャンテたちが目標から遠ざかってしまうのだとしたら、ニーナは悲しい。そんなことあってはならないと思うのだ。だから、いまからでも遅くはないから、アルベルのような入賞できそうな人と契約なり、譲ってもらう約束を結ぶなりしたほうがいいと思った。勇気を出してこの話題を口にしたのは、そのためだった。
ニーナは一抹の不安を抱えながらもシャンテの言葉を待った。




